懸想
警邏や各国大使館を巻き込み、ちょっとした騒ぎになった騎士団長邸への侵入者騒動も数日が経てば落ち着いた。
物置小屋の調査やレリウスさまへの聴取で多く出入りしていた人たちも、ここ最近はぱったり来なくなった。取り戻した普段通りの日常に、わたしは安堵の胸をなで下ろしていた。
「ところで侵入者の一件、あれってその後はどうなったのかしら?」
昼下がりの廊下を歩いていたら、偶然、使用人たちが思い出したように話題にしているのを聞きつけた。
「結局、旦那様が目撃したという人物に該当するような捜索願はどこからも出されていなかったそうだ。警邏が王都近辺で聞き込みを実施したらしいが、こちらもそれらしい人物の目撃情報は一件も挙がってこなかったらしい」
「ふーん、不思議なこともあるものね」
わたしは何喰わぬ顔で横を通りつつ、彼女らの会話に耳をそばだてた。
「ここだけの話。わしは旦那様が夢でも見たのだろうと思っとる」
「えぇ?」
「考えてもみろ。旦那様が警邏にした証言は『物置小屋の扉を開けると、白銀の髪と紫の目をした月の化身のような十四、五歳の少女が裸で奥の壁にもたれかかっていた。声をかけたが、途中で一瞬の隙をつくように、少女は制止を振り切って消えてしまった』とこうだ。常識で考えてあり得んだろう。いくら暗がりの中とはいえ、熊やイノシシとて素手で捕らえられる旦那様だぞ。その制止を少女が振り切って逃げるなど不可能に近い。なにより、海を挟んだ遠い異国のことはわからんが、この大陸にそんな色を持つ人間などおらん。いるとすれば――」
ん?
朗々と持論を語っていた家令のおじいちゃんが、ここでチラリとわたしに視線を向けた。
「そう、そんな毛色と瞳の色を持つのはルーナくらいだ」
ギクッ!
年の功というやつだろうか。以前から思っていたが、サンタクロースみたいなおひげをしたこの家令のおじいちゃん、地味に鋭いのだ。
「では、旦那様はネコのルーナを少女と見間違えたというの!?」
「そう考えるのが妥当だろう。最終的には警邏でも似たような見解で処理がなされ、捜査も一旦終わりになったそうだ」
……なんと、まさかの捜査終了! 侵入者騒動が、意図せずわたしにとって、とても都合のいい着地点に落ち着いていた。
これが聞けたら、もうひと安心。今後、わたしが迂闊に人型を晒さない限り、この一件が掘り返されることはないだろう。
あぁ~、よかった! レリウスさまには申し訳ないけれど、超ラッキーだ。
「まぁ、そうだったのね」
「ちなみに、ここで問題なのは旦那様の見間違いそのものじゃない。そのくらい旦那様が疲れておられるという状況だ」
家令のおじいちゃんが続けた言葉にピクンと耳が揺れた。たしかに、最近のレリウスさまはずっと心ここにあらずな雰囲気だった。
……鋭いだけじゃない。家令のおじいちゃんは、いつだって主思いでとっても優しいのだ。
「たしかに。ここのところ旦那様は、帰宅後も夜中まで自室で仕事をしているみたいだし、食事時なんかでもボーッとしている姿をよく見るわ。よっぽどお疲れなのね」
「旦那様は機密の多い重要な仕事をなさっている。察するに、ここ最近はなにか重大な案件でも抱えているのだろう。わしらは、屋敷を居心地よく整えておくくらいしかできんが、旦那様が少しでも心寛げるよう力を尽くそう」
「そういうことなら、今日は張りきって窓掃除までやってしまうわ!」
「ああ、頼んだよ」
掃除用具を手に、使用人のみんなが忙しなく動きだす。
みんなの掃除の邪魔にならないよう、わたしは真っ直ぐ自分の寝床に向かい、コロンと体を丸めた。
わたしもレリウスさまにして貰うばかりじゃなくて、彼のためになにかできないだろうか?
レリウスさまのために頑張るみんなの姿を見て、胸にこんな思いが湧きあがっていた。
えぇっと。お掃除を手伝ってみる? ……いやいや、肉球のこの手じゃさすがに無理だろう。
うーんと、それなら肩をたたいてあげるとか? ……いやいや、わたしのネコパンチじゃぽてぽて触るのがせいぜいで、とてもじゃないけど「たたく」なんて威力はでない。
……さて、どうしたものか。
レリウスさまが帰ってくるまで、ずーっとぐるぐると考えていたけれど、結局いいアイデアは思いつかなかった。
さらに数日が経ったある日の朝。
わたしは朝食を終えると、レリウスさまのお膝に乗って、ブラシをかけてもらっていた。
レリウスさまが出勤するまでの僅かな間だけれど、レリウスさまと一緒に過ごせるこの時間が、わたしは大好きだった。
う~ん、いい気持ち……ん?
