黒い炎
銃を持った部下二人を従えて中央ドームへ戻ったエリックは、大声でクライフェルトを呼んだ。
都合よくクライフェルトは転移ゲート装置の近くにいて、装置も無事に稼働しているようだった。
「クライフェルト、逃げた連中が来る前に、一旦オーロラ基地へ退避する。準備してくれ」
クライフェルトは何が起きているのかよく理解していなかったが、エリックの慌てぶりを見て事情を悟った。
急いでゲート装置を起動して、転送の準備を始める。
そこへ、彼らの頭上十五メートル上にある回廊の入口から、コリンとジュリオがドームへ入って来た。
湿ったドームの中では、砂を含んだ風も静電気を生まない。彼らは武器を持っているわけではないので、逆にエリックの護衛に銃を突きつけられれば、無力であった。
反対側の入口近くに残る三人は、ニアの魔法により姿を隠したままゲートの起動を阻止すべく内部のシステムへの侵入を試みているのだが、まだ成功していない。
「準備ができたぞ」
クライフェルトの言葉に、エリックの顔が輝く。転移ゲートのインジケーターが点滅し始めた。
「待て、ハロルド!」
ジュリオが一歩前へ出る。手にした麻痺銃の射程は短く、役に立たない。気付いたエリックがジュリオを見上げる。
「もう遅い、ゲートは発動する。一旦退却するが、また出直すまでだ」
開き直り、エリックは笑う。隣にいるクライフェルトは、アイオスの五台のブレスレット端末を持っている。
ニアの目にも、エリックと二人の護衛、それにクライフェルトの四人が、輝き始めたゲートへ向かって順に近寄るのが見える。既に、ゲート全体がマナの光に包まれていた。
四十メートルほどの距離で、ゲートへ向かうエリックの背中を見ているジュリオとコリン。
その時、コリンが伸ばした右手から、黒い炎のような揺らめきが発したのをニアは見た。
黒い闇の波動。
それは、何度も二人で飲み干したヴォルトの酒瓶の中に揺らめいていた様々な色の一つ、闇の色の炎だった。
その黒い炎が真っ直ぐに伸びて、ゲート装置を黒い影で包んだ。
すると、ゲートを囲んでいたマナの輝きが、かき消えた。
ニアと二人で砂漠の模擬戦闘で遊んでいた時には、相手の魔法を防御するために黒い炎を自分で纏うような使い方をしていた。
その後コリンは、それがマナ自体を打ち消す力なのだと知った。
一度ニアにこの魔法を使った時に、魔法が解けて猫に戻らなかったのを見て、本当にニアは人間になったのだと感心したことを思い出す。
偶然だったが、あの時コリンはかなりドキドキした。ニアが猫に戻るか、それとも魔法で作った服だけが消えるのか。
結局ニアには何も起こらなかったので、本当に魔法を消す能力なのか疑問に思っていた部分もある。
しかしこの時、コリンのマジックキャンセラーは発動した。
突然ゲートが停止して、立ちすくむエリックたち四人。
「そんな馬鹿な。フルチャージしていたマナが、一瞬で全て消滅した……」
呆然とする精霊魔術師の一言に、エリックが気色ばむ。
「ふざけるな、クライフェルト。マナならこのドームにたっぷりあるだろう。消えたらもう一度集めればいい。すぐにリトライするんだ!」
「あ、ああ。そうだ、もう一度!」
動揺したクライフェルトはエリックに促されて再び集中し、ドームの森に立ち込めるマナを再び転移ゲートへ集め始める。
「(アイオス、奪われたブレスレットを自壊させられないか?)」
コリンの言葉に、指輪を通じてアイオスが答える。
「(では、内部回路をオーバーロードさせて破壊します。よろしいですか?)」
「(急いで頼む)」
「(はい)」
「コリンがゲートのマナを吹き飛ばしたけど、奴らはもう一度ゲートを起動する気だよ。ケン、そろそろあの機械を破壊できる?」
ニアが隣で悪戦苦闘しているケンに聞いた。
「ちょっと待って、もう少し」
ニアから渡されたツールでシルビアがヘッドセットに侵入して、システム解析を行っている。
ケンが、これもコリンが途中で奪った無線機から外したエネルギーパックを分解して、ドアの開閉用のタッチパッドへ導線を繋げていた。
突然、転移ゲートのインジケーターが再び点滅を始める。再起動したゲートを見て、喜ぶエリックたち。
再びそれを阻止すべく、コリンが突き出した右手にマナを集中する。
だが、エリックの護衛が、柱の陰に隠れているジュリオとコリンに向けて、銃を構えて掃射した。
「危ない!」
ジュリオがいち早く気付いてコリンを引き寄せ、間一髪で二人はドームの太い柱の後ろへ隠れる。
しかしコリンの集中は途切れて、黒い炎が拡散した。すぐに、コリンは再び右手に意識を集める。
だが、シルビアも負けていなかった。
「よし、繋がったわ、その基盤の電源にサージをかけて。制御回路を焼きつかせて高圧電流を逆流させるわ」
ケンが導線を繋げると、ドームの中のあちこちから盛大なスパークが飛んで、ドーム室内全部の電気系統が次々と沈黙した。
転移ゲートの近くにいたエリックたちも、周囲の機器からの派手な放電に晒されていた。
特に、護衛の二人の持つ銃には落雷のような高電圧のサージを受け、気を失い倒れる。クライフェルトが、崩れ落ちるように倒れた二人を慌てて介抱するのが、ニアには見えた。
照明が消えて薄暗くなったドームに、天井の窓から幾筋もの朱色の光が差し込んでいる。砂嵐の前触れの風が砂を巻き上げているのだろう。
その一本が三人の佇む場所にも届く。同時にニアが魔法を解いて、三人は姿を現した。
「これで、転移ゲートだけでなくこのドームの制御系統は全て焼き尽くしたわ。ついでに、外部光学迷彩の制御も殺したから」
シルビアが立ち上がり、天井からのスポットライトを浴びながら、勝ち誇ったように宣言した。
「お前は、なんて恐ろしい女なんだ」
ケンが震える声でシルビアを見上げた。
ニアも天井を見上げる。暗いドームの丸いシルエットと差し込む薄赤い光が美しい。巨大なムール貝とトマトソースを連想させられて、空腹を覚えた。
「(ニア、逃げるぞ!)」
「(了解。どっちへ行く?)」
「(ドームの回廊をそのままぐるっと回って、ここまで来てくれ。こっち側にバギーの格納庫がある)」
「(わかった。すぐ行くね!)」
「ケン、シル、逃げるよ。付いて来て!」
ニアを先頭に、三人は走り始めた。