四月一日の朝
翌朝コリンがベッドで目を覚ますと、頭も体も軽かった。
エギムの町の日照時刻に合わせて、部屋の照明が徐々に明るくなっている。
壁際で上半身を起こすと、少し肌寒く感じた。
肌に直接当たる冷気に気付く。それは、コリンが服を着ていないせいだろう。
寝る前に服を脱いだ記憶はない。いつも通りの楽なナイトウェアを着ていたはずだ。
そして違和感を覚えて視線を下げると、隣に裸の少女が眠っている。
「へっ?」
茶色い長い髪が少女の白い上半身に絡んでいた。コリンは一気に覚醒する。
「に、ニア」
何となく、コリンの記憶の底に残っているのは、ネコの姿になったニアが寝る直前に、ベッドへもぐりこんできた場面だ。
疲れ切っていたコリンは、幼いころのように猫のニアを抱いて眠った。
だがその時には、自分は服を着ていたと思う。
感触からすると、軽い上掛けの下に隠れる下半身も裸のように感じる。
コリンは慌ててベッドを降りようとするが、それにはニアの向こう側へ移動しなければならない。
コリンはニアの上半身に頭まで布団を被せて、そっとその上を越えようとした。
だが、ベッドの奥に残した左の手首が、動かない。
白い上掛けの下から出たニアの手が、コリンの手首を掴んでいた。
グイっと引かれてコリンは元のベッドへ戻されて、横になる。
そこへニアが抱き着いて来た。
「うわっ、ニア、ダメ。寝ぼけるな!」
だがニアは、コリンの胸に顔を埋めて両手で密着する。
「だーめーだーっ、目を覚ませーっ!」
コリンが大きな声を上げるが、ニアは寝ぼけているのか確信犯なのか、コリンから離れようとしない。
宇宙船なので個室の気密も防音も完璧で、コリンが幾ら暴れても騒いでも、誰も気付く者はいない。
仕方なくコリンは体の力を抜いて、ニアを観察する。
力いっぱいコリンにしがみついているが、目は閉じて鼻をひくひく動かして幸せそうに笑っている。
どうやら、まだ夢の中にいるようだった。
コリンは自分だけ短距離転移でベッドサイドへ逃げると、ニアの腕の中に枕を押し込んでから、シャワーを浴びに行った。
まだ、朝もずいぶん早い時間だった。
コリンが服を着てシャワールームから戻ると、ニアも起きていた。裸のままぼんやりと、ベッドに腰を下ろしている。
コリンは目のやり場に困り、赤く染めた顔を逸らした。
「おはよう、ニア」
「おっはよー、コリン」
「元気だな。それよりも、早く服を着なさい!」
「うーん、わたし、どうして裸なんだろ。コリン、何かした?」
「するわけない!」
ニアは首を傾げたまま動かない。
その時、部屋の扉が開いた。
「おはよう、なのだ!」
「あっ」
思わずコリンが小さな声を上げた。
「あああああっ」
ベッドの端に座る裸のニアと風呂上がりのコリンを見たエレーナが、叫んでから硬直する。
動じていないのは、ニアだけだった。
「ス、スミマセン。お邪魔しました、なのだ」
ぺこりと一礼して、エレーナが部屋を出て行く。
「あ、待ってエレーナ!」
だがすぐに扉が閉まり、エレーナの姿は消える。
コリンは慌てて入口へ走り、開いた扉から廊下を見るが、既にエレーナの姿はない。
どれだけ急いで立ち去ったのか。
「ニア、朝ご飯にするから、早く服を着て!」
コリンは振り返らずに廊下へ出る。
ニアはご飯という単語には敏感に反応し、やっと頭脳が再起動して活動を始めた。
幸いなことに、居間に使っている店の三階には、まだエレーナ一人しか来ていなかった。
異常な回復力が自慢の魔法使い組と違い、普通の人間である三人は、まだ休んでいるようだった。
「エレーナ、違うんだ。猫だったニアが、寝ぼけて服を出し忘れていただけなんだよ」
「でも、二人は毎日一緒に寝ているのだ」
「それは、小さいころからずっとそうだから……お願いだから、ジュリオたちに変なことを言わないでよね!」
「仕方ない、黙っているのだ」
「じゃ、紅茶でも飲んで待っていて。すぐ朝食の支度をするから」
「エレーナも、何か手伝うのだ」
そう言いながらエレーナが妙にコリンの近くへ寄って来て、亭主の浮気の証拠を探る妻のように、鼻をすんすんさせた。
「こら、知覚強化までして何を探ってるんだ!」
「やっぱり怪しいのだ」
「警察犬かっ!」
実のところ、コリンがどうして裸だったのかの謎は、まだ解けていない。
それが不安で、コリンはエレーナの視線から逃げ出した。
朝食の支度といっても、やることは少ない。
本日午前中から始まる四月一日の特別任務に向けて、慌てることのないように幾つもの料理を仕込み、コリンは収納してある。
いつでもすぐに取り出して食べられるよう、準備は整っていた。
ただ紅茶やコーヒーくらいは多少の時間をかけて用意することで、逸る心を落ち着かせたいと思っていただけだ。
作戦は、十一時三十分、町の東門が天の枷により密かに占拠されるのを見届けた時点で、開始される予定だ。
もしそこで何も起きなければ、作戦は中止になる。
他にも、シルビアがまとめたタイムテーブルと相違のある事態が発生した時点で、作戦は即時中止されることを全員で確認した。
逆に言えば、過去に干渉しない限りは、未知のいかなる事態が発生しても、作戦は最後まで遂行するのだ。
開始時刻の前に人員を配置するために、十時にここへ全員が集合することになっている。
そして、まだ六時前だというのに、既に二人が来ていた。
再起動したニアも、もうすぐ現れるだろう。
「エレーナ、良く寝られたかい?」
「うん、結界無しで暮らすのにも慣れたのだ」
「今日は、たっぷり結界を張ってもらうことになると思うけど」
「大丈夫。休養充分、作戦も全部頭に入っているのだ」
「頼もしいな。ニアも、ちゃんとタイムテーブルを忘れないでいてくれるといいんだけど……」
コリンが呟きながら紅茶のカップをテーブルに運ぶと、ニアもやって来た。
「コリン、早いね。今日は何かあるの?」
「「おい!」」
「あ、そうだ。何故か、わたしの収納にコリンのナイトウェアが一揃い入ってたよ。洗浄かけといたからね!」
「やっぱり、ニアは怪しいのだ!」