第105部分 異類婚姻譚⑦
第105部分 異類婚姻譚⑦
いきなりで申し訳ないが、前回の第104部分から引用する。
『改造工事は頭のみならず、首、胸、胴、腰、手、足、さらに指先にも及ばざるを得ず、できたらできたで全体のバランスをとらなければ不自然になってしまう。ツルならば二足歩行の要領はわかるかもしれないが、これが四つ足の動物だったり、蛇のようなそもそも足を持たない動物ともなればその努力労力は∞に等しいものとなるだろう。
あ、いや… 必ずしもそうとは限らないか。
ニンゲンの実在性を愚直に、科学的に追い求めればそうならざるを得ないが…
ひとつだけショートカット、すなわち「抜け道」があるのではないか。それは…
それは話の都合上、もう少し後で書くことにしよう』
忘れぬうちに書いておく必要があるのが、その「抜け道」である。
さて、いかなる方法だと思いますか? それは”なろう小説”にありがちな【魔法】などというまったく実在性のない、しかもエネルギー的にも核反応的にも御都合主義すぎる御伽噺であってはならないと思うのだが…
いささか唐突ではあるが、ニンゲンの、否、生物の身体や生命反応には基本的に同一の原理が用いられている。ここでは神経系の発達した多細胞生物の例を挙げてみよう。
受容した刺激を伝達する概略経路
A 刺激(光、音、重力方向、身体の傾き、揮発物質、化学物質、温度、圧力等)
→ 受容器(目、耳、鼻、舌、温度、圧力、痛み等):刺激を電気信号に変換する
B → 感覚神経:各器官からの電気信号を脳まで伝達する
大脳(中枢神経):各受容器からの電気信号を「感覚」として解釈して受容する
→ 受容した感覚刺激をに基にどのように行動するかを決定し、効果器に命令を出す
→ 命令を電気信号に変換して運動神経に伝達して各効果器に伝える
C → 効果器(作動体…筋肉、分泌腺等)
→ 脳からの命令に応じて働く 例…筋が動く、呼吸する、唾液が出る等の「反応」
上の文章について日常の簡単そうな具体例を挙げて見よう。
例えばネコが安心しきって寝そべっている。その足をアナタがほどほど強く踏みつけるとどうなるだろうか。強くと言っても踏み潰しては元も子もない。悪魔の実験ではないのだから、飽くまでもケガのないように、しかしネコがとりあえず驚くほどの強度に足加減する必要があるのだが…
以下の文章はネコ体内での情報の流れを疑人的に示したものである
A 受容器【皮膚の痛覚や圧覚】:わ、なんか刺激来たぁ… 報告報告、電気電気っと
→ 感覚神経:わ、なんか電気来たぁ… よくわかんないけど、とりあえず脳に報告しとこ
B→ 大脳:ふむ、なになに この強度レベルはもはや痛みじゃな → 「痛いぞ痛いぞ」
→ さてどうするか… 泣くか、逃げるか、反撃するか… よっしゃ、反撃だ!
→ 左前脚動け、それと一緒に体重バランス移動。ついでに強めに息を吐いて…
C→ 命令に忠実に指名された各所の筋肉が指定された強度と時間分だけ収縮
→ おりゃぁぁぁぁ、ネコパ~ンチ&ギャオ~ン!
