5 優しさ、戸惑い
薪に斧を叩きつけ、割る。細かくした薪を束に入れ、また新しい薪へと取り掛かる。
オチバはクレリアから与えられた仕事をこなしているところだった。
割り終えた薪の束は既に小山のようになっている。それだけ重い斧を振り下ろしてきたということで、頬には一筋の汗が流れる。
「ありがとうございます。やっぱり私じゃそういう力仕事って大変で……」
箒を持って庭に出たクレリアが苦笑しながら言った。
「一人の時はどうしてたんだ?」
「その日に必要な分だけ、してました。でもオチバさんのおかげで、何日か薪割りしなくて済みそうです」
笑顔のクレリアを見て、オチバは内心舌を巻いていた。
クレリアの生活は、オチバが知っている生活よりも文明が何歩か遅れたような暮らしぶりだった。その状態での一人暮らしは、オチバの知っている一人暮らしとは労力が桁違いだろう。
それを今までこなしていて、家も荒れた雰囲気もないのだから、クレリアはオチバが最初に見た時に受けた印象よりもはるかにたくましい少女だった。
「薪割りは終わったぞ。次は?」
「えっと……じゃあ次は水汲みをお願いします」
言われて、オチバは家の裏手に回った。そう遠くないところに井戸があり、そこから桶を使って水を汲む。
たっぷりと水の入った桶を抱えると、オチバは家の壁に向かう。壁には、大きな樽が二つ接するように置かれていた。場所的に、台所の裏側となる。
オチバは樽の蓋を開けて、水を流し込んだ。ここを水源として、蛇口から水が出てくるようになっていた。
「……」
ふと、樽の中の水面を見る。揺らめく水面に映った自分の顔色は、存外悪くはない。
「……何してんだ、俺」
ぼそりと呟く。
落葉の山の中で目が覚めてから、既に四日が経っている。
クレリアは居候の身のオチバを追い出したりもせず、オチバもクレリアの生活を手伝う日々。状況の進展はなく、しかし、今までの生活からは考えられないほど安穏とした時間が、そこにはあった。
最近オチバは、自分がどうしたいのかもわからなくなっている。
日本に帰りたい。その思いが、どんどん希薄になっている。日本に帰ってどうするのか、それを考えない夜はなかった。
日本には……原瀬がいる。見つかれば殺される。なら、日本に帰る必要はあるのだろうか?
確かに今の暮らしは不便で、食事の味は薄く、好きだったドラマや映画は見れない。
しかし原瀬の道具のような生活に戻るよりは、こちらの方が気楽だった。
同時にオチバは、ここにいてはいけないという意識も募っていた。自分がここには相応しくないような、長居すれば自分の何かが壊れていくような、そんな感覚があった。
そしてそれは、クレリアの笑顔を見る度、さらに強くなる。
「結局、どうすりゃいいんだよ」
その自問自答は、いつもそのような言葉で終わってしまう。答えは出ず、袋小路のまま。
故に、オチバはいつかはここを出ていくという意識を持ったまま、現状維持に甘んじていた。
*
「今から村に行こうと思うんですけど」
「村?」
昼食後しばらくして、クレリアはそんなことを言った。首を傾げるオチバに、クレリアは補足する。
「ほら、前に言ったじゃないですか。ここはパルト村の外れだって」
そう言えば、一日目、クレリアはそんなことを言っていた気がする。あの時は気が動転して、細かい地名まで記憶を割けなかった。
その村が、近くにあるのだろう。
「あぁ、村ってのはわかったよ。で、何しに行くんだ?」
「お仕事ですよ、おしごと」
「仕事?」
オチバは首を再び傾げる。そしてクレリアの頭の先から足の先……はテーブルに隠れて見えないので、視線を下ろすのは彼女の胴体だけにとどめる。
どこからどう見ても、細っこい華奢な少女の姿。おまけに背も低い。
「……何ができんの?」
「失礼ですね!」
心外だ、と言わんばかりクレリアがむくれる。
