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アキが浮かべた控えめな笑みの中に、返事をもらえた、という安堵が滲んだ。
どうやらアキの待ち人は、私で間違い無いらしい。
約束もしていないのに、アキは私に会えるのを楽しみにしていたようだった。
ここへ来るまでの道中、楽しげに歩いていたのも、無人の公園を見て落胆したのも、いつものように私が居ると思ったから。
アキが私に興味を示しているのは確認していたが、彼女の行動は少し予想外だった。
予定では私から、「いつも公園にいるね」といった具合に声を掛けるつもりだったのに。
まだ私の計画は初期段階に過ぎない。アキが私になつくには、些か早すぎるような気がする。
ともあれ、彼女が友好的ならば、計画が少し早まるだけだ。
アキが、もじもじと恥ずかしげに首を動かし始めた。
いつも私達が腰掛けているベンチと私とを交互に見て、「えっと、えっと……」と何かを言おうとしている。
さっきまでの威勢は何だったのか。
あうあうと口を動かすばかりで、私をベンチへと誘いあぐねている。
私はくすりと笑う演技をして、導いてあげた。
「立ち話もなんだし、座りましょうか」
アキはまた、良かったと言いたげに、ふにゃりと微笑んだ。
ベンチに座って、両手をお尻の横に置いて、足をパタパタさせながら、アキは私の名前を尋ねてきた。
「ねえ、お姉さんの名前は、何て言うの?」
「沙霧。さんずいに少ないに、天気の霧」
「そうなんだ。私はアキって言います」
アキは第一声で砕けた言い回しをしたかと思えば、今度は急に敬語を使う。
自己紹介の時はこう言いましょう、と、親とか学校で教わっているのかもしれない。
ここ最近のアキの様子を見ていた私は、彼女は内弁慶で友達が少ない、暗い性格なのだと想像していた。
だが隣り合って座ったアキは、いっそ同年代の子供よりも幼いくらいに、無邪気に話しかけてくる。
私を見上げる彼女は、全く人見知りをしていないように見えた。
「“アキ”って、どういう字を書くの?」
「春とか、夏とかの、季節の“秋”だよ」
彼女の名前は『秋』。
響きは同じだけど、雨希ちゃんとは違う字だ。
「沙霧ちゃん、どうしていつもこの公園にいるの? 暇なの?」
また先ほどのように、ずけずけと「暇なのか」と聞いてくる秋は、私に興味津々のようである。
一方私は、秋に名前を呼ばれて、ぞわりと、不快な感情が胃の府から込み上げるのを感じた。
まだ何もしてあげていないのに、随分と人懐こい子だ。
普段姿を見かけているからといって、素性の知れない相手への距離を、ぐいぐいと詰めてくる。
最近の子供は皆こうなのだろうか。
だとしたら、危険極まりない。
だが恐らくは、秋がいつも人一倍寂しい思いをしているからだと思う。
今の秋の態度がどうであれ、少なくとも、放課後遊ぶような友達はいないのだから。
「沙霧ちゃん?」
秋が親しげな声で、私の事を「沙霧ちゃん」と呼ぶ。
雨希ちゃんが、私を呼んでくれたみたいに。
いや、違う。久しぶりに他人の口から自分の名前を聞いたから、何でも雨希ちゃんに重ねてしまいそうになるけれど、秋の中に、雨希ちゃんの面影など微塵も無い。
雨希ちゃんは私を呼び捨てにしていた。
頼れる姉だった彼女は、慈しむように私を見ていた。
こんな瞳を、声を、私に向けはしなかった。
「沙霧ちゃん」
むしろ、どちらかといえば。
私をそう呼んだのは、晴一の方だ。
その媚びるような声音で、私を甘やかしたのは。
吐きそうな程溢れてくる様々な感情をやり過ごそうと、口をつぐんだ私を、父親の悪行など知りもしない子供が見上げてくる。
昔の私みたいな、だけど私よりずっと幸福な子供だ。
お前の父親のせいで、雨希ちゃんはーー
私は強く歯を噛み締めていた。
顎の力を緩めたら、憎い男の娘にそのまま言葉を投げつけてしまいそうだった。
私が恨んでいるのは、晴一のはずなのに、秋の事は利用しているに過ぎないのに、目の前の彼女が憎くてたまらなくなる。
私が無くした幸せを持っている秋が、妬ましくて、優しくしたくなくて、お前には笑う資格なんて無いんだと、怒鳴りつけたくなる。
だが計画に支障をきたしてはいけない。
私は秋に好かれなければならないのだ。
酷く裏切る時のために、私無しでは生きられないくらいに、依存させてやらなければ……。
「家に帰っても一人だから、公園で時間を潰しているの」
声は震えなかった。
私は心底寂しげに、秋の同情や共感を誘うような事を言って、目を伏せる。
対象への怒りや憎しみは、かえって好都合だ。下手に情を移すよりよほど良い。
どうせ傷つけるのだ。腹の中でどんな事を思おうが、子供一人騙せればそれで良い。
でも、孤独なのは事実だった。
私の胸は少し軋んだ。




