第二章 新たな出会い、そして邂逅……
翌朝、宗也は目が覚めて昨日のことを思い出した。今日諏訪は学校に来るのだろうか。そんなことを考えながら、学校へ行く支度をした。テレビではここ数日立て続けに起こっている謎のビル爆発事件の特集が組まれていた。おととい、昨日と立て続けに都心のビルが破壊されたという事件で、死傷者も多くどこの局でも大々的に報じられていた。
「物騒な世の中だなぁ」
宗也は大きく欠伸をしながら家を出た。
宗也が学校に着くと、教室では朝のニュースでやっていた爆発事件の話題で持ちきりだった。まだ犯人の正体は謎だということもあり、国家転覆を謀るテロリストの仕業や地球を狙う宇宙人の仕業など皆好き勝手に犯人を予想していた。宗也は席につくと、明科がやってきた。
「昨日はありがとう。諏訪くん早く学校くるといいね」
「そうだな」
宗也は優しく微笑んだ。
一日はあっという間に過ぎた。もっとも、宗也が学校にいる間は授業も含めてほとんど寝ているためでもあるが。この日は放課後に新入生勧誘のための準備があるため、飯山と明科はそれぞれの部活に行った。岡谷は居残り補修があったため、結局宗也は一人で帰ることになった。部活を辞めてからは宗也は放課後に早く帰ることが多くなった。グラウンドでは野球部をはじめとした運動部員たちが練習に励んでいる。かつては自分もあんな風にがむしゃらに部活をしていたことを考えると、宗也の心にはぽっかりと穴が開いているようだった。宗也は気晴らしにゲームセンターに向かった。
宗也は駅前の大通りを歩いていた。途中で宗也がいつもゲームセンターに向かうときに使っている路地裏に入った。そこは普段あまり人がいることのない、宗也だけが知っている近道だった。大通りの喧騒とは打って変わって、しんと静まり返った路地裏はひんやりと冷たく、宗也の足音だけが響いていた。宗也が長い路地裏を真っ直ぐと進み、曲がり角に差し掛かったときだった。急に死角から人影が現われ、軽く宗也とぶつかった。宗也は思わず声が漏れてポケットに入っていた学生証を落としてしまったが、その声を打ち消すように大きな声が路地裏に響き渡った。
「うわっ」
女性の声がしたと思ったら、真っ赤なコートを着た美しい金髪の若い女性が尻もちをついて倒れていた。宗也は落ちた学生証を拾って慌てて謝った。
「す、すみません!まさかこの路地を人が歩いているとは思わなくて……」
痛そうにお尻をさすっていた金髪の女性は宗也に気付くと、急いで立ち上がった。
「こちらこそ、前を見ずにぶつかって悪かったね。怪我はなかったかい?」
「は、はい、大丈夫です」
金髪の女性はにこやかに宗也に謝った。その女性の肌は白く眼は碧く透き通っていて、髪は長い金髪。まるで外国人のような容姿だった。倒れていた時は分からなかったが、こうして向かい合ってみると宗也よりも若干背が高く、コートの上からでもモデルのようなスタイルの良さを感じられた。あまりの美しさに宗也が思わず見とれていると、その女性はほっとした表情をした。
「それにしても君、私よりも背が低いのによくぶつかって倒れなかったね。鍛えてるのかい?」
「いえ、別に。俺帰宅部ですから」
見かけによらずフレンドリーな人だなぁ、と宗也が思っていると彼女は不思議そうに尋ねた。
「キタクブ?それは身体を鍛える部活なのかい?」
「違いますよ。ただ家に帰る部活です」
宗也が答えると、彼女はぶつぶつ呟きだした。
「ただ家に帰るだけで身体が鍛えられるとは思えんが・・・もしかして家まで姿勢よく歩いて帰ることによって体幹が鍛えられているのか・・・それならばかなりの長距離を歩かないと鍛えられないんじゃないか・・・?」
「あのー、もう行っていいですか?」
宗也は申し訳なさそうに彼女に訊いた。すると彼女は宗也の手を取って、目をキラキラさせながら言った。
「もしよかったら、ぶつかってしまったお詫びにご飯でもご馳走させてもらえないか?君の身体の秘密も聞きたいしな!」
思わぬ提案に宗也は戸惑ったが、幸いお腹は空いていた。ゲームセンターに向かうつもりだったが、特にこれといって予定もなく暇だった。普段両親は帰りが遅く、いつも夕飯を作ってくれる妹も今日は予定があったため、夕飯を自分で用意しなければならなかった。どうせご馳走してくれるならと思い、宗也はありがたくその提案を受け入れることにした。
「俺でよければ喜んで」
「決まりだな。しかしながら、私はこの街にきてからまだ日が浅いんだ。ずっとアメリカに住んでいて最近日本に来たものでね。店選びは君に任せるよ」
指をパチンと鳴らすと、彼女はバッグからタブレットをを取り出していじり始めた。そして宗也の目の前にタブレットの画面を差し出した。画面にはこの街の地図と宗也たちがいる現在地が映っていた。なるほど、ここから場所を教えろということか。果たしてどういうお店がいいのだろうか。宗也はしばらく悩んでから、タブレットの画面上をタッチした。
「こことかどうですか?」
明科瑞穂はマネージャーとして道場で剣道部の練習を見守っていた。
諏訪は今日も学校に来ていない。道場では主将をはじめ、30人余りの部員が素振りの練習をしていた。明科は昨日の出来事を思い出し、顧問の先生や主将に諏訪の行方不明を伝えるかどうか悩んでいた。昨日諏訪の家を出た後、宗也は言った。
「あまり大事にするのも諏訪の家に悪いから、諏訪の行方不明は他の人には言わないようにした方がいいかもしれないな」
「そうだね」
明科は小さく頷いた。もしかしたら明日こそ諏訪くんが学校に来るかもしれない。そんな期待も彼女にはあった。
しかし、翌日も諏訪は学校に来なかった。明科が不安そうに練習を眺めていると、剣道部の主将である佐久英紀が話しかけてきた。
「どうした、明科。心ここにあらずみたいな顔をして」
