カラバ侯爵の城
ジュリオは慌ててどこかへ行ってしまったが、コリンは残った二人と語り合ううちに、この町にいた三人も危機感を感じて隠れていたことを知った。
特に最近は天の枷の動きが再び活発になり、より慎重に身を隠していたようだ。
感動の再開の後、コリンは三人を、自分の店に遊びに来るよう誘った。
「今日は店を休むことにしてるからさ、仕事が終わったら遊びに来てよ。ごちそうを作って待ってるから」
ジュリオが出かけて、マリオと呼ばれた目つきの鋭い男や店にいる商会の連中がコリンに興味津々の様子だが、あまりプライベートな話を聞かれたいとも思わない。
「よし分かった。積もる話は後で、だな。早くジュリオが戻ればいいんだけど」
ケンがそう決断したのでコリンは先に店へ帰って、三人の好きだった料理を思い出しながら、仕込みを始めた。
ニアは物陰で再び人の姿になって店に戻り、コリンの隣でそわそわしている。
ニアの心は不安でいっぱいだった。
(もし三人が、コリンのように自分を受け入れてくれなかったらどうしよう。彼らが怖がって、化け物を見るような目で自分を見たら……)
自然と暗い目になるニアの肩を、コリンが優しく抱く。
「大丈夫だって。ニアは昔から変わらないニアだよ。姿が変わっても、ニアはニア。まあ、ちょっとびっくりするだろうけど、そこは思いっきり驚いてもらおうよ!」
「うん。もしかして、わたしは変わらずに今でも猫みたいに見えるってこと?」
不安そうに震えて、ニアがコリンを見上げる。
「違うって。ニアはどこから見ても素敵な人間の女の子だって。大丈夫。昔からずっと、ニアは賢くてかわいい僕のパートナーさ。きっと前みたいに、みんなで仲良くできるよ。自信をもって!」
「うん、そうだといいなぁ……」
コリンはまだニアの肩が細かく震えているのを感じて、もっと強く抱き寄せた。
日が落ちるころ、三人は脱出に使ったクロウラーに乗って店までやって来た。店のテーブル席に、来客者の三人は腰を下ろした。
「いらっしゃいませ。さっきは助けてくれてありがとう」
コリンの隣に立つニアが改めて挨拶すると、座っている三人は首をかしげる。
ニアはいつも着ている、店のウエイトレス用のエプロンドレス姿だ。
「おい、コリン、この美少女は誰だ?」
ジュリオが上ずった声を出す。
「皆さんはじめまして。わたしがコリンの妻です!」
ニアがコリンの手を取り、大きくお辞儀をした。
「おおおおお~っ」
「おおおお奥様でしたか、は、はじめまして」
ジュリオの声が、更に一オクターブ上がる。
「何言ってんの、さっき頭を撫でてくれたくせに」
そう言ってニアはジュリオの横のテーブルに腰を掛けて身を寄せ、肩にそっと手を乗せた。
「お、おい、このヒト何を言ってるのかわからねぇよ、どうなってんだ……」
動揺するジュリオの横で、突然ニアが猫の姿に変化する。テーブルの上の猫が、ジュリオを見上げて、にゃあと鳴いた。
「おいおい」
ガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、ジュリオがテーブルから離れる。
ケンとシルビアは放心したように、腰かけたまま動けない。
「び、びっくりさせるなよ、これはどんな手品だ?」
ジュリオがコリンの方を見る。
「な、なにが起きているんだ?」
ケンがやっと口だけ動かした。
「ニアにはさっき会っただろ」
コリンはにやにや笑いながら近寄り、ニアを抱き上げる。
その腕の中で、猫が再び少女の姿に変わる。
「ひええええええ~」
一様にそう叫んだ後に絶句する三人。
「なんかさ、人間になっちゃったんだな、わたし」
ニアはコリンの腕の中でそう言って、ぺろりと舌を出した。
「嘘でしょ……」
シルビアは何度も瞬きしてニアを凝視する。
「本当に、お前はニアなんだな」
立ち上がったジュリオが顔を近づける。
ニアもコリンの腕から降りて、その前に立つ。
「うーん、これは……」
ジュリオがニアの頬を両手の指でつまむ。
「おい、お前らも来てみろ」
そう言って、座ったまま固まる、ケンとシルビアを見る。
「お、おう」
ケンはやっとおかしな声を出して立ち上がった。シルビアも我に返り、席を立ってニアの下へ移動する。
「ふんふん、これは……」
結局シルビアとケンが、同じように両側からニアの頬をつまんで引っ張っている。
「なあ、本物だよな」
ジュリオは、そうして何度も頷く。
両側から頬をつままれたニアも、どうしてよいのかわからず唸りながら、コリンの顔を見上げる。
「これはどうせ作り物だろう?」
ジュリオがその状態のニアの胸を指さして、柔らかなふくらみを指でつついた。
「おお、まさか、こ、これも本物だったのか?……」
それを見たケンとコリンが顔を真っ赤に染めて、シルビアはジュリオの頬を力いっぱいに張り倒した。
「こらっ。調子に乗るな、エロオヤジ!」
「いやだって、何かの仕掛けだと思うだろ、こんなの普通はよぅ……」
だが、ジュリオの必死の言い訳は通らない。
「コリン~、ジュリオがおっぱい触ったぁーっ!」
ニアは振り向くとコリンに抱き着いて、その胸に顔を埋める。そのままいつものように首筋から顔をペロペロ舐め始めた。
それを見たケンはますます顔を赤くして、シルビアが「ダメだ、これは!」と言いながら慌てて両手でケンの目隠しをする。
「お、お前ら、冗談じゃなくて本当に夫婦なのか?」
腫れ上がった頬を手で押さえながら、動揺したジュリオが呟く。
混乱した事態が収まるのには、少々時間が必要だった。
「違うから、妻じゃないからね。もうニアは……あああ、だからもうだめだって!」
最後はコリンの悲鳴が、空しく店に響いた。
「なるほど。お前がカラバ侯爵で、ニアが長靴をはいた猫ってことか」
ジュリオはニアの存在を認めると、店の名前についてもすぐに納得した。
「何々、どういう意味?」
ケンとシルビアにはさっぱりわからない。
「お前ら、子供のころに長靴をはいた猫の絵本を読まなかったのか?」
ケンとシルビアは顔を見合わせる。
「「うーん、よく覚えてない」」
ジュリオは面倒くさそうに口を尖らせる。
「確か、猫が飼い主を出世させるっていう童話だ」
「うん、そうだよ」
ニアが嬉しそうに頷く。
「そうだな、確か……長靴をはいた猫が、怪物の住む城をカラバ侯爵の城だと偽って、王様と王女様を案内するんだ。猫は計略を練り怪物を退治して、猫の飼い主はカラバ侯爵を名乗り王様たちを迎える。やがてカラバ侯爵と王女様は恋をして、結ばれる」
「ジュリオ、話を端折り過ぎてそれじゃ何だか分からないよ!」
ニアが抗議の声を上げる。
「わからなければ自分で調べろ、って話だ」
「あれ、これって猫とご主人様が結ばれる話じゃなかったんだ……」
ニアが気付いて、絶望的な声を上げた。
「そんなアホな話があるか!」
ジュリオがすかさず言うと、シルビアに叩かれて腫れた頬に、ニアが爪を立てた。