第68部分 大言壮語
第68部分 大言壮語
大言壮語がキライだ、虫唾が走る…
同時に言葉遣いを知らない物言いもスキではない。
何かの、例えば抱負とか優勝インタビューとか感想を述べる際に、
「ゼッタイ勝ちます」
「必ず優勝します」
「みんなに夢を与えたい」
とかいうような言い回しをすると
その選手がいかなる偉業を遂げていたとしても一瞬で幻滅することができる。
そういう感性に育ってしまったのだからどうしようもないことだ。
そもそも勝敗にゼッタイはない。
極端な話、試合で勝っても勝負では負けていることだってある… じゃないか。
その驕り高ぶった人間性じゃ、競技や相手へのリスペクトが足りてないんじゃないですか?
与えるというのは、授かると同様に「目上から目下の相手に」くれてやることを意味する言葉…
それも知らずに堂々と話してしまう、その教養の無さがやるせないし、周囲もなぜ教えないのさ。
そういう意気込みは、密かに心の中で闘志として滾らせるもので、表面上は
「勝ちたいです」
「優勝を狙います」
という言葉しか、自分なら(以前の日本人なら)出てこないだろう。
相撲のインタビューもかつては聞く前から答えが判ってしまったものだ。
「必死で押しました、はぁはぁ…」
「夢中で覚えていません」
本当はいろいろ考え、対策してそれがうまくできて「してやったり!」の心象であっても、
「今日は運が良かったです」
と相手を気遣えるなんて…
こういう(表面上ではあっても)謙虚さはどこに消えてしまったのだろう。
例えば幼いころから運動なり特異なことばっかりやってると、たいていの人間はそう育つんだろうな。
そういう意味でも大谷選手やら羽生選手やらは異様にデキたニンゲンであると思う。
太平洋戦争の記録を調べているとき、しばしばこれと同様な嫌悪感を感じる時がある。
大抵は陸式(陸軍)の作戦命令か、前線からの作戦計画または報告であって、
「企図ヲ完全ニ秘匿シ…」
「膺懲ヲ加エント…」
「殲滅セントス」
「御安心ヲ乞ウ」
いかにも現地を知らない作文であり、しかもその結果は負け戦に終わっており、大言壮語の惨めさを笑わずにはいられない。特にガダルカナルとインパールは酷すぎるが…
しかも壮語した「幹部」にはとてもとても一軍を率いて指揮する資格がありそうもない卑怯者が山ほど群れているワケで…
その代表が牟田口、河辺、富永、花谷あたりで…
無論陸軍だけでなく帝国海軍にも多く居たが、こいつらに勝る卑怯者はそうそう居るものではない。
そして現在の社会でも、こうした見せかけの景気良さは依然として幅を利かせ、数々の弊害をもたらしているのである。
話は全然変わるが、ある公立高校の応援歌が面白かった。
その昔、山本リンダが歌った「ねらいうち」という曲がある。
♪ ウララ ウララ ウラウラウララ
(中略)
弓をキリキリ 心臓目掛け
逃がさない パッと狙い撃ち ♪
この曲の歌詞を
♪ 打てよ打てよ ホームラン
打てよ打てよ ホームラン
打てよ打てよ ホームラン
お前が打たなきゃ 誰が打つ
レフトスタンドへ ライトスタンドへ
ホームラン パッと 狙い打ち ♪
と変えて歌わせるワケだが…
ちなみにここは、その県では間違いなく10指に入るエリート高校であり、サッカーこそ超名門ではあるが、その代わりといっては難だが野球は1回でも勝てば「●年ぶりの快挙!」という弱小チームしか持ったことがない。
普通に100年闘ってもホームランが出ないのは確定事項である。
当然狙ったところでホームランが出ることは有り得ない。
そんな簡単なことに、どうして超優秀な生徒さんたちが気付かないのだろう?
いや、これは作詞(改詞)したヤツが悪いのだ。
たとえ気付いたって、応援歌として歌わにゃならんなら、「空気を読んで」異を唱えないだけなんだ。
そもそも「狙ってホームランが打てる」ようなら監督なんぞ要らない。
全球ホームランのサインさえ出しておけば、じゃかじゃか点数入るんだからさ。
実はこの「全部ホームラン作戦」、初めて野球のルールを知り監督が何をしているかを学んだ子供の頃の「サティ監督」が考えた作戦なんだ。
あのころは幼かったなあ。
いまもほとんど変わってないけどね、思考だけは…