「あ、主将」
「悩み事があるなら相談にのるぞ?」
短髪で道着を着た佐久は優しく笑った。主将の佐久は部員からも慕われている頼りになる男だった。実力の方は今一つだったが日々の練習も率先して行っており、まさに部員のお手本となる人物だった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
明科は着ていたジャージの襟を正して、顔を引き締めて言った。後ろでは何人かの部員がにやにやしながらこちらを見ていた。
「部長―、もっとアピールしないと!」
「そうですよ、恋は押せ押せでいかないと!」
「うるさい、早く練習に戻れ!」
後ろで見ていた部員が声をかけると、佐久は気恥ずかしそうに部員たちに怒った。主将の佐久が明科に好意を寄せていることは剣道部の中では周知の事実であり、当然明科も察していた。しかし佐久はあくまで主将とマネージャーという関係を守り、好意を伝えることはしなかった。もっとも、ただ奥手なだけということもあるが。
明科はふぅと一息ついて佐久に言った。
「今日も部活来なかったですね、諏訪くん」
「ああ、そうだな」
佐久は諏訪の素行には常々疑問を抱いていた。礼儀礼節を重んじる剣道において、相手に敬意を払わない諏訪の剣道は部員たちからもあまり好かれてはいなかった。しかしそれを打ち消すほどの圧倒的な実力が諏訪にはあった。佐久は入部当初の諏訪にこそ実力で上回ってはいたものの、宗也の怪我以降覚醒した諏訪の実力には宗也以上に手も足も出なかった。そのため、やがて自分よりも強くなっていくだろう宗也の退部には心を痛めていた。自分がふがいないばかりに、才能ある人材を一人失ってしまったと自分を責めていた時期もあった。しかしそのときの佐久に宗也は言った。
「俺は辞めますけど、主将は俺にとってすげぇ頼りになる先輩でした。なんで主将はブレないでください。諏訪の実力は必ず部にとって必要になります。今あいつはあんな感じですけど、主将ならきっとあいつを飼いならすことができるって信じてます」
おそらく宗也は、諏訪のことで佐久が頭を悩ませていることを知っていたのだろう。そのときの宗也の言葉を佐久は一日たりとも忘れたことはなかった。
そんな宗也の現在はというと、優雅に金髪美女と駅前の通りを歩いていた。道をすれ違う人々は、美しい金髪の女性とごく普通の高校生という奇妙な組み合わせに視線を向けていた。彼女は初めて日本に来た外国人のように、わくわくしながら街のあちこちを見ていた。宗也はそんな彼女と一緒に歩いていることが少し恥ずかしかった。
「いやー日本は子供の時に来て以来だが、相変わらずいい国だね、少年」
「そうですね」
子供のように喜んでいる彼女を見て、宗也も自然と嬉しくなっていた。
二人はご飯を食べに行く前に、様々な場所を見て回った。ゲームセンターや洋服店など、どこに行っても彼女は楽しそうだった。町の人々も、美しい彼女の見た目が珍しく声をかけてくる人が多かった。時にはナンパしてきた男の人もいた。また彼女はとてもフレンドリーで、話しかけてきた初対面の人とはとても楽しそうに会話をしていた。宗也は彼女を見ていて不思議な魅力がある人だと感じていた。
一通り駅前のお店を回り、駅前の交差点に着くといつの間にか陽が沈む頃になっていた。薄暗い駅前の交差点には、仕事帰りのサラリーマンや学校帰りの学生がちらほら増えてきた。陽が出ている日中は比較的暖かかったが、夕暮れになると一気に気温が下がり始めた。隣で歩いている彼女も冷たい風が吹くたびに、顔がこわばっていた。
「もう十八時か」
彼女は腕時計を見て、呟いた。
「どうだい、そろそろご飯にしないか?」
「そうですね。じゃあ行きましょうか」
二人は事前に宗也が提案したお店に向かった。お店は駅近のにあるため、ここからでも徒歩でも数分で行ける。程なくして目的地に着いた。そこは、地元でも有名なレストラン「マスト」。学生から高齢者まで様々な客層が売りのお店である。宗也も岡谷や飯山と学校帰りによく利用しているお店でもあった。
二人が店内に入ると、時間が早いせいもあってまだお客はまばらだった。二人は奥の窓際の席に座り、メニューを手に取った。彼女は目をキラキラさせながら、メニューを眺めていた。
「少年、凄いねこのお店は。和洋中あらゆる料理があるじゃないか!」
「気に入ってもらえたのならなによりです」
そう言って。宗也は安堵した。実を言うと、宗也はこのお店を彼女が気に入ってくれるかどうかが心配だった。提案こそしたものの自分よりも年上の親以外の女性とご飯に行ったことなど当然無いため、宗也はこのようなシチュエーションのときのお店選びの最適解を知らなかったのである。なので彼女が喜んでくれたことは、宗也にとってはかなりの朗報だった。
「少年は何にするか決めたかい?」
彼女はメニュー表の横から顔を覗き込んで言った。
「はい、これにします」
宗也はメニューに書かれている料理の中から一番安いものを指さして言った。
「こんなんでいいのか?もっと高いものでもいいんだぞ?」
「僕いつもこれ好きで、このお店来るたびに食べてるんですよ」
実際に宗也はいつもこのお店に来る理由の一つに、値段の安さがあった。コスパの良さこそがこのお店の魅力であり、貧乏な学生の心強い味方だった。
二人はそれぞれ料理を注文すると、一息ついた。彼女はコートを脱ぐと、お水を一口飲んだ。
「そういえば自己紹介が遅れたね。私の名は坂城アンナだ。気軽にアンナと呼んでくれ。少年も薄々気付いていたとは思うが、私はアメリカと日本のハーフなんだ」
「そうなんですか。俺の名前は……」
宗也が自分の名前を言う前に、彼女は得意げな顔をして言った。
「君の名前は茅野宗也君だろう?」
宗也は自分の名前を言い当てられて、急に面食らった。宗也は怪訝な顔をしていると、彼女破顔して言った。
