12 本気の願い
「適当にかけてくれ」
ヒドロは妻を起こさないようにオチバを家に入れ、ランタンに明かりをつけて居間のテーブルの上に置いた。
「茶は……いるかね?」
「お構いなく」
ヒドロはテーブルを挟んでオチバの対面へ座ると、ふぅと息をつく。
目の前の若者は、つい数日前が初対面だった。しかし何があったのか、その時より顔が変わったなと感じる。
前はもっと、こちらを疑うような目つきをしていた。しかし今は、何か投げやりになったような、それでいて焦っているかのような顔つきだ。
……どちらにせよ、あまり良いものではない。
「オチバくん、だったかな。まずは村長として礼を言わせてくれ。この前は村の者を助けてもらい……」
「ああ、待て、待てよ」
頭を下げるヒドロを、オチバが手を前に出して止めた。
「俺は礼を言われるような身分じゃないんだ。やめてくれよ」
「しかしだな」
「むしろ感謝したいのはこっちの方だぜ。……いろいろ、気づかせてくれた内の一つだからよ」
「気づかせて……?」ヒドロは目を細めて訝しんだが、オチバは気にすることなく「本題に入るけどよ」と話を進めた。
「安寧病って、知ってるよな?」
「……眠るように死に誘う病だな。知っているとも」
「それを、治す方法を教えてほしい」
ヒドロは腕を組み背もたれに体重をかけて唸った。それからオチバを見据え、安寧病の治療法を本気で知りたいのだ、と目に映った若者の表情で察した。
故に、ヒドロは残念でならなかった。
「……ない。安寧病は不治の病だ。安寧病に効く薬は見つかっておらん」
答えを聞いた途端に曇るオチバの表情に、ヒドロは目を逸らしたくなる。
「じゃあよ……え、延命なら、あるんじゃねえのか……?」
「ない。安寧病に立ち向かう方法は、我々は何一つ持たないのだよ」
なおも縋るように問いかけるオチバを、ヒドロはばっさりと切り捨てた。
言うのは苦しい。しかし、言ってやらねばならない。
ヒドロは少しの葛藤の末に、長く息を吐いた。
「……クレリアが、安寧病にかかったか」
「ッ!」
ヒドロの予想は無惨にも当たり、オチバは顔を強ばらせた。
少し考えればわかる事だった。ヒドロはオチバを通り越し、遠い場所を見つめる。
「そう、だよ……クレリアが、安寧病にかかったんだ」
オチバがテーブルに身を乗り出し、震える声でヒドロに詰めかけてくる。
「死ぬんだよ、クレリアが。わかるだろ? あいつは死んじゃ駄目だって。あんたらだって、恩があるはずだ」
「そうだとも」
「なら……! どうにかして、助けなくちゃなんねえだろうが!」
オチバの口調に荒さが増し、怒鳴りに近い声量が出る。
しかしヒドロは臆することなく、落ち着いてオチバを見据え続けた。
「……世の中、闇雲な意思だけでどうにかなるほど甘くはない」
ヒドロには、長年の経験がある。その言葉は、まさにその長年の経験で見出した事実だった。
頑張る、だけではどうにもならないことを知っている。
「そうか……あと、十日もないんだな……」
ヒドロのその言葉は、オチバに向けたものではなく、独り言だった。
下げていた視線を何も言えないでいるオチバに戻し、ヒドロは語りかけた。
「……オチバくん。クレリアの、親の話をしよう」
オチバがぴくりと反応した。クレリアと数日でも過ごしたのなら、もう彼女が親を失っていることは知っているはず。
ヒドロはランタンの明かりを見て、懐かしむように目を細めた。
「良い夫婦だった。クレリアの父親は医者、母親はクレリアと同じ治癒術士だった。クレリアは、母親似だったよ」
クレリアの両親のことは今でもよく覚えている。どちらも人柄の良い、そして外から見ても仲のいい夫婦だった。
クレリアは母親の血を濃く受け継いだのだろう。光が反射するような金の髪と、大きな青い瞳が印象的だった。
「村の外れに住み始めた彼らだが、村の者によくしてくれた。何せ医者と治癒術士だからな。私も、私の妻も、村の者も大いに世話になったよ」
一度、村で熱病が流行ったことがある。それに奮闘したのがクレリアの父だ。
彼のお陰で、村の被害は最小限に抑えられた。
