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ダリルは死体置き場が気にならない。
ここではタフさを誇る厳つい警官でさえ、何もないことを確認するために、こっそり後ろを振り返って見たりする。だが、ダリルは死体がおとなしいことも、永遠に悪さをしないことも充分承知していた。
生きている人間の方が、彼女には恐怖だった。
「で? 何が知りたいんだ? この死体は今朝、ネイサンとルースと一緒に調べ尽くしたよ。どうして連中に訊かないんだ?」
検屍官が、昨夜ダリルが、歩行者通路で撃ち倒した男の死体の前で言った。
「ルースは阿呆で、ネイサンはそれ以上に能無しだからだよ。あんただって、そう思ってるだろ?」
検屍官が肩をすくめた。そして、死体保管所の入り口に立ったままのふたりの男をちらりと見て、ダリルにこっそりと尋ねた。
「それより、あの連中はなんだい?」
「あれが、今度の私の相棒たちだそうだよ。財団から来た、超能力者どもだ」
うんざりした口調のダリルとは反対に、検屍官の目が輝いた。
彼は立派な検屍解剖医だったが、多分にマッド・ドクターの素質があった。ダリルから超能力者、しかも『財団の』と聞かされ、そわそわと落ち着かない様子になった。
それを見たダリルが苦笑して、検屍官にタチの悪い冗談をとばした。
「あいつらは本日付で、特暴の刑事様だ。死人になれば、確実にここに運び込まれるさ。そのときはあんたに任せるよ」
検屍官は破顔して、喜びのあまりダリルに抱きつきそうになった。彼女は慌てて身を躱し、視線で制した。
「そう、そうか。で? 何が聞きたいんだ、ダリル」
ころりと態度を変えた検屍官に呆れながらも、嫌々引き連れていた超能力者がとんだところで役にたち、しかもそれが、奴らご自慢のESPでなかったことが、ダリルの溜飲を下げてくれた。
「この男が使用していた『薬』が知りたい」
ダリルはあのトンネルで、男を倒してからずっと気になっていたことを質問した。
「私は、例の新種のやつだと思ったんだか」
「その通り! 大当たりだ」
「だろうな。こいつを倒すのに、五発も撃ち込まなきゃいけなかったんだ」
「血中から『パンドラ』がたんまり出てきたよ。それも粗悪品じゃない、純度の高いやつだ」
パンドラ、ここ数年ロータウンを中心に拡がっている麻薬だった。一回の使用量がティースプーンほどの僅かな量で、一回分ずつ使い捨ての小さな針つきチューブ入っている。
パンドラはほかの麻薬と違って、ただハイになるだけではなく、人の持つ潜在能力を引き出す力を持っていた。感覚麻痺も起こり、銃弾を少々喰らったくらいでは、その行動は止まらない。
まるでB級映画のゾンビのようになるのだ。
安価で手軽なことから、若者を中心に蔓延しているが、末端に行き渡る物の殆どは粗悪品で、中には混ざり物のせいで、一回使用しただけで死んでしまう者もいるほどだった。
パンドラは体内に吸収されるとその成分が変質してしまい、その詳しい成分は未だ謎のところが多く、正確な原材料も判明していない。
「この男だが、名前はリアム・フッカー。ロータウンの『パラディス・インフェ』って店の支配人だったらしいよ」
地獄の楽園とはまた随分とふざけたネーミングだったが、ダリルは次の標的が見つかったことに喜んでいた。
「わかった、恩にきる」
まだ嬉しそうに、エドアルドたちを盗み見ている検屍官をそのままにして、ダリルは次の行動を開始した。
「申し上げにくいのですが、これは命令違反ではありませんか? ウィラード刑事」
『地獄』へ向かう車の助手席でエドアルドが言った。
「警部は昨夜の事件は、ネイサン刑事とルース刑事の両刑事に担当させると、」
「いいか。くそったれな警部が何言おうが、私は相棒を殺ったゲス野郎を捕まえる。お前らは私と組んだんだ、黙って手助けをしてくれりゃあいい」
「しかし」
なおも食い下がるエドアルドを、ダリルは鼻で笑った。
「これだって立派な『教育』で『指導』だ。着任早々、実体験できていいだろう?」
「いいんじゃない? エド」
後部座席でトオニが賛同した。
「ダリルは僕らの先輩なんだし、刑事の捜査がどんなものか教えてもらおうよ」
トオニのその声はご機嫌で、明らかに状況を楽しんでいる。そのことが著しくダリルのカンに触ったが、反対しないのなら構わないと、そのまま放置しておいた。
それで調子づいたのか、トオニは後部座席から乗り出してダリルの顔を覗き込むように言った。
「それにしても、ダリルってば黙ってると超美人なのにね。もったいない」