「実は最初に君とぶつかったときに落ちた君の学生証が見えてしまったんだ。意図的ではないとはいえ、勝手に見てすまなかったね」
「そうだったんですか。それにしてもアメリカ暮らしが長い割には日本語ペラペラだし、日本語もしっかり読めるんですね」
「ああ、子供の頃は日本に住んでいたからね。日本語は難しいけれど、マスターしてしまえば楽勝さ。人間は考える生き物だからね」
「はぁ、そうですか」
二人が話していると、注文した料理がきた。アンナは「きたきた」と言い、目を輝かせながら美味しそうに料理を食べ始めた。美味しそうに食べている彼女の姿は、先ほどまでのクールな姿とは異なり子供の様だった。
「どうした、少年。食べないのか?」
宗也が思わずじっと見ていると、アンナが不思議そうに宗也を見た。
「すみません、ぼーっとしてました」
宗也ははっと我に帰ると、料理を食べ始めた。そして宗也は出会ってからずっと気になっていたことをアンナに尋ねてみた。
「アンナさんは何で日本に来たんですか?」
「実は私の職業は少々特殊でね。悪いが詳しいことはあまり言えないんだ」
アンナは申し訳なさそうに、答えた。
「気にしないでください。こちらこそ余計な質問してしまってすみません」
世の中には色々な職業がある。それだけに人には簡単に言えない仕事をしてる人だっているだろう。あまり深堀するようなことではない。宗也はそう思っていた。
それからは他愛もない話しで盛り上がった。彼女は自分の家族のエピソードやアメリカでの出来事を話してくれた。アンナの話によると、彼女は小学生まで日本で過ごしてその後はずっとアメリカに住んでいたという。彼女は非常に好奇心旺盛な人間だった。宗也も昔剣道部に入っていたことを話すと、彼女は興味津々にその話を聞いてきた。剣道はアメリカではあまり見かけないため、彼女にとっても新鮮だったのだろう。
食事も終わり、会話も一段落して宗也がレストランの窓の方を見ると外も真っ暗になっていた。アンナは食後のコーヒーを飲んで、腕時計を見た。
「もうこんな時間か、そろそろお開きにしようか。こんな時間まで付き合わせてしまって悪かったね」
「いえ、こちらこそ楽しかったです」
宗也が店内の時計を見ると、時刻は二十一時を過ぎていた。二人は身支度を整えると、お店を出た。外は夕方の時よりも一層寒く、店内と外の気温差で思わず身震いした。
「奢ってもらっちゃって、すみません」
「なぁに、元はと言えば私が誘ったんだ。気にしないでくれ」
宗也が軽く頭を下げると、アンナが朗らかに笑った。二人は駅に向かって歩き出した。しばらくすると、人気のない雑居ビルが並ぶ通りにさしかかった。
「悪いが私はこの後用事があるんだが、少年は一人でも帰れるかい?」
「大丈夫です」
アンナは名前を教えたのにも関わらず、宗也のことをまだ少年と呼んでいた。アンナ曰く、人の名前を覚えるのが苦手だかららしい。二人は別れ際に言葉を交わした。
「今日はありがとう。君との時間はとても楽しかったよ。日本での良い思い出ができた」
「俺もです。ありがとうございました」
彼女はそれじゃ、と言って大通りからそれたわき道を歩いていった。宗也も駅に向かって歩き出した。
宗也は駅に向かって歩いていた。ここから自宅までは歩いて二十分ほど。家に着くのは十時ごろだろう。駅に近づくにつれて、人の数が増えてきた。通りに並んでいるお店にはイルミネーションが飾られており、夜の通りを華やかにしていた。歩いていると、ふと宗也は先ほどいたお店に携帯電話を置いてきたことを思い出した。
「やべっ店が閉まる前に取りに行かないと」
宗也は踵を返して急いでレストラン「マスト」の方へ向かって走った。
幸いレストランはまだ営業しており、宗也の携帯電話は店員の方が忘れものとして預かってくれていた。宗也が忘れ物の携帯電話を預かって店を出る頃は時刻は既に十時になっており、辺りは街灯に照らされて静寂に包まれていた。再び駅に向かう宗也は、先ほどアンナと別れた場所まで来た。周りに人はいない。
ふと宗也はアンナが向かっていった方角を見た。彼女はどうしただろうか。そんなことを考えながら、宗也は駅に向かって歩き始めようとしたその時だった。
「まだこんなところに人がいたんですねぇ」
その瞬間、宗也は全身が固まってしまったかのようにその場から動けなかった。その声はとても冷たく、そして低い声だった。宗也が硬直していると、その声の主はゆっくりと宗也に近づいていった。一歩、また一歩と宗也に近づいていく。宗也は今までに感じたこのない恐怖を感じた。声の主は宗也の近くまでいくと、一言発した。
「子供は帰る時間ですよ」
その直後にその声の主は宗也の横を通り過ぎた。宗也は視界の端にその声の正体をとらえた。その正体は宗也の背丈よりもずっと大きい初老の男性だった。白髪に白い髭を生やしており、頭には大きな帽子をかぶっている。真っ黒のコートを着ており、口には煙草を咥えていた。その男性が横を通り過ぎるとようやく身体を動かせるようになった。宗也はその男性から、得体の知れない恐怖を感じていた。
男性は宗也を追い越して通りを歩いていき、交差点で止まった。辺りには男性と宗也しか居らず、しんと静まり返っている。すると交差点の左方向から何者かが歩いてきて、その男性と合流した。その者の姿を見たとき、宗也は愕然とした。
その者は宗也と同じくらいの背丈で、背中には長いバッグのようなものを背負っていた。先ほどの男性と同じくコートを着ていた。最初は暗闇でよく見えなかったが、街灯に照らされた顔を見たときに宗也は確信した。
その者の正体は現在行方不明中の諏訪俊介だった。
宗也は諏訪の姿を確認するとすぐに近づいていき、声をかけた。
