営業再開
「ねえコリン、これ覚えてる?」
ニアが取り出したのは、子供のころに二人で毎日読んだ骨董品のムービーブックだった。
テキストと音声と二次元映像が組み込まれた電子書籍で、子供から大人まで楽しめる多くの古典作品が収蔵されていた。
倉庫にはこの手の古いガラクタが山のようにあって、コリンは小さい時からニアと二人でヴォルトに入ると、光る酒を飲みながら子供向けの物語を毎日読んだ。
店を手伝うようになっても、暇さえあれば古い地球の古文書のような数知れぬ物語を、二人で楽しんだ。
(今から思えば、ニアもそうして猫だった時に僕と一緒に文字を読むことを覚えたのだろう。彼女が賢いのも当然だ)
今では珍しい2Dの大きなソリッドスクリーンを搭載した端末は折り畳むこともできずに邪魔だけど、画面は3Dパネルや空間仮想スクリーンに負けないほど美しく、明るくて読み易くて、絵も美しかった。
小さいころに読んだ多くの童話やその後に読んだファンタジー小説などは、一般の書籍がデジタル化される前の、地球時代の二十世紀末くらいまでに出版された紙の本を元にした書籍集に含まれていた。
そのうちの幾つかは今でも読み続けられているような有名な話だったが、中には歴史民俗学者でなくては理解できそうにないような、難解な物語もあった。
その中で、二人の好きだった「長靴をはいた猫」をニアが表示させている。
物語の主人公は男兄弟の末っ子である三男で、父親が亡くなった後に財産として猫を相続する。ちなみに長男は水車小屋で、次男はロバだった。
がっかりする三男だが、仕えた猫は知恵を絞って王様に取り入り、最後には主人を美しい王女様と結婚させることになる、というお話だ。
素直に知恵と呼べないような悪だくみを次々に成功させて猫は何も持たない主人を王様に引き合わせ、最後にオーガから奪った邸宅に『カラバ侯爵の城』と名付けて、王様と王女様を招き入れる。
三男は無事に王様からカラバ侯爵として認められて、王女と仲良く暮らしましたとさ、という話である。
ニアは、この童話になぞらえて、その城の名を新しい店名にしようと主張した。
ジュリオも知りたがっていた二人の新しい酒場『カラバ侯爵の城』誕生秘話である。
そして酒場の営業を始めると、彼らの探索の旅も一歩先へと進んだ。
ロワーズの町を離れて、五人を乗せたサンドワームは砂の海へ船出した。
半日も走ると、地図には何も記載のない空白地帯となる。地下の水源も希薄で人の住めない、本当の乾燥地帯だ。
コリンとニアはこの一年の大半をこんな場所で過ごして来たのだが、ジュリオたち三人は一年前のエギム脱出以来の大砂漠であった。
日没前にワームは巨大な砂丘を見つけてその頂上まで駆け上がり砂に埋もれると、山の上の一軒家の状態で停止した。
店の屋上に上がり、五人は沈む夕日を眺めている。
手すりにもたれて、シルビアが嘆息する。
「ああ、きれい。こんなの初めて。エギムを出た後は、周りの風景なんか見ている余裕はなかったもの」
この乾燥した星には水蒸気の雲がない。
空中を漂う砂とモスとが雲のように太陽を遮ることはあっても、強風や視線を遮る砂丘さえなければ、朝日も夕日も毎日地平線の彼方から昇り、沈む。その分変化に乏しい光景だが、十分に壮大で、美しい。
「三百六十度見渡しても、砂以外何もない。エランドで生まれて暮らしていても、こんな光景を見ることは少ないだろうな」
ケンもシルビアの言葉にさりげなく賛同する。
「お前ら、雰囲気に酔ってそう言いたい気持ちもわかるがよ、エギムの町から少し離れたら似たような景色じゃなかったか?」
「ダメだって、ジュリオ。珍しくシルが女の子みたいな感傷に浸っているんだから、察してやれよ……」
ケンは目を細めて沈む夕日から目を逸らさずに言った。
「そりゃすまん。せっかくお二人さんがいい雰囲気だったのに、余計なことを言って水を差しちまったな……」
そんな三人のやり取りを聞いていたニアは、頭の中に浮かんでいた真っ赤なリンゴを慌てて追い出して、涎を拭いた。
