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少年よ、武器を取れ  作者: もみ揚げ
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第三章 決断、そして深謀…… 

 宗也が寝てから三時間ほど経っただろうか。深夜の宗也の携帯に突然着信が鳴りだした。宗也はしばらく着信に気付かず寝ていたが、何度も鳴り響く着信音にようやく目が覚めて電話をとった。

「はい、もしもし」

 宗也は寝起き特有の頭が朦朧とした状態で電話に出たが、直後に電話越しに聞いた声で一瞬で目が覚めた。

「はじめまして、茅野宗也君。なかなか出ないもんですから番号が間違っているのかと思いましたよ」

 宗也は険しい表情をして右耳に全神経を集中させた。 

「何故俺の番号が分かった、グローケン」

「諏訪君に教えてもらいましたよ、深夜に電話してすみませんねぇ」

「……諏訪は今どこだ、グローケン」

「それはまだ教えられません。今の彼はまだ未完成ですから」

 グローケンの電話越しの声はとても軽快で、電話の向こうではにやつきながら話している様子が宗也にも推察できた。

「一体何の用だ、俺はアンナさんの仲間だぞ」

「その様子だとアンナ嬢から全て聞いたようですねぇ。まぁその方が手っ取り早い。宗也君、あなたに一つ提案があります。」

「……何だ?」

 宗也はグローケンが諏訪を人質にして、自分に何か脅迫をするのかと思い身構えた。

「どうですか茅野君、私たちの仲間になりませんか?」

「……どういう風の吹き回しだ?」

 宗也は急なグローケンによる提案に面食らった。それでも宗也はその様子を悟られぬように、落ち着きを払った。

「私は君の素質を買っているのですよ。君が更に成長すれば諏訪君に匹敵する力をも手にする。私は君が必要なんです」

「俺を初対面で殺そうとしておいてよく言うぜ」

「あれは脅しのつもりで言っただけですよ。本当に殺すわけないじゃないですか」

 確かに宗也は自分の周りに、安易に人殺しを行うような人間が存在しているとは考えたくなかった。

「俺はアンナさんから全て聞いたんだ。それを知っているなら俺が出す答えだって分かるだろう?」

「アンナ嬢ですか……おそらく私の悪評を君に話したのでしょう。君は彼女に騙されているのですよ。私はアルヴァコアの力を世界の平和のために使いたいのです。しかしそのためには相手を納得させるほどの力を得る必要がある。しかし彼女は世界の平和を謳いながら、実はアルヴァコアの力を独占して世界を支配しようと企んでいる。君に適当な嘘を吹き込んで君の力を利用しようとしているのですよ。私は彼女とは違う。諏訪君は私の考えに賛同してくれました。私の元に来れば、かつての諏訪君と君のように切磋琢磨できますよ」

(俺と諏訪の過去まで知っているのか……確かに諏訪が剣道部から去ったのは俺の力が足りなかったからだ。もしかしたらグローケンの元へ行けば諏訪も俺のことを認めるかもしれない)

 宗也は思いを巡らせた。もしかしたらグローケンの言う通り、アンナが嘘をついて宗也を騙そうとしているのかもしれない。グローケンの元へ行くということは、アンナとの敵対を意味する。彼女をとるか、グローケンをとるか。アンナは宗也の力を借りずに、自分の力で問題を解決することを選んだ。対してグローケンは宗也のことを必要とした。自分を必要としてくれる所へ行った方がいいのではないか―――――。

「色々考えているようですね。まぁ今すぐ答えを出せとはいいません。高校生にこんな選択をさせるのも酷ですからね。また電話しますからその時に答えを聞かせて下さい」

 そう言って、グローケンは電話を切った。宗也の電話には非通知が表示されていた。宗也はスマホを閉じて、再度ベッドに寝転がった。アンナの側につくか、グローケンの側につくか。宗也は今、大きな運命の分岐点に立たされていた。





 宗也たちがグローケンらと交戦した翌日は、いつも通り平穏に過ぎていった。この日は金曜日だったので、宗也はいつも通り高校に行っていた。また諏訪はこの日も学校に来なかったため、明科はいつものように心配していた。しかし宗也はその理由を知っていた。昨日の諏訪との戦闘のことは明科には言っていない。アンナも言っていたように、明科にも危険が及んでしまう可能性がある、と宗也が判断したからだ。

ちなみに宗也は念のために、アルヴァウェポンを学校にも持ってきていた。アルヴァウェポンとは言っても今はただの竹刀にしか見えないのだが。これは「いつグローケンに襲撃されても対応できるようにアルヴァウェポンを肌身離さず持っていたほうがいい」というアンナの助言によるものだった。

かつては剣道部に所属していた宗也にとっては学校に竹刀を持ってくること自体に抵抗は無かったのだが、飯山や岡谷には色々といじられた。また偶然廊下ですれ違った剣道部の佐久に久しぶりに会った時には「とうとう剣道部に復帰してくれるのか」と勘違いされた。即座に否定はしたが、宗也が部を辞めた今でも何かと気にかけてくれる佐久の存在は宗也にとってはとても有難かった。

一日の学校生活も半分が過ぎ、昼休みになったので宗也は屋上で飯山と岡谷と一緒に昼食をとることにした。宗也は教室を出て屋上に行くときもアルヴァウェポンを持っていったので、岡谷と飯山はさすがに思わず怪訝な顔をした。

「そんなに大事なんか?その竹刀が」

「確かに屋上にまで持っていくとは思わなかったな。屋上で素振りでもするのか?」

 飯山は宗也の背中を軽くポンと叩いた。岡谷と飯山の疑問は至極まっとうなことだったが、宗也は気にも留めなかった。

「まぁ色々あるんだよ。気にしないでくれ」

 宗也は適当にはぐらかしながら、階段を上った。二人はふーん、という曖昧な返事をした後はそのことに関してはそれ以上言ってこなかった。

 三人で昼食を食べている間も宗也は昨日のグローケンからの電話について考えていた。昨日の夜からずっと考えていたが、まだ答えは出なかった。そんな宗也の神妙な顔を見た岡谷が物を口に含みながら聞いてきた。

「どうしたんじゃ、宗也?暗い顔して」

「ああ、ちょっとな」

「なんか今日の茅野君ちょっと元気ないような感じよな」

 飯山も今日の宗也には違和感を覚えていた。宗也は二人に話すつもりなどなかったが、少し意見を聞くぐらいは、と思い恐る恐る話を切りだした。

「これは俺の友達から受けた相談なんだが……」

「お前に俺ら以外の友達なんておらんじゃろ?」

「うっさい、黙って聞け!」

 宗也は岡谷の頭を軽くパチンとはたくと、気を取り直して続けた。

「もし綺麗なお姉さんと薄汚いオッサンのどちらかの味方につくとしたらどっちにつく?」

「そりゃあ綺麗なお姉さんに決まってるじゃろうが」

「お姉さんだな」

 岡谷と飯山は即答した。

「すまん、俺の訊き方が悪かった」

 宗也は思わず顔を手で覆った。

「実は最近仲良くなったばかりの人がいるんだ。だが一方でその人を悪く言う人もいる。『あいつは危険だ、縁を切った方がいい』とな。だけどもしかしたらその人はいい人で、悪く言っている人の方が禄でもない人間なのかもしれない。正直、俺には誰が正しい人間で誰が悪い人間なのか分からないんだ」

 飯山と岡谷はぽかんとした様な表情でしばらく宗也の話を聞いていた。

「……聞いてるか?」

「ああ、悪い思いのほか真面目な話だったからびっくりしただけだよ」

「俺ら高校生には善悪の区別なんてまだ分からん。だが一つだけ分かることがある」

「何だ?」

岡谷はいつになく真剣な表情をしていた。

「お前が本当にしたいと思ったことをしろ。後悔のない選択なら間違ってたとしても仕方ないで割り切れるじゃろ?」

「……だから俺じゃなくて、友達の相談だって言ってるだろ」

 そう言った宗也の顔は晴れやかになっていた。曇っていた空には徐々に太陽が顔を覗かせていた。

「飯食ったら急に元気出てきたわ。宗也、ちょっとその竹刀振らせてくれ」

「本能の赴くままだな、お前は」

 だからこそ岡谷の発言はいつも本心からくるものだと信じられる、と宗也は思っていた。岡谷は宗也の持っていた竹刀を取り出して手に取った。アンナによれば、アダプター以外の人間がアルヴァウェポンに触れても何も変化はないという。要は宗也の持っている竹刀は宗也以外の人間が触れても力は使えず竹刀のまま変わらない、ということだった。なので岡谷が宗也の竹刀を持っていても宗也は止めなかった。

「なんじゃこの竹刀、結構重いぞ!おい飯山、ちょっと持ってみてくれんか」

「そうなのか?どれどれ」

 飯山が岡谷の持っていた竹刀を手に取ったその瞬間だった。ばちっという小さな火花が宗也には見えた。その途端、飯山は竹刀を落としてしまった。

「うわっなんだこれ、静電気か?」

 飯山は弾かれた手のひらを痛そうにしていた。

「大丈夫か?飯山」

「おい、落とすなよ。竹刀が傷むじゃろうが」

「悪い悪い、突然バチッときたからびっくりしたよ。静電気かな?どうやらその竹刀に嫌われてるみたいだ」

 岡谷は落とされた竹刀を拾い上げて、竹刀を振り出した。それ以降、飯山がその竹刀に触れることはなかった。





 昼休み明けの授業が始まる頃には雲もはれて、すっかり青空になっていた。教室の中は春特有の暖かさが戻っていた。宗也は昼休み明けの授業中のほとんどを睡眠で過ごしていた。宗也が起きる頃には既に放課後になっており、午後の授業も終わっていた。宗也も帰り支度をしていたところ、教室の入り口の方で明科がそわそわしていた。何かあったのだろうか。宗也は明科の方に行き、声をかけた。

「何かあったのか?」

「あ、茅野君」

 明科は宗也に気付くと、素早く前髪を整えた。

「実はうちの剣道部の道場の扉の前にこんな張り紙があったんだよね」

 明科は宗也に持っていたスマホの画面を見せた。そこにはスマホで撮られた、道場の扉に貼られている張り紙の画像があった。その張り紙には『シガツニジュウロクニチ、ドウジョウヲブッコワス』と書かれていた。

「今日は四月十九日、ちょうど一週間後か……」

「顧問の先生たちに知らせたんだけど、『ただのいたずらだろう』って……」

 宗也も最初はただのいたずらだと思っていたが、張り紙の右下に書かれているアルファベットに刮目した。右下には『S・A』と書かれていた。

「S・Aだと……」

 宗也の中でS・Aというイニシャルには一人しかいない。だがあの人がそんなことをする理由が見つからなかった。しかし他に犯人の手がかりはない。

「佐久主将はなんて言ってるんだ?」

「顧問の先生がいたずらの範疇に留めておくなら、これ以上騒ぎを大きくする必要はないって……」

「そうか、まぁ目立った被害が出てないならまだ様子を見た方がいいかもな」

「うん、そうだね」

 明科は多少の不安が残るものの、一応は納得した様子を見せていた。

「じゃあ俺用があるから先に帰るわ」

「あっ待って、茅野君」

 明科は背を向けて帰ろうとする宗也を呼び止めた。

「あの、話聞いてくれてありがとね。私、マネージャーなのに何にもできなくて……」

「こんなのマネージャーの仕事じゃないだろ。それに明科はよくやってると思うぜ。何てったって、元剣道部の俺にさえ気を遣って仲良くしてくれるくらいだからな」

「う、うん、ありがとう」

 そう言って、宗也は明科と別れた。明科は去っていく宗也の背中を見つめながらぽつんと呟いた。

「別にマネージャーとして気を遣っている訳じゃないんだけどなぁ……」





 宗也は学校の帰り道、ある場所へ向かっていた。駅への近道である路地裏を抜けて、ある廃ビルの前まで辿り着いた。そこは昨夜紹介されたアンナの研究所だった。宗也は竹刀があることを確認し、ゆっくりと深呼吸してから地下への階段を下り始めた。宗也は何が起きてもいいように身構えながら、一歩ずつ慎重に階段を下りた。突き当りの扉の前まできた宗也は、勇気を出して扉をノックした。しかし反応がない。宗也は二度三度、扉をノックしたが扉の前は物音一つせず静かだった。今は留守にしているのだろうか。宗也は思い切って扉のノブを回してみたが、鍵がかかっているらしく、開かなかった。

そこで宗也はアンナに電話をすることにしたが、連絡はつかなかった。宗也は何としてもアンナに確かめたいことがあった。しかし今は彼女とコンタクトをとる術がない。宗也は諦めて出直そうと思い、研究所を後にした。

研究所を出て数分後、駅の前まで戻ってきた。宗也は駅中で寄り道してから帰ろうと思い、中へ入ろうとしたその時だった。何やら駅の交差点近くのビルの周りに平日の昼間とは思えないほどの多くの人が集まっていた。宗也は人が集まっているビルの屋上に何者かの人影を発見した。胸騒ぎがした宗也は、駅中に入らずにその人影があるビルの方へ一目散に駆けだした。

宗也がビルに着く頃には、続々と新たに人が集まっておりざわざわとした異様な雰囲気だった。宗也は多くの群衆に押されながらもできるだけビルの近くに行こうとした。やっとの思いでビルの近くまでいった宗也は、ビルの屋上を見上げた。そこには仮面をつけた一人の人間が柵の外側に立っており、今にも飛び降りそうな様子だった。背丈は大きく、少なくとも子供ではないようだった。しかし性別は分からない。周りの人々からは、『誰か止めろよ』『何してるんだ?』といった声が聞こえた。最初は偶々通りかかった人が興味本位で集まってきていたが、その数はざっと百人ほどになっていた。

多くの人が固唾を飲んで見守っていると、ビルの屋上にいた仮面の人影は両手を広げて高らかに叫んだ。

「この退屈な世界に満足している愚民共よ。私がそんな世界からお前たちを救ってやろう!」

 その声は加工されており、男性の声か女性の声かは分からなかったがそのようなことを考える間もなく次の事件が起こった。

 突然激しい爆発音が起き、それまでビルの屋上を見上げていた人々は一斉に後ろを振り向いた。宗也も駅の方へ振り返ると、なんと駅の向こうにあるビルが半壊しており火の手が上がっていた。宗也の周りでは悲鳴や叫び声などが聞かれ、まさに阿鼻叫喚といったような光景だった。すぐに周りからは消防車のサイレンの音が聞こえ、続々と火事に方へ多くの車が走っていくのが見えた。

「あそこは廃ビルが並んでいたはず……」

 そこまで呟いて宗也は気づいた。あのビルにはアンナの研究所があることを。宗也はビルの屋上を見た。先ほどまで仮面の人影を見ていた周りの人々は今は爆発が起こったビルの方へ釘付けになっている。しかし屋上には既に仮面の人影の姿はどこにもいなかった。

 宗也は人ごみをかき分けて、火の手の上がるビルの方へ走り出した。走りながら宗也は様々なことを考えていた。あの仮面の人影は誰なのか。そしてアンナは無事なのか。一方で最悪な事態になる可能性も頭をよぎった。そんなことを考えるうちに数分で火事が起きたビルに着いた。周りには既に多くの人が集まっており、救急車や消防車が何台も停まっていた。火は既に鎮火状態にあり、煙が上がっていた。周りの人によると、幸い死者や重傷者はいないが軽傷者が数人いたほどだという会話が聞こえてきた。宗也はバリケードの前まで来て様子を見ていると、電話がかかってきた。宗也は電話の主を確認すると、急いで電話にでた。

