ボード盤外観
遮る物の一切が無い空に水を含んだ雨雲が行き渡る。深緑の木は翳り、うら若き夏草は匂いたつ、鬱蒼とした森の中……切り立った崖から村を見渡すその森を、村人は不帰の森と呼び、村人はおろか一度飼い慣らされれば獸すら近寄ろうとしない。
村の小さな飲み屋で、二人組の男の片割れが呟いた。
「なあ、リカルド」
「ん?」
「テマの婆さん、今夜が峠らしい」
「……そうか」
リカルド。そう呼ばれた男は味を誤魔化すように酒で言葉を飲み込んだ。
「薬があれば助かるんだが、な」
「その肝心の薬は不帰の森、か……俺達が行ければいいんだがな」
「解ってんだろ。無理に決まってる」
「くそっ、王都の兵士どもが。何の役にもたちやしねぇっ」
苛立ちを紛らせるように木目の目立つテーブルに拳を叩き付ける。その時、男の目に見廻り役の腕章を付けた兵士が近付いてくるのが見えた。
「昼間っから飲んだっくれていい御身分だな?」
「けっ、ガキのお使い一つ出来ない役立たずが何かほざいてるぜ」
「ああ!?もういっぺん言ってみろ糞がっ!」
暗鬱とした空気がダミ声に掻き乱され、途端村中の視線が一所に集まる。丁度“テマ婆さん”の看病から帰る途中だったローザがその場に遭遇した時には殴り合いの一歩手前になっていた。
先程の男二人組に対してどこからか湧いたのか、いかにも腕っぷし以外取り柄が在りませんと自己主張激しい筋肉を引っ提げた兵士達が囲っていた。
「てめぇ、酔っぱらいの癖に大口叩いてんじゃねぇよ」
「誰のお陰で夜に安心して眠れると思ってんだっコラァッ!?」
「お前ら夜回警備すらしてねぇだろうがっ!お陰で夜におっかなくて酒が飲めねぇんだよ!」
「んぐぅっ!?」
「大体地方巡回の名目でお前らタダ酒タダ飯たかりに来てるだけだろうが!要らねぇんだよ穀潰しがっ!」
それが余程的を射ていたのか、或いは酔っぱらいの言葉に聴衆が一緒になって罵声を浴びせたのが気にくわなかったのか。在りし日の夏の思い出が脳裏を駆け巡る……ことも無く、素直に兵士は拳を振り上げ
「ふぎゅっ」
頭から落ちた。止まるんじゃねえぞと言いたげな姿勢で突っ伏した兵士、その手前ではリカルドが拳を構えていた。それは平均程度の太さの腕で、とてもではないが脳味噌に送る筈の栄養を筋肉に横流ししてきたような兵士を一撃で昏倒させられるようには見えない。
「ふんっ、興醒めだな」
「なっ!このっ……」
怒りに駆られたように別の兵士が、今度は腰に差した剣のことを覚えておくだけの記憶容量はあったのか、剣に手をかけようとして
「ぎぁっ」
「むっ。外したか」
リカルドの後ろから跳ばされた石に指の骨を砕かれた。
「おい、アレフ。腕鈍ったか?」
「かもしれん。頭を狙ったつもりだったが」
「ああ、そりゃ無理だ。アイツらに頭が付いてるように見えるか?」
「なるほど。確かに無理な話だっか」
「てっ、めぇぇぇ!!」
遂に羊の真似事でも始めたのか、メェェェと嘶くと残された男三人は互いに肩を組み、この暑い最中に突貫してきた。
それをヒラリとかわす、代わりに犠牲になった酒場の壁に大穴が空いた。ついでに酒場の親父の財布にも穴が開いた。
「そこに直れこのクソどもがぁぁぁ!」
「げっ!やっちまった!」
「親父勘弁!」
怒声が飛び散る中逃げ出す二人。後に残されたのは、①酒場に開いた大穴、②そのオーナーこと禿げ親父、③壁に挟まって抜け出せない筋肉ダルマ三人(誰も喜ばない)、④やり場のない怒りの捌け口