「おい、お前諏訪だろ?一体何してたんだ。ここ最近、お前が学校に来ないって皆心配してたんだぞ」
諏訪は最後に宗也が見た諏訪の様子と同じだった。目に光は無く、一切表情を変えることなく宗也の方を振り向いた。
「ん?どこかで見た顔だと思ったらお前、茅野じゃねぇか。剣道部から逃げた雑魚が今更俺に何の用だ?」
「なんだとてめぇ!」
諏訪は依然見た時よりも更に傲慢な性格になっていた。宗也を見る諏訪の目はまるで、道端の石ころを見ているかのようだった。
「何ですか、諏訪くん。その子は君の友達ですか?」
諏訪と一緒にいる男性は先ほど通り過ぎた宗也を見て諏訪に話しかけた。
「そんなんじゃねぇよ、博士。それより例の力、こいつで確かめてみてもいいか?」
「やれやれ、君の好戦的な性格は相変わらずですね。まぁ適度に痛めつけるぐらいなら大丈夫でしょう。短時間で済ませて下さいよ?あまり時間はないんですから」
「ああ、任せとけ」
一体こいつらは何を言ってるのか。宗也はその場の状況が飲み込めずにいた。諏訪は後ろに背負っていたバッグから一本の竹刀を取り出した。すると諏訪が握っていた竹刀が次第に光を帯びていき、見る見るうちに刀身が赤い刀へと姿を変えていった。その光景を目の当たりにした宗也は唖然としてただその場に立ちつくすしかなかった。諏訪は刀を宗也の前に向けた。
「もうすっかりアルヴァコアの力を使いこなしたようですねぇ」
「まだ五十パーセントだ、こんなんじゃ足りねぇ」
宗也は二人が何を話しているのか訳が分からなかった。諏訪は真剣な眼差しをしており、その隣にいる白髪の男性は不気味な笑みを浮かべていた。
「おい、茅野。せっかくの機会だからお前にも教えてやるよ」
諏訪はそう言って、日本刀を右手で振り上げた。
「な、何をする気だ?」
宗也は思わず身構えた。宗也は諏訪が刀を自分に向かって振り下ろしてきたときのことを考えて、いつでもかわせるような態勢をとっていた。あんなもので攻撃されたら怪我どころじゃすまない。いくらなんでもそんなことまではしないだろう。そう思っていたその時だった。
「動くと死ぬぞ?」
「!」
瞬間、諏訪は宗也の真横に刀を振り下ろした。刀は光を帯びて、空を切った。すると刀の軌道上でかまいたちのような風が生まれ、直線状に進んでいった。宗也の真横を勢いよく通り過ぎてった風は、建物にぶつかると“ドカン”という大きな音をたてて消滅した。宗也は風邪の勢いで飛ばされそうになったが寸前でこらえた。宗也は後ろを向くと、なんとコンクリートの道路に、大きな切れ目が真っ直ぐに入っていた。
「な、なんだよ、これ……」
「驚いただろ?」
宗也が驚愕していると、諏訪があざ笑いながら言った。
「諏訪くん、この力を見せた以上、この子は消しとかなければいけませんよ」
「ああ、分かってる」
諏訪は再び刀をゆっくりと振り上げた。先ほどの強大な力を目の当たりにした宗也は、恐怖で足が動かなかった。
「今度は外さねぇからな」
「お前、マジで殺る気かよ」
「悪いが博士の言うことだからな。お前とは色々あったが、ここで別れだ」
諏訪はそう言って、刀を勢いよく振り下ろした。やられる。宗也が思った直後だった。
「ガツン!」
宗也の頭上で大きな音がした。宗也は恐る恐る目を開けると、自分がまだ生きていることを確認した。そして目の前では何者かが諏訪の刀を銃で受け止めている。
「間に合ったようだね、少年」
それは聞き覚えのある声だった。宗也が横を向くと、そこにはアンナの姿があった。アンナは諏訪の刀を銃で受け止めた後、勢いよくその刀をはじき返した。その拍子に諏訪が少しよろめいた。
「アンナさん……!」
「怪我は無いかい?」
宗也はできる限りの精一杯の声を絞り出した。宗也の表情を見たアンナは、宗也を元気づけるように笑った。
「……誰だお前は」
諏訪は宗也から一歩下がり、アンナを睨みつけた。
「それは隣にいるオッサンの方が知ってるんじゃないかな?」
アンナは微笑しながら諏訪の隣にいる白髪の男性を見た。
「まさか君も日本に来ていたとはねぇ、坂城アンナ」
「久しぶりだな、ウィリアム・グローケン」
グローケンと呼ばれるその男性はアンナを見て不敵に笑うと、コートの裏に隠していた右腕を出した。宗也はそれを見て驚愕した。グローケンの右腕は機械でできており、手には小さな鎌を持っていた。
「これは諏訪くんでは荷が重いですかねぇ」
グローケンの手に持っている小さな鎌が黒く光り輝き始めた。
『適応率七十パーセント』
グローケンがそう唱えると、手に持っていた鎌は見る見るうちに大きくなっていった。一メートルほどしかなかった鎌は最終的には宗也の背丈ほどの大きさまで大きくなり、その姿はまるで死神の鎌のようだった。
「相変わらず薄気味悪い武器だな」
アンナは思わず呟いた。
「博士、こんなやつ俺一人で十分だ!手を出すな!」
「今のままの君では彼女には勝てないでしょう。でも気を落とさないでください。成長すれば君はやがて必ず最強の戦士になれる。こんな所で失われては困るのです」
グローケンは両手を広げて高らかに声を張り上げた。そして諏訪の肩に手をやった。
「私が援護します。君は思いっきり戦いなさい」
「ちっ、しょーがねぇな、邪魔はするんじゃねぇぞ」
諏訪はグローケンの言葉に嫌々ながらも従う素振りを見せた。そしてアンナへ向かって勢いよく突撃していった。
「まずい、逃げろ、少年!」
アンナは宗也に向かって叫んだあと、背負っていたバッグを投げ捨てて諏訪に向かって銃を向けた。
「アンナさん!」
「心配するな、殺しはしないよ」
