邂逅
ユーグの訪問から一週間が経った。
その日の晩、俺は窓の前に立ち、風を受けて大きく葉を揺らす庭の植木を見つめていた。
……ひどい風だな。
試しに窓を押し開けてみると日が落ちたことに加え、ビュービューと吹きすさぶ風によって実際の気温よりもずっと寒く感じた。
「ブランケット一枚でルーナが震えていなければいいが……」
ルーナはいつも通り、夕飯を終えてしばらくするとブランケットを銜えて姿を消していた。先週、ルーナに『自由でいい』と伝えて以降、俺がルーナを引き止めたことは一度もなかった。
先の言葉に嘘はなく、今後もルーナの好きな場所で夜を明かせばいいという考えに変わりはない。だが、これから季節は冬に向かっており、日ごと外気は冷たさを増していた。
「そういえば、ダウンのブランケットがどこかにあったような気がするな」
俺はしばしの逡巡の後、リネン室に足を向けた。
リネン室に入ると、端から順に収納棚の扉を開けていく。そうして三つ目の棚の中に、目当ての品を見つけた。
「あった、これだ。寝るのは好きな場所でいいが、寒さに凍えていてはかわいそうだ。これをルーナに届けてやろう」
引っ張り出したダウン素材のブランケットは、ルーナが愛用している毛布素材のそれよりも軽く、保温性に優れてふかふか。これからの寒い季節にはぴったりだ。
これを掛ければ、ルーナも温かく朝を迎えられるだろう。
俺はダウンのブランケットを小脇に抱えると、玄関に向かった。月明りで十分に明るかったのでランタンは持たず、そのまま外へ飛び出した。
……さて、ルーナはどこにいる。
ルーナを探しながら、屋敷の庭を大股で闊歩する。木陰……あるいは、厩や厨房の勝手口の近くに建つ貯蔵庫か?
幾つかあたりをつけ、順番に見て回る。しかし、植木の根もとや厩、貯蔵庫にもルーナの姿はなかった。他に風が避けらそうな場所は……。
「そうだ。西の端に、昔庭師が道具類をしまっておくのに使っていた物置小屋があったな」
今はもう使われていない小さな物置小屋の存在を思い出し、急いでそちらに向かった。
小屋に辿り着き、逸る思いで簡素な木製扉に手をかける。
――ギィイイイ。
立て付けが悪くなった扉は、引き開けると軋んだ音を上げた。
腰を屈めて足を踏み入れた瞬間、俺は小屋内に人の気配を感じ、叫んでいた。
「誰だ!?」
小さなくり貫き窓から差し込む月明りを頼りに小屋内を見回すが、侵入者の姿は確認できない。
だが、確実に侵入者はいる――! 俺の五感が、侵入者の存在を確信していた。
「どこに隠れている!? 大人しく出てこい!」
俺の上げた声に、小屋内の侵入者が緊張を走らせたのがわかった。神経を研ぎ澄ませ、相手の状況を探る。
これは、素人の物取りか? ……あるいは、ただの迷い人や浮浪者か?
侵入者は、不思議なくらい気配を殺すことに慣れていなかった。しかも、厳しい声で詰問する俺に対し、敵意めいたものがまったくと言っていいほど伝わってこない。感じるのは、ビクビクとした臆病な息差しのみ。
……あそこだな。
俺は、大型のくず入れや踏み台などが乱雑に積まれた小屋の右奥を注視した。そして一歩、また一歩と距離を詰め、幅四十センチ、高さ五十センチ程のくず入れの前で足を止めた。
腕を伸ばし、籐で編まれたくず入れをグッと掴んで持ち上げた。
「きゃぁっ!」
俺の目にまず飛び込んできたのは、月光を紡いだかのような髪。次いで、暗がりでもひと目でわかる透き通るような肌と整った目鼻立ちに気づき、際立った美貌に息をのんだ。
……なっ、裸だと!?
