18
レッドは交差点に散らばっている人々に視線を走らせる。
血走った目が動くものを見つけた。
レッドは道路に倒れている、まだ息のある者に向かって、再び能力を使った。
その怪我人とレッドのあいだで火花が弾け、弾かれ行き先を失った彼の力が、道路に大きな穴を穿った。
「もうよせ。こんなことをしたって、どうにもならないだろ」
レッドは、彼の邪魔をした張本人のダリルを睨みつけた。
「ぼく、知ってるんだ。『パンドラ』で強くなった超能力者がどうなるか」
ダリルはその言葉で、マフェットの医療開発研究所で会ったパープルのことを思い出した。パープルは『パンドラ』を使用した後、増大した力に自分の命を全て持っていかれ、建物ごと爆散した。
「死んじゃうんだ。でもひとりじゃ死なないよ?」
「私はなんともない。お前だって大丈夫かもしれないぞ」
気休めにもならない、空虚な言葉が空回りしていると、ダリルは自分でもわかっていた。
「嘘が下手だなあ」
レッドはけらけら笑った。
「あなたの場合は『パンドラ』が引き金になっただけで、それが元々の能力だよ。ぼくらみたいな出来損ないとは違う。でもね」
レッドはすいと右手を上げ、OJMタワーと隣接しているシティ・ホテルを指差した。
「出来損ないでもこれくらいはできるんだよ?」
ホテルの、レッドが指差した辺りの階の窓ガラスが一斉に砕け、爆発音とともに炎を噴き出した。
レッドはその顔も炎で赤く染め、くすくす笑っていた。
「みんななくなっちゃえばいいんだ。そうでしょ? ぼくだけこの世界から消えてしまうなんて不公平だ」
ダリルはゆっくりと、笑い続ける子供に近づいていった。
彼は自分を抱くようにして、全身を震わせて笑っている。
と、不意にがくりとその場に膝をついた。
レッドにも、パープルに起きたのと同じ現象が起こっていた。
レッドのその顔に、みるみる深い皺が刻まれていき、子供特有の丸い頰がこそげ落ち、老人のように変化していく。腕も、脚も萎びていき、かさかさの枯れ木のようになっていく。
ダリルはレッドに駆け寄って側に膝をつき、思わずその枯れ枝のようになったその手を取った。
レッドが落ち窪んだ目をかっと見開いて、ダリルの翠の目を正面から覗き込んだ。
【消エテナクナッテシマエ。】
それだけだった。それで充分だった。
死の間際の強力なレッドの思念が、ダリルであってダリルではない思念を捕らえてしまった。
そう。
そうだ。消えてしまえ。ぜんぶ。全部。
消してあげる。ほら。
わたしにはそれができる。
腕の中で次第に干からびていくレッドを抱えたままのダリルの周辺の空気が変化した。
静電気が起こり火花を散らし始める。
「しまった・・・!」
意識の奥の『蓋』がこじ開けられた。
レッドがその中身を掴み、それを離さないように絡みつき、ずるずる外へと引き摺り出している。
腕の中の少年の死体が、その干からびた唇に、満足そうな笑みを浮かべたように見えた。光を失ったその目からぽろりとひと粒涙が零れた。
繁華街に建ち並ぶビルや、ホテルのあちこちで爆発が起き始めた。
ダリルは必死で『自分』を宥めようとした。
もう一度『蓋』を抑えつけようとしたが、溢れ出す力が強すぎて無駄だった。
一ブロック先にあったガソリンスタンドが、大音響とともに空高く炎を噴き出した。
あちこちで悲鳴があがる。
炎を吹き上げるガソリンスタンドの側にあった車にも飛び火し爆発した。
車から火だるまになった人間が転がり出てくる。
ダリルは絶望的な気持ちでそれを眺めていた。
ダリルの視界の隅に、ふたりの人影が入ってきた。
顔を上げると、それはエドアルドとトオニだった。彼女の方に走ってくる。
このままではふたりも巻き込んでしまうと判断したダリルは、あちこちであがる爆発音を掻き分けるようにして叫んだ。
「来るんじゃない!」
ダリルのただならない雰囲気を察したトオニが、エドアルドの腕をとって引き止めようとした。
エドアルドは、自分の腕からそっとトオニの手を離して頷いた。
「大丈夫です」
エドアルドは走るのをやめ、ダリルにゆっくりと近づいていった。
「ウィラード刑事、超能力をコントロールするのです。できるはずです」
教えを説く聖職者のような雰囲気を漂わせ、エドアルドは静かに、しかし力強くダリルに話しかけた。
「力はあなたの一部、あなた自身なのですよ、ダリル」
「止められないんだ、いいから早く逃げろっ!」
