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ボンネットがへこんで、それでなくてもオンボロだったダリルのセダンは、立派な走るガラクタと化していた。
エドアルドに抱えられるようにして、後部座席に乗り込んだトオニは真っ青な顔で荒い息をしていた。
「大丈夫なのか?」
運転席からダリルが声をかけた。
「少し休めば良くなるよ」
声をかけられたトオニは、力なく微笑んで言った。
そのままトオニの隣の、後部座席に座っているエドアルドが静かに話し始めた。
「皆さん勘違いなさってることが多いんですが、超能力者は超人ではないんです。私たちの能力は、身体の不足分を補うために発達したようなものなんです」
エドアルドは、ただ事実だけを淡々と語った。
「強力な能力を有するのもほど、それは顕著に現れます。現存する超能力者の大半が虚弱体質で、私やトオニもその例に漏れません。私はそれに加えて、生まれつき左腕が欠損しています」
そう言って自分の左腕をそっと撫でた。
そうは言うが、超能力者は登録さえしていれば、さまざまな便宜を図られ優遇される。それ以外の『野良超能力者』は大抵は犯罪者だ。
超能力者の打ち明け話を聞いても、ダリルはそうか、としか思わなかった。
「それより、私はさっきの一件について、何も説明されてないぞ。あの研究所で何が起こったんだ。財団は何を調べてるんだ?」
「・・・貴女には全てお話しするべきでしょうね」
少し考えてから、エドアルドはダリルに詳細を打ち明けた。
「もう二十年以上も前の話です。当時は大きなスキャンダルになりましたが、財団は政府の依頼を受けて、心身ともに瑕疵のない完全体の超能力者の研究に着手していました」
遺伝子操作まで行ったようだが、結局研究は失敗に終わり、その後大きな事故により、それまでの研究データや詳しい資料ごと、財団の研究所が消失してしまったらしい。
ほとんど当時の資料が残っていないせいで、実験がどこまで進んでいたのかは、エドアルドも詳しくは知らないようだった。
「ですが、最近になって、その当時の遺伝子操作に関するノウハウが外部に漏れていることがわかりました。現在『パンドラ』という名で出回っている薬物は、その実験の過程で生成される副産物なのです」
突拍子のない話に、ダリルは咄嗟に言葉を見つけられなかった。
「しかも過去に頓挫したプロジェクトである、完全体の超能力者の創造も行われていたようです。貴女もさっき会ったでしょう、ウィラード刑事。あの子供たちは遺伝子操作で造りだされた、人工の超能力者です」
どうやら話はただの強盗事件や、麻薬などといった話では収まりそうになかった。
「じゃあ、マフェットがそのノウハウとやらを手に入れて、あのガキたちを造りだして、そのついでに『パンドラ』をばら撒いてるってのか?」
一体何のために? ダリルには理解できなかった。
「どういう入手経路わかりませんが、おそらく。ですが証拠は何もありません」
全部吹き飛んでしまいましたから、とエドアルドが言った。
ダリルは、マフェットの研究所の十三階の光景を思い出し、顔を顰めた。
つまりあれは実験段階で生まれた、完全体ではない嬰児たちの標本だったのだ。
「これからどうする?」
「私たちは一度財団に戻ります。マフェット氏を押さえるには、まだ確たる証拠が足りません。もう一度過去のプロジェクトについて調べてみます」
「わかった」
ダリルはエドアルドとトオニを、財団支部まで送り届けてから署に向かった。
中央署に横付けされた、鉄屑同様のダリルのセダンを見た制服警官たちは目を丸くした。
しかし車から降りてきたのがダリルだとわかると、一瞬で皆が納得した。
この綺麗な薔薇は、棘どころかチェンソーかダイナマイトを標準装備していると、警官仲間なら誰でも充分承知していたからだ。
ダリルは『壊し屋』というくらい、よく車を壊すことでも有名だった。
当のダリル本人は、これでも長持ちしたほうだと、足早に特暴のオフィスに向かった。
特暴のオフィスには、ルースがひとりいるだけだった。彼はハンバーガーを頬張りながら、器用にタイプを打っていた。
ルースは警部のオフィスに向かうダリルを見て声をかけた。
「おいダリル、例のドラッグストアの爺さんだがな」
ドラッグストア、と聞いてダリルの足が止まった。踵を返して、ルースのデスクに近づいていく。
「えっと確か、ホワイトウッドっていったっけな。店をやる前は医療開発研究所に勤めてたらしいぞ」
ルースはタイプを打つ手を止め、肩を竦めてみせた。
「しかも、本人曰く、元々は化学者だったんだとよ」
「本当か?」
老人の法螺話だよな、と言いかけたルースは、ダリルの真剣な問いかけに笑いを引っ込めた。
「化学者ってのは眉唾もんだが、研究所勤めは本当で、その退職金であの店を開いたって話だったぞ」
「じゃあマフェットと知り合いか?」
「どうだろうな、大きい会社だろ? 個人的な繋がりまではわからないな」
ルースは大して関心を示さず、タイプライターとのにらめっこを再開した。
ダリルはそれ以上追求せずに黙り込んだ。
ドラックストアがあった場所は、ロータウンでも一等地だったが、退職金を注ぎ込んでまで、終の住処にするような場所ではない。
ばらばらで散らばっていた、いろんな事柄はひとつの点に集約されている。
結局、どう転んでもダリルのターゲットは、マフェット以外あり得ないようだった。
「それより他の奴らはどこに行ったんだ? あんたの相棒殿も」
ダリルはがらんとしたオフィスにやっと気がついたと言わんばかりに周囲を見回した。
ああ、とルースは事もなげに言った。
「東部の方で大きな暴動が起きたって応援要請が入って、警部共々総出だ。ネイサンのやつは報道を見てた最中に、どっかから電話が入って、慌てて外へ飛び出して行ったぜ」
ルースは顎でテレビを指した。
そこにはダリルがさっきまで居た、医療開発研究所の『ガス爆発事故』を報じている。なんとも金の力は偉大だと、彼女は感心していた。
「私はこのまま家に帰るから、警部が戻ったら、後で報告すると伝えといてくれ」
ダリルはテレビ画面を横目で見ながらルースに言った。彼はハンバーガーで塞がれた口の代わりに、片手を挙げて了解した。
このまますぐにでも引き返して、マフェットに洗いざらい吐かせたい気分だったが、ダリルは自分が埃まみれで丸腰なのに思い当たった。
ダリルは一旦自分のアパートメントに帰宅し、身支度を整えるためにと、またボロボロのセダンに乗って署を後にした。
彼女が自分の巣に帰るのと入れ違いに、一台の車が中央署に帰ってきた。