人はそれらを総じ合わせて、必要な犠牲と呼んだ。
※
日も落ち、漸く禿げ親父の怒りも収まった頃。酒場に例の二人組が戻ってきた。
「親父ぃ、勘定」
「ん。お前らか」
置いてけと目でしゃくりあげ、カウンターに置かれた金額に目が少し見開いた。
「酒代には多すぎるぞ」
「いや……その……壁の修繕費」
「には全然足りねえけど」
「ったく。変な所で気ぃ使いやがって……」
言いながらちゃっかり全額懐に入れて、
「おい、飲み直しだ。お前らも付き合え」
丸いテーブルの中央に度数の極めて高い酒が置かれ、それを囲うように三つのグラスが並んだ。
「なぁ、親父」
「あぁ?んだ?」
「テマ婆さん、何とか持ち直したってよ」
「なんだ、見舞いに行ってたのか?」
「見舞いになんか行くかよ。誰がババアの死に目なんざ見たいか」
「……だわな。見たくねぇよな」
半分程入ったアルフのグラスが一気に空になる。
「なぁ、昼間考えたんだけどよ。やっぱり俺とリカルドで薬採ってこようと思うんだけどよ」
「止めとけ」
「……やっぱり止めるよな。親父は」
小さく言い切った禿げ親父は、更に酒精を足した酒を飲み干して、忠告するように呟いた。
「スキル。お前達は何だと思う?」
「いきなり何だよ?」
「いいから答えろ」
言われてリカルドは少し考え込むように頭を捻り、先にアルフが答えた。
「決まってる。俺達の武器だ」
「……。リカルドは?」
「酒の回った頭じゃ解らねぇよ。リカルドに合わせとく」
「なるほどな……」
一人で深く頷く。月が頭を照らす、まるで宝石のようだった。
「確かにその通りだ。スキルはまさしく武器だ。だが、狭い部屋の中で槍を振り回せないように、お前達のスキルも森の中では使用出来ない」
「……」
「それともお前達、丸腰で不帰の森に入って帰って来れるとでも?嘗ての英雄すら生還に失敗したあの森から、お前達が?」
「……くそがぁっ!」
その怒りを叩きつけられ机は、しかしそれが役目だというように壊れること無く拳を受け止め。いつになく嗚咽を漏らす二人の頭を、大きな掌が手荒く、けれども優しく撫でた。
「悔しいよなあ……こんな力があって、何にも出来ないなんてよぉ……」
「ぅ……ぐぅ……」
「俺が行けるもんなら採りに行ってやりてぇよ……けどよ、俺の足じゃもう、まともに山道は歩けねぇんだよ……」
「ぁ……おやじぃ……でも、このままだと、ばあちゃんが……」
「解ってる……けどなぁ、どうしようもねぇんだよ。もう、どうしようも……」
小さな寒村の小さな酒場。そこで慰める者もまた、慰めを求めるように涙を流す。
世界を回す欲望の渦。巻き込まれた国は火に包まれ、また新たな薪を求め飛び火を繰返し。今や世界の物流は酷く魯鈍なものになっていた。それはかつて強勢を誇った王国ですら例外ではなく、王都の生活水準を保つだけでも息切れしかねない程だった。況んや地方の寒村など……
人ひとりの声などどこに届くはずもなく、夜は更け、日は昇ってゆき、鶏が鳴く。
―――規定条件が満たされました。これよりゲームのルールが変更されますので、参加者の皆様は御注意下さい―――
「ボード盤の駒の内、一つがゲームの終了条件を満たすこと」
↓
「ボード盤に置かれた転生体(以下Ωとする)がゲームの終了条件を満たすこと」
―――なお、特別ルールへの移行により転生体がボード盤へ置かれます。転生体への介入は禁止事項に当たりますので御注意下さい―――