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翌朝のネオ・デトロイト中央署は、夜勤明けの者や今から勤務に就く者、ひったてられてきて忘れ去られ、そのまま隅っこで眠りこけているアル中や、書類に忙殺される事務職員などでごった返していた。
いつも通りの、いつもと変わらない朝を迎えている署内を掻き分け、ダリルは署の奥へ奥へと進んでいく。署のずっと奥まった薄暗い場所に、彼女の勤務先である特殊暴力犯罪課はあった。
ダリルの身体はくたくただったが、その頭は冷たく冴え渡っていた。
特暴の課内に入ると、みんな一斉にダリルから目を反らせた。彼女が、周囲を怯えさせるほどの凄い目つきになっているのは、決して寝不足のせいだけではなかった。
出勤手続きもおざなりで、勤務予定が書かれているボードも無視して、ダリルは真っ直ぐネイサンのデスクに向かった。そしてネイサンのそばに立つと、あいさつもせずにいきなり本題を切り出した。
「トーマスを殺した連中について、何かわかったか?」
ネイサンはゆっくりデスクから顔を上げ、うんざりした顔で答えた。
「無理言うなよダリル。まだ十時間も経ってないんだぜ」
「それだけあれば充分だろ」
ダリルはにべもなくネイサンを上から見下ろした。
「どうせお前は、そこでタバコをふかしているしか能がないのさ。みんなよく知ってるよ」
ネイサンは少しむっとしたような顔をしたが、肩を竦めると特に反論もせず、黙ったままデスクの上の書類に視線を戻した。
ダリルは舌打ちをして、踵を返すと自分のデスクに向かった。
彼女の向かい側のデスクは書類が乱雑に積まれたまま、持ち主に整理されるのを待っている。だがいくら待っても、持ち主が永遠に現れないということを、その書類たちは知らない。
ちくちくする胃と、ずきずきする背中の打撲に思わず顔を顰めたダリルだが、『痛みを感じるのは、トーマスと違って生きているからだ』と自虐的な気分でいると、警部が自分のオフィスからのっそり出てきた。
特暴の主任警部は、部屋の中をぐるりと見回してから、よく通る声でがなりたてた。
「全員、よく聞け! 告知がある!」
厄介な雰囲気を察したダリルは、よく見え、聞こえ、尚且つすぐに部屋からトンズラできる壁際へ、猫のようにするりと移動した。
警部は大きなスクリーン下の、拡声器を無視して吠えた。
「手短にやるぞ、これは署長からの通達だ。連邦政府から市長を通して、署長に命令が下された」
一枚のシートをこれ見よがしに掲げた。
「本日九時をもって、ここ特殊暴力犯罪課に、財団の職員二名が配属されることになった。彼らは一級刑事になる」
部屋中でざわめきが起こった。
特暴に在籍する者殆どがヒラ刑事で、その財団職員との階級差はなかったが、等級は一番下の三級か、その上の二級の刑事ばかりだったからだ。
警察内部は細かな階級が決められ、もちろんそれによって給料にも差がある。
刑事といっても身分は制服警官の巡査と変わらなかったが、一級ともなれば、警部補と同等の給料がもらえることになる。犯罪捜査経験の全くない、一般企業の派遣職員が、いきなり自分たちよりも高給取りになるのだから、特暴の刑事たちの反応は当然な事と言える。
警部はざわめきを無視してそのまま続けた。
「階級は一級だが、新米刑事だ。彼らと組みたいものは俺のオフィスに顔を出せ。志願者がいなければこっちで選ぶからな。以上だ」
あちこちで起こる不平不満を無視して、警部はさっさと自分のオフィスへ消えた。しばらくは素人の財団職員の好待遇に対し、激しい怒りの討論が交わされていたが、部屋はすぐに現実に戻り、普段と変わらない程度の騒がしい状態に戻った。
一時間後、ダリルの机にある年代物の電話の内線ランプが点滅し、警部のオフィスから呼び出しがかかった。
