君は春の夢を見て
お姉ちゃん。
あのね、あそこの桜、春になったら赤い花が咲くのよ。とってもきれいなの。
そしたらね、あの子とあたし、木の下で遊ぶのよ。
* * *
A県、丸山町の春は遅い。他の地方で桜が満開の時でも、まだ梅が咲いている。桜が咲きだすのは四月も半ば近くになってからだ。
肌寒さが残るある日の放課後。学校の教室で、俺、榛原修司十六歳、町立丸山高校二年B組、出席番号二十六番は追い詰められていた。
「今日こそは、俺に君の写真を撮らせてくれ!」
目の前には、俺に迫る同級生が一人。
「畑山……おまえ、暇なのか? 毎日毎日、俺んとこ来ては写真写真って!」
「君が最高の被写体だからに決まってるだろう!」
叫ぶ畑山真十六歳。同じく二年B組出席番号二十七番。ちなみに生徒会長。
この学校では普通、三年生が二学期まで会長をつとめ、二年生は副会長をつとめる。会長になるのは三学期、三年生が引退してからだ。それが慣例だった。
だと言うのに二年になった途端、ぶっちぎりで会長に選ばれた。さわやかな笑顔ときらりと光る歯が優等生を演出する、丸山の『王子様』である。
「嫌だっ!」
「何を言うっ! それほどの才能に恵まれておきながら。君は自分の才能を捨てると言うのかっ! 何と言う傲慢。何と言う許しがたい所業っ!
いいや。君が君の才能を捨てると言っても俺がそうはさせるものか。天が許しても、この畑山真が許さん!」
「ドラマの広報か何かか、おまえはっ!」
畑山の奴、顔も頭も良いくせに、何だってこうヘンタイなんだ!
「カイチョー。また榛原を口説いてんの〜?」
のんびりとした声がかかった。B組のクラス委員長、篠崎りつ子。ちょっとぽっちゃりした、かわいい系。後ろから里中洋子が顔を出した。篠崎の親友で、生徒会の書記係。色白の、おとなしめの美少女だ。男子にはちょっと人気がある。
「会議始まるよ〜。洋子がずっと待ってるんだよ、準備してよ。榛原、身持ちカタイんだし。そういうアプローチだとかえって引いちゃうって」
「むっ。もうそんな時間か。修司に俺の思いのたけを伝えていたので、時の過ぎるのに気づかなかった」
「やだ〜。カイチョーったら」
畑山と篠原の発言に、隅の方に固まって、こちらを見ながらひそひそ言っていた女の子たちが「きゃ〜!」と言って笑った。
「篠崎……助けてくれるのはありがたいんだけど。その言い方、誤解を招くからやめてくれない? 畑山も、せっかく王子なんて呼ばれてるんだから、もうちょっとマシな趣味を見いだした方が……」
脱力しながら俺が言うと、畑山が言った。
「何を言うか! 俺の心には今、君の写真をとるという大事業が輝いているっ。寝ても醒めても考えるのは君の事ばっかりだ!」
「だからその言い方やめろって! 迷惑なんだよ、おまえの趣味!」
半分泣きそうになりながら、俺は叫んだ。
「心霊写真がとりたいからって、俺を呼びに来るのはやめろ〜っ!」
魂の叫びだった。
榛原修司は、歩く心霊写真量産人。そんな噂が流れるようになったのは、いつからだろう。
幼稚園に入ったばかりのころ、遠足に行った。遠足と言ってもちょっとそこまでという、お遊びみたいなものだ。子どもたちが仲良くなるように、との園からの配慮みたいなものだった。
集合写真には、いるはずのない人影が写っていた。半分透けた状態で。カメラ目線でピースサインをしながら。
なぜピースサインなのかは知らない。
写真を撮った先生はぶったまげ、配布するか否か悩み、他の写真も調べてみた。そうしたら出るわ出るわ、その日撮った写真のほとんどに、微妙な人影やアヤシゲな光る玉が写っていた。
先生はそこで考える事を放棄して、集合写真を焼き増しして配ったらしい。どうしようもないと思ったのだろう。それにごく小さな人影だったので、親御さんたちにはカメラの調子が悪くって〜、とか何とか説明してみたいだ。
お寺の人とかにも一応、相談はしたそうだ。でも『写真にピースサインをしている幽霊(?)が写っています』と言った所、沈黙の後、問題はないだろうという返事をされた。イタズラと思われたのかもしれない。気の毒に。
なんでこんな事にと首をひねっていた先生がただったが、続いて母の日や父の日、運動会なんかの行事が行われた際、阿鼻叫喚の状態になった。
わが子の晴れ姿を見ようと、親御さんたちは勇んで来る。じいちゃんや、ばあちゃんなんかも来る。
カメラやビデオを持参して。
そこでパチパチ、ジー、なんてやってた人たちは、家で確認した時、悲鳴を上げた。ほとんど全ての写真や映像に、光る筋とか妙な顔とかピースサインをびし! と決めている、透けている人たちが写っていたのだ。
慌てふためいた親御さんたちは、幼稚園の先生がたやら、お寺の人たちに電話をかけまくった。
この時もピースサインだった。何か意味があるのだろうか。
お寺の人たちは汗をかきかき、写真を検証したようだ。どうやったのかは知らないが。それで一応、害はないようだと言った。それでも怖がる人には、『お炊き上げ』をしたらしい。かなりの量の写真が連日燃やされたと後から聞いた。
呪われているのか? と戦々恐々の状態になっていた先生がただったが、クリスマスと餅つき大会をやった時には、そういう事は起こらなかった。やれ良かった、と思っていたら、二月の節分の豆まきで、パチリとやったのにやっぱり半透明な人が写っていた。
ピースサインで。
一体何なんだ、コンチクショウと先生がたが思ったのも無理はない。緊急会議が開かれた。先生がたは額を突き合わせ、他の行事とクリスマス、餅つき大会のどこが違っていたのかを検証した。
そうしたら、他の行事には出ていたが、クリスマスと餅つき大会の時、風邪を引いて休んでいた子どもがいた事が判明した。
俺だ。
その時はでも、まさかという感じだったらしい。園児の心に傷をつけてはという配慮もあった。でもある時、一人の先生がちょっと試してみようと思い立った。
「修司ちゃん、ちょっとそこに立ってみてね。写真撮りましょうね〜」
疑う事を知らない純粋な子どもだった俺は、嬉々として写してもらった。
一方、映像の確認をした先生は卒倒しかけた。俺を撮った写真には、有象無象の光る玉、アヤシイ人影、顔、ピースサインをしまくる半透明の人々が写っていたのだ。隅から隅までぎっしりと。
それからというもの、園で何か行事がある時には、俺は「ちょっとその辺にいてね」と横に追いやられるようになった。気の毒に思ったらしい先生が必ず一人付き添って、『榛原修司係』というのをやってくれたのだが、それも他の園児の写真に俺が入り込まないように、との見張り係みたいなものだった。
何だか変だな〜と思いつつ、それでも幼稚園は楽しかった。特に問題もなく、俺は卒園した。
小学校に上がると、やっぱり遠足があった。この時にも集合写真に半透明の人影が写っていた。
運動会があった。参観日があった。いちご狩りや芋ほりなどの行事があった。
どれにも必ずアヤシイ人影が写っていた。この頃になると周囲も慣れてきて、「またか」という感じになっていた。どうも俺が元凶らしいという話も流れて、逆に、「面白いから一緒に写真を撮ろう」という感じで妙に人気者になった。その頃が、俺の人生にとっては一番良い季節だったのかもしれない。
転機は中学に上がった頃に訪れた。
うっとおしい夏のある日。夏休みだった俺は一人で留守番をしていた。
その頃、妹の友美がバレエを習っていたのだが、発表会か何かがあって、家族全員が出かけていたのだ。お袋はもちろんの事、姉である綾子も可愛い末っ子の晴れ姿を見に行った。俺だけが残った。風邪だったのだ。
たまたまつけたテレビでは、心霊特集を組んでいた。夏に良くあるタイプのやつだ。何気なく見た俺は、一時間ぐらいあるその番組の、最初の三十分を見て……、