「やぁ少年、無事だったかい?」

「アンナさん、今一体どこにいるんですか⁉研究所が大変なことになってますよ?」

「そのようだね。今ニュースでやってるよ。心配かけてすまないね。実は現在所用で東京にいるんだ。色々話したいことがあるんだが、明日会えるかな?」

「分かりました。俺も話したいことがあるんです」





 その夜は夕方駅前で起きたビルの爆発事件のニュースの話題で持ちきりだった。報道によると爆発事件を起こした犯人は不明で、その直前に現れた謎の仮面人間のことも取り上げられていた。ネットでは仮面の人影がテロリストではないかと推測する声も多く、誰かが撮影したらしい仮面の人影が写った動画もSNSにアップされていた。爆発事件のこともあり、駅の周りでは夜までずっとパトカーのサイレンが鳴り響いていた。

 いつもならば明日に備えて早々に寝てしまいたい所だが、宗也にはやることがあった。宗也はスマホを手に取り、電話をかけた。程なく着信音が鳴った後、相手が電話に出る音がした。

「やぁ茅野君。どうしたんだ?こんな時間に」

 電話の相手である飯山柊人は、急な電話にも関わらず朗らかな口調で電話に出た。

「急に悪いな。明日とかでもいいんだが、放課後時間とれないか?」

「うーん、明日は陸上部の練習があるからなぁ……。その次の日なら練習ないから明後日でもいいかな?」

「ああ、いいよ。悪いな、手間取らせて」

「何言ってんだよ。友達だろ?」

 その言葉を聞いて宗也は思わず吹き出してしまった。

「どうした?なんか変な音したけど」

 それを聞いた飯山が驚いたような口調で尋ねた。

「ああ、いや何でも無い。まさかお前の口からそんな言葉が出るとは思わなくてな。岡谷みたいで少し気持ち悪かった」

「それ、岡谷には言うなよ。また怒るぞ、あいつ」

 宗也と飯山は互いに苦笑した。宗也と岡谷と飯山は皆付き合いは一年だけだが、既に何年も一緒にいるかのように気兼ねなく接することができる。

仲良くなったきっかけは、一年のとき孤独だった宗也に岡谷と飯山が話しかけたのがきっかけだが、その当時は飯山も俺とそう変わらないクラスでも地味な存在だった。しかし俺や岡谷をはじめ一人、二人と仲良くなるうちに次第に人気者になっていった。

見た目は地味だが『話してみれば結構面白いやつだった』という人間はクラスに一人はいるのだろう、と宗也は飯山を見るたびに思っていた。まぁ宗也自身はそのような人間の類ではなかったのだが。

ひとしきり取り留めもない話しをした後、宗也は飯山との電話を切った。宗也はスマホをテーブルに置き、ベッドへ寝転がった。これで今日の宗也の今夜の予定は終わった。あとは明日のアンナとの待ち合わせがあるだけだ。

―――この後の宗也の携帯の着信音が鳴る前までは。





 その日の朝は連日の快晴とは打って変わり、小雨が降っていた。午前六時の東京駅の前には多くの人が行きかっている。坂城アンナは駅の中から灰色の曇り空を見上げていた。 

彼女が東京に来たのは昨日。まさに強行日程の中での状況だった。だが少なからずの成果は得ることができた。

グローケンらとの戦闘を経験し、アンナは一定の危機感を覚えていた。

あの日のグローケンは本気を出していなかった。諏訪という高校生もまだまだ強くなるだろう。このままだと間違いなく彼らには勝てない。こちらも力をつけなければいけない。少年の力は強力で、一緒に戦えば大いに私の助けになるだろう。だが少年を戦わせるわけにはいかない。少年にはそう宣言してしまった。何より私自身が望んでいない。もうアルヴァコアのせいで私の身近な人間を失いたくはない。この事件に巻き込んでしまった以上、彼はまだ子供であり私は彼を守らなければならないという責任がある。

そんなことを考えながら、アンナは駅のホームに着いた。アンナがホームに着くと程なく電車が到着した。アンナは周りの人々に押されるように電車に乗り、チケットに示された席に座った。朝の電車はいつも混雑しているが、アメリカで暮らしていたアンナにとっては驚くことではなかった。むしろ、きちんと列を作って電車を待っている日本人の姿に感動さえ覚えたほどだった。

アンナが乗車してから数分後に電車が発車した。このペースだとお昼には阿神町には着くだろう。アンナは東京からの電車の中で頬杖をついていた。車窓からの景色は、灰色の曇り空がどこまでも広がっていた。

阿神町で起きた爆破事件のニュースは東京でも大々的に取り上げられていた。幸い軽傷者が少し出た程度だという報道だったが、彼女が気になるのはあの仮面の人影が写った画像だった。SNSによると、爆破事件の現場の近くにいたらしく一部によるとあの仮面が引き起こしたという噂もある。まさかあの男がやったのか、と彼女は一瞬考えた。

「考えすぎか……」

 アンナはふぅと息を吐いてからこめかみを押さえた。思えば一昨日の夜からグローケンのことばかり考えていた。もちろんあの男を追ってこの町まで来たのだから当然といえば当然だが、阿神町に来た当初は、宗也との出会いも含めて色々な発見があった。初めて日本という国を楽しむことができた。思わずグローケンのことを忘れるほどに。

 そのような思いが芽生えたせいか、阿神町はアンナにとって大切な場所になっていた。滞在しているのはまだ数日だが、その数日間はとても充実していた。いつまでもこの町にいたいと思った。しかしいつまでもこの町にいることはできない。グローケンがこの町を去るようなことがあれば、奴を追ってまた次の場所に行かなければならない。それが彼女の使命であり、生きる全てだった。

 そんなことを考えているうちにアンナは電車の中で、次第に深い眠りに落ちていった。





 雨の日の峰城高校は、宗也にとって一段と憂鬱だった。校内はじめじめとしており、お昼も雨で屋上に行けないため仕方なく教室で食べた。学校内では昨日の爆発事件の話題で持ちきりだった。飯山と岡谷は宗也の教室に来てご飯を食べていた。岡谷はいつも通りどうでもいい話を真面目な顔で二人に話していた。

「だから俺は将来は動画配信者になりたいって親にいったら大喧嘩したんじゃ」

「そりゃ怒るよ、お前の両親に同情するよ」

 飯山は思わずため息をついた。

「だから俺は結果出すって親に言ったんじゃ!一カ月以内にフォロワー千人超えてやるってな」

 岡谷は飯を食べながら両手を横に大きく広げた。

「目標が現実的すぎる……もっと夢はでっかくいこうぜ」

「何言ってるんじゃ。もちろん将来は日本一の動画配信者になるのが夢じゃが、今の俺にはいかんせん知名度が足らん。地道に力をつけていくことこそが賢明なんじゃ」

「その地に足をつけた考え方をしながらどうして将来の夢が動画配信者なんだ……」

 得意げな岡谷を横目に見ながら宗也は携帯を取り出した。教室の中では多くの生徒が幾つかのグループに分かれてご飯を食べている。教室内では生徒の話し声に混じり、キュッキュッという上履きの擦れた音が聴こえている。

 アンナとの待ち合わせは放課後、場所は駅前の喫茶店になった。アンナには事前に喫茶店の場所をメールで送っておいた。彼女からは、お昼ごろ東京から帰ってくるという旨のメールが送られてきた。彼女は何しに東京へ行ったのだろうか。宗也はそのことを昨日アンナに聞こうとしたが、爆発事件のこともありそれどころではなかった。

「まぁ今日直接聞けばいいか……」

 宗也は携帯をしまい、ふと前を見やると飯山と岡谷が喋っていた。

「おい宗也、お前はどう思う?俺は動画配信者になれると思うか?」

「岡谷、なれるかどうかじゃなく絶対なるっていう気持ちが大事なんだぞ」

「おい茅野君、岡谷を無駄に煽るなよ。また本気にするだろ」

 飯山は宗也に説得されている岡谷の様子を見て思わず慌てた。

「よせ飯山、俺だって宗也にそそのかされたわけじゃない。実は前々から準備は始めてたんじゃ」

 岡谷はそう言って、スマホを取り出して動画配信サイト『QUBE』を開いた。QUBEは世界で最も有名な大手配信サイトで、日本でも知らない人はいないほどの人気を誇っている。QUBEで活躍している動画配信者も多く、日本では芸能人と同等の人気を集める動画配信者も多く存在している。近年ではそうした動画配信者に感化される若者も多く、岡谷もその一人だった。

「皆の者、これを見よ!」

 岡谷は得意げにスマホをスワイプしていき、飯山と宗也に画面を見せた。そこには『シンノスケチャンネル』と書かれたタイトルがあり、その下にはいくつもの動画がアップロードされていた。

「お前これ自分で撮ったのか?」

 宗也は驚いてその動画に目を見張った。

「凄いな、岡谷。感動したよ。まさかお前がここまで本気だとは思わなかった。俺は応援するよ」

 飯山は岡谷の肩をポンと叩いて言った。飯山の目はキラキラと輝いていた。

「これを見せるのはちょっと恥ずかしかったんじゃがな……でもこうでもしないと俺の覚悟が決まらんと思ってな」

「凄い、これはいつもの岡谷とは一味違う……」

 宗也と飯山には岡谷の後ろに後光が差しているように見えた。

「……でもこれどの動画も再生数一桁だな……」

 岡谷の動画を見ながら宗也がポツリと呟いた。それを聞いた岡谷はすぅーっと顔から生気が消えたようになった。

「……本当だ」

「……まぁ結果は出とらんがな。伸びしろだと思ってくれ」

 宗也は続けて岡谷にQUBEのサイトを見せて苦笑した。

「あとこの動画の内容、なんだこれは。ゲーム配信にしても、クリアする前に別のゲームに移行してるじゃないか」

 岡谷の個人チャンネルには一番上に『○○クエスト実況プレイ パート1』というタイトルの動画があり、その下には『××ファンタジー実況プレイ パート1』というタイトルの動画がアップされていた。またその下には『□□パズル実況プレイ パート1』というタイトルの動画がアップされていた……。

「これはじゃな……ほら、俺って飽きっぽいから……」

 岡谷は次第に声が小さくなっていった。そのときに「ああ、いつもの岡谷だ」と飯山と宗也は思った。

「何見てるの?」

 宗也たちが岡谷の動画を見ていると、急に後ろから女子の声がした。見ると、明科がお弁当箱を持って立っていた。どうやら別の教室で友達とご飯を食べていたらしく、それが終わって戻ってきたところらしい。

「げ、明科瑞穂」

 思わず岡谷の心の声が漏れてしまったらしく、小さく呟いた。それを明科が聞き逃すはずもなかった。

「げ、とは何よ、岡谷君。そんなに見られて困るものでも見てるわけ?」

「そ、そんなわけないじゃろ!」

 明科にジトっとした目で見られた岡谷は手を横に振りながら、否定した。それを見ていた宗也は悪い顔をして言った。

「明科、男子が女子に見られて困るものと言えば一つしかないだろう?」

「お、おい宗也!話をこじらせるな!」

 それを聞いた明科は、次第に顔を赤くして急に弱弱しい声になった。

「そ、そうだよね……一つしかないよね。ごめんね、軽々しく訊いちゃって」

「ち、ちがうんじゃ!学校でそんなもの見るわけないじゃろ!おい宗也、お前のせいで変な誤解を生んでしまったじゃろうが!」

 必死に明科に弁解した岡谷は、宗也の頭を軽くはたいた。すると飯山が岡谷を諭すようにして言った。

「せっかくだから明科さんにも見てもらったらどうだ?岡谷の動画」

「え、岡谷君動画作ってるの?凄いね!」

「い、いやそんな大したことじゃ……」

 今まで誰にも褒められなかった岡谷は初めて尊敬の眼差しを向けられたことで、少し照れ臭い表情になった。考えてみれば何千何万もの人が見る動画サイトに自作の動画を上げること自体、結構凄いことなのかもしれない、と宗也と飯山は思った。

「ねぇ、ちょっと見せてよ」

「じゃ、じゃあちょっとだけ……」

 岡谷はアップされている動画の中の一つを明科に見せた。最初は期待に満ちた目で動画を見ていた明科だったが、次第にその目から光が失われていく様が宗也にも見てとれた。動画を見終わった明科に岡谷は感想を求めた。

「どうじゃった?俺の動画は」

「え……お、面白い動画だったよ?ちょうどいい再生時間だし……」

 どうやら明科は岡谷の動画の『再生時間がちょうどいい』という点しか評価すべき点が見つからなかったらしい。しかし岡谷はその感想に確かな手ごたえを感じていた。

「流石じゃな。そこに気付くとは。実はそこはこだわっている部分の一つなんじゃ」

 自信満々に力説している岡谷に。明科は苦笑するしかなかった。それを横目に岡谷の動画をしばらく見ていた宗也は、あることに気付いた。

「おいこの動画、今日アップされたばかりなのに周りの動画に比べて再生数飛び抜けて多くないか?」

「あ、ほんとだ」

「なになに……タイトルは『プリモ・アジェンダ』……?変わった名前だな」

「でも今日だけで凄い再生されてるよ、この動画。ちょっと見てみようよ」

 明科は宗也に動画の再生を促した。宗也は動画の再生ボタンを押すと、しばらく真っ黒な画面がスマホに映った。

「なんだ?この動画……真っ黒のままだぞ?」

 一同はしばらく真っ黒な画面を見続けていると、急に画面が切り替わった。

「おい、こいつは……」

 宗也はそこに映る人物を見て驚愕した。画面には黒いマントを羽織っている二人の仮面をつけた人間が映っており、並んで廃ビルの前に立っていた。その場所は阿神町の駅近く、昨日爆発事件のあった場所に似ていた。そして二人の人間がつけていた仮面は昨日宗也が駅前で見た仮面と、同じものだった。しばらくその動画を見ていた一同だったが、何かに気付いた明科がおもむろに呟いた。

「思い出した、ここって昨日爆発事件が起きたところだ」

 そう言われて、宗也は慌てて動画の一時停止ボタンを押した。

「本当じゃ!言われてみればそうじゃな」

「え、そんな恐ろしい事件があったのか?俺初めて知ったよ。最近テレビとか見てないからなー」

「あんなにでかい事件だったのに知らないとか、疎すぎじゃろ飯山」

 岡谷は飯山に驚いたような表情で軽くツッコミを入れた。

「悪い悪い、最近部活忙しいからさ」

「もうすぐ大会だもんね、陸上部」

「それにしてもよく気付いたな、明科」

 宗也は再び再生ボタンを押すと、動画は続きから動き始めた。するとしばらく立っていた仮面の二人のうちの一人が喋り出した。

「私たちは皆さんを導くために生まれた神の使徒です。突然こんなことを言われても信じる人はいないでしょう。ですが今からお見せする力を目の当たりにすれば、きっと皆さんも考えを改めるでしょう」

そう言った仮面の人間は、もう一人の仮面に向かって後ろの廃ビルを指さした。声は昨日と同様加工されていた。もう一人の仮面は黒いマントの中から木製の杖を取り出し、杖の先を廃ビルに向けた。すると杖の先から光の球体が徐々に出現し、直径一メートルほどの大きさになった。その直後、球体は廃ビルへもの凄い速さで直進していきビルに直撃した。ビルは大きな爆発音とともに破壊され、その一部が音をたてて崩れた。先ほど喋っていた仮面はその様子を見届けると、再び喋り出した。

「我々の力がお分かりいただけたでしょうか。この力はあなたが望めば手に入れることができるのです。是非あなたも神の力を手に入れてみてはいかがでしょうか」

 実際には仮面をしていて表情は分からないが、その仮面の内側では笑っているように宗也には見えた。

「四月の二十六日、私たちは日本を発ちます。もし皆さんが神の力を望むのならば、二十六日の十九時に阿神町の神賀ドームにお集まりください」

 仮面の人間がそう言い終えると、動画は終わった。宗也たちは動画が終わると互いに顔を見合わせた。

「……これ阿神町って私たちの町のことだよね?」

「他にこんな名前の町は聞いたこと無いしな」

 この動画で宗也は確信していた。昨日の仮面の人影と動画に映っていた仮面の人間はおそらく仲間なのだろう、そしてビルを破壊したあの力はアルヴァコアによるもので間違いない、と。そしておそらくこのことを知っているのはこの場には宗也しかいない。