アンナは叫ぶ宗也の声に答えた後、諏訪へ向かって二、三発の弾を撃った。諏訪はその弾丸を刀で弾くと、一気に間合いを詰めた。諏訪の刀がアンナの喉元向かって伸びていく。アンナは涼しい顔をしてそれを避けると、諏訪の手首を持って勢いよく背負い投げをした。“ドシン”という大きな音をして諏訪の背中が地面に叩きつけられた。諏訪は小さく呻き声を上げて、うつ伏せのまま倒れ込んだ。アンナはすかさず諏訪の背中へまたがり、諏訪の腕を掴んで組み伏せた。
「す、すげぇ……」
アンナと諏訪の戦いを遠くから見ていた宗也は思わず呟いた。アンナさんも光る弾丸を撃っていた。それに話を聞く限りグローケンという男性と知り合いのようだった。一体この街で何が起こっているのか。宗也は眼前で起きている非日常的な光景を見て感じていた。
諏訪はアンナに組み敷かれていて身動きが取れなくなっている。
「まさかこの街に『アダプター』がいたとはね。悪いことは言わないから君はあのいかがわしい男と手を切った方がいい」
「俺が子供だからって舐めてんのか?いいよなぁ、大人は偉そうで。俺に指図するな。自分の生き方は自分で決める」
「違う。一人の人間としての忠告だ」
アンナは真っ直ぐに諏訪を見つめながら言った。しかし押さえつけた手は一切緩めることは無かった。
「ちょっとその手を放してもらえませんかねぇ」
アンナは背後で殺気を感じた。その瞬間、アンナの横から鎌が勢いよく伸びてきた。アンナはすかさず諏訪から離れてその鎌を避けた。鎌はアンナの頬をわずかにかすめて、空を切った。諏訪は素早く起き上がり、態勢を立て直した。アンナの頬からはかすり傷から血が流れた。
「『アダプター』が二人か、これは少々まずいね……」
アンナは苦笑いを浮かべると、諏訪から距離をとった。彼女の遠く離れた後ろでは、宗也が固唾を飲んで見守っている。宗也自身もこの場にいながら彼女を助けることができない自分の非力さを恨んでいた。今この場には四人の人間がいる。そのうちの宗也を除く三人が常人ならざる力を持って戦っているという何とも異様な光景となっている。
アンナは諏訪とグローケンに発砲しながら、距離をとって戦っている。一方でグローケンはあくまで諏訪のサポートに専念しているらしく、本気を出して戦っているとは言い難い様子だった。諏訪の方は、アンナの攻撃を凌ぎつつも隙あらばアンナとの距離を詰めようと機を伺っている。
しばらく膠着していた戦況だったが、次第にアンナが劣勢に追い込まれていることに宗也は気付いた。諏訪とグローケンの2人は徐々にアンナを逃げ場のない路地裏へと誘導していたのである。アンナもそのことに気付いたが、時すでに遅しだった。あんんはとうとう路地裏の行き止まりへと追い詰められてしまった。
「手こずらせやがって。もう逃げられねぇぜ、お嬢さんよ」
「君のような子供に追い詰められるとはね。どうやら私も腕が鈍っていたようだ」
アンナは強気に振舞っていたが、額には汗が滲んでいた。
「土地勘が無かったのが災いしましたねぇ。諏訪くん、もう終わらせてあげなさい」
グローケンは勝ち誇ったように諏訪に言い放った。
「……できればサシで戦いたかったが仕方ねぇ。くたばれ」
諏訪は刀をアンナの頭上に振り上げた。後ろではグローケンが待ち構えており、アンナが逃げようとする素振りを見せるならばすかさず攻撃を繰り出そうとする構えを見せていた。もしかして諏訪は本気でアンナさんを殺そうとしているのか。そう思えるほど、諏訪の目には明確な殺意が宿っていた。
(まずい、アンナさんが殺されてしまう)
宗也は急いでアンナが持っていたバッグを拾い、中身を見た。自分にも何かできることがあるかもしれない。彼女を諏訪に殺させるわけにはいかない。そんな思いで、宗也は必死にバッグの中身を漁ったが目ぼしいものは木箱に入っていた白い石だけだった。
俺は黙って指をくわえて見ていることしかできないのか。また諏訪に勝てないのか。いや、そんなことはどうでもいい。彼女を助けるだけの力が欲しい。藁にもすがる思いで、白い小石を握り力を込めて言った。
「諏訪との勝負なんかどうでもいい。俺に催事なものを守れるだけの力を貸してくれ!」
その瞬間、握っていた小石が光った。眩い光が宗也の身体を包み込んだ。突然の現象にグローケンと諏訪も思わず宗也の方を振り返った。アンナは光に包まれた宗也を見て、呟いた。
「まさかあれは覚醒……!?」
しばらく宗也を包んでいた光は徐々に消え始め、やがて光は宗也の右手に収束していった。宗也の右手には諏訪の物とは別種の刀が握られている。
「まさかあれはアルヴァウェポン!何故あんな子供が!?」
グローケンが叫んだ先には宗也が目を閉じて立っている。諏訪も目を細めており、アンナは信じられないような表情で宗也を見ている。宗也の刀は諏訪の物とは異なり、刀身が青く光っていた。
「『適応率七十パーセント』。アンナさんから離れろ」
宗也は目を開けると、静かに言い放った。その瞬間、宗也の周りには風が巻き起こり諏訪とグローケンを威圧した。諏訪とグローケンの肌にはピリピリとした衝撃が走った。
「まさかいきなり七十パーセントだと!?」
アンナは驚きの表情を見せた。宗也は静かに諏訪とグローケンに向かって歩き始めた。
「諏訪くん、危険です、ここはひとまず退散しますよ!」
「何言ってやがる、あの宗也だぞ?俺が負けるはずがねぇ!!」
グローケンの話に耳を貸さず、諏訪は宗也の方へ構えた。
「思い知れ!俺の力を!」
諏訪は思いっきり刀を振り下ろすと、赤い衝撃波が真っ直ぐに宗也の方へ向かっていった。
「少年!」
諏訪の背後に位置どっていたアンナは叫んだ。宗也はその声に呼応するかのように刀を水平に振った。すると諏訪の放った赤い衝撃波とは異なり、青い衝撃波が生まれ諏訪の衝撃波とぶつかった。威力は同等かと思われたが、宗也の青い衝撃波が諏訪の赤い衝撃波を打ち破ってそのまま諏訪の方へ向かっていった。
「ばかな、俺の攻撃を上回っただと!?」