狩りで傷を負った村人はクレリアの母親の治癒され、翌日からはまた働けるようになった。
二人と、そして見学するように親に着いてきていた幼い娘は、村にとってかけがえのない存在となっていた。
「……しかし、クレリアの父親が死んだ。病を治していたはずが、自分が病を患ってしまったらしくてな」
村の崩壊を食い止めた医者がいる。その噂を聞きつけた貴族が、自分の領地の流行病への対策にクレリアの父親を雇った。
半年もかからずに帰れるはずだったが、父親は永遠に帰ってこなくなった。
「それからしばらく、クレリアの母親は村に顔を出さなくなった」
あの時の村の空気を思い出す。
恩人を失い、村全体が、そしてヒドロ自身も悲しみに暮れていた。
「次に母親が村に来た時には……何も変わっていなかったよ。前と変わらず、いつも通りの微笑みを浮かべて、村で傷を負った者を治して回った。……あれは、口惜しかったな。我々は何一つ彼女に返せないのだから」
クレリアの母親は、夫を失った悲しみに自分でかたをつけたのだ。
そして再び村に訪れたときには、彼女は悲しみをおくびにも出さず……。
「……だが、再び村に訪れたその日に、彼女は私に言った。もし、あの娘が一人になってしまうことがあったら、よろしくお願いします、と」
なぜ、そんなことを言うのかわからなかった。まるでこれから、自分が死ぬようではないか。
夫を失ったことに耐え切れず、自殺を考えているのかと気を張った。しかしその気配もない。
あの時の、寂しげな表情をヒドロは今でも鮮明に覚えている。
「そしてその一年後……彼女は死んだ。事故だった」
危惧していた自殺などではなく、誰にでも可能性のある事故に遭い、クレリアの母親はこの世を去った。
面影を多く残す一人娘を残したまま。
「その時のクレリアが八歳だ。私たちは……せめてあの夫婦の忘れ形見であるクレリアだけは守ろうと、村に置いて面倒を見た」
クレリアは両親を亡くしたことにしばらく沈んだ様子だったが、親代わりになろうとした村人の慰めと持ち前の明るさで、少しずつ調子を取り戻していった。
「クレリアは外見だけじゃなく、治癒術士の才能まで母親を引き継いでいたようでな。初めは友達の怪我を治し……人一倍優しいあの娘は、すぐ村の為に働きたいと言ってきた。……皮肉なことに、母親の代わりは、クレリアが行うようになっていった」
クレリアは母親の生き写しのようだった。笑顔を振りまき、怪我を負った者を治していく様は特に母親を彷彿とさせた。
クレリアは幼い頃からそんな母親の姿を見てきたのだから、そうなるのは自然なのかもしれない。しかしそれがどうにも早くに死を迎えた母親の後を追っているようで、ヒドロには辛いものがあった。
「クレリアが十二の時……突然クレリアは家に帰りたいと言い出した。何を思ったのかはわからない。ただ、あの娘には珍しいくらいに主張していて、私たちにはそれを止められなかった。私たちは、クレリアが一人で暮らすようになることを見送るより他なかった」
あれも、ヒドロには耐え難いものがあった。クレリアがますます母親に、死に近づいたような感覚があったからだ。
しかし、クレリアの意思は固かった。両親が暮らした場所で暮らしたい、と言っていたがヒドロにはそれだけではないように思えた。
「それからクレリアは……私たちと距離を取るようになった。もちろん治癒術士として度々村に訪れたし、笑顔も前と変わらなかったがな」
それでも確実に、クレリアと自分たちとの距離は開いた。何故かはわからない。しかしクレリアは、わざと自分から一人になろうとしているように見えた。
そこから、現在まで特別語るべきことはない。語り終えたヒドロは、少し疲れたようにため息を吐いた。
「……正直、口惜しいよ。私たちだってクレリアを大事にしてきたつもりだ。それが、彼女が最後に頼るのが君だなんてな」
吐いた言葉に嘘はない。悔しかった。母親を追っているように見えたクレリアが、まさか母親よりも随分早くに死を迎えるだろうことが。
そして、クレリアが最後に一緒にいる人間を自分たちではなく、突然やってきたこの若者に選んだことも。