「それよりもなんだよ、あの見たこともない力は」

 飯山はスマホを操作して、ビルを破壊した球体が出現したときまで動画を巻き戻した。「これ本当に本物なんか?CGかなんかじゃないんか?」

「で、でも現実として昨日このビル、爆発が起こったし……」

 明科や岡谷、飯山は皆驚きを隠せないというような表情で繰り返し動画を見ていた。気付くと、続々と他の生徒も周りに集まってきていた。

「なんだなんだ、何見てるんだ?」

「なんだこれ、魔法じゃん!」

「あれこの動画、うちらの町じゃね?」

「うそ、こわーい」

 周りの生徒は、動画を見て思い思いの反応を示している。話によると既に何人かの生徒はこの動画を知っていたらしく、朝から結構話題になっていたらしい。

「動画って撮られたものをすぐアップするとは限らないんだよね?だったらこの動画は昨日撮られたもので、爆破事件の話題で騒がれている今日を見計らってアップしたんだろうな」

「でも何のために……?ビルの爆破も含めて、この仮面の人達は何が目的なんだろう」

「ごめん、そこまでは分からないな……」

 飯山は動画を見ながら腕組みをした。宗也も飯山の考えに概ね同意していた。確かに昨日の夜にニュースで取り上げられたことで、今では阿神町中で話題の事件になっている。動画の注目を集めるならばこれ以上のタイミングはないだろう。ニュースによると、爆破事件の犯人はまだ判明していないらしく今も捜査を続けている。

「動画には二十六日に集まれって言ってるな……」

「二十六日って阿神祭がある日だよ?」

「そうじゃ!なんかあると思ったらそれじゃ!」

 岡谷は指をパチンと鳴らして、スマホを操作した。そして阿神祭の公式サイトを宗也たちに見せた。

 阿神祭は阿神町で最も大きい祭りで、毎年春に開催している。町のランドマークである阿神タワーを中心に、町の至る所で出店が開かれていたりイベントを開催している。町をあげての大々的な祭りで、毎年阿神町外からも多くの人が詰めかけている。町全体が祭りの一ヶ月前から入念な準備を始めており、毎年峰城高校の剣道部も演武を披露する場となっている。剣道部の他にもいくつかの部活が参画予定であり、各部活が阿神祭に向けて準備を進めている。

「動画によると阿神祭の日に神賀ドームに行けば、神の力が手に入るらしいな」

「ちょっとにわかには信じがたいな……」

 飯山は頭をポリポリと掻いた。神賀ドームは阿神町唯一のドーム会場で、アイドルのライブ等数々のイベントが行われている。

「だけど野次馬目的で行く人は多そうだな」

 確かに飯山の言う通り、この動画の言うことを完全に信じる人は少ないだろう。しかしこの日は阿神祭が開かれるということもあり、町には多くの人が賑わう。そのため多くの人が神賀ドームに集まるだろうということは宗也にも予想できた。

「まぁなんにせよ、この動画はこれだけ拡散してるなら警察も把握してるだろうね。俺らには何もできないよ」

「……俺も行ってみよっかなー、神賀ドーム。神の力で勉強できるようになるんじゃろうか」

 岡谷は口を尖らせてぼそっと呟いた。

「ほらここにも行こうとしてる人が……」

 宗也たちは冷めた目で岡谷を見た。その視線にはっと気づいた岡谷は慌てて首を横に振った。

「じょ、冗談じゃ!信じるわけないじゃろ、こんな胡散臭い話。勉強は自分の力でやるもんじゃ」

「本当かな……?」

「怪しいな、こいつ……」

 その場の全員が岡谷に疑いの目を向けていると、昼休み終了の笛が鳴った。まもなく午後の授業が始まる。午後の授業では小テストが行われたが、岡谷が赤点だったことは想像に難くなかった。





 午後の授業も無事終わり、放課後になった。宗也はアンナとの集合場所に行くべく、帰りの支度を始めていた。ちらと横を見ると、この後部活があるらしい明科もいそいそと帰りの支度を進めていた。

剣道部には現在明科しかマネージャーがいないため、彼女がする仕事はとても多い。宗也も部にいる頃はいつも奔走している彼女を見かねて、度々仕事を手伝っていた。今は佐久主将が選手も持ち回りでマネージャーを兼任するように定めたため、以前のような激務ではなくなったが放課後になると相変わらず明科は忙しそうにしていた。

宗也がずっと明科を見ていると、それに気づいた明科と目が合ってしまった。明科はとてとてと宗也の方に来て、一枚のプリントを宗也の目の前に広げた。

「阿神祭で披露する演武のプログラム作ってみたんだ。初めてみる人も楽しんでもらえるように」

「……凄いな。マネージャーの通常業務も多いんじゃないのか?」

「大丈夫。今は他の部員も手伝ってくれるから」

「そうか、ならよかった」

 明科は先ほどまで笑顔だったがプリントをぎゅっと握りしめ、前髪をかきあげて優しい表情をした。

「ありがとね、茅野君」

「な、なんだよいきなり」

 わずかに微笑んで感謝を述べた明科にびっくりした宗也は思わずのけ反ってしまった。

「茅野君が部にいた頃、選手に持ち回りでマネージャーを手伝うように主将に提案してくれたでしょ?あのとき凄く嬉しかったんだ」

「……主将に提案したときは周りに誰もいなかったはずなんだけどな。さてはあの主将、言いふらしやがったな?」

 宗也は頭を掻いて照れ臭そうにそっぽを向いた。

「違うよ、私が偶然茅野君と佐久主将が話しているのを聞いちゃっただけ。主将からは何も聞いてないよ」

「そうか……でも明科の負担の大きさは俺が言わなくてもきっと誰かが気付いてくれたと思うぞ?佐久主将とか」

 普段褒められ慣れていないためか、宗也はどう振舞っていいか分からず話し方もたどたどしくなっていた。すると明科は下を向いて小さな声で言った。

「でも……茅野君に言ってもらったから嬉しかったんだと思うな」

「え、それどういう……」

「な、何でもないの!それじゃ私部活あるから行くね!」

 宗也の発言を遮って明科は手を振って、急いでその場を立ち去ろうとした。

「そうか、頑張ってな」

 明科は教室の出口まで行くと、くるっと反転して宗也に再度手を振って言った。

「またね、宗也君」

「ああ、またな明科……って、ん?」

 宗也が首を捻っていると、明科はあっという間に行ってしまった。宗也は窓から空を見上げてしばらく考えた後、時計をちらと見た。

「俺も行くか」

 宗也は鞄を肩にかけ、教室を出た。窓の外では広々とした青空が広がっていた。





 学校を出てから数十分後、宗也はアンナとの待ち合わせである喫茶店の近くまで来ていた。待ち合わせの時間まではあと数分。この辺りは人通りが多くさしたる目印もないため待ち合わせには向かない場所であったが、宗也が喫茶店の前に着くと既に喫茶店のガラス張りの壁の向こうにいるアンナを見つけることができた。アンナは店内から宗也を見つけると、手をひらひらさせて手招きした。宗也は首肯するとゆっくりと喫茶店に入り、アンナの席までいった。

「やぁ久しぶりだね、少年」

 以前あった時とは異なる白いカーディガンを着ていた彼女は美しく、彼女のいる席は他の人の席とは異なる雰囲気を醸し出しており常人には近寄りがたいオーラを発していた。彼女はそんなことを気にする様子もなく、金髪の長い髪をかきあげながらコーヒーを飲んでいた。 

そんな中に変哲もない高校生である宗也が来たことにより、周りに座っている人々は好奇の視線を宗也に向けていた。宗也はその視線にむず痒い気持ちになった。

「あの、よかったら場所を変えませんか。ここだとちょっと話しづらくて……」

「……もちろん、いいよ」

 アンナは宗也の心情を察したのか、席を立ち隣の席にかけてあったコートを羽織った。さっとレシートを手に取ると、カウンターまで行った。手早く会計を済ませると、宗也の待つ入口まで出てきた。

「さて、じゃあ何処に行こうか」

「この先行ったところに阿神タワーという塔があるんです。そこに行きませんか?」

「阿神タワーか、いいね。もしかしてあの塔かい?」

「そうです、あれです」

 アンナは駅の反対側にそびえる鉄塔を指さした。指の先には太陽に照らされた塔が光り輝いていた。宗也たちのいる喫茶店からタワーまではそう遠くなく、数分歩くとすぐに阿神タワーの入り口まで行くことができた。

 阿神タワーは東京にある東京タワーやスカイツリーほど大きくはないが、頂上では阿神町全体を見渡すことができる阿神町のランドマーク的存在になっている。宗也も気晴らしによく来ており、阿神祭では毎年ライトアップされるなど阿神町民からも愛されている建物になっている。

 二人はエントランスを通り、エレベーターで上に上がった。周りには学校帰りの学生や観光できた外国人も多くいた。この先にはメインデッキ、トップデッキへと続いていく。

 エレベーターに乗ってしばらくすると、メインデッキが近づいてきた。

「ここで降りましょう」

 宗也はアンナにそう伝えると、二人はメインデッキで降りた。周りにはそれほど人が多くなく、広々としたスペースが静けさを醸し出していた。

「この時間帯はあまり人がいないんです。大体トップデッキの方へ行ってしまいますから」

 アンナはエレベーターの方を見ると、ほとんどの人は降りずにトップデッキまで向かう様子だった。どうやらトップデッキは展望台になっているらしい。メインデッキには望遠鏡らしきものは見当たらなかった。

「ここは特に何もないんですよね。だからあまり人もいない。だけど個人的にはここが一番好きなんです」

 宗也の言う通り、メインデッキには特筆すべきものは見当たらない。ただ白い床がどこまでも広がっているだけだった。アンナはしばらく町を見渡してふと気づいた。

「なるほど、そういうことか」

 アンナは峰城高校の建物を見つけると、微笑んだ。学校の敷地内では外で野球部やサッカー部などがグラウンドで練習しているのが見えた。また視線を他にやると、駅前を行き交う人々や公園で遊ぶ小学生などが見えた。

「トップデッキではここよりも町全体が見渡せる。しかし小さな所までは鮮明に見ることができない。人々の様子とかね」

 宗也はゆっくりと頷いた。

「アンナさんの言う通りです。俯瞰で見るのもいいんですけど建物しか見えなくなっちゃうのもちょっと寂しいって思うんですよね。俺は多分、建物じゃなくて人を見たくてここに来るんです。ちょっと上手く説明できないですけど」

「……君の言っていることは何となくわかるよ。人々の様子を見ればその町の良さが分かるからね。この町に来て数日が経ったけど、この町の住人は皆いい顔をしている」

 アンナは視線の先に広がる景色を見つめながら、手摺に手を置いた。それを見た宗也は、深く息を吐いてゆっくりと口を開いた。

「……実は数日前からグローケンに誘われていたんです」

「……え?」

 アンナは途端に神妙な面持ちになった。だが宗也は気にする様子もなく、メインデッキの外に広がる景色を見ながら続けた。

「グローケンと初めて邂逅した日……のことです。その夜電話がかかってきて、グローケンに誘われたんです。仲間にならないかって……」

「そうか、そんなことが……」

 アンナは外を見たまま目を閉じて、柔らかな笑みを浮かべた。

「……それで……少年はどうしたんだい?確かに君から見れば、私もグローケンも大差ない大人にしか見えないだろう。善悪の区別なんかつかないだろうね。だから君が奴の味方をしても全く驚かないよ」

 宗也はわずかに眉を動かしたが、表情は一切変えることなくアンナの方を見た。

「昨日の爆破事件を知ってますか?」

「ああ、ニュースで見たよ。SNSで拡散されている例の動画もね。動画に出ている二人の仮面の人間が犯人だと噂されているらしいね」

「俺あの近くに偶然いたんですけど、実はあの近くにもう一人同じ仮面をつけた人間がいたんです」

「そうか。ならその仮面の人間も爆破事件に関わっていると見るべきだろうね」

 宗也は肩にかけていた竹刀を握りながら、真偽を確かめるようにアンナを見つめた。

「俺、その仮面の人間はアンナさんなんじゃないかと思ったんです。動画に出ている他の二人もアンナさんの仲間で……」

 宗也がそこまで言い終えると、アンナは途端に破顔して声を出して笑った。その反応が意外だったのか、宗也も思わず顔をほころばせた。

「何で笑うんですか!今真剣な話してたでしょう!」

「いやーごめんごめん。そうか、その線があったね。確かに私はその日東京に行っていたから、私に疑いがかかってもおかしくないね。実際にアリバイを証明できないわけだし」

 アンナは両手を横に広げて、お手上げだという素振りを見せた。宗也は小さく咳ばらいをして、再び話し始めた。

「でも……アンナさんと食事をしたり街を散策したりしたときのことを思い出して改めて考えたんです。こんな人がテロリストみたいな事件を起こすわけないって」

「どうかな。私が善人を演じている可能性だってあるんじゃないか?」

「その可能性も考えました。でもアンナさんとグローケンのどちらかが善人ぶって俺を騙そうとしているのだとしたら、騙されても悔いのない方を選ぼうって考えたんです」

 宗也は握っていた竹刀やバッグなど持っていたものを全て床に置き、両手を広げて言った。

「それで君の答えがそれか……」

「俺はあなたの側につくことに決めました。でもあなたが嘘をついている可能性もある。だからあなたに賭けます。もしあなたが爆破事件の犯人で、俺を騙していたのなら俺を撃ってください。俺はこのアルヴァコアの力を間違ったことに使いたくない。この力を誰かを傷つけるために使うくらいならここで死んだ方がましです」

「まさか君にそんな覚悟があるとは思わなかったよ……」

 アンナはバッグからモデルガンを取り出した。途端にそのモデルガンが黄色く光り始めた。

『適応率七十パーセント』

 アンナの銃はかつてグローケンとの戦闘で見せたときと同じ、アルヴァウェポンへと変化した。既に周りには人がいなくなっており、メインデッキには宗也とアンナだけが残されていた。

「今なら誰も来ません。アンナさんの銃なら実弾じゃなくても人を殺せるんじゃないですか?」

 宗也は以前アンナの研究所に来ていた際に、アンナのアルヴァウェポンである『エモ・インパクト』について説明を受けていた。アンナの銃、『エモ・インパクト』は実弾を撃つのではなく、エネルギー弾を銃口から発射することができる。その威力は使用者の感情によって作用される。つまりアンナが明確な殺意を込めて攻撃をすれば死に至るほどの威力を持った弾を撃つことができ、逆に加減して攻撃をすれば気絶程度に留める威力を持った弾を撃つことができる。また弾速や弾の軌道もアンナがイメージすれば変化させて撃つことができる。要はこの銃を生かすも殺すもアンナ次第、というものだった。

 よって今、この場でアンナが殺意を持って銃を撃てば宗也は死ぬ。宗也は自分の生死をアンナに預けたのだ。これが宗也の覚悟そのものだった。

「……いくら何でも命まで賭けるのはやりすぎなんじゃないか?」

「信じた味方に命を預けるくらいの覚悟がないとグローケンや諏訪には勝てないでしょう?」

 宗也は不敵ににやりと笑った。アンナはゆっくりと宗也に銃口を構えた。指は引き金に手がかかっており、いつ撃たれてもおかしくない状況になっていた。途端にピリッとした緊張感がフロアに流れる。宗也は両手を広げたまま、ピクリとも動かない。

「……少年、すまない」

 一瞬の出来事だった。「ドンッ」という発砲音がフロアに鳴り響いた。宗也は銃声とともに目をつぶった。その直後、宗也の身体をある衝撃が襲った。直後に温かい感触が宗也の身体を包んだ。

(ああ、死んだのか……)