そして隣に佇むコリンに寄り添い、そっと手を握る。
連なる砂の丘の向こうへ赤い陽が沈むと、空は刻々と色を変える。さすがに誰も口を開かずに、ただ目の前に展開する光と影の祭典を眺めているだけの時間が過ぎる。
やがて誰かが振り向いて一番星が昇っているのを見つけると、他の面々も次々と首を上げて星を探した。
ジュリオはポケットからオカリナを出して、ゆっくりと吹き始める。
ジュリオが生まれた故郷の郷土音楽が素朴な音色で奏でられ、皆の心に染みた。
「僕らがロワーズヘ行ったのは、その前にセブンスグレイスが襲われるかもしれないという情報を掴んだからだ。事前に治安部隊へ警告を出していたおかげか、天の枷は何もできずにロワーズへ逃げ込むことになった」
コリンがニアと二人で盗賊団の動向を求めて動いていた時は、次に襲いそうな町の情報を得て治安部隊に殲滅してもらおうと単純に考えていた。
しかし今回の件では、それが失敗に終わった。町には大きな被害が出なかったが、盗賊団もまた大きなダメージを受けることなく逃走している。事前の襲撃情報からでは、被害を防ぐのが精一杯という状況だった。
「確かに、今回は被害を減らせたが、天の枷を捕えることは難しい、か」
ジュリオはコリンの言いたいことを要約する。
「でもさ、あんなにすごい情報を得られることはもうないかも……」
ニアも、あんな偶然がもう一度起きるなどとはさすがに思っていない。
「まあ、そうだよな。もっとこちら側から動かないとダメなのかもしれない」
「ケンはそう簡単に言うけどさ、大変なんだよ」
ニアはうんざりしている。
「それに、危険を伴うことはちょっとな……」
ジュリオはあくまでも慎重だ。
「敵のアジトの場所とか、もっと確度の高い情報が欲しいよなぁ」
しかし盗賊のアジトがどこにあるのかを探るのは更に困難な課題で、それが幾つあるのかもわからない。
「それを見つけたら、このワームで踏み潰してしまえ」
「そうだよ、サンドワームを使って、見つけたアジトを片端から殲滅していけばいいんだよ」
ジュリオやケンからは、乱暴な意見も出た。
コリンに限らず、皆、自分の家族や仲間が大勢行方不明になったままだった。天の枷へ一矢報いたい気持ちは強く持っている。
確かに、この惑星では、サンドワームは無敵だ。
多くの攻撃は必要ない、防壁や水源を破壊してしまえば、アジトは使えない。
ワームがアジトの上を二、三回往復するだけで、全て終わってしまうのだ。
「ケンとシルには店のフロア係として働いてほしいんだけどさ」
コリンが今後の相談を持ち掛けた。
「二人なら十分に接客の仕事ができると思うんだ。で、問題はジュリオだよね?」
全員の視線がジュリオに集まる。
「そりゃ、俺は人相が良くはないが、これでも長年客商売をしているんだぜ」
「でもさ、あんまりお客さんの前に出したくないわね」
シルビアが遠慮なく言うと、皆が頷いて同意する。
「用心棒かな」
「うん、それだな」
「まぁ、とりあえずみんなで練習してみようか。僕は厨房の仕事をざっと教えるから、ホール係はニア先生に教えてもらおう」
「よろしい、では皆の者、わたしのやるとおりに真似してみよう!」
ニアはとても嬉しそうだった。
そうして何日かの練習をしてみれば思った通りに好感触だったので、すぐに店を再開することにした。
使っていなかった二階も客席として整備し、ケンとシルビアはニアの指揮下で接客係として働くことになる。
期待されていなかったジュリオだが、器用にオカリナを吹いているくらいなので手先の仕事は上手で、ナイフや火の扱いにも慣れていた。
コリンと共に厨房へ入れば、充分に良い手伝いができる。用心棒以外にも役立つことがわかって、当人もほっとしていた。
できることなら店の名前や外装も変えて新たな店として営業したいところだったが、そこまでやるには時間もかかる。盗賊の動きが活性化している今、いつまでも遊んでいるわけにはいかない。
そうして再び目立たぬように初めは小さな町を選んでそっと営業を再開し、近隣の町を移動することにした。