まあざっとこんな感じかしらん…
さてこれで何が言いたいのか。
結局感覚器自体は実際には何も「痛くはない」ことだ。ただ単に「刺激を感じて転送するだけの働き」なのである。「痛み」を感じるのは、あくまでも脳、それも大脳なのである。
よく御覧いただくとBの部分、いわゆる神経の部分の本質は、言うなれば【電気刺激】なのであるのがわかるだろう。つまりいったん標的のオトコを何らかの手段で拉致するか睡眠中にでも気絶させて感覚神経もしくは脳内の【適切な部位】に電極を突っ込み、何らかの制御された電流を流してやることで偽の記憶や行動を挿入することも不可能とは言えないのだ。無論拉致したヤバイ記憶は記憶野から消去すれば良いだけのこと。
つまり、ツルはツルの姿もままでオトコの前に出て行っても、いや出て行かなくても実は無問題…という解決策が有り得るのである。
あとは夢幻の世界で出会って、お近づきになって、結婚して、種付儀式に励んで…この辺は順番が逆転しがちだが… まあ”そういう設定”でオトコの脳内に偽の記憶を流し込んでやればいっちょあがり… てなもんだ。
あれ? でもこの構想だと、わざわざ布を織ったりする恩返しの一環や、部屋を覗いて正体がバレることなんかは、何等の意味も必然性も無くなってしまい、昔話として意味を成さなくなってしまうではないか。
ぬぬぬぬぬ…
やはり現実は厳しい。
だいたい【適切な部位】ってどこなのさ… という疑問1つにも応えられないではないか。
どれもこれも「理論上不可能ではない」が、現状の科学技術ではほぼ不可能な技術であることは念を押すまでもない。
やむを得ない、この世界線は無理だ… 惜しいが消去してしまおう。
つまり何らかの方法で変化して、出会って、口説き口説かれた末に自らの羽根か羽毛かを痛みを堪えつつ抜いて織って市場に売りに行かせなければならない…そういう運命というか宿命なのだ。
だから… ツルはありとあらゆる手段と用いて… 間違いなく多大な労力と資金の投入が必要になるが… ニンゲンのメスに変化しようとしなければならない。そのそもこのツルがメスであると誰が決めたのだ。1/2の確率で”性転換”の可能性さえあるではないか。
よって改造工事は頭のみならず、首、胸、胴、腰、手、足、さらに指先や生殖器…つまりほぼ全身にも及ばざるを得ず、できたらできたで全体のバランスをとらなければ不自然になってしまう。ツルならば二足歩行の要領を理解できるかもしれないが、ニンゲン界の世間やら常識やら慣習やら…それこそ便所マナーや箸の使い方、料理の種類や献立、に至るまで… 以前のツル生活とは違って来る日も来る日もタニシとドジョウ、ときどきイナゴなんてワケにはいかないに決まってるし、雑穀食にも慣れる必要もあるじゃないか。また発する言語の意味だけでなくイントネーションやアクセント、故郷なまりなんかも地方によっては大事な心得になるだろう。メスに化けるつもりなら形だけでも月一生理のフリも必要になる…
一時の”恩に報いる”ためにそこまで努力する動機って何なんだ?
こんなにも命は助かったかもしれないが、それがこんなにも努力と労力と資金をつぎ込んでまで恩返しするほどの恩だというのだろうか。
通常の人間世界でも、菓子折りを持って『たいへんありがとうございました』と御挨拶することで済まされる話であって、一生かけて恩を返すとか、いやそれどころか『一夜を共にする』ことさえほぼ有り得ないことであるに違いない。
ここまで頑張って変化を果たし、匿名で”錦”を織って慣れぬ男にこれを売りに行かせてアブク銭を稼がせるという迂遠な方法より、金銀財宝をどっかからちょろまかして調達し飛べる特技を生かして配達してやる方がよほど現実的だし… それにツルにも銭にも名も記名も無いのでバレる心配も捕縛される可能性は非常に低いだろう。あ、ただし調子に乗ったオトコのお大尽遊びと風俗通いだけは規制をかけないといずれは足が付くかもしれないが…
”チチンプイプイ”の魔法で変化になれるのならばそういう疑問はナンセンスである。
逆に”チチンプイプイ”が無効な現実世界では、変化に成ることができる方がナンセンスなのである。
ただし…ここが重要なPOINTなのだが…「生殖器」はその「抜け道」の範疇には入らないはずだ。