さらに驚くべきことに、目の前の少女は一糸纏わぬ姿だった。唯一、少女が体を隠すのに持っているのはブランケットのみ。胸元に寄せたそれを握りしめる両腕は細く、力を入れて握ったらポキリと折れてしまいそうだ。剥き出しの肩や腰も同様に華奢で、体にまったくと言っていいほど厚みがなかった。
しかし、それらを差し引いても少女には不思議な気品と匂い立つような色香があった。俺は蕾のように初々しく、美しい少女にひと目で魅せられた。
ここで、ずっと伏し目がちにしていた少女がゆっくりと顔を上げ、俺に視線を向けた。
宝石のような紫の瞳とぶつかり、無意識に喉が鳴った。縫い留められてしまったように、少女から目が離せない。
歴戦の将として幾つもの修羅場をくぐり抜け、腕自慢の猛者らを相手に一瞬の油断が命取りの勝負に勝ち抜いてここまできた。その俺が、今は脇をがら空きにしたまま立ち尽くし、食い入るように少女を見つめていた。少女もまた、逸らすことなくその瞳に俺の姿を映していた。
どれくらい、そうしていただろう。ほんの少し正気を取り戻してきた俺は、カラカラになった唇を開いた。
「……君はどうしてここにいた? ひとりで来たのか?」
「ひとりです。風を避けるのに入らせてもらって。……勝手にごめんなさい」
俺の問いかけに少女は肩を縮め、申し訳なさそうに答えた。
耳にして、胸に深い安堵が広がる。回答を聞く限り、少女が裸体でいたのは、かどわかしや男との逢瀬といった理由ではなさそうだった。疑問は尽きないが、その一点に関しては、ホッと胸を撫で下ろした。
加えて、少女の鈴を転がしたような愛らしい声は、俺の胸を高鳴らせた。心地いいその声がもっと聞きたくて堪らなくなった。
「謝らなくていい」
俺は上着を脱ぐと、一歩踏み出して少女の肩にパサリとかけてやった。
「え、これ……?」
少女は驚いたようにパチパチと瞬きしながら肩にかかった上着を見つめ、やがておずおずと指を伸ばし、キュッと前を握り合わせた。
「そのまま羽織っておきなさい。それで、君はどこに滞在しているんだ? まだ成人を迎えていないのだろう? 親御さんはどうした?」
少女は、我が国の成人である十六歳にはまだ届いていないようだった。おそらく、十四、五歳といったところだろう。そして少女の髪は手入れがよく行き届き、艶があって美しいが、このあたりでは見たことがない色だった。
俺の屋敷は王都の中心部に位置し、各国大使館からも近い。おそらく少女は、我が国を訪問中の外国高官の家族に違いない。
段々と冷静な思考が働くようになり、少女の身元について見当をつけはじめる。少なくとも、この少女が物取りや浮浪者であり得ないことを俺は確信していた。
「えっと……」
俺の質問に、少女は困った様子で言い淀んだ。
「なに、心配しなくともご両親には俺がうまく取りなしてやる。まずは着衣を整え、それから親御さんの元に送ってやろう。もし身支度に手伝いが必要なら、屋敷には女性の使用人もいるから安心していい。俺はレリウスだ、君の名前は?」
語りかけながら、俺は少女に対し好感と共に不思議な既視感を覚えていた。
もしかして、俺たちはどこかで会ったことがあるのだろうか。……いいや、過去にこんなに美しい少女と出会っていたならば、忘れるなどあり得ない。
ならば、初対面の少女に対して抱く、この親しみの感情はなんなのか……。
「どうした、君の名はなんというんだ?」
長い間を置いて、少女は眉をハの字にし、ついに唇を開いた。
「……わ、わたしは」
――ビュゥウウッッ。
その時、ひと際強い風がくり貫き窓から小屋内を吹き抜けていく。突風は俺たちの対角に立て掛けてあった農具を倒し、小屋内に大きな音が響き渡る。
――ガタンッ! ガッターンッ!
俺が反射的に音のした方に顔を向けるのと同じタイミングで、風で流れてきた雲が月を隠し、小屋の中が暗くなってしまう。
目を凝らすが、急な暗さにすぐに順応できるものではない。
俺は顔を少女の方に戻しながら、スッと右手を差し出した。
「君、この暗さでは、足元が見えにくくて危ない。俺の手を握っておくといい」
万が一、少女が倒れた農具にでも躓いて怪我をしては大変だ。
ところが、俺が差し出した右手はなかなか取られることがなかった。
怪訝に思い、口を開きかけた瞬間――。
――ぽぽんっ。
目の前で、なにかが弾けるみたいな音がした。
……今の音はなんだ?
俺が不審に眉を寄せていると、小さな影が俺の足を僅かに掠め、テテテテテッと駆けていくのがわかった。
「おいっ!? 待て――!」
慌てて声を張ったが、小さな影はそのまま小屋の外へと走り去ってしまった。それと同時に、少女の息づかいや気配も消えていた。
ひとり残された俺は、扉の外を見つめたまましばし立ち尽くした。
暗がりゆえ目視での確認はできていない。だが、テテテテテッという足音と俺の脛をふわりと掠っていったやわらかな感触には馴染みがあった。
「今のは、ルーナだよな。初めからここに入り込んでいたのか? ……いや、だとしたら俺がルーナの気配に気づかないはずはない。少女が飛び出していったのを、ルーナと勘違いしたのか?」
どうにも釈然とせず、首をかしげながらぶつぶつとつぶやく。
そうこうしているうちに、目が徐々に暗さに慣れて視界が利くようになってくる。小屋内を見渡すが、やはり少女の姿は影も形もなかった。
ふと近くの床にブランケットが落ちているのに気づき、トンッと一歩前に踏み出して拾い上げた。
「これは……!」
手の中のブランケットは、普段ルーナが使っているのと同じ物だった。
……いったい、どういうことだ?