諏訪は驚きのあまり呆然としていると、グローケンが咄嗟に諏訪の前に立ち鎌を構えた。グローケンは宗也の放った衝撃波を受け止め、あっさりとかき消した。
「……博士」
「やれやれ、アルヴァコアの力に頼りすぎるのが君の未熟さですねぇ。坂城アンナに組み伏せられたのを忘れたのですか?」
グローケンは諏訪に向かって笑いながら言った。
「ここはいったん引きます。異論はありませんね?」
「……ああ」
グローケンと諏訪は勢いよくビルの屋上へと飛び上がった。
「待て!この街で何をする気だ、グローケン!」
アンナは屋上に立ったグローケンに向かって叫んだ。
「ここで私が教えずともやがて知ることになりますよ。私がこの街で何をしようとしているのか。それとも今ここで決着をつけますか、アンナ嬢?」
アンナは先ほどの戦いですでに疲労困憊だった。宗也は一見余力を残しているように見えるが、力の覚醒の影響で立っているのがやっとだった。
「また会う時が来るでしょう。ではごきげんよう」
グローケンは着ていた黒いコートに諏訪を包み込むと、ゆっくりと消え始めた。
「また会おうぜ、宗也。お前は必ず俺が倒す」
諏訪は消えゆく最中、宗也に強い眼光を光らせていた。
グローケンと諏訪が消えた後、アンナはその場に座り込んだ。宗也は緊張の糸が切れたように、がくっとその場に崩れ落ちて大の字に倒れ込んだ。
「大丈夫か、少年!」
アンナは崩れ落ちた宗也を見て、慌てて駆けつけた。
「なんか急にものすごい疲労感が……」
「それがアルヴァコアの覚醒による副作用だ。身体のエネルギーを大量に使うため、覚醒時は特に消耗が大きい」
アンナはゆっくりと宗也の上体を起こした。
「それにしてもあれだけ大きな戦闘があったのに誰にも気付かれないとは……」
「このあたりのこの時間帯は人気が全く無くなりますからね。気付かれなくてよかったですよ。一般人が来たら間違いなく戦闘に巻き込まれて怪我人が出てましたから」
「先ほどまで君もその一般人の一人だったのだがな……」
アンナの視線の先には宗也の右手に握られている竹刀があった。先ほどの戦闘で宗也が持っていた青い刀は、戦闘が終わるとただの竹刀に変化していた。
「とりあえずどこも怪我が無くてよかったよ。まぁ服は汚れているがな」
「アンナさんもボロボロじゃないですか」
宗也が笑いながら言うと、アンナはきょとんとした顔になった。
「君は凄いな。あれだけの戦闘があったのに数時間後には笑っているとは。恐怖心はなかったのか?」
「そりゃあ今になってみれば怖くてたまらないですけど、あの時はアンナさんを助けることばかり考えてましたから。今は無事でいてくれてよかったです」
宗也は自分の力で立つと、握っていた竹刀をまじまじと見つめた。
「さっきの力は一体何なんですか?俺、アンナさんのバッグから白い石を取り出したらなんか光って刀になったんですけど」
「ここまできたら話さなければならないね。もう君も部外者じゃないんだ。君や敵が使っていた力が何なのか。そして私が何者なのか、ということもね。」
アンナは落ちていたバッグを拾いあげて駅の方を指さした。
「立ち話もなんだし、私のラボに来ないか?」
そこは駅からさほど離れていない、雑居ビルの地下にあった。アンナと宗也は薄暗い地下への階段を下りていった。階段を下りながら、宗也は駅の近くにこんな場所があることを初めて知った。長い階段を下り終えると、突き当りに扉があった。アンナはバッグから鍵を取り出して扉の鍵を開けて、壁についているスイッチを押した。するとパッと部屋が明るくなり、先ほどまでの暗い通路には明かりが差し込んだ。部屋の中はオフィスのようにデスクが並べられており、その上には何台ものパソコンが置かれている。部屋の中は十畳ほどのスペースがあり、奥にも幾つか部屋があるようだった。アンナは着ていたコートを脱ぎ、掛かっていた白衣を着て部屋の隅にある台所に行ってお湯を沸かし始めた。
「そこらへんに座ってくれていいよ」
アンナは入口の手前にあるソファを指さした。ソファの前には丸いテーブルが置かれている。宗也は言われるままにソファに座り、辺りを見渡した。壁には何やらよくわからない数式やら絵が描かれており、デスクの上は様々な書類が置かれていた。
「コーヒーでいいかな?」
「はい、ありがとうございます」
アンナはいそいそと二人分のコーヒーを用意すると、宗也の座っているソファまで運んできた。
「ブラックでよかったかい?それとも君にはミルク入れた方がよかったかな?」
「大丈夫ですって、飲めますよ!」
アンナはにやにやしながら聞いてきた。本当は宗也はブラックがあまり好きではないのだが。昨日明科と喫茶店に行ったときにブラックに慣れておいてよかった……と宗也は思っていた。宗也がコーヒーを一口飲むと、向かい側のソファにアンナが座った。白衣は既に脱いで壁に掛かっており、今はコートの下に着ていたニットのワンピース姿になっていた。宗也はその姿に一瞬どきっとしながらも、落ち着きを払うかのようにコーヒーを飲んだ。
「白衣は着なくていいんですか?」
「どうも堅苦しくてね。今はエプロン代わりになっているよ」
彼女は外ではしっかりしている大人の人というイメージだったが、案外そうでもないのかもしれない。アンナはコーヒーを一口飲むと、顔を引き締めた。
「どこから話そうかな……そうだな、では昔話を少しだけ」
アンナは軽く咳ばらいをしてから、ゆっくりと話しを切りだした。
「数年前、ある未知の資源がとある海域で見つかった。その資源は一見ただの石にしか見えないが、膨大なエネルギーが含まれていることをある科学者が発見した。仮にその科学者をSとしようか。」
アンナは一息ついてから話を続けた。
「Sの研究所には、数人の助手と一人の同僚の科学者がいた。この同僚を仮にGとしようか。SとGは昔からの親友だった。」