「生殖器」だけは夢幻であってはならない。夢幻では想像妊娠はできたとしても受精や妊娠、そして出産を実現することはできないからである。つまり生殖器はある程度リアルに造形し、オスなら精子を送り込む男性器を、メスならオスを受容する女性器を用意して子宮まで導く仕組みと、妊娠を継続して出産に至らしめる装置を創意創造工夫製作しなければならない… おっとそれだけでなくオスを快感絶頂に導く適切な【具合】さえも再現できなければならないっ…て、TENGAを埋め込んだ方が早いかもね、ちゃんちゃん。なんかあたり一面暑いし、もう考えるのが面倒になってきたぞ…
あ、忘れてた。それは【雪女】である。
【雪女】の場合、どうやら初めから日本語を話すことができるし、ニンゲンと交雑することができる… つまり古来から日本に棲まうニンゲンの亜種である可能性が高いが、寒気冷気の中で本領を発揮するという性質だけでなく、冷気を吐き出すというものスゴイ特技を持っている。男に口止めする代わりに一生?男の傍で暮らしつつ監視し続けるのってどうなんだろう。それに彼女の場合これといった弱みやオトコへの恩義などはなく、むしろオトコの方が彼女の御情け御目こぼしによって辛うじて生き永らえている形なのである。
そんな、自分の生活すべてを犠牲にしながら子育てや無意味な監視をするより、出会ったアノ日、理由もなくあっさりと凍死させたアイツと一緒に”あの世に送っておいた方が良かった”のではないだろうか。種族維持のためなら妊娠とか出産とかのあとで始末するとか、いくらでも機会はあったはずだ。
そもそも自分の正体を知られたからと言って、なぜオトコを処分する必要があるのだろうか?
ふたりだけの秘密にしておいても、別段誰に迷惑を掛ける話ではないのである。
いっそ開き直ってちょっと日光あたりにそれらしい【氷室】でも作って氷を売り捌けば安泰生活間違い無しであるのに…
たしか、雪女さんは”子への情け”によっておオトコの命までは奪わず、独り山へ還るみたいなストーリーだったように思うが、それならそれで【しゃべるな】という最初の脅迫はいったい何だったのだろう…と首を傾げることになっていまひとつスッキリしない。私の調べによると、極限の寒さによる凍死は、最初を越えてしまえば割と苦痛が少なそうな、ある意味理想的な死に方のひとつでもあるのだ。
凍死直前、2割程度の割合でなぜか衣服を脱いでしまう「矛盾脱衣」という状況に矛盾した反応が起きることが知られているが、おそらくすでに本人は内部体温が34℃を切って正気ではないのだろう。場合によっては凍てつくほどの川に自ら飛び込んでしまうことさえあるそうな… そうならない場合は限界さえ超えてしまえば「眠るように逝ける」はずで… ちょっと待って… えっと、何の話だったっけ??
おっと、雪女だった。
つまりこちらは変化云々(うんぬん)よりも根拠のない悪しき慣習の存在と、それを迂闊に盲信するのはよろしくないぞ、という教訓だとでもいうのだろうか。
わからない。
しかし… 暑い。年ごとに順調に温暖化が進んで、今ついに脳味噌が一線を越えて沸点に達してしまった。だから、というワケでもないが、私も雪女様に出会って逆玉したくなってきたな。
彼女の周辺は、間違いなく涼しいであろう。いや、寒いくらいかも知れない。
あ、御心配なく、ダイジョブ、私は口が固い。
それに死にたくなったら喋っちゃえば良いんだし… これはまことに文句のつけようのない、私にとってまさに”理想の嫁さん”なのである。
昨年現世のヨメ殿が逝ってしまったので、この場を通じて全国の雪女さまに募集をかけます。
お嫁にきてください。なんなら婿に入りますよ。当方借金はありません。
二人で流行りの”かき氷屋さん”を開いて財布を暖めつつ、冷たい家庭を作りましょう。
シロップは私が作りますね… これでも料理には多少自信があるんです。
しまった… 異心害心を持って訪ねてきた場合の想定をしていなかった。
この心理を悪用されて「保険金詐欺」とか、やろうと思えばできるもんなぁ…
でも、それでもいいや。
まあニンゲン以外の動物には性善説が通用すると信じたいところではあるが…
そうそう… こうしていろいろ考えてみたけど、【恩返し】とはかくも難しいものだったことを思い知った。
だからだろうか、助けた蛇の化身は、未だに呼出ベルを押してはくれない。
あるいは、今夜あたり?
おや、ベルが鳴ったようだ、こんな夜中に。