ダリルはこの口の減らない綿菓子頭を引っ掴んで、すぐにでも車から叩き出したかったが、その代わりにアクセルを目一杯踏み込んだ。
近代化の進む都市の狭間に生まれた、ネオ・デトロイトの吹き溜まりといわれるロータウンは、少し腐りかけで、すえたような腐臭が漂っていた。
しかしこの界隈だけは華やかだった。
もうすっかり日も暮れて、毒々しい色のネオン管が『パラディス・インフェ』と輝いて、地獄への入り口を指し示している。
「余計な手出しはするなよ」
ダリルは車を停め、降りる前にふたりの超能力者たちに向かって念を押した。
年代物の内開きのドアを開けると、中はタバコやその他の得体の知れない煙で霞がかかり、けたたましい音楽と女の嬌声が店中に響き渡っていた。
いかにもな、目つきの悪い男たちが部外者に鋭い視線を向けている。ここでは部外者は『敵』だった。
特に警察官は。
警察に対して大小の差はあれど、負の感情しか抱いていない彼らが、ダリルたちにどんな歓迎をするかは、想像に難くない。
エドアルドとトオニを引き連れたダリルは、周囲の鋭い視線を無視して、真っ直ぐカウンターへ向かった。カウンターに着いた彼女はバーテンダーを呼んで、今は死体安置所の住人になっている『レインコート』の写真を見せた。
「こいつを知ってるだろ? ここの支配人だった男だ」
ダリルに沈黙で答えたバーテンダーの代わりに、彼女のとなりの椅子で、ウィスキーのボトルを抱え込むようにして飲んでいた男が、不意に写真を横からひったくると写真とダリルを交互に見やった。
「なんだぁお前、リアムの情婦か?」
酔っ払いは咥えタバコの口元に下卑た笑いを浮かべ、ダリルの肩を抱いた。
ダリルは返事の代わりに、男が咥えていた酷い臭いのする葉巻をとって、肩を抱いている手の甲で揉み消した。
「ひぎゃあああ」
酔っ払いは、その図体に似合わない甲高い悲鳴をあげて椅子から転げ落ちた。
「触るな、臭い」
ダリルは酔っ払いを一瞥すると、ポケットから身分証を取り出し、バーテンダーに見せてから改めて質問した。
「リアム・フッカーの交友関係が知りたい」
「知ってたって誰が教えるか! おめえみてえなおまわりに!!」
またしてもバーテンダーの代わりに、椅子から転げ落ちた酔っ払いが吠えた。それが合図だったように、近くで飲んでいた男たちが一斉に立ち上がり、ダリルを取り囲む形になった。
皆、隠そうともせず殺気を垂れ流している。
「政府の飼い犬が何の用だ。無事にゃここから出られねえぜ。知ってるだろ? 俺たちゃおまわりは大嫌いなんだよ」
一際目立つ、大柄な禿頭の男が集団から一歩前へ進み出た。雰囲気からして、この店のボディーガードのようだった。
「てめえらに好かれようとは思ってないさ。私はこれでも男の趣味にはうるさいんでね。特にスキンヘッドは見るだけで虫酸が走る」
ダリルは、その美貌に似合わない伝法な口調で禿頭を挑発した。それを受けた禿頭のボディーガードが、文字通り、頭から湯気をたてる勢いで真っ赤になった。
恥ずかしさからではない、もちろん怒りのためだ。
「美人で勿体ねえが仕方ねえ。なに、ここには『屍体愛好家』もいるから、死んでたってきっちり可愛がってもらえるぜ」
禿頭は口を歪めて笑った。
お前こそ、その愛好家とやらに可愛がってもらえよと、ダリルは身体のバネを貯めるように身構えた。
が、その時ダリルのすぐそばから、静かで凛とした声が聞こえてきた。
「不毛な争いはそれくらいにしたらどうです? 別に貴方がたをどうこうしようというのではないのですから、ウィラード刑事の質問に答えてください」
それまで黙って成り行きを見ていたエドアルドが、ごく自然な動作で睨み合うダリルたちの前へすっと進み出た。
男たちは一瞬、毒気を抜かれたようにぽかんとエドアルドを見つめていたが、やがて弾けたように声をたてて笑い始めた。
「こりゃあいい、『あなたがた』だとよ」
「どこのお坊ちゃんだあこいつ」
ダリルは頭を抱えたくなった。
エドアルドはこんなところで、こんな奴らを相手にしても、その態度を全く変えないのだ。
男たちの笑い声の中、最初に火のついた葉巻でダリルの洗礼を受けた酔っ払いが、背を向けていた彼女にいきなり飛びかかった。
酔っ払いは不意を突いたつもりだったが、ダリルはさり気ない動作で、その男がさっきまで抱え込んでいた、カウンターの上のウィスキーのボトルを掴むと、振り向きざまに頭部に叩きつけた。
ボトルの割れる音ともに、酔っ払いの顔が赤と茶色のまだら模様に染まり、男はそのまま仰向けにひっくり返った。
男たちの笑い声が止んだ。