1
十一月の肌寒い水曜日だった。
ダリル・ウィラードと相棒のトーマス・ヘンドリュースは、電飾ツリーの立ち並ぶ夜の街を、オンボロなセダンでゆっくり巡回していた。
街はカップルで溢れ返り、夜はいつもそうだが、クリスマス・シーズンのこの季節は、特に人間が多く感じられる。
トーマスは助手席で、ドーナツとコーヒーを交互に口に詰め込みながら、眠そうな目で外の景色を眺めている。トーマスは中年に差し掛かった大柄な男で、腹も少し出てきて、くたびれた服と同様、中身の方も随分くたびれていた。
ダリルはトーマスとは正反対だった。
性別はもちろんだが、その外見もまるで違っていた。ダリルは女性で、しかもすこぶるつきの美人だった。
後頭部でひとつに纏められた、艶のあるダークブロンド、深い翠の瞳に血色の良い頬と形の良い唇。やや筋肉質だが充分に女性らしい、細い腕とすんなり伸びた脚。
女優顔負けの容姿だが、彼女の場合必ずしも外見と中身が一致するとは限らなかった。ダリルはどんな女性より、いや、そこいらの男たちよりも危険な人物なのだ。
実際の仕事の性質上、ある程度はそれも仕方のないことだろう。
ダリルとトーマスは警官だった。
ネオ・デトロイト中央警察署、特殊暴力犯罪課。
それが彼女たちの仕事場で、中央警察署の中でも特に物騒で乱暴な部署として知られている所だった。
特殊暴力犯罪課は、設置されてまだ日が浅い。
世紀末、急激な都市化に比例するように増加した、凶悪な犯罪に対処するために作られた、出来たてホヤホヤの部署で、特殊暴力犯罪課、通称『特暴』に所属するのは、ほとんどが兵隊崩れの猛者か、殺人課の落ちこぼれ警官で占められていた。
それらの例に漏れず、トーマスは元特殊部隊の兵隊だったし、ダリルは命令無視など日常茶飯事の殺人課の刑事だった。
彼女は特暴が設置されると、これ幸いと転属させられたのだった。
「トーマス、今にもよだれが零れそうだぞ」
ダリルが横目でトーマスを見て言った。
セダンはいつのまにか繁華街を通り過ぎ、いかがわしい店の立ち並ぶロータウン地区にさしかかっていた。
壊れかけの毒々しいネオンサインの下で、寒風の中、バニーガールが呼び込みをやっている。
トーマスの視線は、さっきからその白い尻尾に釘付けだった。
「何のことだ、俺は何も見てないぞ」
トーマスは慌てて否定し、話題を逸らした。
「それよりあの話、本決まりらしいぜ」
「首都じゃもう三年も前からだろ? ここだって例外にはならないよ。ついに私らもお払い箱ってわけだ」
ダリルは肩を竦めてみせる。
政府は、超能力者を警察機構の中に導入することを決定し、数年前から、特に犯罪の多発する都市を候補に挙げ、テストケースとして財団の超能力者を派遣していた。
財団。正式には『エキストラーズ・コーポレーション』という、人材派遣会社だ。
巷ではESP財団という名で呼ばれ、民間企業だが、元政府高官や著名な財界人、各方面に特出した研究者で構成されていて、半ば政府機関のような存在だ。
ESP財団と呼ばれるだけあって、超能力者やその他の特殊能力を持つものを多く抱えている。
現在では、政府や大企業の超能力者の起用は当然のこととなっていた。
どんな有能なスパイも、テレパスや透視の能力を持つ超能力者には、到底敵わないからだ。
厳正な審査を受け、強力な能力者の殆どは、財団を通じて政府に登録されていたが、それでも未登録の超能力者が、その能力を使って悪質な犯罪を重ねることもあった。
そうなってはもう、普通の人間には手に負えない。
そこで政府は本格的に、超能力者の警察機構への導入を決定したのだった。
そのテストケースの二例目として、ダリルたちの仕事場であるネオ・デトロイト中央警察署の、管轄地区が候補に上がっていた。
「超能力者って、時々テレビで観るけど、芸人じゃなかったんだな」
軽い軽蔑を込めてトーマスが言う。
ダリルは応えず軽く笑ってみせ、ハンドルを握ったまま、トーマスに注意を促した。
「トーマス、あそこ」
「なんだ? 何も見えんぞ」
「前方、向かいの角の右手」
トーマスがじっと目を凝らすと、なるほど電燈もない暗い通りに、サングラスをかけた細い針金のような男と、雨でもないのに黒いレインコートをぴっちり着込んだ小さな男が、そのブロックの角の小さなドラッグストアの前に立っている。
『サングラス』がその中に入る時、『レインコート』が通りを確認するように振り返った。
「クサイぞ」