ダリルは嫌な予感をひしひし感じながら、不詳不精呼び出しに応じノックもせずにその扉を開けた。
厳つい警部のデスクの横に、ふたりの男が立っている。
だがふたりともおよそ警察には不釣り合いな、特に特暴には場違いなこと甚だしい。
ひとりは上等な服を隙なく着こなした、すらりと背の高い綺麗な男だった。
軽くウェーブのかかったプラチナブロンドに、透き通るガラス瓶のような碧い目をして、口元には柔らかい微笑が浮かんでる。一見すると金髪碧眼の優男だが、纏う空気は聖職者のようで、どう見てもダリルの苦手とする上流階級の人間のようだった。
その男はまだいい。
その優男の隣に立つ、ふわふわくるくるの綿菓子頭で、不思議な瞳の色をしたもうひとりは、男というにはあまりにも幼く、どう見てもハイスクールに入りたての子供にしか見えなかった。
ダリルは訝った。
普通刑事は二人一組で、三人一組など聞いたことがない。だが、こんなところにわざわざ子連れで来るとは到底思えなかった。
天国からの使者のような微笑みを浮かべているふたりのそばで、警部が地獄の門の門番よろしく、有無を言わさない口調で、ダリルを地獄へと案内した。
「志願者が誰もいなかったのでね、ダリル。彼らが財団からの転属者だ」
至極当然な事だった。誰が好き好んで、財団の超能力者と組みたがるというのだろうか。
運悪く白羽の矢が刺さったらしいダリルは、当たり前だと胸の内で舌打ちをした。
黙ったままのダリルを気にすることなく、警部は勝手に話を進めていく。
「彼女があなた方とチームを組んでもらう、うちの刑事です。名前は、」
「ちょっと待った『チーム』って何だ。そこのガキも一緒なのか?」
警部の言葉を遮って、ダリルは綿菓子頭に指を指した。
「ガキじゃないよ。僕はトオニ、トオニ・フォスター、ちゃんと立派に成人してる」
指を指されてむっとしたのか、ダリルの目線の下から綿菓子頭が抗議しているが、どこをどう見れば立派な成人に見えるのだろうか。
ダリルは財団派遣のにわか刑事と組む気などさらさらなかった。特に目の前にいる子供とは。
「私の仕事に『子守』は含まれてない。これからトーマスの件で忙しくなる」
「ああ、その件だが、お前には外れてもらう。ネイサンたちが担当することになった」
ダリルは耳を疑った。
「あんな能無しの、ぐうたら男に任せるのか? 冗談じゃない」
もはや苛立ちを隠しきれないダリルの抗議を全く取り合わず、警部はさっさとふたりの一級刑事を紹介し始めた。
「紹介が途中だったな。彼女はダリル・ウィラード刑事だ。ダリル、こっちはさっき自分で名乗ったが、トオニ・フォスター刑事。その隣がエドアルド・マクファデイン刑事だ。マクファデイン刑事、ダリルは二級だが、現場では彼女の方が先輩だ。わからないことは彼女に聞いてくれ」
「よろしくお願いします。エドと呼んでください」
宗教画から抜け出した天界の住人然とした優男が、微笑みながら手を差し出してきたが、ダリルはそれを一瞥しただけできっぱり無視した。
彼女は、なおも警部に食い下がろうと口を開きかけたが、それを警部が遮った。
「今日は彼らに仕事の内容を教えてやれ。彼らとの正式な初仕事は、財団から提示された事案があるから明日改めて言い渡す。」
「なんだよそりゃ。私らは財団の使いっ走りか? ふざけるな」
「いいか、これは命令だ。お前は彼らの教育指導に当たる。トーマスの件には口も手も挟むな」
警部に有無を言わさぬ最後通告を下されたダリルは、彼のデスクをバン! と叩いて踵を返すと、そのままオフィスを出て行った。
その時警部の耳にくそくらえ、とダリルの微かな捨て台詞が届いたが、彼は片方の眉を上げただけでそれを黙認した。
