第101部分 異類婚姻譚③
第101部分 異類婚姻譚③
4月25日、午後3時半頃… 恒例化していた筒形コンクリ容器の水溜まりをそっと覗こうとしたとき、すでに水面が乱れているのが見えた。いつもなら波紋と潜水音とが1回か2回あったあと水面は静粛になるのに、本日は慌ただしく、しかも連続的に揺れているのだ。
ん、なんだなんだ?
思わずいつもの間をおかず、as soon as で覗き込んでみた。
わ、竹の枝がうねってる…
…な~んてなワケがあるはずもなく、それは枯れた竹の色をした蛇だった。
見様によっては金色とも言える蛇がこの小さな、小さな水溜まりに嵌っていたのである。
私の乏しい知識によると、これはジムグリの幼体かな…といった鑑定。オスかメスかなんて全く不明で大きさはざっと45cmといったところだろうか。
ここで迷ってしまった。
はて、いったいどうすべきだろうか。
最初に「助けてあげなくちゃ…」と思ったけど、いざ行動となると考慮すべきことが幾つかあるのに気付いた。
①この水溜まりに入ったのは意図か偶然の事故か
②この水溜まりから自力で脱出が可能か否か
③この水溜まりに放置していたとして、生存は可能か不可能か
④この水溜まりの先住者たるウシガエルとの生態的地位の上位者はどちらか、それとも中立か。お互いに「捕食は無理だろ」という体格に思えるが、どちらかと言えばカエル有利に見えるし、そもそもウシガエルは悪食で名を馳せる特定外来生物なのである。
そうだな…
①については、カエルの捕食のためかもしれないが、なんせせいぜい12mm程度の太さで、正直ヘビさんの「顎関節と靭帯」うんぬんの話を知っていても体長15cmはあろうかというウシガエルを飲み込もうとは…ちょっと理解しがたい。というか明らかに無理がある。さらにヘビが「水に潜る」とか「泳ぐ」話はいくらでもあるが、「水を飲む」という行動パターンを寡聞にして聞いたことが無い。これは意図ではなく、偶然または過失によって落ちてしまった可能性95%と判断しておこう。
②か… もっと体長さえあれば鎌首もたげてコンクリの縁まで頭を出し、胴を支点に這い上がることは可能だろう。いかんせん小さいし、ひたすら垂直で手掛かり足掛かり…どころか手も足も足も出ないに違いない。どころか、もともと手も足もないんだからそりゃ無いものねだりといったところ。この件、100%脱出は不可能だ。
③ね。4月下旬ゆえ、まだ暑い季節では有り得ないが、凍死するほどの寒さではない。啓蟄はとっくに過ぎてるし一晩や二晩で低体温症を患ってお陀仏になる可能性はほぼないと見た。あ、爬虫類だからそうなる前に冬眠というか仮死状態になるだろな、うん。
④は②と③と、それに関するいろいろな思惑と好奇心と慈悲心の総合判断になる。このまま放置したら、逃げ出すのか、凍死するのか、溺死するのか、カエルを喰うのか、はたまた喰われるのか。
みなさまならどうしますか?
実際のところ、こんな状況があってもすぐ近くにあっても気付かない方が大多数なんじゃないかとも思うけど、見つけてしまった以上何らかの判断をしなければならない。この場合の最優先事項は「ヘビさんの幸せ」であるが、あまりに干渉しすぎてもよろしくない気もするし…
結論から述べると、そのとき私は②をちょこっと手助けすることに決した。
過失で転落したまま放置すれば、2晩は生存できたとしても遅かれ早かれ天に召されるであろう…が、見つけてしまった以上それは忍びない。だからと言っていきなり助けることもしない。もしかしたら水浴したかったのかもしれないし、カエルとお友達になりたかったのかもしれない(まさかっ!)
そこでお釈迦様がカンダタの上に垂らした一本の「蜘蛛の糸」に倣って、その辺に落ちている竹の棒を梯子代わりにコンクリ壁の縁から水面に斜めに立てかけてみたのだ。
しばらく離れてからそっと様子を見てみると、ヘビさんがこの竹の棒に体長の1/3位を載せて休憩?しているような様子があった。
これなら良い。出ていきたければイケるだろう。そう考えて私は体力維持の運動を続けに近所の公園に向かった。
そして翌日…
ちょっと早めに運動前にそこに出掛けて、当然のごとくまだ竹の棒が斜めに差し込まれている水溜まりをそっと覗いてみた。
期待に反して… ヘビくんは水面に居た。ただし今日は… なんかもう、動きにキレがないのがわかる。これは要救助案件だ。
実は… そんなこともあろうかと、歩いて5分の距離を今日は特別にクルマで参上していた。むろん補虫網と大きめのバケツを搭載済みである。まあ、出直すのは面倒くさいからなぁ…
ならばあとは網で掬って救うだけである。せっかくなので、網で掬ってバケツにいったん入れて写真と動画を撮影してみたが、なんか暴れる元気もなさげな殊勝な態度だった。
ひととおり撮影欲を満たしたあとは藪陰に連れて行って、
「疲れただろね、今度は気を付けろよ…」
そう語りかけて放免したが…
ヘビさんは走り出さなかった。普通なら
「しゃぁぁぁっ!!」
と慌てふためいて逃げ出すところ、この子は身じろぎもしない。
「おい、ダイジョブか?」
んん、まあ語りかけが通じるはずはなくても、サティという存在に対して安心してくれてるのだろうか。
いやいや、水に浸かりすぎて身体が冷え切ってしまっていたに違いない。都合よく解釈してしまうのは「吝嗇の法則」に反してるぞ…
指でちょいちょいと頭の後ろらへんを撫でてみると、やっと動き出した。動いて頭を重なった竹の葉の中に突っ込むとユルユルと全身が順次隠れて見えなくなっていった。
「またね」
私は手を振って別れた。もちろん振り返してくれることはなかったが…
その後車を家に置きに戻り、改めて運動に出掛けたのだが、なんとなくワクワクが止まらない。
「これは期待できるかもしれない」
そういう思いである。まるで気になる女の子を誘ってOKをもらったあとの気分みたいだ。ただし… かつて何十回となく、こうした救助活動を行ってきたが、未だ恩返しに出くわしたことがない。
しかし今回は私自身もヒマになったし、格別に感情が交差したように思えたからである。
あれから1ヶ月、未だノックの音は聞こえない。
手も足もないから「ノックできない」のかもしれないけど、それにしてもあの子はどうしているのだろう。
しかしある日… あのヘビさんがウチにやって来られない理由に気付いてしまった。
いや、たとえ来る気マンマンでも、準備が間に合わなかったんじゃないだろうか。
そうか、そういう理由だったのか。
恩返しって言う行為は、実は考える以上に難しいことなんだったんだな…
そりゃそうだよ、期待した方が間抜けだったかも知れない…
それが証拠に3ヶ月経った今でもノックの音は聞こえてこない。
ただし今年はあの公園で別のヘビさんとだけどさ、やたらと邂逅することが多いけど…
だってもう7回も… それも何か関係とか機縁とかいうものがあるのだろうか。