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エドアルドとトオニが、ふたりの少年と対峙しているその時、ダリルは医療開発研究所の正面ゲートの前で、警備員と押し問答をしていた。
「だから、私は中央署の刑事だって言ってるだろうが」
ダリルは車から降りイライラしながら、研究所の正面ゲートで仁王立ちしている警備員と対峙していた。
警備員はそんな彼女の感情などは全く無視して、無表情のままさっきと同じことを繰り返した。
「たとえ刑事でも、マフェットさんの許可なく立ち入ることはできないんだ」
「でもさっきここへ刑事がふたり来ただろうが。ひとりは長身の色男で、もうひとりは、」
「来てないと言ってるだろう」
ダリルの言葉を遮って警備員は言った。
どうあっても彼女を中へ入れる気はないようだった。
「ち、わかった。出直すことにするよ。どれだけ高級取りか知らないが、仕事に忠実で結構なことだ」
押し問答に辟易としたダリルが、捨て台詞を残して車に引き返そうとした時、研究所全体が大きく揺れた。
研究所の最上階に近いあたりの窓ガラスが砕け散り、地上に降り注ぐのが見えた。
「なんだ?」
警備員が研究所を振り仰いだ。
ダリルは車に乗り込みエンジンをかけ、一旦バックしてからギアを戻し、アクセルを目一杯踏み込んだ。
大きなエンジン音に驚いて、振り向いた警備員の脇を掠めるように、ダリルはゲートに突っ込んでいった。
ゲートが折れ曲がり弾け飛んだ。
飛び退いた警備員が立ち上がって発砲してくる。
「は、最初っからこうすりゃよかったのか。なんだ簡単に入れてくれるじゃないか」
ダリルは凶悪な笑みを浮かべて、その勢いのまま研究所の玄関ホールへ突っ込んでった。
コンクリート片と一緒に飛び込んできた車は、ホールの中程にある、受付カウンターの前で止まった。
受付嬢は半ば放心状態で飛び込んでくる車を見ていたが、車から降りて来た人影を見て、はっと正気に返ったようだった。
彼女は慌てて手元の非常ブザーを押した。
けたたましい音が鳴り響く中、すぐにふたりの黒づくめの男がホールの奥からやってきた。
ダリルの姿を認めるといきなり発砲してきた。
歓迎の印にしては余りにも剣呑なものだった。
ダリルは車のドアの陰に隠れ、男たちから贈られる鉛の弾を断りながら、お返しの弾を彼らにぶっ放した。
男たちはダリルのお返しに礼も言わず、そのまま倒れ伏し動かなくなった。
また建物が揺れた。
一体、あのふたりは何をやらかしているのかと、ダリルはエレベーターに向かったが、さっきからの振動のせいで耐震装置が働いたらしく、エレベーターは止まったままになっていた。
ダリルは踵を返して受付カウンターに向かい、受付嬢に聞いた。
「騒ぎの元はどこだ?」
受付嬢は黙ったまま蒼くなっている。
「ちっ」
ダリルは受付カウンターを乗り越え、キーボードを操作した。
研究所の内部構造がディスプレイに表示され、赤いランプが二十階で点滅している。
それを確認すると、ダリルは非常階段に向かって駆け出した。
十階まで一気に駆け上がり、ダリルは息を切らせて少しスピードを落としたが、なおも階段を駆け上がっていった。
十三階のフロアに続く入り口にふと注意を向けると、そこには『立ち入り禁止』の文字が、入ってくださいと言わんばかりにダリルを誘っていた。
行きがけの駄賃とばかりに、ダリルは立ち入り禁止のお誘いに乗ることにした。が、案の定、鍵がかかっている。
ダリルはドアノブに向けて、二発撃ち込んだ。
中は窓もなく真っ暗で、微かに非常灯の明かりだけが足元を照らしている。通常、十三階は倉庫がわりに使用されることが多いが、倉庫に『立ち入り禁止』を掲げるのもおかしな話だった。
いくつもある部屋のひとつを開けると、ひんやりとした冷気が部屋から流れて出てきた。
ダリルは全身に悪寒が走るのを感じた。
それは単純に冷気のせいではなかった。
薄暗い部屋に設えてある棚の上には、大小のガラス瓶が並んでいる。
標本だった。
人間の、嬰児のホルマリン漬けだった。
手足の欠けたもの、顔のないもの、どれも正常な形をしてはいない。
ダリルは吐き気を堪えて、なおも標本を見て回った。
部屋の奥の一番隅に、ラベルが黄色く変色している標本があった。
人間の脳と脊椎、それに目玉付きの視神経だった。二十年前の日付が微かに読み取れた。
「マフェットの野郎、標本収集が趣味なのか? 悪趣味なやつだ」