 宗也はゆっくりと目を開けた。そこには三途の河が……あるわけではなく、目の前にはアンナの胸があった。宗也はアンナに抱きしめられており、その状態が何秒か続いた。宗也は自分が死んでいないことを確かめると、身動きをとろうとした。しかし宗也の身体はがっちりとアンナにホールドされており、身動きをとることができなかった。

「……そのまま聞いてくれ」

 宗也の頭は動かすことができず、アンナの表情をみることができなかった。仕方なく宗也は諦めてじっとしていた。

「まずは君に謝りたい。知らなかったとはいえ、君をこんな覚悟にさせるほど悩ませてしまった。力を持った時点で、君も奴らに目をつけられていたはずなのに」

 アンナは目をつぶったまま静かに、優しく語った。その声色は宗也にはときどき涙を堪えているようにも聞こえた。

「……そしてもう一つ。もうこんな無茶はしないでくれ。君が危険な目に遭うのは、何より私が悲しい」

 アンナは力強く、宗也に言い聞かせるように言った。

「……分かりました」

 宗也が答えると、アンナは抱きしめていた腕をほどいて宗也を解放した。宗也はアンナから離れて、制服の皺を直した。アンナのそばには彼女のアルヴァウェポンである、『エモ・インパクト』が床に転がっていた。おそらくアンナが宗也を抱きしめる際に思わず投げ捨ててしまったのだろう。アンナは落ちた『エモ・インパクト』を拾い、元のモデルガンに戻した。

「さて、無茶はしないとはいえ、私の側につくということは君も一緒に戦う気なんだろう?」

 アンナはいつもの明るい口調に戻って言った。

「もちろんです。諏訪を放ってはおけませんから」

「やれやれ……こんな調子じゃまた君は命知らずな行動をとりそうだな……」

「大丈夫です。今の俺にはこいつがありますから」

 宗也はにかっと笑って、そばにおいてある竹刀を拾い上げた。竹刀は宗也の想いに共鳴したように、一瞬淡い青色の光を纏った。アンナは困ったような顔をしたが、やがて諦めたように微笑んで宗也の肩を叩いた。

「アルヴァウェポンは確かに強力だが、過信することのないようにしてくれ。アルヴァコアの力は多くの人の命を奪う力がある。だけどアルヴァコア自体に罪はないんだ」

「肝に銘じておきます」

 アンナはゆっくりと頷いて、銃をしまった。宗也は身体に残ったほのかな温かい香りを感じた。

(そういえば凄い良い匂いしたなぁ、さっき……)

 宗也が抱きしめられたときの感触を思い出しながら感傷に浸っていると、あることを思い出した。

「そういえば何で抱きしめる直前に銃口構えたんですか?あれ凄くビビったんですけど」

「ああ、驚かせてしまってすまないね。実は君の身体にこれがついていたんだ」

 アンナは服のポケットから小さな丸い機械のようなものを取り出し、宗也に見せた。

「これは……?」

「発信機だよ。おそらくグローケンが作ったものだね。これが君の肩に張り付いていたから壊しておいた」

「発信機⁉俺そんなものつけられた覚えありませんよ?」

「私が君とあったときはそんなものなかった。おそらく昨日今日でつけられたものだろう。どうやら君の周りにグローケンの手の者がいるようだね」

「まさか、そんな……」

 宗也は驚愕した。昨日今日を振り返ってみても、怪しい人物と接触した覚えはなかった。だとすると宗也の知り合いか、もしくは親しい人物に付けられた可能性が高い。

「驚いたよ。奴も相当計画的に君の周りを調べているんだね。ここ最近でいつもと様子が違う人物はいなかったかい?」

「様子が違う人物か……」

 宗也は思いつく人物を一人一人頭の中で挙げてみた。だがアルヴァコアのことはアンナ以外には話していない。学校内でも特に不審な行動をしていた者はいなかった。

「もし君の周りに奴の仲間がいるなら、そう簡単には尻尾を出さないだろう。焦って探す必要はないよ」

 思い悩む宗也を見てアンナが優しく微笑んだ。彼女はバッグから手帳を取り出して何かを書き始めた。

「少年、今後の予定についてだが……」

 アンナは書き終わると手帳のページをパラパラとめくりながら、宗也に目配せをした。宗也も視線でそれに応える。

「動画の通り、奴は二十六日に神賀ドームに姿を現すだろう。話によるとその日は阿神祭の開催日だ」

「ビル爆破事件の影響で、開催することに懐疑的な住民も一部いるみたいです」

「そこは町の判断に任せよう。私たちの目的は奴の計画を阻止することだ」

「計画、というのは?」

「グローケンの目的は優秀な部下を集めて、アルヴァコアの力で自分の国を作り上げることだ。圧倒的な力を持った国を作り、世界にアルヴァコアによる征服を強いること。それが奴の目的だ。今はそのための兵士を集めているといったところだろう」

「はぁ、何だかスケールが大きすぎて実感が湧かないですね」

 宗也が口を開けながらぽかんとしていると、アンナは笑って言った。

「高校生なら分からなくても仕方ないさ。でも君もグローケンに誘われたということは、君の力を欲しているのも事実だろう」

「もう断りましたけどね」

「だからこれからが勝負だ。奴と明確に敵対する立場になった以上、どんな危険が訪れるか分からない。十分気をつけてくれ」

 アンナは阿神町の景色を見ながら、大きく背伸びをした。

「でも計画を阻止するって、具体的にどうするんですか?」

「そのための会議だ。二十三日、ここで対グローケンの特別会議を開く。よかったら君も来てくれ」

 アンナはタブレットを開いて、地図表示されているマーカーを指さした。

「はぁ、分かりました。でも今の所、俺とアンナさんしか戦える人いませんよ?」

「明日、私の古い友人がやってくる。いい奴らだから君もすぐに仲良くなるよ」

「まさかそのために東京に行ってたんですか?」

 アンナは外を見ながら、勝気な顔で答えた。

「相手が兵士を集めるなら、こちらも仲間を集めるまでさ」





 阿神町にあるとある工場跡地。諏訪俊介はソファに寝転んでいた。辺りはしんとしており、机やらテーブルやらが無造作に置かれていた。時刻は十九時。毎日この時間帯になると、工場内は電気がつき始める。連日ここに住んでいるが、住めば都という言葉はまやかしに過ぎない。念入りに掃除したとはいえオイルの匂いが染みつくこの環境は、諏訪にとっては居心地が悪かった。

 諏訪は一週間前からこの工場に住み始めている。食事は十分すぎるほどあるし、シャワー室もある。生活していくために設備や物資は揃ってる。だが夜には隙間風が吹いて寒く、雨の日にはそこらじゅうで雨漏りがする。

 できるならばちゃんとした住居に住みたいと思っていたが、グローケンがじきに海外へ出発するまでの辛抱だと言うのだから我慢するしかない。家を飛び出してきた手前、諏訪には今更後戻りする選択肢など存在しなかった。

「ここにいたんですか、諏訪君」

 諏訪の視界の端にゆっくりと黒い人影が現われた。外出していたグローケンは不敵な笑みを浮かべると、真っ直ぐに真ん中の作業台へと向かった。その様子を諏訪はソファに寝そべりながら、じっと見ていた。

「何処にいようと俺の勝手だろ」

「相変わらず口が悪いですねぇ。一週間前に峰城高校の校舎裏で偶然君を見つけたときと全く変わっていない」

「言っとくがあんたを完全に信じた訳じゃない。あんたの話が魅力的だったから仲間になった。あんたが俺の役に立たなければいつでもこのプロジェクトから手を引く。それだけだ」

「おいお前!先生に向かってその言い方はなんだ!」

 突然甲高い声が工場内に響き渡った。すると工場の奥から白衣を羽織った四人が現れた。その内の一人、先ほどの声の主である眼鏡をかけた女性が諏訪の座っているソファの前まできた。

「新入りの癖に生意気なやつだ。先生のお気に入りだからっていい気になるなよ」

 眼鏡をかけた短い銀髪の女性は、諏訪を見下ろしてじろりと睨みつけた。その目は青色で白衣の下にはモスグリーン色のファーの付いたジャンパーを着ている。

「うるせぇ奴らが来たな。これでも食ってろ」

 諏訪は群がるハエを追い払うように、ポケットから子袋を取り出して銀髪の女性の前へ投げ捨てた。

「こ、これは……!噂に聞く伝説の「母屋のどら焼き」!」

 そう言うやいなや急いでどら焼きを拾い上げ、パクパクと夢中で食べ始めた。

「このあんこの食感が堪らない!」

 その様子を見て、同じく眼鏡をかけた痩せ型の男性が溜息をついた。

「二十五にもなって高校生に餌付けされるとは情けない……」

 するとその隣に立っていた背の低い女性が目をキラキラさせながら口を開けてどら焼きを見つめていた。

「美味しそう……。クレア、いいなぁ……ミシャも食べたい」

「そうデースカ?どら焼きって食べたことないのでワーカリマセン。私、日本語も上手くアリマセンので」

「そうか?結構上手いぞ?」

 どら焼きをもしゃもしゃと食べていたクレアがクリスに向かってサムズアップした。

「そうデスカ!それはありがた迷惑ですね!」

「それは意味が少し違うような……」

 ソファで寝ている諏訪の傍らではトリアと呼ばれる女性が熱心にどら焼きを食べており、その様子を見ながら他の三人が何やら喋っていた。四人が入ってきたことで先ほどまで静かだった工場内は、一気に喧騒に包まれた。

 その光景を見ながらグローケンは持っている石をきらりと光らせながら調べ物をしていた。

「相変わらず君たちは仲がいいですねぇ」

「先生、それは?」

 痩せ型の男性は眼鏡をクイっと上げながら、グローケンに尋ねた。

「新しく開発した『ネオ・アルヴァコア』の試作品です。性能は未知数ですがね、諏訪君、よかったら持っていてくだい」

「そんなものを俺に持たせるのか?俺は『ネオ・アダプター』じゃなくて『アダプター』だぞ?」

「きっと役に立つはずです」

 グローケンはにやりと笑って諏訪に石を渡した。諏訪はしぶしぶそれを受け取ると、ポケットに石をしまった。その光景をクレアは羨ましそうに見ていた。

「先生、私にもお恵みを!」

 クレアはどら焼きを食べたばかりの手をグローケンに向けた。

「おいクレア、自分の身を弁えろ!気軽に先生に力を与えてもらおうなどと!」

 痩せ型の男性はクレアを注意したが、クレアは聞く気がない。

「サルトル、クレアは言っても聞かない子……」

 横にいる背の低い女性・ミシャは首を横に振った。クレアは後ろの三人の方へ振り向いて言った。

「ミシャ、クリス、お前らも欲しいだろ?」

「私はどら焼きの方が欲しい……」

「ソウデスネー。遥々日本まで来たのですカラ、私は観光したい気分デース」

「だめですね、これは……」

 サルトルと呼ばれる痩せ型の男性は、顔に手を当てて三人のやり取りに呆れていた。

「すみませんが、この石はあなたたち『ネオ・アダプター』には使えない代物なのです。ですが力を求めようとするその姿勢、私は嫌いじゃないですよ?」

「は!お褒め頂き、光栄です!」

 サルトルはびしっと姿勢を正して、かしこまった。どら焼きを食べ終わったクレアは、そんなサルトルを見て苦い顔をした。

「お前のそういう態度、ちょっと引くわー」

「サルトルは真面目過ぎマース」

「なっ……。クレア、ヴィーダ、お前たちが不真面目すぎるのだ!先生の偉大なるプロジェクトに関わっているのだぞ!」

 そんなグローケンはというと、サルトルの話を気にする素振りもなくアルヴァコアの研究に夢中だった。

「そうそう、茅野君のお誘いの電話をしていたのですが残念ながら昨日の夜お断りされてしまいました。彼が付けてくれた発信機も壊されてしまいましたし……」

「どっちでもいい。宗也は俺の手でぶっ潰す」

 諏訪はゆっくりとソファから起き上がると、騒いでいる四人を尻目に工場の外へ出ていこうとした。

「おや、諏訪君。何処か行くんですか?」

「こいつらの話は煩わしくて聞いてられねぇ。気晴らしに外へ出るだけだ」

 諏訪は外へ出ると辺りはすっかり暗くなっていた。この辺りは明かりがないため、夜になると一気に暗くなってしまう。工場を出て森の中をしばらく歩くと、阿神町全体を見下ろせる丘に出た。街はちらほらと明かりがつきはじめている。あと一時間もすれば綺麗な夜景が見えるだろう。あと数日でグロこのーケンたちはこの町を発つ。もちろん諏訪もこの街に別れを告げる予定だが、最後にやらなければならないことがあった。諏訪は丘の上から街の中にある茅野宗也の家を見つけた。

「宗也……。」

 諏訪は強く唇を噛みしめながらじっと宗也の家を見つめていた。






 アンナと共闘を誓ってから一夜明け、この日は日曜日ということもあり学校は休みだった。空は快晴でせっかくの休みだったのでゆっくり休みたいところだったが、宗也にとってはこの日は大事な日だった。宗也は手元にあるスマホを見てスケジュールを確認すると、急いで身支度を整えた。時刻は十一時。制服を着て家を出ると、走って学校へ向かった。

「陸上部の練習が終わるのが十二時か……」

 宗也はちらと時計を見ると、裏の路地を駆け抜けた。学校の前まで来ると、グラウンドや体育館では運動部が練習を行っていた。宗也はグラウンドの入り口まで来ると、端の方で練習している陸上部を見つけた。まもなく時刻は十二時。陸上部は練習を終えて、後片付けをしていた。

 陸上部である飯山は片づけを終えると、グラウンドの入り口で待っている宗也に気付いた。飯山は周りにいる陸上部員に別れを告げると、宗也の元まで走ってきた。

「待たせたね」

「いや、ナイスタイミングだ。俺が来てちょうど練習が終わったからな」

 飯山はタオルで汗を拭いた。練習着の上にはジャージを着て身体を冷やさないようにしている。バッグを肩に背負うと、二人は歩き出した。

「しばらく歩こうぜ」

 宗也はそういうと、校舎の裏へ歩き出したので飯山も宗也の後に続いた。

「今や陸上部の次期エースだろ?羨ましいぜ」

「よせよ。俺より凄い先輩はいるし、俺より練習している後輩もいるさ」

「お前も努力してると思うぞ?俺や岡谷に比べたら」

「ただ陸上が好きなだけだよ。嫌いだったらここまで続かないさ」

「お前は本当に正直だよな」

 宗也は笑いながら言った。そしてポツリと言った。

「正直だから……本当に気付かなかったよ」

 宗也は立ち止まり、真剣な顔で背負っている竹刀を取り出した。二人の周りには他に誰もいなく、静寂に包まれていた。

「突然どうしたんだい?」

 飯山は突然の宗也の行動に笑顔で言った。その表情には驚きと戸惑いが隠せないでいる。

「もう……仲良しごっこは終わりにしようぜ。知ってるんだろ?何もかも」

 宗也はアンナに壊された発信機を飯山の足元に投げ捨てた。その言葉と行動で飯山の表情は一変し、みるみるうちに邪悪を孕んだ笑顔に変わっていった。バッグから陸上部のバトンを取り出すと、宗也に向けた。

「ばれちゃったか……。君とはいい友達になれると思ったのにな」

「よく言うぜ」

 宗也が吐き捨てるように言うと、飯山の持っているバトンは次第に黒く輝いていった。

『適応率五十パーセント』

 飯山のバトンは色を変化させ、黒い鉄製のバトンになった。

「これが俺のネオ・アルヴァコア、『ハード・ウィル』だ」

宗也もそれに続くように、竹刀を白く光らせた。

『適応率五十パーセント』

 宗也の竹刀は光り輝き、次第に青い真剣へと変わっていった。

「……やるからには手加減しねぇぞ?」

 宗也は飯山に向かって青く光った真剣を構えた。

「望むところだよ。こうなった以上、俺たちに戦う以外に道はない」

 飯山は勢いよく宙へハード・ウィルを投げた。

「……バトンってのはな、走者の気持ちが宿ってるんだ。それがどれほどの重みがあると思う?」

 宗也の頭上に放たれたバトンは空中でみるみるうちに大きくなっていき、やがて宗也の身体以上の大きさの鉄のバトンに変化して宗也に向かって落下していった。

「……まじかよっ」

 宗也は咄嗟にそのバトンを避けた。落下したバトンは地面に激突すると、ズシンという大きな音を立てた。地面はひび割れており、大きな窪みができた。バトンは地面に落ちたと思ったら、勢いよく小さくなっていき飯山の手元に戻っていった。