宗也はアンナのバッグに入っていた不思議な石のことを思い出した。
「SとGはある海域から大量にその石を持ち込み、連日石の解析に没頭した。始めは普通の人間が触れても何も起きなかったが、Sが触れるとその石が光って別の武器に形を変えることが判明した。しかもその武器が現在の科学力では説明できないような、強大な力を持っていることが分かった。しかしSに反応した石は一つだけで、他の石に触れても何も起きなかった。一方でGや他の助手たちは、全ての石に触れても何も起きなかった。GとSはその石を『アルヴァコア』と名付けた。古い文献によると、百年前にもアルヴァコアは空から降ってきていたらしい。そのことについての文献はあまり残っていなかったがね」
「その力っていうのが俺がさっき発現させた力ってことですか?」
「まさしくそれだ。君がグローケン達相手に見せたあの力はまだ序の口に過ぎないがね」
アンナはコーヒーをかき回していたマドラーをぴっと宗也の方に向けた。
「Sはアルヴァコアの力を平和のために使いたいと考えていた。彼の夢は世界中を科学の力で平和にすることだったからね。しかしGの考えは少し違っていた。彼は平和こそ望んでいたがそのためには圧倒的な力で他をねじ伏せることこそが重要だと考えていた。」
アンナは続けた。
「SとGは次第に意見の対立が多くなっていき、両者の溝は深くなっていった。それはSだけがアルヴァコアに選ばれし人間であったことも関係していただろう。さらに両者の考えであるSの“平和のための力”とGの“征服のための力”は徐々に他の助手たちにも波及していってしまった。」
「なんだか怪しい展開になってきましたね」
宗也はマドラーをアンナから受け取って、ミルクをコーヒーに入れてくるくるとかき回した。
「アルヴァコアに選ばれなかったGは必ずこの力を手に入れたかった。そのために誰でも石の力を使えるように開発したのが、アルヴァコアを元にしてして作った黒い石、通称『ネオ・アルヴァコア』だ。この石は誰でも、触れれば力を使えるようになる。少年はこの石の出現をどう思う?」
「……喜ばしいとは言えませんね。何より危険が多すぎる」
アンナはゆっくりと頷いた。
「Sも同じようなことを考えていた。アルヴァコアの力は容易に使っていいものではない、とね。しかし研究所のほとんどの助手はGに賛同してしまった。誰でもアルヴァコアの力が使える、というメリットはそれほど魅力的だったんだ」
宗也は姿勢を正し、コーヒーを飲みほした。
「ついにSとGの間ではアルヴァコアを巡っての争いになった。勝負は互いにアルヴァコアの力を使って一対一の決闘を行い、負けた方が勝った方の部下になるというルールだった」
「それでその勝負はどうだったんですか?」
「……結果は僅かな差でGが勝った。これによってSがGの部下になることになった。しかしGはSの危険性を知り、やがて自分が喰われると考えて勝負の決着がついた時点でSを抹殺してしまった
「まさか人殺しまでするとは……」
宗也は動揺を隠せなかった。
「公平を規するため決闘の場面に居合わせたのはSとGだけ。他の助手たちにはGがSは不慮の事件で死んだと嘘を伝えたんだ」
アンナはふぅと一息ついて時計を見た。時刻は既に十一時を過ぎていた。
「こうしてGはアルヴァコアの力を独占することに成功した。今では世界をアルヴァコアの力で掌握するために暗躍している。もう君も薄々気付いているだろう?」
「まさか……」
「そう、Gこそが先ほどの黒マントの男であるウィリアム・グローケン、そしてSが私の亡き父である坂城アルヴァートだ」
「アンナさんってハーフだったんですか?」
「父がアメリカ人で母が日本人なんだ。母は今はアメリカで健やかに暮らしているよ」
「そうだったんですか。どうりで綺麗だと思いました」
「お世辞として受け取っておくよ。」
アンナは長い美しい金髪をかきあげて、微笑んだ。そこまで聞いたときに宗也は一つの疑問が浮かんだ。
「アルヴァート氏とグローケン氏の二人きりの決闘なら、アルヴァート氏が殺されたことはグローケン氏しか知らないですよね?何でアンナさんは知ってるんですか?」
「実は私は小さいころから父の研究所によく出入りしていてね。研究の話もよく両親がしていたのを盗み聞きしていたよ。決闘の場面も偶然物陰から見てしまったんだ。むこうは気づいてはいないようだったがね」
「なるほど、それでそんなに詳しかったんですね」
アンナは二杯目のコーヒーを彼女と宗也のカップに注ぐと、長い金髪の髪がたなびいた。
「それじゃあ最後の話をしようか。現在分かっているアルヴァコアの仕組みについて、だ」
「これのことですね」
宗也はそばに置いてあった竹刀をテーブルの上に置いた。
「アルヴァコアには人の想いを具現化する力があると言われている。具体的には人間がアルヴァコアと呼ばれる石に触れると、触れた人間の心の奥底にある最も印象の強い物の形に変化する。私たちはそれを『アルヴァウェポン』と呼んでいる」
「アルヴァウェポン……」
宗也は手元に置いてある竹刀を見た。
「そしてアルヴァウェポンに宿る力は持ち主の心の強さによって決まる。例えば人を殺したいと思っている人間のアルヴァウェポンは殺傷能力の強い武器となる。逆に人も殴れないような優しい人間のアルヴァウェポンは危険性の低い武器になる」
そこまで言って、アンナは真剣な顔を緩ませた。
「……と、言われている。まだまだアルヴァコアには解明できていない謎がたくさんあるからね」
アンナは続けて、ホワイトボードに書かれている文字を指さした。
「アルヴァコアの力を使う者は『アダプター』と呼ばれている。一方でネオ・アルヴァコアの力を使う者は『ネオ・アダプター』と呼んでいる。グローケンや諏訪君という君の友達もおそらく君と同じ、アルヴァコアに選ばれたアダプターだろう。まさかこの街で二人のアダプターが生まれるとはね。そう簡単に石の適合者は出ないはずなんだがね」