残り三十分は気絶していた。恐怖のあまり。
「何とでも言ってくれ。俺は怖がりだ。ああ、怖いとも! 幽霊なんて見たくもない。聞きたくもない。気配を感じたくもないっ!」
叫ぶ俺を呆れたように、友美が見上げた。自宅のリビングで、ポテトチップの袋に手を突っ込みながら。
「お兄ちゃん、ダサい」
現在小学六年生の妹は、生意気盛りだ。
「傷心の兄を気づかおうという思いはないのか、妹よ」
「あるわけないでしょ」
ぱりぱり。ポテトチップを食べながら友美は言った。おしゃれに興味が出てきて最近、ツインテールに凝っている。今もツインテール。アニメのヒロインのようだ。
「いーじゃない、写真ぐらい。一枚撮らせてあげたら満足するんじゃないの、その生徒会長さんも。お兄ちゃんの事だから、一発で心霊写真になるよ」
「それが嫌なんだ〜っ!」
叫ぶ俺に、友美は眉をしかめた。
「どの写真にも写ってるんだぞ? なんかアヤシイのが。嫌じゃないか。嫌だろう? どうなるんだこの先、俺。彼女と一緒に記念撮影もできないのか? バイクの免許の写真にも写られるのか? 何の思い出も作れずに青春が過ぎるのか? 生徒手帳の写真にも写ってるんだぞ。だから生徒手帳、持ち歩けないんだ、怖くって! おかげで校則違反だとか何とか、どれだけ難癖つけられた事かっ。悲惨すぎるだろう、俺!」
友美は、ぱりぱりとポテトチップを食べている。醒めた目をして。
「その辺は生徒会長さんが、助けてくれたんでしょー? お兄ちゃんの恩人じゃない。恩人の頼みぐらい、聞いてあげれば良いのに」
「それとこれとは別っ!」
俺は吠えた。
「それに畑山の頼みを一度でも聞いたら多分、なし崩しでいろんな所に連れ出されて、写真撮られそうな気がする。マニアだからあいつ」
畑山真、丸山高校の『王子』。別名、『オカルトの王子様』。彼の自室にはそれ系の本やグッズがあふれている。顔よし、頭よし、性格もそれなりの男にいまだに彼女ができないのは、その辺りが原因であるそうな。
俺も高校に入りたての何も知らない頃、さわやかに笑顔を振りまいて来た奴にだまされ、部屋に連れていかれた事がある。ピュアな心の俺はそこで、恐怖の体験をした。
さわやかに笑う奴に、コックリさんをしようと持ちかけられたのだ。
考えてみてほしい。高校生の男二人が、密教のなんたらとか、魔術のどうたらとかいうポスターが貼られ、何とかの香とかローソクとかの置かれた部屋の中で、二人きりでコックリさんをするのである。
異常な状況だと思うのは俺だけだろうか。
畑山はそうして、ちょっと頬を染め、はにかみながら言った。
『実は、君の事は前から知ってたんだ。だから早く、この部屋で二人だけになりたかった……』
コックリさんがしたくて。
君となら、魔王だって降臨させられるよ! と叫ばれ、俺は泣きながら部屋を飛び出した。無垢だった俺よ、さようなら。もう友情なんて信じない、と心の中で叫びながら。
「そう言うわけで、畑山は恐怖の大王みたいなものだ。隙を見せれば、ずるずると引きずり込まれる。俺は連日、コックリさんをさせられるかもしれない」
「別にいーじゃない、それぐらい」
「友美。人生において、小さな事をないがしろにする奴は、大きな事もできなくなるんだ。千里の道も一歩から。大きな堤防も、小さな穴から決壊する。『別に良いじゃないか、それぐらい』。その心が自然を破壊し、やがては人類を滅亡に導くんだぞ!」
「コックリさんが世界を滅亡に導くなんて壮大な事言うの、お兄ちゃんぐらいだよ」
うるさそうに言うと、友美はポテトチップをぱりぱり食べた。
「友美。おまえまさか、学校でやってるんじゃないだろうな。コックリさん」
「今は、キューピッドさんが人気〜」
「馬鹿者! んな事してたらどっかおかしくなる! するな! なんかあったらどうするんだっ!」
「付き合い上、断れない事もあるの〜」
リーマンか、おまえは。
「別にあんなの、遊びだよ。何か来るわけでもないしさ。誰かが動かしてるだけ。意味なんてない。お兄ちゃんがやったらわかんないけど?」
「俺は絶対、せんっ!」
怖いから。
吠えてから俺は、ふー、と息をついた。
「あのな。冗談じゃなく、するな。変に自己暗示にかかって自分は運が悪いと思い込んだり、逆に自分は偉いって思い込んで、妙な行動に走る人間もいるんだから。おまえはゲームのつもりでも、巻き込んだ人間がおかしくなる可能性もある。みんながみんな、心が強いわけじゃないんだよ。
誰かをおかしな方向に押しやる、その背を押す真似はするな。そのつもりはなくても、おまえがそうする事で、その子を悪い方に押してるかもしれないんだぞ」
「そんなのあたし知らないし。弱いのは向こうの勝手でしょ」
「友美!」
怒鳴った俺に、友美は醒めた目を向けてきた。
「どうだっていいじゃない、どうせ他人の事なんだから。誰が何したってダメなやつはダメだし。あたし、そんなのと関わってる暇なんてない。
学校でもずーっと休んでる子がいてさ。その子の為に千羽鶴を折りましょう、なんて言い出すやつがいて。クラス中が折ってるのよ、今。馬鹿みたい。
良い事言ってるみたいだけど、お見舞いに行く子、どれだけいるの? 何度も続けて見舞いに行く子なんていないよ。千羽鶴を折ってるのも、自分がそれやってるって事が単に楽しいから。これだけやったんだ、してやったんだーって思いたいからじゃない。自己満足よ、単に。その子のためなんかじゃない」
俺はちょっと目を見張った。苦々しげに言う友美に。
「おまえはそう思うかもしれないけれど。受け取った方は、うれしいかもしれないぞ」
俺がそう言うと、友美は尖った目線をこちらに向けた。
「お兄ちゃんに何がわかるのよ」
「さあ。多分、わかってないんだろうな。俺は頭よくないから。でも、おまえにとっては偽善でもさ。受け取った方はうれしいかもしれない。自分の事、覚えていてくれたって、そう思えるから。
それってうれしいよ。誰かが自分の事、覚えていてくれた、考えてくれていたって思うのはさ。
その日、一回でもそう思う事ができたら、つらい事があっても大丈夫だって思えるかもしれない。そうしたら、何かあってももう一日、生きていけるって思えるかもしれない。……そう思ったら、無駄な事なんて何一つないよ」
ばさっ、という音がした。友美は思い切り、ポテトチップを俺に投げつけてきたのだ。
「そんなのあたしに関係あるわけないでしょ、馬鹿!」
叫ぶと友美は、ばたばた走って行ってしまった。
「年頃の妹は難しい……」
ポテトチップの残骸を払いのけながら、俺はつぶやいた。
夜、コンビニに行った俺は、帰り道に遠回りをして公園の方に向かった。そっちには桜並木がある。咲いているかどうか、確認したくなったのだ。
桜並木は、この町の自慢だった。何もない田舎町だが、これだけは胸を張れる。昔、誰かが一本の桜をここに植えた。それがきっかけとなり、桜は次第に増えていった。
ここはそうして町の名所になった。宅地造成や区画整理で何度か潰そうという動きが出たらしいのだが、町の名所を潰す気かと叫ぶ者が必ず出て、残されてきた。中には百年以上の樹齢の木もある。
「あれ?」
並木の方を見た俺は、誰かが立っているのに気がついた。まだつぼみが固い桜ばかりで、ライトアップの準備もあまり進んでいない。街灯がぼんやり照らす暗がりは、ちょっとばかり不気味だった。そこに立っている、誰か。
セーラー服の女の子。
都会ならいざしらず、この田舎町では、十時を過ぎれば制服でうろつくような学生はいなくなる。学生どころか、一般人もいなくなる。健全だ。おかげでコンビニは閑古鳥状態……いやそれは良い。なんで女の子が夜中にこんな所で、ぼーっと立っていたりするんだ?