俺は二枚のブランケットと特大の疑問を抱え、物置小屋を後にした。すぐに小屋の周辺を探してみたが、少女の姿もルーナの姿も見当たらなかった。
ふいに見上げた空は、いまだ分厚い雲が月を隠し、小屋の中と同様に暗かった。
雲に隠れるように姿を消した月のような少女……。もしかすると俺は、月の幻影にでも惑わされていたのだろうか?
……そういえば、あの少女の髪と瞳はルーナにそっくりだったな。いや、髪や瞳だけではない。もしもルーナが人間だったら、あの少女のような雰囲気になりそうだ。
まさか、あの少女がルーナだったなんてことは――。
「って、俺はいったいなにを馬鹿なこと考えているんだ? こんな夢物語を思い描いているのがユーグに知れれば、なにを言われるかわかったものではないぞ」
自分自身が繰り広げたあまりに馬鹿げた妄想を自嘲気味に笑った。
もしかすると俺は、ここ最近のワーグナー筆頭大臣の一件で少々疲れているのかもしれない。それにルーナとて、もし外が寒ければ自分で屋敷に戻ってこられるのだ。
「ハァ。今晩はもう、屋敷に戻って休むとするか。……いや、その前に各国の大使館から捜索願が出されていないか、確認せねばならんな」
俺は思考を切り替えるように緩く頭を振ってから、屋敷に続く歩行路を歩きだした。
***
――テテテテテッ。
人型からネコの姿に変身したわたしは、物置小屋を脱兎のごとく逃げ出した。この後、レリウスさまが周辺を捜すことも考慮して、庭の反対側の端っこまでダッシュして、生垣の下にできた窪みに駆け込んだ。
体を丸めスポッと窪みに納まると、安堵の声を漏らしながら、ずっと銜えていた上着を放した。
《ふみゃあぁっ(ひぃいんっ。危なかったよぉ~っ)》
……ところで、これって明日の朝わたしが銜えて帰ったらヘンだよね。
咄嗟に銜えて持ってきてしまったが、どうやって返したものか考えると、ちょこっと頭が痛かった。
だけど、なにより頭が痛いのはレリウスさまに人型を見られてしまったことだ。寒さに負けてのこのこ小屋に入ってしまったが、これは迂闊だった。
ギリギリのタイミングで月が隠れ、暗がりの中でネコになって逃げてこられたから、変身のことはたぶんバレていないはず。けれど、敷地内に入り込んでいた少女のことは、騒ぎになっているかもしれない。
……まさか明日の朝、警邏隊が侵入者の調査で来てたりとかしないよね。
ぅう~ん、困った。
どちらにせよ、今後はちょっとやそっと寒くても絶対小屋には行かないようにしよう――!
改めて心に誓うが、この二週間で飼いネコ暮らしに馴染んでしまったのか、以前よりも屋外の寒さが体に堪える。
《ふ、ふっ、ふぇっぷしゅっ!》
言っている側から特大のクシャミがでて、タランと鼻水が垂れた。
……そう言えば、わたしって実はひとりで冬を越したことがないんだよね。
前足でちょいちょいと鼻水を拭いながら、ふと思い至った。わたしは乳離れからしばらくして、母ネコとふたりで暮らしていた穴ぐらを追い出されたが、その頃季節は早春。新芽が芽吹き、日ごとに温かさを増していた。
だけど、今はそれの逆で日に日に寒くなっている。
――ビュゥウッッ。
うへぇ、風が冷たいっ。吹き付ける風にブルリと震え、わたしは以前に運んでおいた板っぱを二本の前足で引き寄せて、出入り口を塞ぐように立てかけた。
鼻先がちょんと触れちゃう近さの板は、もとは錆だらけでのガラクタで寝床に置くには到底相応しくない代物だったが、〝月の魔法〟で綺麗にしたからピッカピカ。今はもうばっちくないから、ほっぺを寄せて寝ちゃったって大丈夫だ。
よし、これでだいぶマシになったぞ。今晩はひとまずこれで、寝てしまおう。
《みゃぁ~あ(はぁ~あ、ほんとは月の魔法で直接暖がとれたらよかったのにね)》
わたしが月の光を浴びて人型になっている時に使える月の魔法は、月の力でなんでも清らかにしちゃえる魔法だ。ただし使用例はかなり限定的で、この板みたいに、汚れた物を綺麗にするくらいしか今のところ使い道はなかった。当然、暖をとることはできない。
わたしはため息と共に使い勝手がいまひとつの月の魔法に恨み節をこぼし、レリウスさまの上着を引き寄せると、その下に丸まって眠りについた。