「アンナさんもアダプターですよね」
「ああ。だが私は小さいころからそのような適性があったらしい。父がアダプターだったから、アルヴァコアの適応には遺伝的なものも関係していると私は考えているよ」
「……アルヴァコアの力はよく分かりました。俺からも一つ聞いていいですか?」
「もちろん」
「アンナさんは何故この街に来たんですか?アルヴァコアが見つかったのは日本じゃないんですよね。この街はなんの変哲もない地方の田舎だし、この街に来る理由はないんじゃ……」
宗也はこの研究所に来た時から思っていた疑問をぶつけてみた。
「それはグローケンがこの街に来たからだよ。奴は私の父を殺した後、数名の研究員を連れてある日突然姿を消したんだ。それからしばらく経って、グローケンがこの街に潜伏していることを私は突き止めた。何故彼がこの街に来たのかは謎だが、私は奴を追ってこの街に来たんだ」
「それでこの場所に研究所を作ったんですね」
宗也は背筋を伸ばし、アルヴァウェポンと呼ばれる竹刀をしまった。
「アルヴァウェポンの使い方はさっきの戦闘の通りだ。力の覚醒時に使用者は自然とその武器の使い方が分かるようになる。またアルヴァコアの適応率というものがあり、数値が高いほどよりアルヴァコアの力を引き出すことができる」
「俺、いきなり七十パーセント出ちゃったんですけど……」
「君のような例は見たことがないよ!いきなり七十パーセントなんて。普通、十、二十と上がっていくものだからね」
「俺、もしかして才能あるんですかね?」
宗也は照れながら頭を掻いた。
「まぁ何にしても君はもう普通の人間じゃないんだ。この力はむやみやたらに見せていいものじゃないということは覚えておいてくれ」
「こんな力、街中で使ったら間違いなく騒ぎになりますしね」
アンナは飲み終わったカップを台所に持っていった。
「これで一通り話は終わりだ。夜遅いから君ももう帰った方がいい。私が送っていくよ。何かあったらこの研究所に来てくれ。ただしここは秘密裏に使っているから人には知られないようにしてくれよ?」
「分かりました。ありがとうございます」
宗也とアンナは身支度をした後、研究所を出た。外はすっかり暗くなっており、春にも関わらず冷たい空気が流れていた。
宗也はアンナの自動車で家まで送ってもらうことになった。彼女の車は赤色で、日本ではなかなか見ないような派手な車だった。車の中は洋楽が流れていたが、宗也には知らない曲だった。おそらく彼女の好きな曲なのだろう。
「かっこいい車乗っているんですね。ちょっと意外です」
「日本に来た当初、足がないと不便だろうと思って適当に買った車だ。あんまり自動車にこだわりが無くてね」
(適当に車買ったって、この人どんだけ金持ってるんだ……)
科学者ともなれば稼ぎもいいのだろうか、と宗也は助手席の窓の外を眺めながら考えていた。街中は暗く、明かりがちらほらとついている程度だった。
「偶然とはいえ、君には私たちの問題に巻き込んでしまって悪かったね」
「いえ、俺の知り合いも関わっていることですから」
「諏訪くん、といったかな。彼はおそらくグローケンに騙されているんだろう。彼も一刻も早く、奴の手から助け出さないといけないな」
「諏訪は常に力を欲していました。あの力もきっと、彼自身が望んでいたものだと思います」
「そうか……そういう人間ほどアルヴァコアの力に魅せられやすい傾向にある。もしかしたらグローケンも彼にそのような素質を見出したのかもしれないな」
アンナは軽快なハンドル捌きで夜の道路を運転している。
「しかしそのような人間でも放っておくわけにはいかない。あの力は君たちみたいな高校生が持つには危険すぎる」
「そうですね」
宗也は神妙な面持ちで考えた。宗也としても、諏訪がこのまま間違った道に進んでいくのは耐えられなかった。自分に何ができるのか。力を持った今、諏訪やグローケンとも対等に戦えるのではないか、と。
そんな宗也の考えを察したように、アンナが前を向いて運転しながら横に座っている宗也に言った。
「君は何もしなくていい。さっきも言ったが、これは私とグローケンの問題だ。私が必ず父の仇であるグローケンを倒して、少年の友達も助けてみせる。」
「でもそれじゃアンナさんも危険な目に……」
アンナは宗也の頭に手をやり、優しく語りかけた。
「先ほどの戦いでも感じただろうが、この戦いは危険なんだ。何より私は少年には高校生として普通の生活を送っていてほしいんだよ。約束するよ。必ず君の友達を連れて戻ってくる」
宗也は本心では彼女と一緒に戦いたかった。彼女は頑張っているのに自分はただ待っているだけでいいのか、と。しかし先ほどの戦闘のことを思い出すと、恐怖で口が震えて「俺も戦います」とはとても言えなかった。
そのような話をしているうちに宗也の家の近くまで着いた。アンナは宗也の家の近くに車を停めた。
「この辺でいいかな。こんな時間まで付き合わせてしまって悪かったね。親御さんもきっと心配しているだろう。何かあったらいつでも連絡してくれ」
宗也とアンナは研究所を出るときに連絡先を交換していた。宗也は車から出ると、彼女が助手席の窓を開けた。
「はい、色々とありがとうございました」
宗也は何度もお礼を言って、彼女と別れた。宗也は彼女の車を見送ってから家に入った。誰もいない家はしんとしていた。宗也は家に入ると自分の部屋のベッドに直接いつてそのまま寝転がった。思えば今日は色々な出来事があった一日だった。アンナとの出会い、諏訪との邂逅、未知の敵との戦闘……宗也の頭で考えるにはあまりにも情報量の多い日だった。色々考えているうちに、宗也は気づいたらそのまま寝てしまった。