幽霊か?
そう思いかけ、頭を振る。落ち着け、俺。幽霊なんていない。この世にはいない。怖くない怖くない、男の子は泣かない!
「って、ええ? ちょっと待て。里中?」
セーラー服の女の子は、生徒会書記の里中洋子だった。
「おーい、里中!」
声をかけると、彼女は振り向いた。あれ、という顔になる。
「榛原くん。どうしたの? こんな時間に」
「それ、俺の言う事。何してるんだ? あぶないだろ、夜遅く」
走り寄って言うと、里中はちょっと笑った。
「榛原くん、前から思ってたんだけど。属性がお兄ちゃんだねえ……」
「なにそれ」
「女の子とか、年下の子とかに対して、やたら面倒見ようとするの。条件反射でお兄ちゃんになっちゃうんだね。妹がいるからかな?」
「そうか? 普通だと思うけど。それに俺、姉貴がいるぞ?」
凶暴な姉、綾子は現在花のオフィスレディ。正義感がやたらと強く、日々会社で暴れているらしい。
首をかしげていると、里中は笑った。
「だから、良い具合に弟もしてる。人との間の取り方が絶妙」
「はー」
「あたしは駄目だ。まるっきり長女でさ。気がついたら誰かの面倒見てて、何だかそればっかり」
「妹、いるんだ?」
「うん。小学生。あたしお姉ちゃんだから、……あたしの誕生日をみんなが忘れてても、あの子のお誕生日には、おめでとうって言って、プレゼントを渡すんだよ。にこにこしながら」
「はあ?」
「今日、あたし誕生日だったの」
何だかぼんやりした顔で、里中はつぶやいた。
「ヤなやつだ、あたし」
話がどうつながるのかさっぱりわからなくて、俺は目を白黒した。だが誕生日の一言に、何か言わなくてはと思った。
「そっか。今日か。おめでとうだな、里中!」
「……。そう?」
「そうともさ! 今日という日は、里中が生まれてきて、良かったー! という日だろ。おめでとうで、うれしいよ。
里中がこの世に生まれてきたから、里中に会えて良かったー! と喜んでるやつらがハッピーになれたわけだし。俺も今こうして、話ができてるわけだし。ええっと……だから、えーと」
コンビニの袋をがさごそやって、買ってきたものをかき回す。漫画の雑誌。急に食べたくなったプリンとポッキー。集めている、仮面魔神Kのフィギュアが入っているガシャポンのカプセル。
女の子に渡せる物が何もない……。
「プレゼント!」
我慢しろ、俺の胃袋。そう思いつつプリンとポッキーを、えいや! とばかりに差し出した。
里中はぽかんとした顔でそれを見て、俺を見て、また視線をプリンとポッキーに戻して。
「ありがとう」
と言って、受け取ってくれた。でも何だか面食らっているみたいだった。
「欲しければ、仮面魔神Kもつける」
何だか間がもたなかったので、そう言ってガシャポンのカプセルを差し出すと、里中はそれを受け取って、じっと見つめた。
「それだと持ちにくいか。袋、いる?」
「え、ああ。あの……これ何?」
「ガシャポンのカプセル」
「それはわかるんだけど。中に入っているの……人形?」
「知らない? フィギュアって言うんだけど。特撮ヒーローものの怪人とかが入ってる」
「ああ。そう言えば昔、近所の男の子がこんなのを集めてたような……特撮ヒーローって……」
ちょっと恥ずかしかったが、俺は言った。
「仮面魔神K。悪と戦い弱きを助く。正義は我と共にあり! 土曜日朝八時、絶賛放映中」
沈黙があった。
里中は、黙って俺を見つめた。
それから、ぶはっ! と噴き出して笑い出した。ツボにはまったらしい。体をくの字に折り曲げて、里中は延々笑った。涙まで流していた。
ちょっと、いや、かなり恥ずかしかった。
「笑い死ぬかと思った……」
涙を拭きながら、里中が言った。ハンカチ持参だ。女の子だ。
「そこまで笑うような事か?」
「だってタイミングが……ぶっ、くく。夜の桜並木で、出会った女の子にいきなり仮面魔神……ぶふっ」
まだ笑っている。
「いらないなら返してくれ」
「やだ。これ、あたしへのプレゼントなんだもの」
くすくす笑いながら、里中が言った。
「ありがとう、榛原くん」
「あー。まあ。うん。すまん。そんなので」
プレゼントとしては確かに変だ。自分でもそう思う。そう思っていたら、里中は急に黙ってしまった。
「里中?」
どうしたのかと思った俺は、ぎょっとした。里中が泣いていたのだ。
何で泣いてるんですか、って言うか、この流れでいったら泣かしたの俺? 俺ですか? やっぱりあれ? 仮面魔神Kがまずかったんですかっ!?
内心パニック状態であわあわしていると、里中が、「ごめんね」と言った。
「ご、めんね。ちょっとね。涙腺ゆるくなっててね。な、涙、出てきた。どうしよ」
「ど、どうしよって俺に言われても。ええと、」
泣くのは、ラケットを置いてからよ。
どうしようか考えた俺の脳裏に浮かんだのは、友美が良く見ているアニメのセリフだけだった。テニスの女王様。駄目じゃん、俺!
「えーとあのその、……俺、どっかに行ってようか? その方が良い?」
「ごめん。あたし、迷惑だよね。急に泣き出すし。榛原くん、用事あったんでしょ……行っても」
「そうじゃなくて! なんで謝るかな。里中、何も悪くないだろ。悪いのは無神経な俺の方! 里中は悪くないの! これ決定! いい?」
そう言ってから、付け加える。
「俺がいると、泣いてるの恥ずかしいかなって思ったんだけど。うちの妹が良く、泣いている顔、見るなって怒るから。ちょっと離れてるよ。良ければ」
「ど、して?」
「女の子、こんな暗い所に一人で置いておけないでしょ。少し離れた所にいるから、……」
言いかけた所で、里中が手を少し動かした。俺の方に。
でも途中でそれをやめて、腕を下ろした。
「ごめん、ね? 気、つかわせて」
今のは……、腕をつかもうとしたんだ。昔、友美が良くやった。怖い時や、不安な時、離れないでと腕をつかんできた。
「だから、謝るなって。里中、何も悪くないんだから」
「だって……あたし、」
俺は周囲を見回した。大きな桜の木がある。
「こっち」
里中の腕をつかんで、その木の側に連れていった。そこは街灯の灯りが適度に届いて、適度に暗い場所だった。
「里中はここね」
「え?」
「俺、この木の裏にいるから。暗いから、里中の顔とかわかんないし。裏に回ってたら見えない。でもちゃんといるから」
「な、なんで」
「泣き顔見るなって、ケリ入れられるんだよ、友美に。だから里中の泣き顔とかも見ない。
でも、いるから。良くわかんないんだけど……これで良いのかもわからないんだけど。いるから。涙腺、落ち着いたら呼んでくれる?」
「……」
里中は俺を見てから、黙ってうなずいた。俺は桜の木の裏に回った。
声を殺して泣いている気配がした。でも俺は、見ていない。
しばらくしてから、里中が俺を呼ぶ声がした。桜の木を回ってみると、うつむいて、顔を上げようとしない。
「ごめんね」
「里中、謝りすぎ。なんで顔上げないの? まだ涙腺ゆるい?」
「顔、変になってるから」
「暗くて見えないよ。大丈夫」
そう言うと、おずおずと顔を上げた。
「びっくりしたでしょ。急に泣き出して」
「うん、そりゃね。仮面魔神がまずかったのかなあとか、テニスコートはラケットだよなあとか、思った」
「ラケット?」
なんだそりゃ。という顔をされた。すみません。アニメです。
「俺、何かしたかなって」
「ううん。榛原くんはね。プレゼントくれたし。うれしかった。今日、あたしの誕生日だったんだけど、……家族、みんな忘れてて。でもそれは当然なの」
ぽつり、ぽつりと里中は言った。
「妹がね。ちえりって言うんだけど。心臓、悪くてね。ずっと、入退院繰り返してるの。今日もね。具合悪くなって……だからみんな、あたしの事忘れてて。さっきまで病院にいたんだけど」
なんかすごい、ヘヴィな内容じゃないかな。
「別にね。ちえりの事嫌いってわけじゃないの。あの子、がんばってるし。ほんとに一所懸命だし。お姉ちゃん、お姉ちゃんって、あたしの事うれしそうに呼ぶし。
でも何でかな。今日はあたしの誕生日だったの。今日ぐらい、お母さんにあたしの事見てもらいたかった。洋子、おめでとうって……一言ぐらい聞きたかった。ちえり、苦しんでるのに。あたしそんな事考えてた。なんて嫌な子なんだろうって、自分で自分の事思った。
洋子はお姉さんだから我慢してねって……、しっかりしてるから、一人でも大丈夫よねって。言われるたびに、うん、大丈夫って答えて。お母さん、ちえりの方見てやってって。言って。自分でそうしてきたのに。なんで今さら。あたし、嫌なやつだ……ほんとに」
里中は続けた。
「それで、家に帰ろうって思って。でも少し、桜が見たいなって思ったの。ちょっとでも良いから、花が咲いていないかなって。でも……まだ、全然だった……」
ふーと息をついて、里中は俺を見た。
「何やってるんだろう、あたしって。そう思ってぼーっとしてたら、榛原くんが来たの。誕生日のプレゼントをくれた」
「あ、あれは、……捨ててくれても良いデス」
さすがに慌てて俺が言うと、里中はちょっと笑った。
「どうして? うれしかったよ」
「だって仮面魔神Kだよ」
「そう、仮面魔神K……」
そこで里中はまた噴き出した。情緒不安定?
