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晴一を見掛けたフロアに戻ってみると、遠目にあっさりと彼の姿を見付けた。化粧品売り場の向かいが、子供の玩具売り場だったらしく、どうやら娘に買い与えるつもりのようだった。
店内は混雑して、音は遠い。私は彼らに見つからないよう、近づき過ぎないように観察した。
小さなアキは、行き交う大人達に埋もれて、見え隠れする。特徴の無い子供だ。そこに雨希ちゃんの面影は無い。雨希ちゃんは出産していないのだから、当然だ。
あの娘は、十歳くらいに見えるが、いつ生まれた子供だろう。十年前というと、雨希ちゃんが自殺した時と重なる。
私は一つの仮説を立てた。
晴一は昔、浮気をしていたのではないだろうか。そして、浮気相手の子供が、そこにいるアキなのではないか。
晴一の浮気が発覚し、その上相手の女性は妊娠していた。想い合っていると信じていた恋人から、突然そんな話を聞かされたら、寄る辺の無い雨希ちゃんは死にたいほど思い詰めるかもしれない。
私では頼りにならなかったのだ。私には相談してくれなかった。唯一頼れる相手に裏切られて、雨希ちゃんは自ら道を閉ざしてしまった。
全て想像に過ぎないが、十年前からの疑問の糸が、繋がったような気がする。
晴一だけ幸せになるなんて、許せない。私と同じように、大切なものを失って、苦しめばいい。
彼の大切なものが何かなんて、すぐに分かる。昔の恋人の名を持つ娘。彼女が晴一の弱味だろう。
アキは、雨希ちゃんの代わりだ。夢中になった人に裏切られて、死ぬほど絶望してもらわなければならない。そうすれば、晴一は私と全く同じ道を辿る事になる。晴一も私を憎めばいい。大切な人を傷つけられて、傷つけた人間を恨むのだ。
では、どうやってアキを夢中にさせようか。恋人になるのは無理だ。彼女は女の子だし、何より歳が離れすぎている。
結論が出るのは早かった。なに、簡単な事だ。私はただ雨希ちゃんを演じていればいい。私が大好きな雨希ちゃんのように、優しく心の隙間に入り込めばいい。
私が、あの子にとっての雨希ちゃんになるのだ。
雨希ちゃんが死んだ歳にして、やっとするべき事を見付けた。
ずっと黄泉の国をさまよっていたのに、急に救いの糸を垂らされたような気持ちだった。
アキが、隣に立つ男性を見上げて、何かを言った。手には玩具を持っている。
男性は、アキの頭を撫でて、手を繋いでレジへと向かっていった。
見つかりたくないから、振り返らないで欲しい。けど、晴一がどんな表情をしているのか、少し気になった。
私も昔、ああやって親に玩具を買ってもらいたかったのだ。実際には、土下座をさせられて、叩かれて終わったけれど。
人の幸せを妬んで、それを壊そうとするなんて、私はなんて最低な人間なんだろう。
でも、先に私の幸せを壊したのは晴一だ。私をこんな風にした責任は取ってもらおう。
それから父と娘は、一度も後ろを向くこと無く玩具売り場を後にした。私は彼らが後方を見た時のために、常に間に人を挟むようにして、後をついて行った。
目的は果たしたのか、彼らは出口を目指しているようだった。もし車に乗ってしまったら、追う事は難しくなる。タクシーでも捕まえて、前の車を追って下さい、なんてやってみるしか無い。
懸念とは裏腹に、手を繋いだ親子はバス乗り場に並んだ。複数人で来ていて合流したのか、アキは父親以外の誰かに話しかけているように見える。アキを真ん中にして、手を繋いだ父親と、もう一人男性が隣に立っていた。人混みでよく見えない。
小雨が降っていた。バス乗り場には小さな屋根がついていたから、店の出入り口から傘をさすほどでは無い。
さらに混んできた頃合いを見て、私も列に加わった。私の服装は、雨希ちゃんを模倣してはいるけれど、特段派手という訳では無いから、目立ちはしないだろう。後ろの方でひっそりとしていれば、目が合わない限り気にもされないはずだ。
バスが到着すると、アキ達は前方の座席に座った。私は後方に乗り込む。携帯端末を注視する振りをしながら、アキ達が下車する場所を見失わないように目を光らせた。
雨が強くなっていた。窓を打ち付ける音が急に大きくなる。雨に湿気った大勢の乗客と共に、バスはほどなく発車した。
私はこの路線のバスを利用したことが無いから、向かう先は分からない。流れる景色に時々目をやりながら、雨音に身を任せた。
終点に近づくにつれて、一人、また一人と下車していく。アキ達は中々降りなかった。乗客が減ってくると、私の顔を見られる可能性も高くなる。段々と、焦りが募った。
前の座席の背に隠れるようにしながら身を潜めていると、ふと、外の景色に見覚えがあることに気が付いた。
バスはいつのまにか、私の自宅の近くを走っていたようだ。
この路線でも、家の近所を通るらしい。そんな新しい発見をした時、降車ボタンが押される音と共に、アナウンスが流れた。「次、停まります」
バス停に寄せて、バスがゆっくりと停止していく。慌てて前方を見ると、アキと男性二人が立ち上がろうとしている所だった。
ここで私も降りようか、迷った。一緒に下車すれば、どうしても目についてしまうだろう。しかし、このバス停が、いつも彼らが使う場所とは限らない。今日偶然立ち寄った場所だとしたら、後を追わなければ、手掛かりを失う事になる。次のバス停まで、どれくらい離れているかも分からない。
バスが完全に停車すると、他の乗客も降りる素振りを見せた。迷っている暇は無い。結局私も、彼らと一緒に席を立った。