ダリルがその方向を見つめたまま呟いた。
「そおかぁ? 昨日ちゃんとシャワーを浴びたけどなぁ」
トーマスはダリルに惚けた答えを返して、残りのコーヒーを飲み干す。軽口を叩いてはいるが、その視線はドラッグストアから離さない。
ダリルはトーマスの軽口にちょっと顔を顰めたが、すぐに駐車中の車と車のあいだにオンボロセダンを停めた。
ライトとエンジンを切ってる間に、相棒が銃の弾倉を確認する。
ダリルは無線機のコントロールに手を伸ばし、通りから目を離さすチャンネルを合わせた。
「こちら、ヘンリー・9。ロータウンのドラッグストアに、強盗らしき連中が押し入ったのを発見。応援願います」
トーマスは既にドアに手をかけ、今にも飛び出しそうだった。
「やろうぜ、お嬢ちゃん」
ダリルがその肩に手を置いた。
「落ち着け。全く血の気の多い。それと『お嬢ちゃん』ってのはやめろといってるだろ」
ダリルにきっと睨まれても、トーマスは悪びれた風もなくにやりと笑った。
「俺にかかりゃ、どんなじゃじゃ馬でも『お嬢ちゃん』なんだよ」
ダリルは溜息を吐いて、通信係が支援を保障したのを確認して、無線を元に戻した。
ロータウンの古い建物はどれも、大昔のものでガレージなど滅多にない。
通りに駐車したままの車が遮蔽物になり、煌々と明かりの点いたドラッグストアにこっそり近寄ることができる。
不審者を発見してから二分後、店内が見えるところまで、ふたりは近づいていた。
年老いた店主が、カウンターの奥で動いている。
入ってきたふたりの男に気づくと、店主はカウンター越しに話しかけようとした。
小さい男の方がレインコートの中に手を入れ、銃身を短く切り詰めた、ポンプアクションのショットガンを取り出した。
『レインコート』は店主の胸に狙いを定めたまま、なにかを指図していた。『サングラス』も同じような武器を引き抜いて、ひと気のない入り口に銃口を向けた。
「早いとこ応援が来るといいな。馬鹿な真似はするなよ?」
トーマスは顔を強張らせていた。
「誰が? 私がか? 私だってまだ命は惜しいよ。それよりベスト、着てるのか?」
ダリルが防弾プロテクターのことを言った。
「俺のは今、クリーニング中だ。綺麗好きなんでね」
トーマスが笑って答える。
「よく言うよ、年中同じ服のくせして。私のはトランクの工具箱が着てる」
ふたりは軽口を叩きながらも緊張していた。
男たちが取り出したのが、意外な重火器だったからだ。
うらびれた、しかも老人の経営する店に押しいるのに、戦闘用のショットガンが必要とは思えない。
男たちが何を言っているのかは、通りにいるダリルたちには聞こえないが、老店主の目に宿る恐怖は見て取れた。
老店主がレジの現金を茶色の紙袋に詰め出した。
しかし手が震え、しょっちゅう札を落としてしまうので、かなり時間がかかっている。
いらいらした『レインコート』が店主を脅しつけ急かしたが、それがますます老人をびくつかせているのだ。
「ダリル、周りを見ててくれ。俺は入り口がもっと見える位置に移動する」
老人の様子を見かねたトーマスがダリルに言っが、ダリルは軽くウインクして、トーマスの突き出た腹を指した。
「行くんなら私が。あんたより私の方が身軽だよ」
「うるせえ。俺が行く」
ダリルが苦笑して頷くと、トーマスは店に向かって走っていった。
相棒が次の遮蔽物に隠れるのを見届けてから、ダリルは店内に注意を戻すと、小さい方の男が、現金の入った袋を掴んで、コートのポケットに突っ込むところだった。札が何枚かひらひらと床に舞い落ちる。
と、何の予告もなく、それまで黙って突っ立っていた針金のような痩せ男が、いきなりショットガンを引っ掴んで発砲した。
至近距離で発射された散弾は、老店主の胸にいくつもの穴を開け、後ろの棚に彼を叩きつける。
即死だった。
しかし老店主が撃たれるような理由は何もない。彼は変な素振りを微塵も見せていなかったのだ。
老人の身体がずるずると床に滑り落ちる。『サングラス』の痩せ男はカウンターから身を乗り出し、ぴくりともしない老人の萎びた体に、さらに一発撃ち込んだ。
「あの野郎・・・!」
ダリルは屈んだ姿勢から立ち上がった。
トーマスは、道を渡りきろうとした時に最初の銃声を聞き、咄嗟にその場に倒れ込み、頭を上げて様子を伺った。
その時自動車のクラクションが鳴り響いた。
ダリルもトーマスもぎくっとして、音のした方へ目をやる。
