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 確かに男性が多い職場ではある。彼は、出会いが無いからと焦っているだけだ。職場で特定の交際相手が居ない女性は私一人である。だから手近な相手も私しか居なかったのだろう。

 その旨を婉曲的に伝えて、もう一度丁重に、同僚以上には見られないから、交際は出来ないと断ったのだが、彼はまたも反論してきた。

 いい加減業務に差し支えるなと、苛つきを隠せなくなってきたところである。しかし彼が言ったのは意外な内容だった。あくまでも、私にとってはだけど。

 どうやら彼の目には、私の容姿がとんでもない美女に見えているらしいのだ。

 曰く、そこらの芸能人よりよほど整っている。二重の目蓋と小さな鼻と、あまり笑わない唇の対比が完璧。肌荒れもしていない。手も見るからに滑らかでほっそりとして、美人の条件を全て満たしている。職場で初めて見た時は、驚いて声も出ないほどだった。……との事。

 私は思わず眉を寄せた。化粧で塗り固めた顔に惚れ込んだと熱弁する彼は、いつか悪い女性に貢がされるのではないだろうか。

 でもそうか。雨希ちゃんを装った私は、それなりに魅力的に見えるのだ。素の私を全部押し込めた姿だから、全く似合っている気はしないけれど、他人の目には些細な事のようだ。

 少し擬態に自信を持てた私は、やはり交際は断ったけれど、多少気持ちを込めて礼を言った。


 本日の業務を滞りなく終わらせた私は、念入りに化粧を直すと、デートですか、なんて声をかけてくる同僚達に愛想笑いを浮かべて、職場を飛び出した。

 午後四時ぴったりに出ることが出来たから、アキの居る公園には、五時までには着けるだろう。

 偶然を装って、何も知らない顔をして、アキに近付かなければいけない。

 彼女は今日も、沈んだ顔をしているのだろうか。日が暮れるまで、一人で教科書を睨んでいるのだろうか。

 一人は寂しくないのだろうか。家に帰れば父親がいるから、そうでもないのか。

 でももし平気じゃないのなら、その寂しさは、今日から私が埋めてあげよう。

 善意ではなく、打算しか無い行為だけれど。


 線路沿いを走って行くと、額に汗が滲んできた。せっかく厚く塗り直した化粧が、流れ落ちてしまいそうで、慌てて足を緩める。それでもすでに道のりは半分まで来ていたから、そこまで急がなくても良いような気がした。焦る必要は無い。きっとアキは、今日もちゃんと公園にいるだろう。

 格好つけた靴で毎日痛めつけている踵も、変わらずじんじんと熱をもっているけど、いつもは気になる足の重さも、今の私には些末な事に思えた。

 生きる目的があるのは、素晴らしい事だ。アキを優しく苛める事を考えると、私の心は子供のようにはしゃぎ出す。好きな子に意地悪をしてしまう小学生の男子に、ほんの少しだけ、似ているかもしれない。

 ちっとも楽しくなさそうなアキの顔を、私が笑顔に変えてやるのだ。最終的には、最初よりももっと悲しい顔をさせるつもりで。


 汗が引いて、少し肌寒さを感じるくらいになった頃、日が落ちかけた公園が見えてきた。唯一の設備である小さな屋根の下に、小柄な人影が隠れている。後ろ姿だったけれど、アキであることは疑いようが無い。

 突然話しかけたら、逃げられてしまいそうだ。最近は物騒なニュースも多いし、知らない大人の相手はするなと、学校でも教えられていると思う。

 私はあえて音を消さずに、靴底でざりざりと砂を擦るようにして、アキの背中まで近づいて行った。


 背後に寄る存在に気付いたようで、アキの肩がぴくりと揺れる。彼女はおそるおそるとした動きで、下から覗きこむように、ゆっくりと振り向いた。

 ベンチに座っていたアキの視線の先には、恐らく私の膝しか見えなかっただろう。正体が人である事に驚きは無かったようだが、何者であるのか気になったのか、アキはそのまま私の顔を見上げた。

 見詰め合う形になった時、アキはまるで、揺れる紐を前にした子猫のように、目をくりくりと丸くした。何度目かの瞬きの後でようやく、見知らぬ他人を不躾に眺め過ぎたと思ったらしく、さっと顔を背けた。

 生後間もなく物を知らない、小動物じみた動きだ。

 不審に思われたというよりは、興味を持たれたという感触が確かにあったが、ここでいきなり自己紹介を始めるつもりは無い。私はあえて無言で、アキの隣に一人分の場所を空けて腰掛けた。

 あくまでも、一休みしようと公園の椅子に寄ったのだという顔をする。アキの事など気にも止めない体で、無意味に鞄の中を漁ったり、携帯端末を弄ったりなんかして、時間を潰す。隣からアキの視線をひしひしと感じた。しかし彼女は、言わば自分の縄張りである狭いベンチに侵入してきた異物を、撃退する事も無く、かといって逃げる訳でも無く、ただ私を観察しているようだった。

 あまり長居すると、アキ目当てで来た事実があからさま過ぎる。何の意図も無い寄り道だったと思われるように、ほどほどで立ち去るつもりだ。


 携帯端末を中心に置いた視界の端ぎりぎりに、アキの細い足が入り込む。彼女の足は、そわそわと、ふらふらと、落ち着かない。教科書をめくる音が聞こえなくなった。気まずげに身じろぎする音が、アキの感情を如実に表している気がする。視線を感じるのはただの思い込みかもしれないし、表情も想像するしかないけれど、突如一人きりの公園に現れたピンクの女は、アキの印象にしっかりと残ったはずだ。

 アキだけが一方的に居たたまれない雰囲気の中、媚びた女の歌声が、アップテンポなメロディに乗って、細やかに響いた。音源は私の手元にある。あらかじめ設定しておいた、携帯端末のアラームだ。

 流れているのは、アキが好んでいる、魔法を使う少女が登場するアニメの主題歌である。日曜の朝のお決まりの番組で、大層人気がある作品らしい。

 少女向けだと思うのだが、昨今は男児でも大の大人でも嗜んでいるようだから、これと決めつけない方が良いのだろう。斯く言う私も、アキの好みを探るために履修したが、全く楽しめなかった訳では無い。

 幼い頃見た作品との違いに、時代の流れを感じたけれど、今やこういったコンテンツは子供だけの特権では無いのだろう。


 暫し流れた主人公の歌に、アキの手が大きく揺れたのをしっかりと確認すると、アラームの通知を切った。そして音が途切れた端末を耳元に当てて、「もしもし」と言いながら立ち上がる。もちろん携帯はどこにも繋がっていない。

 適当にでたらめな会話をでっちあげながら、私は徐々にアキから遠ざかった。アキがなるべく長く私の後ろ姿を目で追えるように、殊更のろのろと歩く。初日は言葉を交わさないと決めていた。最初は印象づけるだけでいい。人の心を解すのは、そう簡単では無いのだから。

 端から見ると完全に不審人物だった可能性もあるけれど、私達はこれでいい。

 バス停で、偶然隣に立った人くらいの認識で、少しずつ覚えてもらうつもりだから、これでいい。

 希望でしかないが、多分アキは、人より警戒心が鈍いと思う。何せあの晴一の娘。ぬくぬくと緩い頭をしているに違いない。

 ぐるぐると唸る今にも噛みつきそうな犬に向かって、可愛いね、なんて言うのだろう。あまつさえ撫でてみたら、手痛い仕返しを食らうのだ。

 だからきっと、私が怖い犬だって事にも、気付かないのだ。

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