警部のオフィスから出てきたダリルを、同僚たちが同情と好奇心を秘めた目で見つめていた。が、彼女の背後に続いて出てきたふたり組を見て、彼らの同情心は吹き飛び、一気に好奇心一色に塗り替えられた。
静かだが、かなり怒り狂った様子のダリルの後を、黙ってついていくうちのひとりは、飛び抜けた美貌のすらりとした青年で、もうひとりは上品そうな少年だった。
朝からずっと自分のデスクで、書類と格闘していたネイサンがその様子を目敏く見つけ揶揄った。他の同僚たちは、ダリルの怒りに恐れをなしていたので、誰もネイサンの愚行を止めず黙って成り行きを見ていた。
「よおダリル、子守りに鞍替えか? 意外とお前には似合ってるぜ」
笑いながら話すネイサンの、その襟首をいきなり鷲掴んだダリルは、そのまま手のひらを握りこむように力を入れた。
襟元のシャツごと首を絞め上げながら、ダリルは静かに、だが凍るような声でネイサンに告げた。
「お前が同じ警官でなけりゃ、そのお間抜けな頭が涼しくなるように、そのツラにでっかい穴を開けてやれるのにな」
ダリルは本気でそう考えていた。
ネイサンという男は仲間が死んでも、『昇進するときのライバルがひとり減った』くらいにしか考えない人間だった。
きょどきょど視線を彷徨わせ始めたネイサンを、放り出すように開放したダリルは、怒りのオーラを周囲に撒き散らしながら部屋を出て行った。
ネイサンは締め上げられた首筋をさすりながら、何かぶつぶつ言っていたが、やがてまたデスクの書類との格闘を再開した。
部屋を出てからも、相変わらず無言のまま歩いているダリルの背後で、トオニが勝手に喋り始めた。
「ねえ、僕たちのことが気に入らないみたいだけど、僕ら、財団の中でもランクが上なんだよ? 充分役に立つと思うけどなあ」
「ああ、そうだろうよ」
ダリルは気のない返事をした。
「なんだよう、信用してないの? 僕は精神感応系が得意だし、エドは力の強い念動力者なんだよ」
必死で自己アピールしているトオニを無視していると、今度はエド、と名乗ったエドアルドが、ダリルに声をかけてきた。
「これからどこへ向かうのですか? ミズ・ウィラード」
ダリルは暫し、エドアルドが誰のことを指して言ったのか、理解できなかった。
そして彼が『自分のこと』を呼んだのだと理解したダリルは、その場で立ち止まり、くるりと踵を返して眉間に皺を寄せて言い放った。
「黙ってついて来い。それが嫌ならとっとと自分の寝ぐらへ帰れ。それから私をそんな風に呼ぶな、気色悪い」
「では、なんと呼んだらいいのですか?」
笑顔を崩さず、あくまでも丁寧な口調で対応するエドアルドに、軽い嫌悪感を覚えながらダリルは答えた。
「・・・ウィラード刑事と呼べ」
「ええっ、警官ってファーストネームで呼び合うんじゃないの? 僕たちチームの仲間でしょ」
ごく自然な動作でトオニの手がダリルの腕に触れた。
「ねえ、お嬢ちゃん、って誰が呼んでたの?」
興味深々でトオニがダリルの顔を覗き込んだ。
ダリルは心の中を覗かれたことに気付き、かっと頭に血がのぼるのを感じた。
さっきの名前の呼び方のくだりで、ダリルはトーマスのことを思い浮かべていたのだ。ついでにこのふたりが超能力者だということも思い出し、ダリルはいきなりトオニの胸倉をむんずと掴み、顔を近づけて宣言した。
「いいか、クソガキ。今度勝手に人の心ん中をコソコソ覗きやがったら、その目ん玉を抉り出して、ケツに突っ込んでやるから覚えとけ」
ダリルは言いたい事だけ告げると、トオニを突き放すように開放した。厄介なことになったと、ダリルのストレスは頂点に達していた。
ダリルはそのままざかざかと歩き出した。
スラム風の彼女の丁寧な脅しも、上品なトオニにはなんの役にもたたなかったようで、彼はダリルの後ろ姿を見送りながら、悪戯っ子のように肩をすくめてみせた。