最新型のセダンだった。強盗犯の仲間がもうひとり、車で待っていたのだ。
クラクションがもう一度鳴り、その甲高い音に店内のふたり組が振り返った。
そして、道路の上で中腰になっているトーマスを難なく見つけてしまった。
銃口が開かれる。
ウィンドウガラスをぶち抜いて一発が道路を抉った。もう一発は通りがかりの一般車に当たった。
運転手はびっくりしたものの、そのまま車内に留まって、身を隠すだけの賢明さは持っていたようだ。
トーマスは立ち上がり、街路灯に身を隠そうとダッシュしたが、強盗犯の逃走用の車から、仲間の運転手が出てきて彼にマシンピストルを向けている。
それを見たダリルは、車の陰から立ち上がって、運転手の注意をトーマスから逸らすために運転手に向け発砲した。
それを受け運転手がダリルに向きなおった。
ダリルが車の陰に飛びこんだ途端、運転手の放ったフルオートの銃弾が、頭上のガラスをなぎ払っていく。
何も知らない引越しトラックが通りにやってきて、逃走車とダリルの間に入り両者の視界を遮った。
その隙にダリルは逃走車の前まで全力疾走で駆けた。
逃走車の陰で、銃に新たな弾倉を叩き込んでいた運転手は、引越しトラックが通り過ぎた後、不意に目の前に現れたダリルと目を合わせる暇もなかった。
鼻先に迫っていた銃口に、度肝を抜くだけの時間はあったかもしれなかったが、ダリルは遠慮なく運転手のその頭に弾を撃ち込んだ。
これでふたり組の運転手はいなくなった。
ダリルは逃走用の連中の車を盾に、時々起き上がって店に向け二、三発撃つが、その度に中からショットガンが火を吐いてくる為、全く身動きができない。
応援部隊はどこで遊んでるんだと、ダリルは心の中で毒づいた。
細い街路灯しか身を隠すものがないトーマスは、もっと窮地にたっていた。その様子を見てとった強盗たちは、ダリルを無視して、トーマスの方に銃火を集中させ始めた。
「トーマス! そこから離れろ!」
ダリルの言葉を聞きつけたトーマスは、頷いて街路灯から離れようとしたが、すぐそばをショットガンの弾丸が掠め、さっと身を引き戻すことになった。
「できそうもないな!」
「援護する! そこから逃げろ!」
「お嬢がいうならそうするぜ」
ダリルは相変わらずな相棒に向かって顔を顰めると、立ち上がって店めがけて全弾を速射した。
一時的に身を伏せた強盗たちが銃撃を止めたその隙に、トーマスは、先程から立ち往生している車のボンネットに身を投げ、店の反対側に転がり落ちた。
一旦しゃがみこんで、窓越しに辺りを伺おうと身を起こしたところ、車の中にいた年老いたドライバーと目が合った。彼はずっと中にいて、フロントシートに這いつくばっていたのだ。
老人の縋るような視線を受けたトーマスはドアを開けた。
トーマスは老人をシートから引き摺るようにして外に引き出し、転びそうになりながら駆け出した彼のその姿が、安全な建物の角を曲がっていくまで見守った。
「トーマス!」
「大丈夫だ! まだ当分は楽しめるぞ」
ドラッグストア内のふたり組は、弾を詰め直すのに手間取っているのか、銃撃はおさまっていたが、棚やカウンターの中から彼らを引っ張り出して捕まえるのは難しい。
こちらが一発撃つたびに、猛烈な銃弾が返ってくるからだ。
少しして、トーマスが身を隠す車の窓が吹き飛び、彼の頭上で砕け散った。それ自体は大したことではなかったが、トーマスは盾にしている車そのものが振動したことに驚いた。
見ると、車体の右手の方に穴が開いている。
弾丸が車を貫通したのだ。
トーマスが唖然とその穴を見つめていると、二発目が飛んできて、肩から数センチと離れていないところに、別の穴が穿たれた。
パニックに陥ったトーマスはは慌てて車のフロントの方に逃げたが、穿たれた穴が彼を追うように直線に並んだ。
車の端まで追い詰められ、次の車に行くしか逃げ場はなかった。
そこまで三メートル。
それほど遠くはない、しかし。だが考えている暇はない。
トーマスは起き上がって走った。
次の車まであと二歩、というところで、ドラッグストアから放たれた銃弾がトーマスの脇腹を捉えた。仰け反ったトーマスの胸を次弾が捉えたが、それはさほど彼にダメージを与えなかった。
最初の一撃が、既にトーマスを痛みから切り離していたからだ。
アスファルトにぶつかり倒れこむ前に、トーマスはこと切れていた。
ダリルはなすすべもなく、一部始終を目撃していた。
完結まで連日投稿を予定しています