「ぶふっ! そ、そう、魔神……正義の。く、くくっ。うん。笑っちゃった。は、榛原くんの言い方もまた……、正義は我にある、だっけ?」
「『悪をくじき、弱きを助く。正義は我にあり! 仮面魔神K、君のハートに見参っ!』」
ちょっとヤケになって決めゼリフを言うと、里中はぶはは、と笑った。
「真面目に言うんだもの!」
「別にいいだろ」
「そ、そうだね。えーと、あのね。泣いた理由なんだけど。一度笑ったら、何かこう、今までもやもやしてたのが、一気にざーっときちゃったの」
「ざーっと?」
「うん。悔しいのとか悲しいのとか自己嫌悪とか。そしたら涙、止まらなくなった。止めようとしたんだけど」
「そっか」
「わかるの? 榛原くん」
「いや、全然わからん」
答えてから、里中の方を見た。
「わからないけど、……里中が泣きたくなったのは、普通だと思う」
「……そう?」
「うん。誕生日おめでとうぐらい言えよって、怒るよ俺なら」
そう言ってから、ちょっと考える。
「うちは病人抱えてないから、そう言えるのかもしれないけどな。なあ、里中。明日まで待ってみろよ。言ってくれるよ、お母さん。今日はばたばたしていたんだろ」
「そうだね」
里中はちょっと笑った。
「里中もしんどかったよな。妹、大変だったんなら。そっちのしんどいのもあって、多分、全部がざーっときちゃったんじゃないのかな。
里中、自分の事嫌な奴って言ったけど。それ言うなら、世間の人みんな、嫌な奴になっちゃうぞ。他人の事なんか関係ない、勝手にすればって言う人多いし」
友美の言葉を思い出す。急に怒り出したあいつ。
ひょっとして、あいつも誰かにああいう事、言われたんじゃないのかな。口が達者なようでいても、まだ小学生だ。誰かに何か言われても、言い返せない事もあるだろう。
「里中、いつも他の人の仕事まで引き受けてがんばってるじゃん。生徒会も」
そう言うと、里中は「え?」と言った。
「篠崎が言ってた。洋子は優しすぎるって。お母さんがもし、明日も忘れていたらさ。昨日誕生日だったのって言ってみたら。あ、でもまだばたばたしてたら、ちょっとまずいかもだけど」
「言ってみるよ」
里中は笑って付け加えた。
「実は男の子にプレゼントもらったのって」
「ちょっと待て。お母さんにも見せる気か、仮面魔神を」
「二人で笑わせてもらう」
「ごめんなさい、もうちょっとマシなものあげるから許して下さい」
「嫌。これがいい」
里中はくすっと笑った。
「第一、他のプレゼントって、そういうのは彼女にあげないと。あたしと噂になりたいの? 榛原くん」
「そ、そうか。しまった」
いかん。つい、友美にプレゼント渡すのと同じ感覚で考えていた。
「友美ちゃんの言ってた通りだ。お兄ちゃん、優しいのに抜けてるのって」
クスクス笑って里中が言った。
「え? なんで友美を知ってる……?」
「ちえりの友だちだもの。同じ小学校よ? 良くお見舞いに来てくれてるわ。知らなかったの?」
逆に不思議そうに言われた。ええ? そうなの?
「友美が?」
「そうよ。他の友だちは、一度か二度来たら、もう来なくなったのに。友美ちゃんは、ずっと来てくれてるわ。ちえりも楽しみにしているの。友美ちゃんが来てくれるのを。二人で良く、榛原くんの事話してる」
「俺のことっ?」
妹よ。一体何を。兄の何を話しているんですか。
「変な話じゃないわ。友美ちゃん、お兄ちゃんが大好きみたいね。お兄ちゃんは、友美ちゃんのヒーローなんですって」
「え?」
「困った時にはいつも、飛んできてくれるって。か、」
そこで里中は盛大に噴き出した。
「か、……か、仮面、魔神Kみたいって……いいい、言ってたわ」
ほめ言葉なんですか、それ。ほめてるんですか、妹よ。
その後、緋寒桜を探した。何でも、この並木に一本だけあるそうだ。
「ちえりがね。見たがってるの。桜なんだけど、赤い花が咲くのよ」
「ああ、……それだったら、あの辺かな。伝説があるらしいけど」
俺は並木の奥の方を示した。里中とそちらに向かう。
「陰陽師の伝説でしょ。桜の精と恋に落ちた……でも亡くなってしまって。桜の精は恋しい人をずっと待っているって。恋心をずっと持っているから、それで花が赤いんだって」
「適当な伝説だよな」
「良いじゃない。ちえり、その話好きなの。……これかな?」
里中が首をかしげる。俺も首をかしげた。
「咲いてないから、わかんないな」
「うん……あれ? ねえ、ちょっと。これ」
里中が指さした先には、古びた木々があった。その木々の辺りにロープが貼られ、立て札が立っている。
「観光案内所、建設予定地……? だってここ、桜の木があるのに!」
里中は顔色を変えていた。
「それはあれだ。新しい町長の言い出した、案内所で土産を販売し、町の景気を活気づけよう計画の一部だ」
畑中が言った。俺は眉間にしわを刻んだ。
「それで桜並木を伐るっていうんなら、本末転倒だろ」
「伐るのは一部だけだから、問題ないって事らしい。あの辺りは、老木ばかりだから」
「詳しいな」
「ふふふ。従兄弟が秘書としてもぐり込んでいる。みな、私の手の内にあるのだよ」
「悪の組織の親玉みたいな言い方ヤメテ」
「なぜだ。君の好きな番組を真似てみたのに。正義の仮面魔神」
「なんで俺がそれ好きな事、学校中に広まっているんだよっ!」
ちょっと泣きたくなった。
「女子のネットワークを甘く見たな? 君が昨日、里中洋子に誕生日プレゼントを渡したという事は、この学校のほぼ全員が知っているぞ。何もないような顔をしておいて、そういう事だったとは」
「そ、そういう事って、ナニ」
「君のほのかな恋心」
「違うから! 誤解だから! ってか里中に悪いから、言うのヤメテ」
「何を照れているんだ、修司。応援するぞ? だがプレゼントが仮面魔神のフィギュアというのはいただけないな」
「だからなんで、渡した物の内容まで広まってるんですかーっ!」
「それはあれだ。春だから。みんな興味津々だぞ。恋心も好奇心も止められないものだしな」
「言うなってば〜〜〜っ!」
思わず畑山につかみかかると、きゃー、という声がした。見ると、女子が固まってひそひそ言っていた。慌てて手を離す。何を噂されてるんですか、俺。
「今朝から何人もの女子に、気を落とすなと、なぐさめの言葉をかけられた」
「はあ?」
「俺と君との愛の日々が、無残にも終わりを告げたと思われているらしい。割り込んで来た女によって。女子はそういう話が好きだな」
「おれとおまえのあいのひびってなに」
思わず全部ひらがなになってしまった。
「しかし、里中には残念だったな。あの緋寒桜が切られるとは。妹が、毎年楽しみにしていたと聞いていたが……」
畑山が話題を変えた。俺は「え?」と尋ね返した。
「緋寒桜って?」
「建設予定地にあったんだ。一週間以内に切られるらしい。赤い桜は珍しいから、ごねた者もいたらしいが。もうかなりの老木で、花のつきが悪くなっていたし……どうした?」
ちえりが楽しみにしているの。
里中の声が頭の中でぐるぐるする。泣いていた姿も。
どうして。
なんで切らなくちゃならないんだ。
古い木だから? でも生きてるんだろ?