夢心地でうつらうつらしていると、背中の右側から半分ほどブラシをかけ終わったところで、レリウスさまの手がピタリと止まってしまう。怪訝に思って首を回して見上げたら、レリウスさまはボーッと宙の一点を見つめていた。
《ふみゃ(レリウスさま?)》
「ああ。すまん、少し考えごとをしていた」
わたしの声にレリウスさまハッとした様子で答え、ブラッシングを再開した。だけどレリウスさまは、明らかに気もそぞろ。
……背中は気持ちいいけれど、これじゃなんだか寂しいよ。
最近のレリウスさまは、こんなふうに突然動きを止めたかと思えば、遠い目をしてなにごとか考え込んでいることが多かった。
《みゃー(ねぇレリウスさま、お疲れなんじゃない? お仕事、あんまり無理しないでね)》
わたしは伸び上がって、レリウスさまのほっぺのあたりを労わるようにペロペロした。
「はははっ、くすぐったいぞルーナ。お前はかわいいな」
へへへっ。そりゃどうも。
首回りをわしゃわしゃとなでながら告げられて、うれしさにふりふりと尻尾が揺れる。
レリウスさまはそんなわたしの様子をジッと見つめていたけれど、途中でなにか思い出したようにうっとりと目を細くして口を開いた。
「彼女も奇跡のようにかわいかったな……。また会いたいものだ」
んっ!? 『彼女』って、どういうこと!? しかも『会いたい』ってなに!?
聞き捨てならない台詞を耳にして、ご機嫌から一点、不快感に尻尾がビリリと尖り、全身の毛が逆立った。
屋敷のみんなもわたしも、お仕事が大変なんじゃないかって心配したのに、レリウスさまは女の人のことで悩んでいたの!?
《ふしゃぁあっ(なにそれ、信じられないっ! レリウスさまの馬鹿っ!!)》
わたしはレリウスさまのほっぺたにネコパンチをお見舞いし、そのままピョンッと膝から降りた。
わたしが繰り出すネコパンチの威力など、たかが知れている。だけどレリウスさまはとても驚いた様子で、ピキンと動きを止めた。
「お、おい!? 急にどうした?」
レリウスさまは戸惑いつつも、すぐにわたしに向かって腕を伸ばしてくる。わたしはそれをスルリと躱し、ダッと駆けだした。
「ブラッシングはもういいのか? 左半分がまだだぞ」
《くしゃぁあっ(そんなの、言われなくたってわかってるもん! レリウスさまなんて、もう知らないんだからっ!!)》
わたしは一旦足を止めてキッとレリウスさまを睨みつけると、棚から予備のブラシを銜え、今度こそ居間を飛び出した。
「おい、ルーナ!」
……言葉が通じなくたって、レリウスさまとは心と心でわかりあえている気になっていた。でも、それらはわたしの独りよがりで、全然わかりあえてなどいなかった。
なにより、あんなに思いをかける大切な女性がレリウスさまの胸にいる。そのことが、わたしの心を波立たせ、ひどく苛つかせた。
「おや、ルーナじゃないか。どうした、ブラシなんぞ銜えて?」
わたしが廊下を猛ダッシュしていたら、向かいから歩いてきた家令のおじいちゃんに声をかけられた。
《ふみゃぁああ(うぇえ~ん、おじいちゃーん! レリウスさまが酷いの! レリウスさまの悩みはお仕事なんかじゃなくて、女性問題なのっ! みんな、騙されてるよ。もう、ヤダ~っ!)》
わたしは家令のおじいちゃんの脛にバフッと縋りつき、おいおいと泣きながら訴えた。
口を開いたことで、銜えていたブラシはコトンッと床に落っこちた。
「そんなに鳴いてどうした……おお! さては、レリウスさまがブラシで皮膚を引っかけてしまったんだろう。よしよし、もう鳴かんでいいぞ。続きのブラシはわしがかけてやるからな」
おじいちゃんは床からブラシを拾い上げると、好々爺然とした笑みを浮かべながら頓珍漢なことを言う。
わたしは今回、レリウスさまとわかりあえていなかったことが露見して、ものすごくショックを受けた。だけど、それよりもっとおじいちゃんとわかりあえない現実に打ちのめされる。
《みゃぁあ(違うよ、わたしが言ってるのはそんなんじゃなくて……って、もういいや。続きのブラシがけ、左側をよろしくね)》
わたしはすっかりしょげ返り、諦めと共におじいちゃんの足もとで体を丸めた。
「おー、よしよし。どうだルーナ、わしのブラッシングも極楽だろう?」
《みゃ(……そね。でも、できるだけはやく左側に移ってね)》
左側と言ったのに、嬉々として右側にブラシをあてはじめるおじいちゃんに困憊しつつ、ため息交じりに独り言ちるのだった。