「……いい能力をお持ちで」

「どうした?早く君の力を見せてくれよ」

 飯山は走って一気に宗也との距離を詰めてハード・ウィルを鉄パイプのように細長く変化させ、宗也に向かってハード・ウィルを振り下ろした。宗也はそれを青い真剣で受け止めた。アルヴァウェポン同士がぶつかり合うと、一瞬で周りに衝撃が走った。

「……いつから気づいてたんだ?俺が『ネオ・アダプター』だって」

「お前しかいないんだよ。俺に発信機をつけられたのは。金曜日、俺に触ったのってお前だけだからな」

「なるほど、だけどそれだけじゃ証拠としては不十分なんじゃないか?」

 二人のアルヴァウェポンが激しい攻防を繰り広げる中で、宗也は飯山の攻撃を受け止めながら不敵に笑った。

「金曜日の昼休み、岡谷は普通に触っていた俺の竹刀をお前は触れなかった。あのとき気付いていたんだろ?あの竹刀がアルヴァウェポンだということに」

「……まぁね。グローケンさんに言われたときは正直耳を疑ったよ。発信機をつける標的がまさか君だったなんて」

 飯山はハード・ウィルに強く力を込めた。その力に押され、宗也はひとまず距離をとった。

「なんで…お前がこの力を……?お前は皆から慕われて頼りになる人気者だったじゃないか!」

 宗也は力強く叫んだ。その声に飯山は態勢を低くして低い声で答えた。

「人気者か……。君には分からないだろうね。周りから注目され、期待され、そして疎まれる者の気持ちが」

「何⁉」

 飯山はハード・ウィルを天高く放り投げた。放り投げられた鉄製の筒はみるみるうちに大きくなっていく。それは徐々に形状を変化させていき、やがて巨大な槍となった。

「これを凌ぎきれたら教えてやるよ!」

 飯山の放った槍は宗也の頭めがけて急降下してきた。宗也は避けようとしたが、あの槍の大きさでは今から逃げても間に合わないことを悟った。槍は徐々に速度を上げて、隕石のように宗也めがけて落ちてくる。

「くそっ……」

 宗也は剣に意識を集中させて、目を閉じた。

「どうした、諦めたのか?」

『適応率七十パーセント』

 飯山の放った槍は宗也のいる場所に落ちて、大きな衝撃波が生まれた。宗也の周り一帯は、土煙が発生して何も見えなくなった。あまりの衝撃に、離れた場所にいた飯山も思わず手で顔を覆った。

「……」

「甘かったな。やはり君とは友達でいたかった」

「……何勝った気でいるんだ?」

「⁉」

 土煙の中から突如、飯山の放った槍が吹っ飛ばされてきた。吹っ飛ばされた巨大な槍は飯山の足元に突き刺さった。飯山はその槍を元の大きさに戻すと、土煙の中をじっと見つめた。徐々に土煙が薄まっていき、中から一人の影が現れた。

「それで勝ったつもりか?」

 宗也はにやりと笑った。宗也の剣はかつての諏訪との戦いで見せたような強いオーラを放っており、強く青く光り輝いていた。それに呼応するかのように、飯山のアルヴァウェポン、ハード・ウィルも強く光った。

「……なるほど、分かったよ。第二ラウンド開始だ」

『適応率七十パーセント』

 飯山のハード・ウィルは宗也の真剣に負けないほどの、強い光を放った。飯山はハード・ウィルを長い槍の形に変化させた。と同時に、宗也めがけて槍を振り下ろした。飯山と宗也の間の距離は離れており、飯山の槍の長さでは届かないかに思われた。しかし振り下ろされた槍はぐんぐんと伸びていき、離れた場所にいる宗也まで届きうる長さにまでなった。

「……まじかよ」

 宗也は咄嗟の判断でその槍を受け止めたが、パワーアップしたハードウィルの威力に耐え切れずに後方へ吹っ飛ばされてしまった。宗也は後ろの壁へ叩きつけられて、そのまま倒れた。宗也は背中に強い衝撃を受けた。

「くっそ、つええな……」

「これがアルヴァコアの戦いだ。君ももう思い知っただろう?アルヴァコアに関わると命の保証はない。一介の高校生が安易に関わっていい問題じゃないんだ」

 飯山は倒れている宗也に向かって槍になったハード・ウィルをつきつけた。宗也は飯山の目に強い覚悟を感じた。

「……なるほどな。じゃあお前は何なんだ?お前も普通の高校生だろ?」

 宗也の言葉に飯山は表情がこわばり、小さく歯噛みした。

「……俺は普通の高校生じゃない。俺は常に期待され、注目されてきた。君と出会う前からずっとね」

「飯山……」

 飯山は宗也の戸惑いの反応を意に介さず、続けた。

「期待や注目なんていつだって身勝手の極みだ。周りの人々は本人の気持ちなど考えずに期待する。……そして勝手に失望していくのさ。俺はそんな苦痛を何度も味わった」

 宗也は飯山の言葉を静かに聞いていた。飯山はハード・ウィルを強く握りしめた。

「俺は逃げ出したかった。時には吐くこともあった。そんなときにグローケンさんに会ったんだ」

 飯山は先ほどまで暗い表情をしていたが、グローケンの話題になると次第に明るくなっていった。

「グローケンさんは俺に言ったんだ。『君の悩みなんて私の野望に比べたら些細なことだ』ってね。初めてだよ。そんなこと言われたのは」

「……だからアルヴァコアの力を……?」

「そうだよ。この力はグローケンさんに貰ったものだ。この力を持ってから不思議と悩むことが無くなったんだ。自分だけが特別だと思えなくなった。心がすっきりしたよ」

 宗也はだんだんと狂気を帯びていく飯山の話し方に思わず顔をしかめた。

「こんなのに頼ったって何も変わらないぞ?お前の悩みは消えたことにならない」

 宗也の静かなる反論に飯山は清々しい笑顔で答えた。

「消えるさ、この場を見てみなよ。まさしく“非日常”だ。今、この場において俺は特別な存在じゃない。もちろん君もね。アルヴァコアの戦いには誰一人特別な人間などいない。何故なら全員が“特別”だからだ。だからこそ俺も自分らしく振舞える」

 飯山はハード・ウィルを掌の上でくるくると回した。

「……なるほど、お前の言い分は分かった。だがお前は奴が何者か知っているのか?奴は世界を混乱に陥れようとしているんだぞ?」

「それはそちら側の意見だろう?俺からしたら君たちの方が危険分子だと思うけどね」

 そこまで言われて、宗也ははっとした。飯山とグローケンの関係は、宗也とアンナの関係によく似ている。先日まで宗也自身もどちらの側につこうか悩んでいた。これが飯山の選択なのだ。立場が違えばものの見方も変わる。善悪の区別なんてものは所詮、個人の主観でしかない。飯山にとってはグローケンこそが正義であり、それに敵対するアンナが悪なのだ。ならば今の自分にできることは何か?宗也は既に知っていた。

「……わかったよ。決着をつけるしかなさそうだな」

「……そうこなくちゃ」

 宗也はゆっくりと立ち上がり、真剣を構えた。剣先は青いオーラを纏っている。飯山はにやりと笑って、ハード・ウィルを構えて戦闘モードに入った。ハード・ウィルは先端を槍のように尖らせて徐々に黒いオーラを放ち、飯山の身体を包み込んでいった。

 二人はじりじりと間合いを取りながら、お互いの出方を伺った。あたりはしんと静まり返り、その状態が約十秒ほど続いた。

先に動いたのは宗也だった。宗也は力いっぱい飯山に向かって、剣を振るった。青い斬撃が剣から生まれ、地を這いながら飯山に飛んでいった。飯山は渾身の力でそれをはじき返すと、即座に宗也の方を見た。しかしそこに宗也の姿は見当たらない。

「どこだ?」

 飯山は思わず辺りを見渡して宗也を探した。しかし周りは戦いの影響で土煙が舞っており探しづらい。

「でりゃああッッ」

 その瞬間、飯山の背後から宗也が現れて剣の柄で飯山の背中を突いた。

「……がっ」

 飯山は低いうめき声をあげて、吹っ飛ばされた。そのまま地面に倒されそうになったが、間一髪のところで体勢を整えて着地に成功した。

「なっ……めるなぁ‼」

 飯山は咆哮し、ハード・ウィルに力を込めた。すると周りから黒いエネルギーがハード・ウィルに集中していき、どんどん大きくなっていった。

「これが俺の最大の攻撃だ。君の信念が俺の覚悟を上回るというのなら、力で示して見せろ」

飯山は走り出し長くなったハード・ウィルを地面に突き立てて、自身は棒高跳びの要領で空高く宙に飛びあがった。その勢いのまま突き立てたハードウィルを小さくして素早く手元に収め、それを力いっぱい宗也に投げつけた。投げられたハード・ウィルは勢いを増しながらどんどん大きくなって宗也に向かっていく。

「……これが『ネオ・アダプター』の力か。望むところだ」

 宗也は昨日、阿神タワーでアンナに言われたことを思い出した。

「アルヴァコアは人の思いの力に共鳴する。要は思いの強さがそのままアダプターの力になるんだ。それは『ネオ・アルヴァコア』にも同じことが言える。くれぐれも自分を見失わないことだ」

 今思えば、先ほどまでの宗也には迷いがあったのかもしれない。かつての友であった飯山との戦いは最初から宗也も覚悟していたつもりではあったが、まだ自分はアルヴァコアの戦いというものを軽く見ていたのかもしれない、と宗也は思った。

 だが今の宗也は違った。先ほどよりも心がすっきりして、迷いがないのが自分でも分かった。その証拠に宗也の剣には今まで見たこともないような眩い光が集まっている。今の宗也は負ける気がしなかった。

 宗也は剣を思いっきり振って、向かってくる槍を斬った。槍は一刀両断され、二つの残骸が宗也の両脇に転がった。

「……見事!」

 宙に舞っていた飯山は諦めたのか、笑顔で脱力して地面に落下した。凄い衝撃音とともに飯山は地面に倒れこんだ。宗也は真剣を倒れこんでいる飯山に向かって突きつけた。

「……終わりだ、飯山」

「はは……、もう力が戻ってないや」

 飯山はいつもの優しい顔に戻っていた。宗也は一切表情を変えずに剣を突き付けていた。

「……実はグローケンさんに言われていたんだ。『君では茅野君には勝てないだろうから正体がばれそうになったらすぐに逃げて下さい』ってね。でも俺はできなかった。どうしても君と戦ってみたかったんだ。だから今日の君の誘いに応じた」

 宗也は黙って飯山の話を聞いていた。飯山のハードウィルは真っ二つにされたことで、元のバトンに戻って地面に転がっていた。

「……どうした、とどめを刺さないのかい?君を殺そうとしたんだ。殺される覚悟くらいはできてるよ」

「……俺はお前を殺すために戦ったわけじゃない。何より友達だったお前を殺せるわけねぇだろうが……!」

 宗也は剣を下ろし歯を食いしばって、悔しそうな表情をした。真剣は元の竹刀に戻り、それを見て飯山は何かを察したような表情をした。

「幸い、アダプターやネオアダプター同士で発生した死人は跡形もなく消える。またそれに関わる人の頭からも死んだ人の記憶は全て消えるんだ。まぁそんなことは今の君には関係ないか……」

 飯山はゆっくりと起き上がり、バトンになって転がっていたハード・ウィルを拾ってしまった。

「さて、負けた以上君の言うことに従うよ。もちろんグローケンさんとも縁を切る。君がもう僕に会いたくないと望むのならどこか別の学校にでも引っ越すよ。そろそろこの学校にも飽きてきたしね」

「……そんなこと望まねぇよ。お前はこれまで通り俺の友達でいてくれ。だがグローケンとは手を切ってくれ。それが俺の要求だ」

「……分かったよ。君の言う通りにする」

「ああ、でも当分の間はグローケンと連絡を取り合っていてくれ。向こうがお前を信じているうちはまだ奴らから情報を引き出すチャンスがある」

「君、案外策士だね。」

 飯山は軽く笑った後、サムズアップした。そこまで聞くと、宗也は後ろを向いて頭を掻きながら言った。

「あと、その……。これからは辛くなったら周りの人を頼れよ。俺や岡谷でもいい。お前の期待は半分俺が背負ってやるから」

 飯山は宗也の言葉に思わずぷっと吹き出した。その反応に、宗也はばつが悪くなったのか、目をそらした。

「いや、無理でしょ」

「うるせぇな。そう思っている人が周りにもいるってことだよ」

 宗也は落ちていた二つのバッグを拾い、1つは方にかけてもう一つを飯山に渡した。

「まぁ心意気だけは伝わったよ。サンキューな、宗也」

 飯山は爽やかに笑って、そのバッグを受け取った。





 宗也が駅前で飯山と別れると既に時計は十六時を回っていた。阿神駅の屋根は太陽の陽の光を背に浴びて、赤く輝いていた。

「まだこんな時間か……」

家に帰る前に喫茶店に寄ることにした宗也は昨日アンナと待ち合わせをした喫茶店に入った。休日ということもあり、店内は多くの人がいた。

辛うじて一席分の空きを見つけた宗也はほっとして、空いている奥の席に座った。座ってからほどなくコーヒーを注文した宗也は、ふぅと一息ついた。ここ最近それなりに忙しい日々を送ってきた宗也だったが、この日は飯山との戦闘もあり一段と疲労が溜まっていた。しかもその日が本来休日である日曜日だということも、宗也の疲労に拍車をかけた。明日からはまた月曜日が始まる。その事実が宗也を一段と憂鬱にした。

「茅野君……?」

 その声に宗也は驚いて横を向いた。見ると隣の席に座っていた明科が目を丸くしてこちらを見ていた。その向かい側には見知らぬ女子が座っており、同じくこちらを見ていた。二人は私服でおしゃれなコーヒーを飲んでいた。

「や、やぁ明科。奇遇だな、こんなところで」

 宗也は驚きのあまり、しどろもどろになりながら笑顔で言った。そんな中、店員の人が注文したコーヒーを運んできてくれた。宗也が軽く会釈すると、明科の向かい側に座っていた女子が前のめりになって明科に耳打ちした。

「この人が噂の茅野先輩ですか?」

「ち、ちが……。そんなんじゃないってば」

 向かい側の女子はにやにやとしながら、明科に耳打ちしていた。宗也は二人が何の話をしているのか聞き取れなかったが、明科が何やら慌てているのが分かった。

「茅野君、この娘今年入部してきた同じ剣道部の安野さん」

 明科は気を取り直しながら宗也に向かい側の女子を紹介した。言われてみれば、宗也も前に少しだけ彼女を見かけたことがあった。最近よく明科を訪ねて二年の教室に来た一年の女子がいたことを思い出した。

「そうか、ようやく後輩ができたんだな」

 これで明科の負担が軽くなる……と宗也がしみじみと感慨にふけっていると、嬉しそうに明科は答えた。

「そうなんだよー。しかもこの安野ちゃん、働き者だからすっごい助かってる!」

「いえ、私はそんな大したことは……」

 明科に褒められて、安野は思わず両手を顔の前で振って否定した。その仕草はいかにも最近の女子高生のようで宗也にとっても微笑ましかった。すると安野はスマホを取り出して何か気付いたように小さく声を出すと、急いで荷物をバッグにしまった。