心臓の悪い女の子が、花の咲くのを楽しみにしてるんだ。
それに。
まだ、生きてるんだろ……?
「その桜、どこにあるんだ」
気がついたら、畑中にそう尋ねていた。
「どうするんだ?」
「切らせない」
俺の言葉に、畑中は「ほう」と言って笑った。
「こら〜っ! 榛原、いい加減にしろ〜っ!」
担任の岩谷先生の怒鳴り声が聞こえる。
「修司! 何馬鹿な事してるのっ」
「おにいちゃーん、がんばって〜!」
母親の叫びと、なぜか声援をくれる妹の声。
「友美ちゃんのお兄ちゃーん」
「がんばれー負けるなー」
友美の小学校の友だち連中もいる。他にも高校の連中が、ぞろぞろと集まっている。
「ふざけるなっ! 降りてこいっ!」
怒鳴り散らす町長らしき人物がいる。
俺は今、桜の木の上にいた。樹齢百年はたっている、緋寒桜の上に。風がひゅるりらと吹いている。地上から離れたこの場所は寒い。ついでに言うと怖い。地上から見た時はそれほどとは思わなかったが、ここから下を見ると結構高い。いや結構じゃなくて、とても高い。
ちょこっと登っただけなのに。
下では集まった人がわーわー騒いでいる。警官まで来ている。学校の担任や校長先生まで。俺、一気に不良。一躍有名人。
でも降りない。
『ジュリア・バタフライ・ヒルという人物を知っているか?』
切らせない、と言った俺に、畑山は言った。
『樹齢千年だか二千年だかの木を、建設会社が伐採しようとした事があった。それに反対した彼女は、その木に登って二年以上もの間、そこで生活したんだ』
『なんでっ?』
『人間がそこにいる限り、伐採できないからさ。明らかにそこに人間がいるとわかっている場所に、意図してヘリコプターを近づけたり、ブルドーザーやら何やら近づけると、法律違反になる。きつかったとは思うが。
夏でも冬でも木の上で、まともに風呂に入る事もできない。建設会社に雇われた男たちが、下から罵声を浴びせ続ける。メディアは彼女を狂人扱いする。……それでも彼女は二年以上、その木を守り続けた。二十三歳だったそうだ』
畑山はちょっと笑うと続けた。
『これは外国の話だが、日本でもやればできると思うぞ。そのジュリアさんの場合は、友人が蔭から援助して、食料や水を届けたり、地道にマスコミに訴えたりしたんだがな。最終的に建設会社のトップが、その木は切らないと契約書にサインした』
『すげえ……』
『後日談はあるがな。彼女がサインを確認し、木から降りてしばらくしたら、誰かがその木を切ってしまった。誰がやったかはわからないとされているが、誰かがやれと言わなきゃ、機械は動かない。人もな』
畑山は肩をすくめた。
『でも二年の間、その木は生き延びた。それだけじゃない。彼女のした事は全国に広がって、彼女に罵声を浴びせていた地元の労働者たちにさえ、最後には勇気と、本当に正しい事は何なのか、考える機会を与えた。そこの建設会社がリストラをしようとした時にな。それまでだったら諦めるだけだったのに、『会社に訴えてみよう』と言い出す人間が出たんだと。『あの女の子が二年も木の上でがんばれたんだから、男の俺たちがあっさり負けてどうするんだ』、だとさ』
畑山は皮肉だよな、と言いつつ微妙な笑みを浮かべた。まあ悪くないというような笑みを。
『そういう事があった。無駄かもしれん。最後には切られてしまうかもしれん。だが』
『それでも少しは、生き延びられる』
俺は言った。
『里中の妹が、花を見られるぐらいまでは。俺、頭よくないし。何かできるわけでもない。それでも女の子、泣かせるのは嫌だ。心臓の病気でがんばってるのに、花が咲くのを待ってるのに。そんな希望つぶしたくない。仕方ないで終わらせたくない。桜に登る』
言い切った俺に、畑山はにやりとした。
『君のそういう馬鹿な所が、俺はとてつもなく好きだ』
俺たちの会話に聞き耳を立てていたらしい女子が、『きゃー!』と叫んだ。いや、違うから。単に友情の話だから。
女子を無視して畑山は言った。
『安心しろ。全面的にバックアップしてやる』
そうして今、俺は桜の上にいる。木の上に作ったテント小屋に。乗せられた気もするが、でも降りない。自分で決めた事だ。
畑山は用意周到だった。何も考えずに登ろうとした俺に、『準備してから行け』と言って色々渡した。どこから持って来たのか、登山用のロープやら何やら。レクチャーまでしてくれた。テント小屋を作れと言ったのも奴だ。何日もかかるようなら必要だと。
月の明るい夜、俺は緋寒桜に昇り、テント小屋を作った。
一度降りた俺に、畑山はナップザックをよこした。中にはロープ、ラジオ、太陽電池で動く携帯の充電器と簡易トイレ、防災用の持ち出し袋(クラッカーと水、消毒薬や塗り薬など、救急医療品入り)、レインコートや軍手、使い捨てカイロやビニール袋などが入っていた。目茶苦茶用意が良い。どうしたんだと尋ねると、女子が全面的に協力してくれる事になったと言った。
『防災用品置いてる店の子とか、電子機器扱ってる店の子が、提供してくれた。登山用のロープもその関連。女子はそういう話が好きだから』
……どういう話。俺一体、どんな話の主人公になってんの。
下を見ると、里中がいた。おろおろした感じで見上げているのがここからでもわかった。友美が駆け寄って、何か話しかけている。すると町長らしき人物が、里中に食ってかかった。
「あんたがそそのかしたのかっ! あの馬鹿な奴に登れと言ったのかっ! 頭の悪い小娘が、家でじっとしていれば良いものをっ!」
一瞬で頭に血が昇った。何言うんだオッサン。でも俺には何もできない。ここから降りる事ができないから。そしたら、友美が叫んだ。
「ふざけんな、オッサン! 女の子怒鳴りつけるだけしか能ないくせにっ! お兄ちゃんは馬鹿じゃないしっ、あんたなんかにゼッタイ負けないんだからっ!」
すごい啖呵だ。友美の友人らしき子たちがざーっと周囲に集まってきた。それだけじゃない。ヤジ馬みたいに集まっていた、高校の連中まで集まってきた。全員女の子だ。みんな一気に里中をかばうモード。
「里中さんは悪くないわよっ!」
「頭悪いですって? そんな事言うアンタの方がよっぽど頭悪いわよ、このオヤジ!」
「榛原くんの方がよっぽど正しい事してるわよっ! あんた怒鳴ってるだけじゃないっ!」
「この不良どもを何とかしろーっ!」
わめく町長。警官がどうしようと顔を見合わせてから動きかける。そしたら担任の岩谷が、町長の前にずかずか歩いてきた。
「うちの生徒を不良扱いするの、やめていただけますかっ!」
「不良に決まっているだろうが! 大人にこんな口きいて! こんな事仕出かすクズを、」
「榛原はクズじゃないし、里中は馬鹿じゃないっ! この子たちは間違った事は何もしていないっ!」
岩谷が切れた。
「榛原っ! 降りるなよ、とことんやれっ! おまえの根性みせてやれ〜〜〜っ!」
さっきまで、降りろって言ってませんでしたか、先生。
呆れていると、携帯が鳴った。慌てて胸のポケットを探る。落っことさないようにひもで首にかけ、胸ポケットに入れておいたそれを取り出して通話のスイッチを押す。
ちなみに俺の元々の携帯じゃない。畑山が専用にとくれたものだ。これも協力してくれている女子からの提供品らしい。どこまですごいんだ、女子のやる気とネットワーク。
「はい?」
『畑山だ。体調はどうだ?』
「大丈夫だ。昨夜は無茶苦茶寒かったけど、ブランケット巻いてレインコートを着たらどうにか。夜明けには感動したよ。太陽ってすごいな」
『眠るのは昼間の方が良いかもな。木の上で凍死なんて事にだけはなるなよ』
「ああ」
