第100部分 コバエ抹殺”原始的”対策②
第100部分 コバエ抹殺”原始的”対策②
ヒントは既にあったので、思いつくのは早かった。すなわち…
作戦4
捕獲と監禁:閉鎖空間に奴らを誘い込み、囲い込むのはいともたやすいことだ。いつものようゴミを入れ、最後に袋の縁をなるべく高めに出して置き、充分時間を経過させたあと不意打ちでビニル袋の口を握りこんでヤツラを封じ込めれば良い。ここまではなんの問題もない。作戦3ではこのあとを「殺虫剤」の任せたのが蹉跌の根本だったのだ。
ここまでできたら、あとはゴミの中からコバエだけを選別すれば良いのだ。
では、どうやって?
以前ゴミを捨てる前に「ゴミ袋を縛る」という作業を行い、この時に「振動に驚いたコバエどもが慌てて逃げてゆく」繰り返しだったことを思い出した。
ならば『先に出口を封鎖してから振動を与える』ことにすれば、慌てて各自が居た場所から避難するべく飛んで逃げようとするだろう。しかし今までのように出てきても今度は出口がないので、彼らは半透明のゴミ袋の中で上の方にワラワラと集まってくるに違いない。そしてゴミ袋の内側でアチコチと出口を求めて飛んだり歩いたりと彷徨うことになるだろう。
あとはコバエを始末すれば目的は達成できるのだ…
では、殺虫剤を使わずに、どうやって?
袋の口を洗濯バサミ等で留めれば両手はフリーになる。
あとはそうだな… 飛んだり歩いてたりするコバエに対して「拍手」したり「ニギニギ」したり摘まんだりする等の有形力を用いれば物理的に撃滅することができるじゃないか。しかも手は袋の外にありコバエは内側に存在するのだから、破かない限り手洗いも不要になる。
うほっ!
1日目。生ゴミの袋と包装容器プラスティックの袋とでそれぞれ実行してみた。
え、こんなに居たのか。これじゃ目立ったはずだよな… ちょっとムゴイきもするけど、ニンゲンこんなことにはすぐ慣れる。アタシはそんなことデキナイとか言う方々もいるだろう。それはか弱いとか残酷なことはできない、という思想的性格的なことではなく、単に慣れていない、やったことがないという経験的なだけの発想なのだ。か弱そうな女性だからといってコバエを潰せないということはない、それが我が子に感染症の危機を齎すことが確実ならば、彼女らさえ敢然としてコバエを握り潰すだろう。
正当正義を裏付ける理屈と名目と実利さえあれば、何でもするのがニンゲンの本性… サティはそういう仮説を抱いて生きている。
ニンゲンだもの、今日も3食で肉も魚も美味しくいただくだろう。しかしそれを育て屠畜し捌く方々がいるからこそ美味しくいただけることを傲慢にも忘れてはいないだろうか。かといって自称ベジタリアンの科学的知識と思考過程はもっといただけない。植物なら可哀想ではないのか。その植物に付いているダニや昆虫や動物性プランクトンを「喰ってない」とは言わせないぞ。もともと動物はすべて、他の生物を摂食捕食することで命を繋いでいくんだぞ。ニンゲンが何かをするイコール他の生物を搾取し資源を奪っていくことなのだ。アナタだけが無関係で無責任であるということは有り得ない。また過度な贅沢に走ったり、食物を粗末に無駄にしたりすることは、生物としてやってはいけない法規だと思うのだが…
おっと… 虐殺を正当化するためにとんだ暴言を…
まあでも、苦痛は一瞬だし、コトバや文書で後世から誹りを受けることは有り得ない。
そして効果は…
1日に昼と夜2回で合計15匹のコバエを駆除したところ、台所と部屋を飛翔するコバエは目に見えて激減した。2日目は朝昼晩の3回で合計5匹、3日目は朝に1匹を駆除しただけで以降ゼロ匹となり、大変快適な空間を復活させることに成功した。今でも時々見かけることはあるが、まあ外から入ってくることもあるし、その都度臨時に作戦4を再開することで我が家の衛生的平和は保たれている。
あ、暑いけど今日も体力維持の運動に行ってこよう。
今宵は餃子とカツオのタタキとアルゼンチンエビのお刺身に感謝しながら一杯というプチ贅沢なお夕食。そう、あの日よりちょこっと早いけど…文化の爛熟期であったとされる元禄年間、平賀源内が求めに応じて創ったというキャッチフレーズ「土用丑の日」に合わせて根拠もなく絶滅危惧種のウナギをほぼ「タレの味」でいただくより、私はこちらの方が…