「すみません、明科先輩。この後休養ができちゃって、私は先に帰りますからあとは茅野先輩とゆっくりしていってください!」

「え?この後、ご飯行くんじゃ……」

「すみません、また次回お願いします!」

 戸惑っている明科をよそに安野は笑顔で軽く敬礼ポーズをとると、レシートを持ってレジへ行こうとした。

「あ、いいよ私が払うから」

「そうですか?ありがとうございます、こちそうさまです」

 安野は深々とお辞儀をすると、宗也にも小さく会釈していそいそと店を出た。取り残された宗也と明科はしばらくの間、呆然としていた。宗也がふと窓の外を見ると、店を出た安野が一仕事終えたような清々しい顔でこちらにピースをしていた。

「あの娘、最初から奢られる気だったのね……。ちゃっかりしてるよ、別にいいけど」

「まぁそれぐらい後輩らしくしてもらった方が可愛げがあっていいんじゃないか?」

 宗也が安野をフォローするように言うと、明科は思わず宗也の方に身を乗り出した。

「え、茅野君はああいう娘が好きなの?」

「いや、そういうわけじゃなけど……。ていうかさっきから明科変だぞ?」

「あ、そうなんだ……。ごめん。取り乱しちゃって」

 明科は落ち着きを取り戻すと、二人の間にはしばらく沈黙が流れた。宗也自身も予期せぬ明科との遭遇に、何を話していいか分からなかった。

「あの……、よかったらこっちの席に来ない?」

「へ?」

「いやほら、安野ちゃん帰っちゃったし……。お客さん多いからなるべく詰めて座った方がいいでしょ?」

「ああ、そうだな……」

 店内は相変わらず多くの人で賑わっていた。確かに二人で無駄なスペースを貸し切って座っているよりは、詰めて座った方がいいかもしれない。宗也は荷物を持って、先ほどまで安野が座っていた席に座った。椅子はまだ人が座っていた温もりが残っていた。

「ところで何で今日茅野君は制服なの?」

「実はさっきまで学校に行っててさ」

「へぇ、勉強でもしてたの?」

「まぁそんなところ」

 さすがに飯山とアルヴァコアを用いた死闘を繰り広げていたとは言えなかったので、宗也はひとまず無難な回答で済ませた。しかしそこには思わぬ誤算があった。

「それにしてはなんかあちこち汚れてない?」

「そ、それは……」

 宗也は初めて気づいた。宗也の制服は飯山との戦いで、あちこちが汚れていたことに。さすがに勉強してたと言った手前、制服が汚れているのは不自然だろうと思った宗也は必死に言い訳を考えた。

「ほら、勉強の息抜きにちょっと運動してたら夢中になっちゃって……。明科もよくあるだろ?」

「えぇ……。あんまり聞いたことないけど。茅野君って案外やんちゃなんだね」

 もうちょっとましな言い訳にするべきだったか……と宗也は若干後悔したが、明科が笑っていたのでひとまず胸を撫でおろした。

「そういえば諏訪君、何してるかなぁ……」

 明科は依然として諏訪の所在を知らない。今までは宗也は極力アルヴァコアの戦いのことは一般人には秘密にしてきた。それはアルヴァコアの力を世間に知られたくないのと、無関係の人間を巻き込むまいというアンナの教えであり宗也もそれには同意していた。しかし明科にだけは教えてもいいんじゃないか、と最近の宗也は思っていた。それほど明科は信用に足る人物だと宗也は思っていた。しかしそれを宗也の一存で決めるのは少し気が引けた。

「明科、ちょっと待っていてくれ」

 宗也は明科に一言断って席を外すと、いったん店を出てアンナに電話をかけた。宗也が電話をかけるとワンコール目でアンナが出た。

「やぁ少年。どうしたんだい?」

「実はアルヴァコアのことでお話が……」

 そこまで言いかけると、電話をしている宗也の視線の先には見覚えのある金髪が見えた。その姿はどんどんこちらに近づいてくる。

「いいよ。電話で話すかい?それとも一回何処かで会って……あ」

 アンナは電話をしながら歩いていると、正面の喫茶店の前にいる宗也に気付いた。視線の先では宗也が電話をしながらこちらを見て薄ら笑いを浮かべている。

「はは……どうも」

「……どうやら電話で話す必要はなさそうだね」

 今日は素敵な出会いがたくさんあるなぁ……と宗也は薄ら笑いを浮かべながら心にもないことを呟いた。





 一体どれほどの時間が過ぎたのだろうか。宗也は以前にもアンナとこの喫茶店に来たことがあったが、そのときは誰もがアンナに注目していたため宗也は話に集中できなかった。今はそのときと同じような注目を周りから集めているが、以前とは違うのは同じ席に明科瑞穂という女の子がいるということだった。

 宗也は肩身の狭い思いをしながら何とか話題を探そうと四苦八苦していた。何しろ彼にとっても、年上の女性と同級生の女子と一緒にお茶をするのは初めての経験だった。宗也の隣の席に座っているアンナはというと、美味しそうにカプチーノを飲んでいる。向かい側の明科は、慣れない年上の女性が来て緊張したのか度々下を見ていた。

「……えーと、さっきも言ったけどこちらこの前知り合ったアンナさん」

 宗也は隣にいるアンナを紹介した。アンナは宗也に紹介されるとにこっと笑い、明科の方に掌を向けてひらひらと横に振った。

「それはさっき聞いたよ……茅野君」

「あれ、そうだっけ?」

 明科は呆れたように溜息をついた。どうやら宗也は会話の糸口を探っているうちに自分がどこまで話したのか忘れてしまったらしい。するとその様子を見ていたアンナは明科に話しかけた。

「君は明科瑞穂ちゃんだったね。こんな可愛い娘と一緒にお茶してたなんて、やるな~少年」

「からかうのはやめて下さいよ、偶然会っただけなんですから」

 アンナはからかい口調で、肘で宗也を軽く小突いた。その様子を見ていた明科はどうしていいか分からず、あわあわとしていた。

「……で、実際の所はどうなんだい、君たちは付き合っているのかい?」

「ち、違いますよ!ただの同級生ですよ。なぁ明科?」

「へ?ああ、そうですまだ同級生です!」

「まだ?」

「まだ……」

 宗也は明科の発言に引っかかったが、アンナは何かを察したように納得し、頷いていた。

「なるほどね……。少年は大変だなぁ、大変だぞ!」

 アンナは笑いながら宗也の背中をばしばしと叩いた。

「ちょっと何言ってるか分からないです……。ていうか痛いです」

 宗也はアンナが何を言っているのか分からずに、背中をさすった。明科はアンナの反応に戸惑っていたが、次第に落ち着きを取り戻した。

「でも、茅野君はこう見えて本当に友達想いなんです。見てないようでしっかり見てるっていうか、凄い頼りになるんです。剣道部の頃は私もよく助けられてました」

「へぇ、少年は剣道部だったのか」

「俺だけじゃなくて諏訪もです」

 宗也の言葉にアンナは小さく驚いたような表情をした。その後合点がいったような反応をした。

「そうか……。諏訪という少年が何故君に執着していたのか、何となく説明がついたよ。君たちの間には浅からぬ因縁があるんだね」

「え、諏訪君のこと知ってるんですか?」

「あ、しまった」

 アンナは自分の失言に気付き、頭を抱えた。その様子を見ていた宗也はアンナに優しく笑いかけた。

「いいんですよ。元々明科に全部話すつもりでアンナさんに電話したんですから」

「そうか。君が全部打ち明けるつもりなら、私としては異論はないよ。それにしても少年がそう決めたってことは、君はよほど信頼されてるんだね」

「え?そ、そんなことないですよ~」

 明科は会話の内容がいまいち分からなかったが、何となく褒められている気がして嬉しそうに謙遜した。

「じゃあ何から話そうか……」

 宗也は明科に、アンナとの出会いからアルヴァコアの戦いに至るまでの全てを話した。全て、という言葉は語弊があるかもしれない。宗也は友達の飯山が『ネオ・アダプター』だったこと、そして彼と戦ったことはアンナにも明科にも言わなかった。それは飯山が裏切ったことをグローケンに悟られないため、というのもあるが、それとは別に宗也の考える狙いのためでもあった。

 一通り話を聞いた明科は終始唖然とした表情をしていた。あまりにも現実とはかけ離れた内容だっただけに、びっくりするのも無理もないかもしれない。

「なんか、まだ信じられないというか……、実感が湧かないです。この街でそんな戦いが起きてるなんて」

「私たちの戦いに君たちの街を巻き込んでしまって本当に申し訳ない。でもここにいる少年はもちろん、私も全力でこの街を奴らから守っていくつもりだよ」

 アンナは真剣な表情で明科を見つめた。

「そんな……、アンナさんのせいじゃないですよ。でも凄く心強いです。本当は凄く心配していたんです。阿神駅近くでビル爆破事件が起こって、その直後に不審な動画が出回って……。こんな状態で二十六日の阿神祭が開催できるのかなって。その日は私たちにとっても大事な日だから」

「阿神祭の日は剣道部も参加する予定なんです」

 宗也は明科の話に付け加えて言った。

「そうか……。阿神祭はこの街にとって大事なものなんだね」

「そうなんです。だから、もし私にも手伝えることがあるなら何でも言ってください。茅野君みたいに特殊な能力があるわけじゃないけど、それでもあのときみたいに何もできないのは嫌なんです」

 「あのとき」という言葉が何を指すのかは宗也にも分かった。宗也が諏訪と仲違いし、剣道部を去ることに一番胸を痛めていたのは、マネージャーである明科だった。そのときの無力感を痛感していたからこそ彼女はその日以来、一層マネージャーとして精力的に活動するようになった。

「……分かった。何かあったら君にも頼らせてもらうよ」

 アンナは過去の宗也と諏訪の間に何があったかは知らなかったが、それでも明科の目には並々ならぬ覚悟が宿っていたことに気付いた。

「どうですか、明科は信用に足る人物でしょう?」

 宗也は自慢気にアンナに向かって言った。その態度にアンナは少しむっとしたが、すぐに息を吐いて笑った。

「……そうだな。君にはもったいないくらいだよ」

「え?どういう意味ですか、それ」

「なんでもないよ。ほら、もうこんな時間だ。そろそろ帰るとしようか」

「あ、ほんとだ。もうこんな時間」

 アンナの言葉の意味がよく分からない宗也をよそに、アンナと明科はいそいそと帰り支度を始めた。宗也が席を離れる頃には、もう二人とも会計を済ませて店の出口で宗也を待っていた。

「ほら、何してるんだ。早く来たまえ」

「まったく、今日のアンナさんは何か変だったな」

 宗也はそう呟いて、ゆっくりと出口へ向かった。時刻は午後六時。太陽も西に沈み始め、駅の向こうでは美しい夕陽が町全体を赤く照らしていた。





 

 

 四月の二十三日。この日は夕方に対グローケンの特別会議が行われる予定である。先日のビル爆破事件の影響で、アンナの研究所が燃えてしまったという経緯もあり場所はとある駅近くのビルの一室で行われることになった。宗也は学校が終わると、その足で会議場所であるビルへ向かった。

「ここか……」

 宗也は事前にアンナから送られてきた住所を頼りに、目的のビルまで辿り着いた。時刻は十五時五十分。何とか集合時刻十分前には着くことができた。

アンナの情報だと、会議の参加予定者はアンナと宗也含めて五人。アンナと宗也の他には阿神祭実行委員会の実行委員長である砂川誠一、アンナの友達が二人来る予定になっている。随分少人数での会議になるが、砂川を例外としてアルヴァコアの力を知るごく限られた人を集めたらしい。

宗也はビルのロビーを抜けて、エレベーターで四階に向かった。エレベーターに乗ると、宗也は変な緊張感を感じ始めた。会議では多くの大人が集まることが予想される。そんな厳粛な場に、アルヴァコアの力を持つ『アダプター』であるとはいえ一介の高校生が参加していいのだろうかという不安に駆られた。しかしその不安は杞憂に終わることになる。

宗也が目的の四階まで着くと、辺りはしんとしておりエレベーターを出てすぐ正面にある扉の向こうから人の声が聞こえた。おそらく会議場所はこの扉の向こうだろう。

宗也は緊張しながらも、慎重に扉をノックした。しばらくして扉が開き、アンナが出てきた。彼女はいつもの私服ではなく、黒いスーツを着ておりフォーマルな雰囲気を漂わせている。

「やぁ少年、よく来たね。どうぞ入ってくれ」

「すみません、もう始まってますか?」

 宗也が少し申し訳なさそうにいうと、アンナは部屋の中を見ながら笑って言った。

「いや、大丈夫だよ。ちょっと砂川委員長ともめててね。気にしないでくれ」

 そして彼女は宗也の後ろに向かって優しく微笑んで言った。

「明科君もよく来てくれたね。少しでも人手が増えるのは心強いよ」

 すると宗也の後ろからひょこっと小さな人影が姿を見せた。明科瑞穂は宗也以上に緊張していた。

「は、はい!足手まといになると思いますけど、頑張ります!」

 明科をこの会議に誘ったのはアンナだった。明科も阿神祭に参加する以上、少しでも情報交換をしておきたいというのがアンナの考えだった。また必要であれば彼女も作戦の一部に組み込むという算段もあった。ただ明科は絶対にグローケン達との戦いに巻き込まないようにする、という条件付きだったが。

 宗也たちがアンナに続いて部屋の中に入ると、阿神祭の実行委員長である砂川が椅子に座っていた。アンナは砂川の対面に置いてあった椅子に座った。その様子は少なくとも穏やか、とは言い難かった。

「こちとら三十年もの間阿神祭の実行委員長を続けていますので、嵐が来ようが天地がひっくり返ろうが祭は開催する予定です。だからそこらの変な動画なんぞで中止するわけにはいかんのですよ」

 砂川は、歴史ある阿神祭の実行委員会において実に三十年以上実行委員長を務めてきた大ベテランだった。そのため人望も厚く、阿神町でも非常に権力のある人物だった。阿神町が全国で有名になったのは阿神祭の影響が大きいため、砂川は歴代の町長も砂川には頭が上がらないほど有名な人物だった。

「ですから私どもも安全に阿神祭が開催できるように尽力するつもりですので是非ご協力をと……」

 砂川の対面ではアンナが苛立ちを見せながらも、何とか砂川を説き伏せようと主張を続けていた。

「心配ご無用。我々の町は我々で守りますので。あなた方は黙ってお祭りを楽しんでください」

 砂川は余裕の笑みを見せ、席を立ち出口の方へと向かった。砂川が出口へ向かってきたので出口を塞いで立っていた宗也と明科は急いで横にそれた。

「お待ちください!お話はまだ……」

 アンナは席を立ち、砂川に向かって叫んだ。

「生憎、私どもは阿神祭の準備がありますので。あなた方の話に時間をとられている場合ではないのですよ」

 砂川はそう言うと宗也達を横目に、部屋を出ていった。赤髪の女性は溜息をつくと、力が抜けたようにそのまま席に座った。

「アンナ、ダメね。まるで聞く耳を持ってくれない」

「仕方ないよ。我々だけで独自に動くしかない」

 アンナは赤髪の女性の肩に手をやった。すると扉が勢いよく開き、ガタイのいい角刈りの大男が入ってきた。その大きさに近くにいた宗也と明科は思わずぎょっとした。

「おいアンナぁ、日本のトイレってのぁ小せぇんだなぁ。俺の日本の便座は俺のケツを収めるにはちと物足りねぇ大きさだったぜ!」

 大柄の男は部屋に入ってくるなり大声で笑った。その声は近くにいた宗也達の耳をびりびりと振動させるほどの大きさで、会議室に響き渡った。

「ちょっとディーニー、女の子もいるんだからそんな大きな声で下品なこと言わないでよ!