***
夜半過ぎ、間諜が新たに上げてきたワーグナー筆頭大臣の報告書を読み終えて、俺は奥のテラスへと足を向けた。
長窓を開け放つと、冷たい風が室内に吹き込んだ。この風に長くあたっていたら体の芯から冷え切ってしまいそうだが、書類仕事で凝り固まった頭と疲れた目には心地よかった。
俺はそのままテラスに踏み出していき、手擦りにもたれかかって空を見仰いだ。煌々と月が輝いて、今夜はとても明るかった。
だが、目線を少し遠くに向けると、北の空にぶ厚い雲のかたまりが浮かんでいるのが確認できた。もし、あれらが風で流れてきたら、明るい夜空は一転、暗がりに変わるだろう。
……そう、あの晩がまさにそうだった。今日とよく似た空模様と気候のあの日、俺は月の化身みたいな麗しい少女を見つけた――。
各国大使館に問い合わせても、警邏が行った周辺の聞き取りでも、少女の情報はなにひとつ掴めないまま捜査は打ち切られた。口には出さずとも、皆が内心で俺の目撃情報そのものを懐疑的に思っているのも知っている。
俺自身、月に幻影を見せられたのかもしれないと考えたこともあった。だが、たしかに少女はいたのだ。夢まぼろしなどではないと、俺の五感が彼女の存在を確信していた。
あれ以来、寝ても覚めても少女のことが頭から離れない。
今頃彼女は、どこでなにをしているのだろう。無事に、親もとに帰っているのだろうか? 寒さに震えていないだろうか? 腹を空かせていないだろうか?
こんなふうに、気づけばいつも彼女のことを考えていた。
懐かしいような、放っておけないような……初見の相手に抱くには少々不可解なこの感情はなんなのか。
俺は今朝、ブラッシングを受けて幸せそうにしているルーナを眺めながら、この疑問にひとつの答えを見つけていた。
とても不思議なのだが、あの少女は色彩といい雰囲気といい、ルーナにとてもよく似ている。ルーナが人間だったら、間違いなく彼女と瓜二つになっていただろう。そんな、大切なルーナにそっくりな少女が、もし不幸な状況にあるのなら見過ごせない。俺が手を尽くし、不足なく暮らせる環境を整えてやりたい。
ルーナに幸せでいてほしいのと同じで、俺はルーナを彷彿とさせるあの少女にも、幸せでいてほしいと思うのだ――。
「……こう考えると、俺が少女のことをこんなに気にかけているのも、結局のところ出発点はルーナなんだよな」
ポツリとつぶやきながら、自ずと口もとが綻んだ。
「だが、俺の生活の中心がルーナなのだからそれも道理か。ルーナに振り回されるなら本望だ」
ふわふわの小さな体。かわいい鳴き声に、俺を見るとご機嫌に揺れだす長い尻尾。俺を見つめる宝石みたいな紫の瞳や、必死に俺に縋るぷにぷにの肉球がついた短い前足。どれもこれもが愛しくて仕方がない。
たまに見るご機嫌斜めの様子や、怒って繰り出すネコパンチだってかわいらしく、俺の目を釘付けにしてしまう。
「そういえば、今朝のルーナはいったいなんだったんだ? 突然、俺の頬に肉球を押し付けたと思ったら、背中を向けて駆けていってしまったが……」
ふいに、ルーナとの朝のひと幕が脳裏を過ぎった。
ルーナは走って居間を飛び出していったまま、一日と欠かさなかった出勤の見送りにも玄関に顔を出さなかった。おそらく、なにかしら気に入らないことがあったのだろう。しかし、それがなんなのか俺には見当もつかなかった。
俺は気を揉んだ状態で帰宅したが、玄関を入った瞬間にルーナが脛にバフッと飛びついてきて、ブラッシングを強請ってきた。特に、背中の左側を中心にブラシをあてるようしきりに訴えており、俺は求められるまま丁寧に梳かしてやった。
その後ルーナは、これまた朝にもらい損ねたペロルをせがんで、甘えた声をあげていた。
そんな姿を見て、朝の行動はたまたまだったのかと一度は納得した。しかし改めて思い返してみると、ルーナが俺に甘えてきたのは明確な理由を持った要求の場面のみ。意味もなく俺に体を寄せてきたり、スリスリと尻尾を絡ませてみたり、普段ならよくあるそういった接触が今日は一切なかった。
もしかすると、いまだルーナは俺に対し、気を悪くしたままなのかもしれない。
「……ふむ、これは由々しき事態だ」
ルーナには理由などなしに、いつだって甘えてきてほしい――。
「よし! 明日はルーナとしっかり向き合い、腹を割って話をしてみるか」
決意を新たにする俺だったが、この後ワーグナー筆頭大臣の一件で緊急招集を受け、朝を待たずに屋敷を出ることになってしまった。これにより、ルーナと仲直りの機会を持つこともかなわなくなってしまったのだ。