「……頼る? そんなんじゃねえよ。俺は、頼られてねえんだ。一緒にいるだけでいいって言ってたけど……それは、体のいい言い訳だろ?」
目を伏せ、自分の及ばなさを嘆くように言うオチバ。その内容に、ヒドロは思わず瞠目した。
クレリアを救いたいという気持ちはわかる。だが、これは許せない。
「オチバくん……君は、身勝手だ」
「……あ?」
ヒドロは立ち上がり、机に片手をついて、今度はオチバに詰め寄った。
「人の思いを、勝手に解釈するな。あの娘が何をしてほしいかなど、あの娘にしかわからない。見て聞くだけの私たちには、あの娘の言葉を真摯に受け止めることしかできない」
「……っ、でも、生きたいに決まってるだろ! あんなに……まだ子供だぞ!?」
「叶うならな」
引き下がろうとするオチバを、ヒドロはその言葉で突き放した。
「人は、叶う範囲でしか本気では願えない。王様になりたい。誰もが思うことだろう。だがそれを本気で願い続けている奴が、どれだけいる? 皆、絵空事として思い浮かべているだけだ。そしてそれは、別に叶わなくてもいい」
「それと同じなんだよ」とヒドロは続ける。
「安寧病は不治の病だ。君がどう喚こうと、患った者を確実に死へと連れて行く。クレリアの死は、私たちが王様になれないように絶対だ。なら、あの娘の『本気の願い』は何だ? それを叶えられるのは、一体誰なのかね?」
ヒドロのその言葉を聞き終えた瞬間、オチバは息が詰まるのを感じた。
この瞬間ばかりは、罪悪感も無力感もオチバのことを絡めなかった。
ずっと、ずっとクレリアは言っていた。「誰かと一緒にいたい」と。
なぜ、見ず知らずのオチバを家に泊めたのか。なぜ、オチバを気遣うような言動を度々見せていたのか。
彼女の『本気の願い』は、自分の前にずっとあったのだ。
──オチバさんじゃないと、駄目な気がするんです。
その言葉は、きっと。
「……ああ、そうかよ」
オチバはテーブルに両手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
最初から、間違っていたのだ。クレリアの願いを無視して、あるはずもない真の願いを探そうとして。
愚かな男は、愚かな考えのもと、愚かな風にしか動けなかった。
しかし目の前の、この老人が気づかせてくれた。それが、オチバにとって間違ったまま終わらないための最後の機会。
オチバは後ろ頭を掻くと、今更申し訳なさそうな表情をした。
「悪かったな……。こんな夜中に」
「なに、久しぶりに眠れない夜だったんだ。若い者にでかい顔ができて、暇つぶしくらいにはなった」
ヒドロは笑みを浮かべた。
きっと、この老人だって言いたいことが山ほどあるに違いない。だがそれらを全て呑み込んで、オチバに託そうとしてくれているのだ。
それならば、オチバがいるべき場所はここではない。
「……帰るよ」
「ああ、気をつけてな」
オチバがテーブルを離れ、家の外に出ていく。見送りはしない。心配はもうないからだ。
やがて静寂が訪れると、階段から誰かが降りてくる音が聞こえてきた。
「……あなた」
「マイリ」
降りてきたのは妻だった。妻は思い詰めた表情になると、寂しげ笑った。
「寂しく、なるわね」
「……ああ」
老夫婦は、二人して同じ方向を見た。自分たちを救ってきた、家族が住んでいた家の方向を。
*
クレリアの家には走って戻った。空は闇が少し薄くなってきている。
家に入り、音を立てないように気をつけながら、クレリアの部屋に入る。
ベッドには、家を出た時と変わらない姿のクレリアが横たわっていた。大人しく、静かに寝息を立てている。
オチバはゆっくりと歩き、枕元の横にある椅子に腰掛けた。ここで待つことにしよう。
しばらくして、部屋に光を取り入れる大きな窓から、朝日が射し混んできた。浴びても浴びても心地の良い、そんな柔らかな光だ。
やがて光は、クレリアの顔まで伸びていく。光に照らされた金の髪が、柔らかく輝く。
少し間があって、クレリアが瞼を開けた。薄青の瞳を動かして、それがオチバの顔を映したとき、ふっと顔が綻ぶ。
オチバはそんな彼女を安心させるように言った。
「おはよう、クレリア」
約束が終わる日まで、あと六日。




