13 自慢の丘の上で
「おーい、まだかよ?」
「もう、ちょっと待ってくださいよ」
玄関でポケットに手を突っ込み、欠伸をしながら待つオチバに、クレリアは家の奥から声をかけた。
やっと出てきたクレリアはいつもよりも少しだけ着飾って、木の蔓で編まれた手提げ籠を持っていた。籠には二人分の昼食と水筒などが入っている。
「お待たせしました」
オチバと視線を合わせ、えへへと笑うクレリア。普段つけていない髪飾りが目立っている。
「籠、貸せよ」
「あ」
オチバがクレリアの手から、ひょいと籠を取った。二人分の弁当と水筒は、少しだけ重量がある。
「それぐらい持てますよ」
「お前は案内しなきゃだろ。その、自慢の丘とやらに」
「……なら、お言葉に甘えますけど」
いつしか仕事をしていると言って、「なにができんの?」と言われた時のように、自分を見くびられたと勘違いしたクレリアが渋々頷いた。
家を出て、庭を通り過ぎ、森の中に入る。森の中は木の生えていない道のようなものがあり、先を行くクレリアは迷いなくそれを辿って行った。
天気は森の中でもよくわかるくらいに快晴だった。柔らかな風も吹き、暑苦しいということもない。
やがて道はゆるやかな傾斜になり、クレリアとオチバはそれを登っていく。すると、唐突に木々が少なくなり、開けた場所に出た。
「ここです! ここ!」
クレリアが嬉しそうに言ったのは、高い丘の上だった。一面が芝生に覆われ、木は一本だけが生えている。
クレリアが小走りになって、さらに進む。遅れてオチバも隣に並ぶと、青空と大地が同時に視界に広がった。壮観な景色だ。
大地を見下ろせる高さなのだから、こりゃちょっとした山だな、とオチバは思う。
「ほら、あれ見てください!」
「ん?」
クレリアが指さした方向を見れば、広い畑とたくさんの家があった。パルト村だ。よく目を凝らせば、村人たちも見える。
「いい景色でしょう?」
「ああ。庶民を見下ろす天上人の気分だ」
「なんでそんなこと言っちゃうんですか……」
クレリアは複雑な顔をしたあと、気を取り直すように手を叩いた。「さ、お昼ごはんにしましょう!」
クレリアがまた小走りで少し移動し、ちょいちょいとオチバを手招く。そこは一本だけ生えた木の木陰だった。
オチバはそこに歩いていき、遠慮なく胡座をかいて座り込む。クレリアも足を折り曲げ腰を下ろした。
「よく、昔はここでお父さんとお母さんと、ピクニックをしにきてたんです」
「……クレリアの親、か」
懐かしむように話すクレリアに、オチバが反芻するように呟く。
「さぞお優しいパパとママだったんだろうな?」
「あ、そう思います?」
クレリアは楽しそうに「ふふ」と笑った。
「確かにお母さんは優しかったですけど……お父さんは結構厳しかったんですよ?」
「そうなのか? 意外だな」
「よく勉強させられてました。将来必ず役に立つって。それと、お母さんも優しかったですけど……」
「けど?」
「絶対に途中で辞めるのは駄目だって。私がやりたいって言ったからには、お裁縫とか、料理とか、上手になるまで付き合ってくれました。私がやめたーいって言っても、諦めちゃ駄目だよって」
穏やかに思い出を語るクレリア。それを聴きながら、今のクレリアは娘を大事に思い続けていた父と母があってこそなのだとオチバは感じた。
「オチバさんのご両親は、どんな人なんですか?」
ふと、クレリアが話をオチバに向けてくる。
オチバはそれに目を逸らし、「あー……」と気まずそうに苦笑した。
「……わからねぇんだよな」
あ、とクレリアが己の失敗に気づき、顔を曇らせる。それにオチバはいいんだよ、と首を横に振った。
「知らねえものは知らねえし、どうだっていいさ」
「でも……」
「まぁ俺は親の顔なんて覚えてねえけどさ、それでもクレリアの親が良い親だってのはわかるぜ」
クレリアの口調で、彼女が親をどう思っているかはよく伝わってきた。きっと、暖かい家族だったのだろう。
「自慢なんだろ? この丘も、親も」
オチバのその言葉で、クレリアの顔に花が咲いた。
「はい!」
クレリアが大きく頷く。
言ってから、少し恥ずかしくなったのか頬を赤くし、誤魔化すようにクレリアは籠の中からいそいそと水筒や弁当を取り出し始めた。
それにオチバは笑いを誘われるが、何も言わない。
クレリアが地面に布を敷き、その上に水筒と昼食を置いていく。
昼食の料理はパイだ。ただしこの前のようにりんごのパイではなく、イチジクのパイだった。