少女の機嫌を損なってしまったことに後ろ頭を掻きながらも、オチバの内心は首を傾げたままだった。
クレリアの細い腕でできることと言えば、書類仕事とか、パソコンを弄る仕事とか、オチバのイメージではそこらへんだ。だがどうもこの家を数日見てきた身としては、クレリアがそのような仕事に携わるとは思えない。
もしくは……まぁ、そういうことも珍しくはない。
怒ったようにそっぽを向いていたクレリアが、また元の人懐っこい表情になってオチバへと向き直る。そしてどこか誇らしげに言った。
「村の人たちの傷を治すんですよ」
「……医者だったのかよ、お前」
オチバは目を見開いて唖然とした。
十四で医者というのは違和感があるが、正直その程度の違和感はもはや気にならない。
クレリアの言葉も嘘には聞こえなかったので、オチバは素直に感心していると、クレリアは慌てて否定するように首を横に振った。
「あ、いえいえ。お医者さまではないんです」
「ん? じゃあ、医者じゃねえのに傷を治すのを仕事にしてるって言うのかよ」
「……あれ? もしかして、これも知りませんか? 私、治癒術士のお仕事をしてるんですけど」
久しぶりに、まったく聞き覚えのない新しい単語が出てきた。オチバは顔をしかめる。
「治癒術士……?」
「あ、やっぱり知らないんですね? 今更驚きませんけど。魔法を使って、人の体を治すんです。私、結構得意なんですよ」
ふふん、と鼻を高くするクレリア。めったに彼女は自画自賛をしないので、それが本当に自信あることだと感じさせる。
だが、オチバにとってはそれどころではない。まさか『魔法』とは。聞き覚えはある。だがこの単語においては、そういう次元の話ではない。魔法など、存在しないのだから。
しかし例によってクレリアはこちらを馬鹿にした雰囲気もなければ、嘘をついた風でもない。
そして……
「どうしたんですか? 難しそうなお顔してますけど」
この反応だ。
恐らくクレリアは、オチバが魔法について訝しげな感覚を抱いているのに気づいてすらいない。それ程、少女にとって魔法とは密に接して、当たり前のものなのだ。
オチバは喉元まで溢れてくるさまざまな言葉を飲み下し、代わりに当たり障りのない言葉を口にする。
「なんでも。で、村に行くんだろ。その……パルト村に」
「はい、そうです。それでなんですけど、オチバさんも一緒に行きませんか?」
「……あぁ? いや、そりゃ無理だ。遠慮しとくよ」
首を横に振って誘いを断るオチバ。
クレリアは頭の中が花畑になっているのかと疑うくらい、すぐにオチバへの警戒を解いたが、他の人間はオチバのような素性のしれない人間を怪しむだろう。むしろそれが普通の反応だ。だから行かない。
しかしクレリアは、困ったように笑った。
「無理に、とは言いませんけど……でも、手がかりになると思いません?」
「何の?」
「オチバさんが、ニホンに帰る方法ですよ」
ドクン、と心臓が大きく鼓動を打った。
「私は知りませんでしたけど、村の人たちなら誰か知ってるかも知れませんから……オチバさん?」
「あ、ああ。そうだな。その通り」
オチバは目を逸らしつつ、ゆっくりと頷いた。何故か胸が締め付けられるような心地を味わう。
今朝、自分が日本に帰る必要性や、意志を疑問視したばかりだ。しかしクレリアはオチバがそんなことを考えているとは知らず、真摯にオチバが帰るための方法の手がかりを提示してくれている。
クレリアが手を伸ばす度に、オチバの胸を原因不明の感覚が締め付ける。自分の何かが、壊れてしまうくらいに。
やはり、ここにいてはいけない。いや、彼女の傍にいてはいけない。
「……わかった。そういうことなら、村に行く。ありがとよ」
「いえいえ。気にしないでください。オチバさんの助けになれば、幸いです」
最後まで自覚なくオチバの胸に痛みをもたらして、クレリアは笑った。