『人目が少なくなったら、食料やその他、必要と思われるものをこっそり持ってくる。ロープを下ろしてくれれば結びつける。何か欲しいものは?』
「今の所は特にない。どういう状況なんだ、下?」
叫ぶ町長。怒鳴り返す担任。どっちを止めようかと困る警官。里中をなぐさめる女子たち。
『君たちの事情を話したら、女子が一気にやる気になった』
「事情ってナニ」
『心臓の悪い妹は、赤い桜を見たいと願っていた。しかし桜は切られる運命にある。姉は、妹を思いながらも涙するしかできない。そんな姉にひそかに恋していた男は、桜を切らせまいと身を張って木に登った』
「何そのメロドラマ。てか、流したのおまえ?」
『元気づけようとした男はしかし、仮面魔神Kのフィギュアを渡すぐらいの事しかできなかったのだ!』
「いい加減、離れようよそこから……」
ずっと言われ続けるのか、これ。
『俺の支持率もばっちりだ! これで生徒会は確実に高校を掌握する。俺は高校に君臨するであろう』
「悪の総統みたいな言い方やめろよ。趣味か?」
『それはさておき。そろそろ来るぞ』
「何が?」
そう言った途端、バンが走ってきた。地元のローカルテレビのものだ。ききーっと止まると、わらわらと人が降りてくる。レポーターらしき女の人が、マイク片手に興奮気味にしゃべり出した。
「何やってるんだ、あれ?」
『聞いてみるか?』
途端に携帯から、レポーターの声が流れてきた。
『……のように、彼は木に登っています! 一体なぜ、このような事をしたのでしょうかっ。手元にある情報によりますと、これにはある事情がからんでいます。心臓の悪い小学生の為に、その子の願いをかなえようとしての行為です。恋人の妹が、病院に入院をしているのですが、その子が春に桜が見たいと願ったのです。命の危機にあるその子の為に、また愛する人の為、彼は木に登る事を決意したのですっ! なんと純粋な思いでしょうっ!』
なにその美談。ってか、なんで俺たち恋人同士になってんの。
『ここ、丸山町の緋寒桜は、樹齢百年を越える老木ですが、温暖な地方で咲くタイプの桜には珍しく、寒さの厳しいここ、丸山で百年の時を過ごしてきました。その桜を伐採しようと決めた町長、高崎氏が今ここにいらっしゃいます。インタビューしてみましょうっ』
レポーターが町長に突撃する。町長は慌てた様子で威厳を取り繕った。
『いや、まあ。そういう事はですね。こんな事を仕出かされると、町の経済についても……子どものやる事は、先の見通しを考えておらんと言うか……』
高崎って言うんだ町長。知らなかった。
緋寒桜が、温かい地方の桜だって事も知らなかった。
「がんばって来たんだなあ、おまえも。なのに、いきなり切られるなんて冗談じゃないよな?」
桜に話しかけると、何かがふっ、と俺に触れた気がした。悪い感じじゃなかった。温かかった。
『聞いてるか、修司? テレビ局の前だと、町長も迂闊な事言えないぞ。無理な命令も出せない』
畑山の声がした。
「無理な命令?」
『君が怪我してもかまわないから、とっとと切ってしまえと言ったそうだ。俺の従兄弟からの情報だが』
「なんでそんなのが町長になってんの」
『手腕はそれなりだからだよ。ただ、想像力があまりない。自分の立場での発言が周囲にどう受け取られるか、どういう影響を出すか、その辺がわからない。結果についても想像できない。そういう人物の方が、何かする時には成果をあげるけどな。一つの分野でなら。でも長い目で見ると、最終的には悪い結果にしかならない。所詮は小物だ。醜悪な限りだよ』
俺は眉をしかめた。畑山の口調が、ひどく冷たく、蔑みに満ちたものだったからだ。
「畑山。やめろ、それ」
『何が』
「見下す口調。板につきすぎだ。本気で悪の総統っぽかった。いかんぞ、そういうの」
『いけないか?』
「当たり前だ。おまえは頭がいいから、色々見えてやんなっちゃう時が多いんだろうが。誰かを見下すと、自分も悪くなってくんだぞ。どんどん変なものが溜まってくんだぞ、自分の中に。気持ち悪いだろが、そんなの。やめとけよ」
『君は……単純で良いな』
「頭よくないから、俺」
『ほめたんだよ。さすがに仮面魔神Kだ』
「だからそこから離れようよ……謝るから……」
レポーターの興奮した声が、携帯から雑音まじりに響いた。
『木に登っている彼は、特撮ヒーローものに憧れる、ごく普通の高校生ですっ。彼女に渡した誕生日プレゼントが仮面魔神Kのフィギュアだったと言う事からも、その事が如実にわかるでしょうっ! 素晴らしい、純粋なる若者の魂。それを渡す事で彼は、自分はやり遂げるという意志を彼女に伝えたのですっっっ!』
俺は木から落ちそうになった。地元一帯に宣伝されてるんですか、それ!?
と、思っていたら別の騒ぎが起きた。
『っぎゃ〜〜〜っ!』
バンの中から人が飛び出てくる。カメラさんが血相を変えている。
『おお、やった』
「やったって何が」
『修司。君、自分の特殊能力忘れてないか?』
はい?
『ええっ? 何か映ってる?』
携帯から漏れ聞こえるレポーターの声。町長や警官をのぞく、その場にいた者が全員、顔を見合わせた。そうして『ああ』という顔をした。
映ったのか。何かが。何なのか考えたくないが。
『良かったな。きっと全国に放映されるぞ。新たな名所になるぞ、うまく宣伝すれば。それなら切られずにすむかもな?』
狙ってたのはそれか? 畑山。
『そして全国に、君の渡した仮面魔神Kのフィギュアの話が広まってゆく!』
「おまえ実は俺の事が嫌いだろう、畑山……」
ぎゃー、とか、ひょえー、とかいう声がする。何が起きてるんだろう、カメラの映像の中で。
『れ、レポーターは米原直子でしたっ!』
慌てふためいたレポーターの声がした。スタッフが頭を付き合わせて相談している。放送するかどうか悩んでるらしい。
『俺の思いを疑うのか修司。言っておくが、俺が君を裏切る事はないぞ』
いきなり畑山の声がした。何言ってるんだおまえ。
『君の呼ぶ心霊現象の数々! 思い出すだけで震えが来る。日常をひっくりかえす非常識なまでの存在、それが君だ。俺の全ては今や、君に支配されていると言っても良い。一挙一動が俺の心をわしづかみにして離さない。この思いはもはや、愛と呼んでもおかしくない!』
「愛じゃないからそれ。絶対違うから」
『照れているのか、修司』
「照れとらんわ!」
でもちょっと、安心した。裏切らないと言われた言葉に。そうだ。こいつは何だかんだ言っても、俺を裏切らない。
「バックアップありがとな」
『任せておけ。怒ってるんだ、俺は』
何で。
『君が怪我しても良いから、切れと言ったあの男に。大々的にやってやる』
「本気じゃなかったと思うんで、手加減してあげて……」
太陽が沈む。わーわー騒いでいた者たちも家に帰った。テレビ局のバンは残ったが、こっちをいつまでも撮影したりはしていない。スタッフは車の中。バンの中は多分温かい。ここよりは。
警官は一人残った。たき火を炊いて、寒そうにしている。でも彼らは交代できる。
俺は木の上で一人だ。
テントの中は狭い。床に当たる部分は廃材を集めて固定しただけ。防水シートは風でめくられないよう、ロープを編んで裏から補強してある。
それでも寒さは遮断しきれない。
ブランケットを巻き、レインコートを着て軍手もはめた。カイロもあちこち貼り付けている。けれど。
流れる血が止まってしまいそうな冷たさが、服の隙間から入り込んでくる。体温がどんどん奪われる。
寒いというより、痛い。
馬鹿な事をしている。
一人で夜の中にいると、そんな思いが沸いてくる。畑山に乗せられて、騒ぎを起こして。両親に迷惑をかけて、里中まで巻き込んで。こんな事をして何になる?