「おお、そうか。失敬失敬」

 赤髪の女性に注意されると、ディーニーと呼ばれる大柄の男は笑いながら頭を掻いた。ディーニーは近くにいた明科に気付くと、は深々とお辞儀をした。

「こんなキュートなジャパニーズレディーがいるとは。私、ディーニー・マクトミネイと申します。以後お見知りおきを」

「あ、ど、どうも……。明科瑞穂です」

 明科はディーニーに続いて丁寧にお辞儀をした。ディーニーはその後宗也に目をやると、にこっと笑って右手を差し出した。黒いタンクトップから露出している彼の右腕は筋骨隆々としており、まさに歴戦の猛者を思わせるような雰囲気を醸し出している。

「アンナから話は聞いているよ。彼女を助けてくれてありがとな。頼りにしてるぜ、ゴールデンルーキー」

「……こちらこそ。力になれるように頑張ります」

 宗也はごつごつとしたディーニーの手をしっかりと握った。見かけによらず彼の握手は強くなく、宗也の握力に合わせて手を握ってくれた。

「君達がアンナのお友達ね。私はサンディ・ワーストランド。こちらはディーニー・マクトミネイ。ちょっとガサツだけど根は優しいから」

「本当はもう少し人を呼んでたんだがね……」

「仕方ないわ。急のことで皆忙しくて私達しかスケジュールが空いてなかったんだもの」

「お二人も『アダプター』なんですか?」

 宗也は失礼と思いつつも恐る恐る聞いてみた。

「少し違うわ。あなたやアンナのような『アダプター』になれるのは、世界中でもごく限られた人間だけなの。だからグローケンも君をスカウトしたってわけ」

「だからこの町から二人も『アダプター』が出るのは、非常に奇跡的なことなんだ」

 アンナは椅子に座り、宗也達にも席につくように促した。それに続いて宗也達も手近にある空いている椅子に座る。

「でも二人のうちの一人はグローケンの側についたのよね……非常に残念だわ」

「それについてはこちらも対策を考えた。少年も色々思うところがあるらしいからね」

 そう言うとアンナは宗也の方をちらと見た。

「まぁともあれ全員揃ったことだし、始めましょ」

 そう言うと、サンディは椅子に座りパソコンをカタカタと打ち始めた。アンナはホワイトボードの前に立ち、ペンをとった。

「さて、まずは皆今日は集まってくれてありがとう。少人数とはいえ、短期間でこれほどの人数が集まってくれたのは素直に助かる」

「気にするな!困ったときはお互い様だろう?」

 ディーニーは腕を組みながら、自慢げに言った。

「まずは少年達に紹介しよう。こちら、アメリカから来た私の友人だ。アメリカのとある研究所に所属している筋金入りの研究者だ」

「そんな、凄い人達が来てくれたなんて……」

「生憎、私とディーニーは君やアンナのような『アダプター』ではないけどね」

 宗也に憧れのような眼差しを向けられたサンディは宗也に申し訳なさそうに微笑んだ。

「じゃあ『ネオ・アダプター』なんですか?」

「残念ながらそれでもない。本来『ネオ・アダプター』というのはグローケンが独自に開発した技術だからね。今の私たちには実現不可能だ」

 サンディはその言葉を聞いた宗也の不安そうな顔を見て、茶化すように笑った。

「そんな顔しなくても大丈夫よ。アルヴァコアには他にも使い道があるんだから」

 そう言うとサンディは、手元に置いてあるバッグから大きなタブレットを取り出した。サンディはしばらく画面をタップして操作すると、ある画面を宗也達に見せた。そこにはいかにもハイパーテクノロジーで作られたような銃が映っており、画面下部には難しそうな言語で説明書きらしきものが綴られている。

「これが我が軍で開発した対『ネオ・アダプター』用武器、『ショックウェイブ』よ」

「なんか凄そうですね……」

「アメリカにアルヴァコアの力を秘密裏に研究している施設があってね。サンディはそこの所長を務めている。そこで作られた実践兵器がこれってわけだ」

 アンナはサンディのタブレットに映っている銃を指さして言った。

「もちろんこれも極秘事項だから他言無用で頼むわね。まぁだからこそ君達に話したってのもあるけど」

「どういうことですか?」

「ただの高校生であるあなた達のいうことなんて普通の大人は信じないでしょ?それに私達も宗也君が『アダプター』だということを知っている」

「ま、まさか……」

 宗也の額に汗がひやりと流れた。その様子を見てサンディは脅すように怖い顔をしながら、にやりと笑った。

「私があなたをアメリカやロシアの軍に売ることもできるのよ~?」

「こらサンディ、あんまり少年を脅かすんじゃない」

 アンナはサンディに窘めるようにして言った。そして宗也に向かって優しく微笑んだ。

「サンディの言うようなことはしないよ。私が保証する。だから安心してくれ」

「脅かさないでくださいよ……」

 あんまりこの人の前で下手なことは言わないようにしよう……と、宗也はサンディを見て思った。サンデイはバッグにタブレットをしまった。

「ごめんね、茅野宗也君。でもそれだけ大事な情報なの。だからアメリカでも私達の研究所しか知らないわ」

「俺は難しいことはよく分らんからなぁ。俺のやることはただ目の前の巨悪を打ち倒すだけだ」

 ディーニーはガハハと笑いながら言った。それを聞いた明科はきょとんとした。それを見たアンナは不思議そうに彼女を見つめた。

「どうかしたかい、明科ちゃん」

「いえ、ディーニーさんも研究者なんですよね……?」

「ん?そうだぞ。立場上はな」

 それを聞いたサンディは明科の言わんとすることが分かったのか、納得したような表情をした。

「この男が研究者には見えないでしょう?確かに言動とか馬鹿っぽいし知性のかけらもないわよね」 

「いえ、そんなそこまでは……」

 明科は否定するように、両手を顔の前でぶんぶんと横に振った。

「一応研究者ということになっているけど、彼の仕事は研究じゃなくて私のSPよ」

「SP?」

「今のご時世、何かと物騒だしね。彼は私の古い友人なの。わざわざ用心棒を雇うにもお金がかかるし、彼ならちょうどいいかと思って」

「なるほど……。ディーニーさんは一応研究者として日本に来た、ということになっているんですね」

「SPとして連れてると大事な情報を持っているんじゃないか、と思われますもんね。護衛なしなら守る必要がない情報しか持っていない、とみなされると」

「そういうことね。君、ディーニーより頭がいいわね」

 サンディは宗也の頭を優しく撫でた。その行為に宗也は何となくむず痒くなってしまう。

「そりゃどうも……」

「さすがアンナの選んだ高校生は一味違うな!」

 自分がけなされていることにも気づかず、ディーニーは笑いながら宗也を称えた。

「話が少しずれてしまったが、本題に戻そうか」

 アンナは一通り皆の会話が終わった頃を見計らい、話を切り出した。その瞬間にその場にいる全員がピリッとした緊張感に包まれた。アンナはホワイトボードにあるペンを執った。

「まずはどのようにしてグローケンと戦うかだ。方法は三つある。一つは奴らの本拠地に奇襲をかける。二つ目はこちらから奴らを誘い出してこちらの本拠地で迎え撃つ。そして三つ目はどちらの本拠地でもない、他の場所で戦う方法だ」

 アンナはキュッキュッとペンを走らせて、ホワイトボードに三つの案を書いた。アンナ以外の全員はアンナの書いたホワイトボードに注目した。

「現状グローケンの居場所は判明していない。この街のどこかに潜伏していることは確かだがね」

「では奴らの本拠地に奇襲をかけるという作戦は使えないわね」

「そういうことだ」

 アンナは一つ目に書いた案にバツをつけた。

「そして二つ目の案だが、生憎私たちには本拠地と呼べるものはない。先日の爆破事件で私の研究所は燃えてしまったしね。従ってこの案も駄目だ」

 アンナは続いて二つ目の案にもバツをつけた。

「ということは……」

「そう、私たちにはこの案しか残されていないんだ」

 アンナは一番下に書いた案に何重にもマルをつけた。宗谷たちは納得したような表情をしたが、サンディとディーニーは首を傾げた。

「ねぇ、アンナ。その方法しかないのは分かったけど、予めグローケンがいつどこにいるか分からなければその方法は使えないんじゃない?」

「その通り。だが私たちは奴らが現れる場所と時間を一つだけ知っている。そうだろう?少年」

 アンナに視線を向けられた宗也は首肯した。

「二十六日に行われる阿神祭ですね」

「で、でもあの動画が広まったからって本当に奴らがそこに現れるとは限らないんじゃ……」

 サンディとディーニーはアンナに事前に教えられていたため、例の動画のことも当然知っていた。

「痛いところを突かれたね……個人的にもそれが一番のネックなんだ」

「あの……奴らは来ますよ。百パーセント保証はできないですけど」

 その言葉でその場の全員は一斉に宗也に注目した。それにも動じず、宗也は会議室に飾ってある時計を見た。

「何か確証があるのかい?」

「直に説明しますよ。そろそろ来るかな」

 その直後、会議室のドアをノックする音が聞こえた。アンナが応対しようと席を立ちかけたが、宗也が彼女を押し留めた。

「いいですよ、俺が出ます。多分知合いですから」

「そうか?じゃあ頼む」

 アンナは不思議そうな顔をして椅子に座りなおした。アンナだけでなく、宗也以外の全員も怪訝な顔をしていた。

「アンナ、まだ誰か呼んでいたの?」

「いや、集合をかけたのはこれで全員のはずだが……」

サンディとアンナは顔を見合わせた。しばらくすると、宗也が会議室に戻ってきた。その後ろには彼女たちには見慣れない人がいた。しかし明科はその姿を見ると思わず驚いて、席を立った。

「飯山君……⁉」

「あ、明科さんも来てたんだ」

 飯山は会議室にいる中から明科の姿を見つけると、手を挙げて優しく微笑んだ。その表情からは宗也と戦っていたときの闇を孕んだ様子は見られず、いつもの皆と接するような平穏な姿を取り戻していた。

「少年、彼は一体……」

「俺が呼んだんです。飯山の力も必要だろうと思って。ただ俺と違って忙しいから会議には遅れて参加する予定だったんですけど」

 宗也の後ろから一歩前へ出た飯山は制服の襟を正した。皆の視線が集まると、彼はにやっと笑いながら敬礼のポーズをした。

「初めまして、皆さん。宗也の友達の飯山柊人です。皆さんの力になれればと思い、参上しました」

 その言葉を聞いていたサンディは少し呆れたような素振りを見せて、宗也の方を見た。

「あのねぇ、茅野君。これは遊びじゃないの。いくら人手が必要だからって、そんなぽんぽん無関係な人を連れてきていいわけじゃ……」

 彼女はそこまで言うと、飯山がその言葉を遮るように言葉を付け足した。

「あと『ネオ・アダプター』もやってました!」

「……は?」

「⁉」

「……」

 その瞬間、その場にいる全員が凍り付いた。サンディは目をぱちくりとさせ、アンナは驚きのあまりその場に固まっていた。

「む、『ネオ・アダプター』だと?ならばそいつは敵じゃないか⁉」

 ディーニーは思わず立ち上がり、バッグから武器を取り出そうとした。その様子を見た宗也が慌てて彼を制止する。

「ちょ、ちょっと待ってください、ディーニーさん。話を聞いてください」

「そうか、ならば聞こう」

 ディーニーは椅子にどかっと座りなおして、腕組みをした。だが彼は依然として険しい表情をしている。その後先程まで固まっていたアンナがようやく口を開いた。

「……まさか彼が君に発信機を付けた犯人かい?」

「そうです。確かに彼は以前グローケンの手下であり、俺たちの敵でした。しかし今は違います。彼は改心して俺たちの味方になりました」

 宗也が言い終えた後も、室内には重苦しい空気が漂っていた。しかしディーニーは宗也の言葉を聞くと、あっさりと警戒心を解いた。

「そうか、俺達の仲間か。いやーすまなかったな、さっきは攻撃しようとして」

 彼はがははと笑いながら、飯山に頭を下げて謝意を示した。

「私たちはそう簡単には信じられないわね」

 ディーニーの横ではサンディが腕組みをしながら、俯きがちに目を閉じていた。アンナもサンディと同意見だというように、黙って頷いた。

「残念だが私もサンディに同意だ。仮にも一度は『ネオ・アダプター』だったような人物に我々の背中を預けることはできないよ。まだ奴らのスパイだという線もあるからね」

 ディーニーの反応で一度は緩みかけたこの場の雰囲気も、彼女たちの言葉で再びピリピリとした緊張感に包まれた。

「え?飯山君って私たちの敵だったの⁉」

 驚きの新事実を目の当たりにした明科は、口元を手で覆いながら飯山に尋ねた。

「……まぁ色々あってね」

「悪いな、明科。この前の日曜日の時点で言おうかどうか悩んでたんだが……本人の意向もあって黙ってたんだ」

「そうだったんだ。でも信じられない。あれだけ皆の人気者で女の子たちの間でも人気だったのに……」

 普通の人間から見た飯山評は大体明科が抱いているイメージとさほど変わらないだろう。優しくて頼りになる学校の人気者。だからこそ、誰も飯山の心の闇には気づけなかった。宗也は今でこそ飯山の本音を知っているが、少し前までは周りの人間と同じ感想を抱いていた。しかし今の宗也は飯山の数少ない良き理解者となっている。日曜日の一件以来、彼の本音を聞けたことで宗也は今まで以上に飯山を信頼することができた。

 だが他の人間の飯山評は依然として変わらない。その評価を覆すつもりはないが、飯山を味方につける上での問題はアンナ達にあると宗也は思っていた。アンナ達は飯山という人間を知らないどころか、元『ネオ・アダプター』という負のイメージがついている。そんな飯山を彼女たちに認めさせることができるかが、宗也が考えるこの会議における焦点の一つだった。

 そのためにはどうするか。宗也は彼女たちが飯山を信用できないだろうということも、事前に想定済みだった。

「確かにサンディさんやアンナさんの言う通りです。今まで敵だった者をすぐに味方として信頼しろというのも難しいと思います。だから彼を仲間にはしません」

「……は?」

 サンディとアンナは目を丸くした。サンディは慌てて宗也に問いただした。

「だって飯山君は君が味方にしようと思って連れてきたんじゃないの?」

「俺は一言も味方にするとは言ってないですよ?」

「はぁ⁉」

 宗也はにやりと笑ってサンディの方を見た。彼女は相変わらず訳が分からないというような表情をしている。その横ではアンナが腕組みをしながら考え込んでいた。

「何か狙いがあるんだね、少年」

 アンナの問いかけに宗也はこくりと頷いた。

「スパイがばれたとはいえ、飯山は未だにグローケンの仲間です。そのことを利用して、飯山にはこちら側に奴らの情報を流してもらいます」

「……つまり奴らにスパイがばれたということを知らせずに、あえて今まで通りスパイを演じてもらうということか」

「その通りです。奴らの拠点は限られた人間しか知らないらしく、飯山でさえも知りません。しかし定期的にグローケンとは会っているそうです。その際に、敵側の情報を知れる可能性があります」

「なるほど。確かに現状の我々は奴らについての情報があまりにも少なすぎる。彼が情報を仕入れてくれれば、我々もある程度作戦が立てやすくなるかもしれないね」

 アンナがある程度納得したような素振りを示したが、サンディは相変わらず険しい表情をしていた。

「でもその情報が確かなものかは分からないわよね。彼が嘘をついている可能性も否定できないわ」

「そ、それは……」

 サンディは飯山の方を見つめた。その瞳の奥は彼を敵か味方か見極めるように、僅かな眉の動きも見逃さないと言わんばかりの迫力があった。宗也はサンディの返答のような答えがくることも想定済みだったが、彼女の威圧感に気圧されて思わず言葉が詰まってしまった。

 しかし黙ってその話を聞いていたある人間が口を開いた。

「口を挟むようですけれど、飯山君はとても優しくて頼りになるいい人です。そんな飯山君が私たちを裏切ってしまったこと自体とても信じられないですけど、それでも茅野君が飯山君を信じているのなら私も彼を信じたいです。何の根拠もないですけど、どうか彼を信じてあげてください!」