クレリアは、パイ料理が得意なのだろう。それに気づいたのはつい最近だ。
イチジクのパイは焼き加減が良く、甘い。
「教えてくれよ、こいつの焼き方」
思った以上に美味かったので、オチバはぽつりとそんなことを口にした。また、クレリアが笑顔になる。
「良いですよ。明日にでも是非。……あ、でもまたお昼ごはんが甘いパイになっちゃいますね」
「わからねえぜ? もしかしたらピリ辛になるかも」
「ふふっ。そんなわけないじゃないですか」
クレリアの笑顔に誘われるようにして、オチバも少し笑う。そしてまた、イチジクのパイを齧った。
一口、また一口と、パイは少なくなっていく。
「……あ」
何かを見つけたというような声が、クレリアの口から漏れた。オチバがクレリアの方を向くと、クレリアは枯葉を手に持っていた。
「……落ち葉」
どうやら芝生の中に混じっていたらしい。頭上の枝から落ちたものだろう。
クレリアの手の中にある落ち葉は生命力が一切感じられず、上の若々しい葉とは随分と見劣りした。
「捨てちまえよ、汚れるぜ」
何の気なしにオチバはそう口にする。それから自分の言葉を特に気にするでもなく、再びパイを食べることに戻ろうとした。
「そんなことないですよ」
しかしクレリアは、オチバの言葉を否定した。
あんぐりと開けた口を閉じるのを止めて、視線をパイからクレリアに飛ばす。
クレリアは、落ち葉を持ったまま相変わらず微笑んでいた。
「お父さんから教えてもらったんですけど、木から落ちた葉っぱは、ゆっくりと溶けていって、地面に染み渡るらしいんです」
「……へぇ」
「溶けて地面に染み渡った落ち葉は、次の木や、草や、花を育てる糧になる。そうやって、森は育っていくそうなんです」
オチバは食べるのを止めてクレリアの話を聞いていたが、何となく目を伏せていた。
しかし、次の言葉でオチバはクレリアのことを見ることになる。
「私はオチバさんの名前、好きですよ」
いきなりの話に、オチバがクレリアの方を向く。
クレリアは照れるでもなく、微笑んで言葉の続きを口にした。
「パルト村で、オチバさんは自分の名前が嫌いだって言ってましたけど」
クレリアは崩さないように優しく持っていた落ち葉を、そっと芝生の中に横たえた。
横たえた落ち葉を、クレリアはふっと微笑んだまま見つめる。
「こんな風に落ち葉がないと、森も、草原も、この緑いっぱいの綺麗な、私の自慢の丘もなかった。そう思うんです」
それから同じ目を、クレリアは正面に座るオチバに向ける。
「だから、『落ち葉』っていう名前は、とても素敵ですよ」
自分でも気づかない内に、クレリアに視線を奪われていた。
はっと正気を取り戻すと、オチバは慌てて目を逸らす。しかしオチバに目を逸らさせた感情は、決して悪いものではない。
むず痒いような、気恥しいような、少し顔が熱い。
「……そうかよ」
オチバはそれを口にするのが、やっとだった。
その後、パイを食べ終わっても、二人はしばらくその丘の上にいた。
柔らかい日差しで暖かく、時折吹く爽やかな風に撫でられると、心地いい睡魔がやってくる。
オチバとしては眠るつもりはなかったが、木にもたれるといつの間にか瞼を閉じていた。
クレリアはそれに微笑み、同じ木にもたれて持ってきた本を読み始めた。小さい頃は、丘の上で昼食を済ませたあとは、木陰の下で母親が本を読み聞かせてくれていた。
オチバが目を覚ますと、太陽は傾き始め、空には橙色の光が混じっていた。
軽いような、そうでないような、自分の半身にかかる重みに目を向けると、そこには目を瞑って本を取り落としたクレリアがオチバにもたれかかっていた。
───ああ、やっちまったな。
一応は夕方になる前に帰る計画だったのを思い出し、オチバは後ろ頭を掻いた。
だがまあ、こんな風にのんびりする時があっても悪くないだろう。楽観的なオチバはそう思う。
すぐ横のクレリアを見る。あまり遅くなるのも危ない。オチバはクレリアの肩を揺すった。
「ん……」
クレリアも目を覚ますと、オチバが起きた時と同じことを思ったらしく、苦笑する。
そろそろと立ち上がり、二人は帰る支度を始めた。
「……もう一度、誰かとここへ来たかったんです」
支度を終える頃、クレリアはそんなことを言った。オチバが振り返ると、夕焼けから浮かび上がるように、晴れやかな笑顔のクレリアの姿があった。
「ありがとうございました、オチバさん」
それは、オチバが見てきたものの中で一番の笑顔だった。
約束が終わるまで、あと──




