仔ネコ、騎士団に潜入する①
わたしがレリウスさまにネコパンチした日から五日が経った。
朝日とともにネコの姿に戻ったわたしは、大急ぎで屋敷に駆け込んで、居間やレリウスさまの寝室、果てはバスルームまで見て回ったが、どこにもレリウスさまの姿はなかった。
……なんで? どうしてレリウスさまは、全然帰ってこないの? 節目の日でもある今日は、レリウスさまと一緒に過ごしたかったなぁ。
実は、今日はわたしが生後一年を迎える節目の日でもあった。一年前の今日、東の空に月が現れるのと同時にわたしは生まれたそうだ。
お祝いもプレゼントも、特別なものはなにもいらない。レリウスさまが抱きしめてくれたら、それだけでいいのに……。
わたしはしょんぼりと肩を落とし、怠さの抜けない体を引きずるように玄関に向かう。もしかすると、レリウスさまが朝帰りするかもしれない。
一縷の望みを託して玄関にお座りし、レリウスさまの帰りを待った。頭の中では、どうしてレリウスさまが帰ってこないのか悶々と考えていた。
……もしかして、レリウスさまはわたしの態度に呆れちゃった? それで、屋敷に帰ってこなくなっちゃったのかな……。
想像したら、悲しくて耳と尻尾がへちょんと垂れた。
わたしだって理性的な部分では、自分がただのペットで、レリウスさまに想う人がいてもなんらおかしくないと理解しているのだ。当然、五日前のあの行動が、ただの八つ当たりであることも百も承知だ。
だけどわたしは当たり前に翌朝も、そのまた次の朝も、レリウスさまに会えるのだと慢心していた。だから、ネコパンチしちゃった日も妙な意地を張ってしまい、帰宅したレリウスさまにブラシがけとペロルこそきっかり要求したものの、「ごめんね」が言えなかった。同様に素直に甘えることも憚られて、普段よりツンツンした態度を取った。
……こんなことなら、ちゃんと謝っておくんだった。それで、ちゃんと自分の立場を弁えて、レリウスさまと彼の想い人の恋を応援……ぅううっ、やっぱり応援まではちょっと無理。
大好きなレリウスさまが、他の女性と親密にしているのを想像すれば、キュウウッと胸が苦しくなって涙が出そうになった。とりあえず、レリウスさまの恋路を邪魔したり、悪い態度を取ったりしないって約束して、仲直りがしたいよ……。
「ルーナ、こんなところにいたのか。朝飯の用意ができておるぞ」
わたしが前足で目尻を拭っていたら、後ろから声をかけられた。振り返ると、家令のおじいちゃんが優しい目でわたしを見下ろしていた。
《みゅーぁ(おじーちゃん、もう五日目になるよ? そろそろレリウスさま、帰って来たりしないかな? なにか聞いていたりしないの?)》
「ん? なんだ……おお! わかったぞ」
わたしが小首をかしげて問うと、おじいちゃんはなにごとか閃いた様子で微笑んだ。
《みゃあっ(えっ? もしかして、レリウスさまからなにか連絡があったの!?)》
「さては、飯の前に用足しに行きたいんだろう。それなら、ほれ。遠慮せず先に行ってこい」
わたしの期待を余所に、おじいちゃんはしたり顔でこんな発言と共に重厚な玄関の扉を開けてくれた。
……えぇっと。扉の下には、レリウスさまが作ってくれたわたし専用の出入口が付いている。
だから、わざわざ開けてもらわなくても、そこから出入りできちゃうのだが……。
《みゃー(……ありがと)》
わたしは肩を落とし、尻尾を引きずりながら、どんよりと重たい足で外に向かって歩きだした。もちろん、おトイレがしたいわけでもなかったが、今はこれ以上噛み合わないやり取りを続けるよりも、ひとりになりたい気分だった。
……決して、おじいちゃんが悪いわけじゃない。
使用人のみんなとのコミュニケーションはこの程度が普通で、レリウスさまだけが特別なのだ。
目頭がジンッと熱くなり、わたしはおじいちゃんの視線から逃げるように足を早め、慌てて木陰に入り込んだ。直後、目尻からポロリと涙がこぼれた。
《ふみゃー(会いたいよぉ、レリウスさま……)》
そのまま少しの間、わたしは人目を忍び、レリウスさまを思って泣いた。
ひとしきり泣き、屋敷に戻ろうと木陰を踏みだしかけたら――。
「ねぇねぇ。ここ最近、旦那様ったら、ちっとも屋敷に帰って来られないわよね~。まさか、いい人でもできたのかしら?」
「あぁ、その件ね……。それ、そんな色っぽい理由じゃないわよ」
通いの掃除係ふたりがコソコソと話しながらこちらに歩いてくるのに気づき、慌てて頭を引っ込めた。
しかもふたりは、レリウスさまのことを話題にしていた。わたしは息をひそめ、ふたりの会話に聞き耳を立てた。
「えー、どういう意味よ?」
「あなたにだから言うけど、絶対ここだけの話にしてね? たぶん旦那様は、国王様の密命を受けて、近々出陣するんだと思うわ」
「えっ、それ本当なの!?」
聞かされた掃除係の女性は、ギョッとしたように目を見開いた。
わたしも初めて聞かされた内容に驚いて、ピクンッと体が跳ね、尻尾がビリリと尖った。
「ええ、十中八九間違いないわ。うちの夫は腕のいい鍛冶職人で、日頃から騎士団の中でも幹部クラスの武具の新調や、補修点検なんかを引き受けているの。その夫のところに五日前の早朝、騎士団から纏まった数の点検依頼が持ち込まれたのよ。しかも、普段とは違って大至急との指示付きでね」
「それって、たまたまじゃないの?」
「根拠はこれだけじゃないのよ。あなたも私の父が王宮の守衛門の近くでカフェを営んでいるのは知っているでしょう? その父が最近、王宮と騎士団を伝令係が頻繁に行き来しているのを見るそうなの。実はこれって、前に旦那様が少数精鋭の部隊を率いて出陣された時と同じ動きなのよ。おそらく、今回も出陣が迫っているんだと思う」
「なるほどね、それなら出陣が迫っているのかもしれないわね。旦那様や、部隊のメンバーに怪我などなければいいけれど」
ふたりはわたしの前を通り過ぎ、庭の向こうに歩いていった。
今の話でレリウスさまの出陣が一気に現実味を帯び、居ても立ってもいられなくなった。もう屋敷で大人しくしているなんてできなかった。
わたしはふたりの姿が完全に見えなくなるのを待って、木陰から飛びだした。
一旦足を止め、屋敷にくるりと背中を向けて少し遠くの空を見仰ぐ。騎士団中央棟の尖塔と、その天辺で風にたなびく騎士団の紋章入りの旗が目視で確認できた。
レリウスさまに拾われて、森から屋敷にやって来る際、わたしは騎馬で騎士団施設の横を通り過ぎている。その時の体感だと、レリウスさまの屋敷から騎士団まで、およそ六キロ。
……大丈夫! 遠いけど、歩けない距離じゃない。
道だって、もし迷ってしまったら空を見上げ、尖塔とたなびく旗を目指せばいい。
《ふみゃあっ(待っててね! わたし、すぐに行くから!)》
目指すは騎士団。レリウスさまのところだ――!
わたしは覚悟を決め、テテテッと走りだす。王都に向かうのに第一の関門となる屋敷の正門は、小さな体が功を奏し、金属の隙間からスルリと通り抜けられた。
こうしてわたしは誰にも見とがめられることなく、初めて自分の足で王都の街に踏みだした。