何か得体の知れない秘密の匂いがするが、ここにはまた後で、エドアルドたちを連れて来ればいいと、ダリルは気味の悪い十三階のフロアから離れて、騒ぎの元の上階目指してまた階段に向かった。
残りの階を一気に駆け上がり、ダリルは息を切らせて二十階のフロアに続くドアを開けた。
と、廊下の角からいきなり小さな人影が飛び出してきた。
「・・・脅かすな、子供じゃないか」
ダリルは構えていた銃を下ろした。
赤っぽい髪のひと房に、黄色いメッシュを入れた五、六歳の少年だった。
少年は驚いたように目を丸くして、ダリルの正面に立ち止まった。
「もう少しで撃つところだったぞ。どこから入った? ここは危険だぞ」
ダリルの言葉にも、少年は笑みを浮かべ立ち尽くしたまま動こうとしない。彼女はフロアから離れるよう促そうと、ゆっくり少年に近づいていった。
「その子から離れて!」
聞き覚えある声が叫んだ。
ダリルの注意が声の主に向けられた途端、彼女は何か大きな手に突き飛ばされ、壁に背中を強かに打ち付けて床に倒れ込んだ。
「・・・うっ」
ダリルが痛みに呻きながら顔を上げると、さっきと同じ笑みを浮かべたまま、彼女の方に歩み寄ってくる少年の姿が見えた。
急にその顔から笑みが消えて、子供とは思えない形相で、ぐるりと背後を振り向いた。
そこにはトオニが立っていた。
しかし彼は、今までのふざけたような笑顔ではなく、ダリルが初めて見る真剣な表情をしていた。
「そのひとは僕らとは関わりない、手を出すな」
トオニは少年、『イエロー』に視線を据えたまま静かに言った。
イエローは高らかに笑った。
「あはは。だめだよ、そんな嘘ついちゃ」
大人びた、嫌な笑い方だった。
イエローの周りの空気が一瞬凝縮されたように感じられた。
その見えない塊がトオニ目掛けて襲いかかった。
トオニは辛うじてその場に踏みとどまったが、その代わりに彼の後ろの窓ガラスが、枠ごと砕けて破片が研究所の外に降り注いだ。
ダリルはその光景を見て、彼が超能力者だと理解すると、ほとんど条件反射のように銃を構え、いきなり発砲した。
が、もちろん威嚇射撃だった。命中させるにはいくらなんでも標的が幼すぎた。
イエローは足元を抉った弾を見ても、顔色を全く変えないどころか、ダリルにゆっくり振り向いて言った。
「どこを狙ってるのさ」
わざと外したんだよ、とダリルが心の中で呟いた時、その身体がいきなり強い力で締め付けられた。
「!」
身体中の骨がぎしぎしと悲鳴をあげている。
ダリルは自分の甘さを呪った。
子供とはいえ、相手は超能力者で、しかもイエローの方は人を殺すことに全く抵抗はないようだった。
押しつぶされた肺が空気を求めて喘いでいる。このままいけば、あと数十秒でダリルは人間を辞めて、クラゲにでも変身しそうだった。
「いい加減にしないか!」
トオニが叫んだ。
ぱんぱんぱん! と乾いた音と共に、天井の照明が次々と割れていった。
イエローは降り注ぐ破片を避けようと、咄嗟に頭を抱え込んだ。
一瞬、呪縛の緩んだダリルは、身体の痛みに耐え咳き込みながら、イエロー目掛けてダッシュすると、その小さな身体に力任せに体当たりした。
イエローは勢いのまま、ダリルと一緒に床に倒れ込み、後頭部を強かに打ちつけた。
「・・・殺っちまったか?」
圧し潰すような形で、ダリルの下敷きになっているイエローはぴくりとも動かない。
小さな頭の下に赤いシミが広がっていく。首に手をやると、脛骨も折れていた。
ダリルは溜息を吐いて、小さな死体の上から退きながら床に座り込んだ。
トオニが小走りに近づいてきて、ダリルの顔を心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫?」
そう問いかけるトオニは心なしか顔色が悪く、額に薄っすら汗までかいている。
ダリルは咳き込みながら、反対に彼に問いかけた。
「大したことはない。それよりお前こそ大丈夫か?」
「僕は念動力はあんまり得意じゃないんだ」
トオニはにっこり微笑んだ。
「使えなくはないんだけど、すっごく疲れるんだ」
「やれやれ、軟弱なやつだな。少しは身体も鍛えろよ」
軽口を叩きながら立ち上がると、ダリルは床の小さな骸を指して言った。
「このガキは一体何者だ?」
トオニは肩を竦めた。
「本名かどうか知らないけど、『イエロー』っていうみたい。それより、この子と同じ超能力者が、あっちにもうひとりいるんだ、エドと一緒に」
そして廊下の向こう側に視線を向けた。