「明科……」

 明科はアンナ達に深々と頭を下げた。明科も今まで話を聞いてきて、色々思うところがあったのかもしれない。彼女の言葉につられて宗也と飯山も慌てて頭を下げた。アンナはその姿にふぅと息を吹くと、宗也達に顔を上げるように促した。

「やれやれ……。君達の気持ちは分かったよ。彼を信用してみよう」

「……ありがとうございます!」

 宗也達は再び頭を下げた。その様子を見ていたサンディも、仕方ないといった様子で微笑みながら首を横に振った。

「礼を言うのはこちらの方だよ。奴らに通ずる貴重な情報源が手に入ったのだからね」

「その点は任せてください。俺が今持っている情報を含めて、奴らに気取られように慎重に行動します」

 飯山は胸に手を当てて、得意そうな笑みをアンナの方に振りまいた。

「しかしそうは言っても少年の考えでは飯山君へのリスクが高すぎる。奴らにこちらの狙いが悟られぬように、飯山君との接触はできる限り控えるべきだ」

 そう言うと アンナは宗也の方をちらと見た。

「奴らとの決戦が終わるまでは飯山君と我々が会うのはこれっきりにした方がいい。もし奴らの情報が分かったら少年を通して我々に伝えてくれ」

「そうですね、分かりました」

(やれやれ……、これで飯山の問題は解決か……)

 宗也はほっと胸を撫でおろした。隣を見ると、飯山が同じようにほっとしたような表情をしていた。彼も同じく緊張していたのだろう。

「じゃあ皆席に座ろうか」

 会議室には予め席が余分に多く設けられており、飯山のような飛び入りの参加者でも問題なく席を確保することができた。

 全員が席に座ると、アンナは咳ばらいをした。

「話を戻そうか。問題は果たして奴らが本当に阿神祭の日に神賀ドームに集結するのか、だ」

「その点に関しては茅野君がさっき確信を得ているみたいだったけど」

 サンディは頬杖をつきながら、宗也の方を見た。

「その答えの鍵となるのが飯山の情報です」

 宗也は自信満々な笑みを浮かべて飯山の方を見た。飯山は宗也からの視線を合図と受け取ると、真剣な表情で口を開いた。

「グローケンは言っていました。阿神祭の日に計画を実行する手筈だと。詳しい内容はまだ言っていませんでしたが、その日が阿神町での最後の日になると彼は言っていました」

「なるほど……。どうやら動画の予告通りに奴らは本当に来そうだね。では続いて現有戦力の確認だが……」

 アンナは再びホワイトボードに向かい、ペンを取った。そして会議室に居る全員を一瞥した。

「まずはこちらの戦力だが……、『アダプター』は私と少年。そしてアダプター用武器を持っているディーニーとサンディ。今のところはこの四人だが……」

 アンナはホワイトボードにそれぞれの名前を書きながらそこまで言うと、アンナは飯山の方を見た。

「俺も戦えますよ。幸い『ハード・ウィル』もまだ使えますしね」

 そう言って飯山はバッグからプラスチックの筒と化している『ネオ・アルヴァコア』を見せた。

「それが君の『ネオ・アルヴァウェポン』か……」

 飯山のネオ・アルヴァウェポンである『ハード・ウィル』は、宗也との戦いの中で一度は真っ二つにされて再起不能かに思われたが、『ネオ・アルヴァウェポン』の核と呼ばれる箇所は間一髪のところで破壊されずに済んだため、戦闘が終わると二つの破片は元の一つに戻り自動的に修復していった。どうやら核と呼ばれる箇所を破壊しない限り、『ネオ・アルヴァコア』は破壊されても元に戻るようになっている。

また『ネオ・アルヴァウェポン』も『アルヴァウェポン』も傷つけられたり破壊されると、使用者の疲労状態が大きく低下するらしい。

 そんなこんなで飯山も今では我が軍の貴重な戦力となった。しかしそこには大きな問題があった。

「実は『ネオ・アダプター』同士では戦えないんですよねー」

「どういうことだい?」

「グローケンは誰もがアルヴァコアの力を使えるようにするために『ネオ・アルヴァウェポン』を作りました。そこで危惧していたのが仲間割れによる同士討ちです。それができないようにグローケンは『ネオ・アルヴァコア』同士で戦う際は互いの武器が力を解放できないように設定したんです」

「なるほど……。つまり君が『ネオ・アダプター』と交戦するときには力を使えないということなんだね?」

 飯山は静かに首肯した。だがそれでもアンナは表情を変えなかった。

「そうか……。でも君が貴重な戦力だということには変わらないよ。『ネオ・アダプター』同士で戦えないというのは不安材料だが、それは向こうも同じだからね」

 そう言い終えるとアンナは不安げな視線でこちらを見つめる明科に気付いた。

「もちろん、明科ちゃんも頼りにしているよ⁉戦うだけが我々の目的ではないからね」

「明科は当日剣道部の催し物があるだろう?グローケンたちのことは俺たちに任せて、安心して剣道部の方を支えてやってくれ。もし危なくなったら付近の皆を避難誘導してやってほしい。くれぐれも戦場には近づかないでくれ」

「う、うん。ありがとう。ごめんね、私だけあまり力になれなくて……」

 宗也は明科に気にするなというジェスチャーを送り、優しく微笑んだ。この殺伐とした戦いの中で明科の存在は宗也にとっては一つの清涼剤となっており、第一に守らなければいけない存在だった。

「あ、それじゃあ明科ちゃんにはもう一つお願いしちゃおうかな」

 サンディは思い立ったように急に席を立つと、明科の傍に行って彼女の耳元でぽしょぽしょと何やら話をしていた。しばらくして話が終わると明科は顔がぱっと明るくなり、首を縦に振った。

「分かりました。頑張ります!」

 明科は両手を胸の前に出してぎゅっと拳を握った。サンディはお願いね、と一言告げると自分の席に戻っていった。宗也は明科のそばに顔を近づけると小声で話しかけた。

「何の話をしてたんだ?」

「ふっふっふっ。それは当日までのお楽しみです!」

「?」

 宗也は気になったが、明科の反応が可愛かったのでひとまず詮索するのはやめた。向かい側ではサンディがにやりと笑みを浮かべながら、宗也の方を見ていた。

「女子トークが気になる?茅野君。でも教えてあげないよーだ」

「別にそこまで気にはなりませんよ……。俺だってそこまでデリカシーが無いわけじゃないです」

「デリカシーが無いわけじゃないって自分で言うと、なんだか宗也がデリカシーが無いみたいに聞こえるね」

 サンディがべっと舌を出して宗也をからかっていると、飯山がにやにや笑いながらそれに乗っかってきた。

「あら飯山君、良いこと言うじゃない。あなたは女の子に人気ありそうね。茅野君、あなたも見習いなさい」

「はぁ……、分かりました」

 サンディ達が他愛もない話をしていると、ホワイトボードの前に立っていたアンナがごほんと咳ばらいをした。

「そろそろ本題に戻していいかな?」

「あ、ごめーん。話を続けて」

 サンディは両手を合わせてアンナに謝った。アンナはホワイトボードに宗也達の名前を書いた。

「今のところこちらの主戦力は、私と少年、ディーニー、サンディの四人か。『ネオ・アダプター』と戦えない飯山君と一般人の明科ちゃんはサポートに回ってもらうとして……。あとは敵の戦力だな」

 アンナがホワイトボードに必要事項を書き終えると、飯山が小さく手を挙げて席を立った。

「敵の戦力については俺がおおまかな内容を話してもいいですか?」

「お、助かるね。私もだいたいは知っているが、昔の情報だ。最新の情報があるなら教えてほしいね」

 アンナは手近な席に座り、飯山に後を託した。飯山は席を立つと、ホワイトボードの前へ出た。

「俺がグローケンから手に入れた敵の情報をお話しします。グローケン本人の口から聞いたものなので、真偽は確かだと思います」

そういうと飯山はホワイトボードに書き始めた。こういった作業は慣れていたため、彼の書く字はとても綺麗で読みやすかった。

「まずは皆さんご存知、ボスのウィリアム・グローケンです。今回の事件の元凶であり、間違いなく敵側の最重要危険人物でしょう」

「奴は『ネオ・アダプター』の中でも特に強大な力を持っている。その力は武装した大人百人をも軽く凌ぐともいわれている」

「私たちもアメリカにいたときにさんざん煮え湯を飲まされたわ……。そうよね、ディーニー」

「ん?……ああそうだ。煮え湯な、飲まされたな。腹いっぱいな」

 ディーニーはサンディに急に話をふられたせいか、しどろもどろになって答えた。煮え湯の意味が分かっているとは思えなかったが。

「続いてグローケンの新たな懐刀、峰城高校二年の諏訪俊介です。彼はかつては宗也の友達であり、今では『アダプター』の一人となっています」

「え?茅野君の友達が敵側にいるの?」

「彼もまたグローケンの持つ力に魅入られたんだよ、サンディ。君もそういった人物を数多く見てきただろう?」

「そうね……。でもよりによって『アダプター』になるとはね。彼もまたアルヴァコアに選ばれし人間だったってことかしら」

 サンディは腕組みをしながら深く考え込んだ。

「『アダプター』になった以上、彼もまた強大な力の持ち主だ。グローケンまでとはいかないが、やがては奴を超えうるだけの力を持っている」

「厄介ね……、彼ら二人をどうにかするのは至難の業だわ」

 サンディの言葉にその場は静まり返った。厳しい戦いになることは予想がついていたが、いざ改めてその力の大きさを知ると途端に全員の額に冷や汗が流れた。

「……まぁ具体的な打開策は後で考えるとして、最後の説明にいきましょうか。最後はグローケンの四人の部下、『クアトロ・マウス』です。彼らのことは未だに謎に包まれていますが……、全員が『ネオ・アダプター』だということは確認済みです。危険な人物だということに変わりはないでしょう」

「『クアトロ・マウス』か……。私もよく知らないが、名前だけは聞いたことがある。確かアメリカにいた頃にグローケンが作ったグループだね」

 アンナが手を顎に当てて考えていると、サンディとディーニーもそれに頷いた。

「ええ、私たちも直接会ったことはないけれどアメリカでもかなりの悪評を轟かせているわ」

「その四人も警戒しておかなければならないね。しかし四人もいるのか……」

「以上が敵の主戦力になります。不明な点も多いですが、分かり次第連絡します」

 飯山が説明を終えると、会議室が軽い拍手で包まれた。敵のスパイとして暗躍してきた飯山の情報は宗也達にとってはかなりの有益な情報だった。

「ありがとう、飯山君。まさかこれほどの情報を持っているとは思わなかった。これからも情報源として期待しているが、くれぐれも無茶はしないでくれよ」

「分かってますよ」

 飯山はアンナに向かってサムズアップしてにこっと笑った。その様子を宗也はぼーっと見ていた。

「どうかした?茅野君」

 ふいに横に座っていた明科が顔を近づけて下から覗き込んできたので、宗也は思わずどきっとした。

「いや……飯山のやつ、この間まで敵だったのにすんなり皆と馴染んでるからすげーなって。それにアンナさんやサンディさんとも対等に会話してるし」

「茅野君も十分頼りになってるじゃない。それにアンナさんとも仲良さそうだし……」

 次第に明科の声は小さくなっていった、だが宗也はそれを意にも留めず話を続けた。

「いや、なんつーか……。アンナさんにはまだ子ども扱いされてる気がするんだよな。俺のことも未だに『少年』呼びだし……。まぁそんなに大したことじゃないんだけど」

「ふぅん。私は飯山君と茅野君に扱いの差なんてないように思うけどなぁ。あんまり気にする必要ないんじゃないかな」

 明科は宗也の視線の先を追っていると、飯山とアンナ達が何やら話し込んでいた。確かに飯山は闇を抱えていたとはいえ、普段は高校生徒は思えないほどしっかりしている。しかしそれも宗也が他より劣っているというよりは、飯山が他より優れている、という事でしかないので彼女の言う通り、気にすることではないのかもしれない。しかし宗也の心の中にはそのことが喉に引っ付いた魚の骨のように引っかかって取れなかった。

 




会議も佳境に差し掛かり、敵の大まかな計画やこちらの作戦などをあらかた決めることができた。会議室の窓の外は暗くなっており、今にも夕日が山の向こうに隠れようとしていた。アンナはホワイトボードにびっしりと書かれた文字を眺めると、ふぅと一息ついた。途中からではあるが、サンディが議事録をパソコンにまとめてくれていた。

「これで一通りの対策は立てられたね。あとは各々が作戦通りに当日動いてくれれば勝てるはずだが……」

 窓の外を見ていたアンナが振り返って会議室を見渡すと、突然黙った。

「何か不安なことでも?」

「いや、皆の顔を見ていたら負ける気がしないと思ってね」

 会議は長く内容も濃いものだったが、全員がその間休まず熱心に耳を傾けていた。高校生組は疲れが顔に出ていたときもあったが、一切愚痴を言うこともなかった。そんな全員の精悍な顔つきを見るとアンナは両手を広げた。

「皆、今日は参加してくれてありがとう。必ず奴らに勝とう!」

 アンナの言葉に続いて皆思い思いの返事を言葉にすると、会議は終了した。

 会議終了後は皆でご飯でもどうか、という話にもなったがサンディとディーニーはこれから泊まる場所を探さなければいけないからという理由があり、高校生組も明日学校があるからという理由で、現地解散になった。

「……今から泊まる場所探すのかぁ。この時期はどこも混むから見つかるといいけど……」

 サンディとディーニーの背中を見送っている最中に横にいた明科がぼそっと呟いた。

「大丈夫だろ。ディーニーさんはともかく、サンディさんは結構しっかりしているほうだから」

 そう言いながらも内心は大丈夫だよな……?と宗也は不安になった。ふと後ろを見ると飯山は腕を伸ばしながら大きく背伸びをしていた。

「さて、俺もそろそろ帰ろうかな」

「……悪かったな、今日はわざわざ参加してもらって」

「何言ってるんだよ。俺が好きでやったことじゃないか。これからもどんどん頼ってくれよ」

 そう言うと、飯山は鞄を肩にかけて帰り支度をした。

「俺も帰るか……」

 宗也は制服の裾を正すと傍に置いてあった鞄を拾い上げた。

「お前は明科さんを送っていけよ」

「え?お前も一緒に来いよ」

「俺は家反対方向だから。それに……」

「……なんだよ」

「いや、岡谷の言ってたこともあながち間違いじゃないかもなーって思っただけだよ」

「は?なんで岡谷が出てくるんだよ」

「いいから。ちゃんと家まで送って行けよ。じゃあな」

 そう言うと、飯山は自転車に跨って走り去っていった。するとトイレに行っていた明科とアンナが戻ってきた。

「あ、飯山君帰ったんだね。じゃあ私も帰ろうかな。茅野君も一緒に帰らない?」

 明科は宗也に向かって優しく微笑んだ。いつも見ているはずの明科の笑顔だったが、このときばかりは夕日に照らされてとても美しく見えた。

「じゃ帰るか……」

「君たちも帰るのか。気を付けて帰るんだぞ」

「はい、お先に失礼します」

宗也と明科は揃って家路を辿った。あたりは薄暗く、人通りも多いため自然と二人の距離はいつもよりも近かった。

「諏訪君、帰ってくるといいね」

「……ああ」

 道を通るたびにすれ違っていく人を見ながら宗也は感じていた。この人たちにも帰る家があるのだろうか。諏訪にとっては何処なのだろう。自分の家か、それとも……。

 諏訪は今何を思っているのだろうか。そんなことを考えながら、宗也は明科と歩みを進めた。

 ちなみにディーニーとサンディは結局ホテルがどこも満室で、やむを得ずしばらくネットカフェでの生活を強いられることとなった。


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