ちえりちゃんの病気が良くなるわけでもない。空回りしているだけ。本当に、馬鹿な事をしている。俺を見ている人はみんな、応援したり嘲ったりしているが。みんな安全な所にいるだけだ。そこから出てくる人間なんて、一人もいない。
馬鹿な事をしている……。
「俺のしている事って……意味ないかな」
つぶやいてみる。寒さのせいで顔が強張って、喉も痛い。ささやき声はかすかなもので、言葉もはっきりしたものにならなかった。
「ごめんな。おまえ、生きたいよな。登られて、騒ぎ起こされて。ひょっとしたら、もっとちゃんとしたやり方あったかもしれないのに」
桜の幹に触れて言う。
「しかも俺、……こんな奴だし。ちょっと後悔してる。寒くて、今。ごめんな。弱いやつで」
木肌に顔を寄せると、木は温かかった。少なくともそう感じた。
「おうい」
下から声がかけられた。見ると、寒そうにしていた警官が、こっちを見ていた。
「大丈夫か。今だけでも降りて来ないか?」
俺は何も言わず、彼を見下ろした。人のよさそうな警官は、心配そうに言った。
「今夜は冷える。君にはわからんだろうが、こんな夜に外で寝たりしたら、命に関わる。降りて来ないか。誰にも言わないよ。朝になったらまた登れば良い。下で温まって……」
何の罠だ。そう思っていたら、警官は首を振った。
「いや、駄目だろうな。君の事情を考えたら」
何の事情。
「好きな相手の為に体を張ってるんだ。男なら、退けない」
だから、どうしてそんな話になってるんですかーっ!
警官はぐっと拳を握ると言った。
「俺は立場的には君を説得して、下ろさなきゃならない。でも心情的には君を応援している……がんばれ! 支援する者も大勢いるぞ。誰がこっそり差し入れに来ても、俺は見て見ぬふりをする。できる事はそれだけだが。君の勇気がきっと、人々を動かすっ。しっかりやれよっ」
なんでアナタ、目をキラキラさせてるんですか。一体今、アナタの脳裏でどんな物語が展開されてるんですか。
何か言いたかったが、顔が強張りすぎていて、言葉が発せなかった。警官は一人で自己完結すると、ささっと自分の持ち場に戻った。
ごめん、里中。俺の迂闊な行動で、おまえ、完璧俺の彼女にされてるよ。
そう思っていたら、本人が来た。警官は、おっという顔をしてからさっと顔をそむけた。でもしっかり耳はこっちに向けているのがわかった。
「榛原くん……」
泣きそうな顔で里中が呼びかける。
「大丈夫? つらくない? ごめん……ごめんなさい。あたし」
「大丈夫」
何とか声が出せた。入ってきた空気の冷たさに、咳き込みそうになったが。
「わり、あんまりしゃべれない。泣くなよ」
「泣いてないよ」
そう言いながら、里中の声は半泣きだ。
「ちえりがね。ありがとうって。でももういいって。体壊しちゃうよ。こんな寒いとこで。なんでこんな事までしてくれるの。あ、あたし……」
「やっぱ泣いてるじゃん」
ひくっと喉を鳴らした音を聞いて、俺は言った。
「ごめんな」
「榛原くん、悪くないっ。あたしがわがまま言ったから。ち、ちえりの事とかっ。言ったからっ」
「でもおまえ、今泣かせてるの俺だろ。ごめん」
ううーっという声がした。里中が本格的に泣いている。
「馬鹿っ。心配してるのにっ」
「うん、そう。馬鹿なの、俺」
俺は言った。
「誰かが泣くの、嫌なの。女の子なら特に。里中、帰れよ。風邪引くぞ」
「あたしはっ」
「降りないから、俺」
顔が強張っている。喉も痛い。太陽が恋しい。
「この桜もさ。生きたいだろ、もう少し。百年もここにいたんだしさ。それっくらい……考えてやる奴が、一人ぐらいいても、良い気がする。だからちょっと、付き合ってやってるんだよ、俺。桜にさ。自分でそう決めたんだ。だから、おまえが何か、責任感じる事ないんだよ」
「ばかっ!」
怒鳴り声がした。
「責任ぐらい、感じさせてよっ! 一人で全部、ひ、引き受けてっ。あたし、どうすれば良いのよ、こんな風に……悪いって思わせてよっ! せめてそれぐらい……」
泣いている里中。ふと視線を移すと、警官が涙をぬぐっている。えーっと。
「あたしもここにいるっ。朝までいるっ」
「いやそれ……女の子には」
「女の子には駄目」
そう言う声がして、畑山が来た。こっちに手を振ってから、里中の方を向く。
「里中さん、君がここにいると、修司は君の事が気になって、余計体力を消耗するよ。男子の間で順番決めて、交代でここに来る事になったから。君は家に戻って。修司は大丈夫。ご家族にも全面的に協力をいただいているから」
ご家族?
「なに女の子泣かせてるのよ、あんたはっ。里中さんだっけ? うちに来る? 何だったら」
げっ。綾子が仁王立ち。会社帰りらしく化粧ばっちり、でも怒り狂っているのはなぜ。
「頭にきたわ、あの町長っ! うちに来てネチネチネチネチ、修司は確かに頭よくないけど、あそこまで馬鹿にされるいわれはないわよ、あのハゲっ!」
すみません、お姉さま。差別発言入ってます。と、思ったらお袋も来た。うおっ。なんか姉以上に怒っていませんかっ。
「あんた、そこから降りたら承知しないわよ!」
はい?
「あの町長、あたしが馬鹿で分別ないから、あんたが不良になったみたいに言いやがったのよ! どんな育て方をされたんですかですってっ!? こういう育て方よ、悪かったわねっ! 主婦を侮りやがってクソデブハゲ! 修司、あんた! 徹底してそこで踏ん張りなさいっっっ!」
お袋に何言ったんだ、町長。ってか、この流れでいくと俺、降りられないんですか、ここから。何があっても。
そのつもりはないから、まあ良いけど。
結局俺は、全面的に家族の支援を受ける事になった。ほかほかの肉まんを差し入れしてもらって、何だかなあと思う。里中と話しながら、綾子とお袋が帰る。畑山は警官と世間話をしながらたき火に当たっている。
何だかなあ。
ちょっと笑いたくなった。
翌日、テレビ局のバンが増えた。わーわー言いつつ映している。映ってるんだろうな、何かが。考えたくないが。
でも何が映っててもみんなピースサインだったら、映像的にどうなのよ。
と、思っていたら、ロープかついだ作業着みたいなの着ている人が……うお、登ってくる?
「修司! 逃げろ! 町長が無理にでも引きずり下ろすと……」
人込みを抜けて畑山が駆け寄ってきた。逃げろってどこへ。
慌てて荷物を置いたまま、テント小屋から出て上に登った。そしたら登ってきた人は、テント小屋の撤去を始めた。俺の荷物をどさっと下に投げ落とし。防水シートをばりばりはがして落として行く。
「これでもう終わりだ。あきらめて降りるんだな」
あっさり言われる。俺はむっとした。
「降りない」
「凍えて落ちるぞ。そんなに死にたいか?」
「ここで二晩過ごした。どれだけ寒いかは知ってる」
不安定な姿勢でバランスを取りながら、俺は言った。
「でも降りない。桜が見たいって言ってる子がいる。後一回だけでも見せてやりたいって、それがそんなに悪い事か?」
登ってきた男はちょっと、困ったような顔をした。
「子どもの理屈じゃ物事は進まない。あきらめるんだな」
「子どもの理屈でも、俺、間違った事は言ってない」
桜にそっと触れる。
「この桜も百年、ここで生きた。死なせたくない。それが間違った事か? 桜だって、何か言いたい事があるだろう。俺にはわからないけど」
「そうか? おまえ、わかるんじゃないのか」
男の言葉に俺は、変な顔になった。
「なんで」
「あれだけテレビに映ってたら、今さら隠しても無駄だろう」
何が映ってるんですか。何が。
「高崎町長も引っ込みがつかなくなってる。俺にここを撤去して、おまえを引きずり下ろせと言ったのもそれでだ。悪く思わないでくれ。俺には桜の言葉はわからないし、おまえみたいに何かわかるわけでもない」
俺もわかるわけではないんですけど。ってか、本当に何が映ってるの、映像?