ダリルの周囲に渦巻く空気が、刃となってエドアルドの皮膚を切り裂いた。
霧のような血のカーテンを纏いながら、それでもエドアルドは歩みを止めなかった。
ダリルの姿が陽炎のように揺らめいた。
彼女のしゃがんでいる道路から蒸気が上がり始めている。
エドアルドはプロジェクトの終焉を思い出していた。
当時の研究施設は跡形もなく消えてしまった、とマクファデインは話していた。
ダリルに何が起こったのかはわからなかったが、トオニが同調した彼女の中には、『完全体』の記憶が混ざりこんでいた。
もし同じようなことが起きようとしているのなら、ダリルと『完全体』を切り離さなければならない。
エドアルドはトオニを手招いた。
「トオニ、やれますか?」
トオニは頷くと目を閉じ集中した。
ゆっくりとダリルと同調していく。車の時のような殴りつけられるような感覚はない。
ダリルそのものは、こんな場面にあってもとても穏やかだ。
ダリルの精神の深いところにそれはいた。
黒い憎悪の塊となったレッドの残留思念が絡みついている。
トオニは優しく手を差し伸べ、ゆっくりゆっくりと引き離していく。
そこに伸びてきたダリルの小さな手が、強い力でトオニの手を払いのけた。
邪魔をするな。
あっちへ行け。
白光が弾けた。
同時に、トオニとエドアルドは見えない手に突き飛ばされた。
竜巻のような強風が巻き起こり、ガラス片やコンクリートの塊も一緒に巻き上がっていく。ダリルを中心に吹き荒ぶ風は熱を帯び、次第に強さを増していく。
ダリルの側から弾き飛ばされたふたりの頭上にも、巻き上げられた瓦礫が降り注いできた。エドアルドはトオニを庇うように抱え込み、身体の周囲に空気の壁を作り瓦礫の直撃を防いだ。
「駄目だ。ぼくの能力じゃ抑えきれない。あとはダリルの意思の強さに賭けるしかない」
エドアルドは、しゃがんだまま何もない場所を凝視し、自分自身と戦っているダリルを見つめた。
「彼女を信じましょう」
そう言ってトオニに視線を移した。
「私たちは被害を最小限に食い止めなければ」
エドアルドとトオニは強風を避け、ビルの陰に隠れた。
そのビルからも炎があがっていた。
トオニは深呼吸をして目を閉じる。
そして、財団一と謳われる、その強力なテレパシーを解放した。
【ココハ危険ダ、遠クヘ逃ゲロ。】
トオニが発した警告は、湖面に投げ込んだ石が波紋を広げるように、広く遠くまで届いた。超能力者はもちろんだが、普通の人間でも『勘』のいいものなら、誰でも感じ取ることができるほど強いものだった。
エドアルドは蒼い顔をしていた。
赤い血が頰を伝い、呼吸も荒かった。
それでも逃げ惑う人々を降り注ぐ火の粉から守り、炎を逃れてホテルの窓から飛び降りる人々を、その能力で受け止めていた。
しかしダリルの力は一向に収まる気配がなかった。
彼女が背にしている、OJMタワーの外装からも蒸気があがり始めていた。
「くそっ! 止まれ!」
ダリルは拳を握りこんで地面を殴った。
超能力者が一体なんだというんだ。
壊すだけなら自分にだってできる。
誰も救えないのならこんな力などなくてもいい。
いらない。
お前なんかいらない。
消えてしまえ。
力を使うために生まれた。
壊すために生まれた。
どうせ誰も救えない。
いらないなら消してあげる。
世界なんかいらない。
消してしまえ。
どちらもダリルだったが片方は『あの子』だ。
ダリルの自我がふたつに割れた。
超能力を抑え込もうとする力と、解放しようとする力が正面からぶつかり合う。
その度にダリルの周りで火花が散り、風が渦巻いた。
ダリルは身体を抱え込んで絶叫した。
目が眩むような強烈な光が辺りを満たした。
ダリルはまた濃い霧の中にいた。
あの子が泣いている。
「あなたもわたしがいらないのね」
「そうだな」
「生きたかった」
「そうか」
「おとなになりたかった」
「私はもう大人だ」
「あなたはわたし?」
「私はお前だ」
「なら力をあげる」
「いらないよ。それよりさっさと寝ちまえクソ餓鬼」
「寝る?」
「そうだ。子供は寝る時間だ」
「子守唄を歌ってくれる?」
「お断りだ」
ダリルがそういうと小さな少女は笑い出した。
「大人なわたし。変なわたし」
笑いながらくるくる回る。
翻るスカートはもう赤くない。
「おやすみなさい、わたし」
ダリルであってダリルではない、小さなその子は翠の目を閉じた。
「おやすみ」
そう答えて、ダリルはゆっくり目を開けた。