困惑してたらひょい、と男が登ってきた。えっ?
「暴れるなよ?」
しまった。足、つかまれた。
「確保。おまえはがんばったが、最後には捕まって降りるんだよ。あきらめな」
男の顔を見た。得意そうでもなんでもなかった。何だかちょっと苦そうな感じだった。
「なんであんた、そんな顔してんの」
「俺の顔はどうでも良いだろ。歩くファンタジー」
「なにそれ」
「全国でそう言われてるぞ、今。不思議を起こす少年。おまえの好きな仮面魔神Kのフィギュアが、ばか売れしてる。彼女に渡したんだってな?」
……。
全国レベルであの情報がダダ漏れ!?
「なんかでも、こうして見たら普通だよな、おまえ」
「お、俺に特別な所がどこにあるよっ」
「そう思ってるんだ。おまえ、下に降りたらすごい事になるぞ。町長にはわかってないみたいだけどな」
男は苦笑した。
「ほら。つかまれ。ちゃんと下ろしてやるから」
でもそうしたら、今までの事が駄目になる、と思った。
放せ。
心から思った。
その手を、放せ、と。
その瞬間、男の姿勢が崩れた。あ、という顔でのけぞる。そんな姿勢で落ちかけた。慌てて桜の幹にしがみつこうとして手を伸ばす。
やばい。
俺も慌てた。でも間に合わない。咄嗟に足を伸ばす。男の体をがしっとつかまえる。
「ぐおあ」
重い。
「さっさとどっかつかまれ、重い重い重いっ」
わー、とかきゃー、とかいう叫びが上がっている。俺は上半身は桜につかまり、下半身は男にしがみつかれている状態だった。男は宙に浮いた状態で俺につかまっている。無茶苦茶重い。
「すまん」
男が詫びる声がして、体が軽くなった。俺はぜーぜー言いつつ桜にしがみついた。
「お、おもかっ……」
「すまん」
もう一度そういう声がして、男の手が俺の肩にかかった。えっ?
「悪いが一気に下ろす」
なんでこの人、こんなに真面目に仕事するわけ。今、助けた相手に対しても、これ?
がし、とつかまれて腰にロープを回される。真剣な顔で男はてきぱきと、俺を下に下ろす準備をしていた。何だか腹が立った。そこまで大事? 大人の面子とやらが?
心臓の悪い女の子を泣かせたり、百年がんばった桜を切ったりするのが、それが正しいって言い切るのが。そこまで大事なのか。
「降りないって言った」
だから俺は言った。
「俺はおまえらにつかまらないし、その手でおろされたりもしない」
その途端、ロープが切れた。
あ、という声が上がって、男が姿勢を崩す。俺はその手をすり抜けて、上に行こうとして。
男に足をつかまれた。体が宙に浮く。
きゃーっ! という叫びが上がった。俺は男に足をつかまれた状態で頭を下にし、ぶら下がっていた。
「おいっ! こっち! 手を出せっ!」
青ざめた男がわめいている。自分も落ちそうになっていながら。
でもその手を取れば、俺は。自分から認めて降りた事になる。
町長の言い分やら、大人の都合やらの方が、正しいと認めた事になってしまう。
後から考えれば変な話だが、その時の俺にあったのはその思いだけだった。だから言った。
「放せ」
びし、と静電気みたいなのが男の手と俺の足の間に走った。男の手が弾かれたようになり、俺の体は落下した。
青ざめた男の顔。
下から上がる悲鳴。
下の枝に一度ぶつかってバウンドして、また落ちた。痛い。
(桜……)
俺は馬鹿だけど。おまえ、少しは。
少しは人間を……許してくれるか……。
温かい何かに包まれた。俺は意識を失った。
* * *
気がついたら病院だった。
「いてえ……」
俺はぼろぼろ状態だった。桜の木からまともに落っこちたのだ。死なないのが不思議だったらしい。
親父やお袋、姉や妹からさんざん泣かれたり、怒られたりしたが、それでも最後に「よくやった」と言われた時には、変な感じだった。だって俺、木に登ってただけだぜ?
理由はしばらくしてから判明した。見舞いに来た畑山の口から。
「すごかったぞ。視聴率が鰻登りだったらしい」
「はあ?」
「中継してたテレビ局。全国ネットだ。光の玉やらアヤシゲな人影やらが、君の周りで渦巻いていた。合成した映像ではありませんとテロップを何度も入れてたぞ。録画してあるが、見るか」
見たくありません。見せないで下さい。怖いから!
「桜、伐られない事になった」
「えっほんと」
「全国から桜を守れ〜という声が上がった。桜ファンクラブなんてのもできたらしい」
「ファンクラブ?」
「人間は、一途な純愛が好きな生き物だ。あの桜、君をかばったんだよ。落ちた時」
そう言えば、温かかったと、ふと思い出す。
「映像にしっかり映っていた。あれだけのものを見せられたら、ファンクラブもできる。君たちの純愛路線も煽りになったし」
「純愛路線って……俺と里中……?」
「全国の人々が涙を振り絞って声援をくれている。同じだけ轟々と町長を非難してるが。無理なやり方で君を危険に晒したとな。ざまをみろ、高崎。
ちなみに仮面魔神Kの原作者と制作会社が、桜を守れキャンペーンをしてくれる事に……なぜ頭を抱える、修司」
「何となく……」
やっぱり全国レベルでダダ漏れなんですか、俺が里中にフィギュア渡した事。それで俺たち恋人同士決定なんですか。里中に悪いんですけど、ものすごく!
「退院できたら、花見をしたいと里中が言ってたぞ。みんなで。桜が咲いたら見に行こうと、ちえりくんと友美くんは約束していたらしいな」
「そりゃ……、でもまだ時間かかるだろ、花が咲くまでには」
「知らないのか?」
え?
「緋寒桜は今、満開だ」
「ええ?」
「見ろ、これを」
畑山はパネルを引っ張りだした。何かの写真が引き延ばされている。
「ぎょええええええっ!」
俺は絶叫した。
写真には、赤い花が映っていた。満開の緋寒桜。俺が落っこちるまで、つぼみ一つもついていなかったはずなのに。
根元にいるのは、傷だらけの俺。そして。
どう見ても人間ではない存在が、俺を抱きしめていた。愛しげに。
参考文献
「一本の樹(レッドウッド)が遺したもの〜ルナの遺産」著:ジュリア・バタフライ・ヒル、現代思潮新社
「ツリークライミング 樹上の世界へようこそ」著:ジョン・ギャスライト、全国林業改良普及協会
…延滞しまくってて、図書館に持っていくのが怖いです。ごめんなさい司書のみなさん…。
光太朗さまへの返信にも書いたのですが、実は仮面魔神Kのオープニングテーマがありました。作中、使えなかったので、ここで発表。
*仮面魔神K オープニングテーマ『戦え、仮面魔神K!』
♪君のハートは叫んでいるか 正義が心を燃やしているか
勇気を宿し 力の限り 世界の平和 守りぬけ〜
『チェーンジ、仮面魔神、ゴー!』
愛する事を 忘れた時に 心の砂漠 未来は渇く 平和を忘れる人になる
『イマジネーション・セットアーップ! ブレイブソードッ!』
仮面に隠した勇気と愛を 叫べ 君も
仮面、仮面、仮面魔神、K!♪
(どどーんと爆発音で終わる)
適当にメロディをつけて雄叫び下さいませ☆