①
復讐なんて、大それた事をするつもりでは無いのだ。
ただ、あの男にも思い知らせてやりたかった。
憎しみは何年経っても風化しないのに、具体的に何をすると考えていた訳でもなくて、心のどこかで、結局私は何も出来ないで終わるのだろうと思っていた。
雨が降っている日は、その名前に一部を取り込んだ、雨希ちゃんの事を思い出す。
あの男も、私と同じように、雨希ちゃんの事を思い出して、後悔していればいい。
私は水溜まりを避けながら、そう思って傘をさして歩いていた。
雨の日だというのに、賑わうショッピングモール。広い店内を走り回る子供と、宥める母親。はぐれないように手を繋ぐ親子。そういうのを見る度に、雨希ちゃんにもあんな幸せがあったはずなのにと、悲しくなる。
雨希ちゃんと同じ歳くらいの女性が、お似合いの男性と並んで歩いているのを見ると、憎たらしくなる。あの二人は、結婚を前提に付き合っているのだろうか。
ガラスのドアに映る自分の姿を、横目で眺める。弱い雨の中、赤をうんと薄めた色の傘を持って立つ、若い女。
ピンク・ベージュに染め、緩くパーマをかけた長い髪。横に真っ直ぐ切り揃えた、少し重たい前髪で、額を覆う。
見え隠れするピンクゴールドのピアス。濃いリップ、膝丈のフレアスカート――フェミニンな服装。
艶々と光を反射するハイヒールも、勿論ピンク。
全部、私の趣味じゃない。
客が連れてきた雨で濡れてしまったタイルの床を、ヒールで叩く。ガラスのドアを開けて店内に入った私は、閉じた傘を横に持った。傘の先から雫が落ちて、私の代わりに足跡を残していく。
私と雨希ちゃんは、血の繋がった姉妹だけれど、歳が離れていたからか、似ていると思った事はそれほど無かった。
だけど、雨希ちゃんの時間が止まってしまってから、私達の歳は年々近づいていく。その度に、顔立ちが似てきているような気がした。
今の私を見たら、あの男は、少しは動揺するのだろうか。
雨希ちゃんとそっくりな格好の私を見つけて、恐ろしく思うだろうか。
それとも、昔の女の事なんて、もう忘れただろうか。
だとしたら……そうでなくても、許さないけれど。
休日はよく、雨希ちゃんにせがんで、買い物に連れて行ってもらったものだ。
電車に乗って、少し遠出をして、普段は行かないデパートへ向かいながら、他愛も無い話をした。
私が一方的に話すのを、頷いて聴いてくれていた、優しい雨希ちゃん。
下らない話に目を細めて、私に笑顔を向けてくれたのを、忘れた事なんて無い。
まだ子供だった私と、大人の雨希ちゃん。
親子というには若いけれど、今の時代で姉妹というには、少し歳が離れた私達は、とても仲が良かった。
雨希ちゃんは大人なのに可愛い。
地味な私は、ピンクが似合う彼女が羨ましかった。
同じ服が欲しいと思ったけれど、いざピンクの服を着せられそうになると、私は拒否した。
どうしても雨希ちゃんと比べてしまって、似合わない自分が嫌だったから、私の中で、ピンクは雨希ちゃんの色になっていたのだ。
私は今、かつて二人で歩いた店内を、雨希ちゃんの色を纏って、一人で歩いている。
もう居ない、隣を歩く人を探している。
雨希ちゃんを忘れられないのでは無い。忘れたくないから、私は似合わないピンクで着飾っている。
二十四にもなって、私の中身はまだ子供だ。成長する事を、拒んでいるのだ。
雨希ちゃんを、追い越したく無い。
最後に見た雨希ちゃんの歳に、もう追い付いてしまった。
だけど私の記憶の中の雨希ちゃんは、今の私よりずっと大人びていた。
雨希ちゃんが居なくなってから、何年も自問している。
どうして雨希ちゃんは、死ななければならなかったのだろう。
病気では無い。事故でも無い。彼女の死因は、自殺だった。
理由は知っている。でも納得は出来ない。あんなに明るくて可愛い雨希ちゃんが、男に振られたからと死を選ぶなんて、信じられない。
きっと酷い事をされたのだ。相手の男が悪いのだと、私は雨希ちゃんの恋人だった男を恨んだ。
だって、雨希ちゃんの好きな人の話を、毎日聞かされていたのだ。
恋人の事を語る雨希ちゃんは、愛しそうで、幸せそうだった。恋人とデートの日は、私との外出はお預けだったから、密かに嫉妬した。
雨希ちゃんの死を悲しむ私とは違い、両親は、こんな下らない理由で死ぬなんてと、娘を非難した。
髪を明るく染め、年頃の女性らしく化粧をする雨希ちゃんに、両親は厳しかった。
いや、雨希ちゃんだけでは無い。両親は私にも、己の価値観を押し付けて、言いなりにしようとしていたから、彼らといる時はいつも息が詰まった。
だから、自由な格好をして、外に連れ出してくれる雨希ちゃんの事を、私はより一層好きになった。
学業の成績が悪く、どうしてこんな事も出来ないのと親に怒鳴られた時。雨希ちゃんは小学校の教科書を引っ張り出してきて、一緒に考えてくれた。
同級生が持っているのと同じ、アニメに登場する玩具が欲しいと親にねだったたら、店内で正座と謝罪を強要された時。もう二度と下らない我儘を言いませんと誓わされて、泣きながら帰った時。雨希ちゃんは、形に残るものは親に見つかるからと、欲しかった玩具のアニメ映画に連れて行ってくれた。我儘は親に内緒で雨希に言いな、と手を繋いでくれた。
泣いた分だけ叩かれた時。氷を作って、腫れた腕や頬を冷やしてくれた。
よれた服を学校で馬鹿にされたくなくて、新しい服が欲しくて、でも親には言えなかった時。新しく入ったバイト代で、学校に着ていく服を買ってくれた。
食事が用意されなくて、食べるものもお金も無くて、空腹で堪らなかった時。仕事で遅く帰ってきたのに、必ず食材を買ってきて、夕食を作ってくれた。
いつも助けてくれたのは、私に優しくしてくれたのは、雨希ちゃんだった。
私は雨希ちゃんに育ててもらったと言っても過言では無い。
親に見つからないように、こっそり出掛けて、遊んでいたから、雨希ちゃんが優しい事は、私だけしか知らないのだろう。
だから両親は、大好きな姉の死を前にして絶望している私に、お前は雨希のようにはなるなよ、なんて言えるのだ。
目の前が真っ暗になるとは、この事だ。
これからどうやって生きていけばいいのと、視界が黒く塗りつぶされていく感覚。
泣けない。泣いたら、ぶたれるから。私が泣いてもいいのは、雨希ちゃんの前だけなのだから。
もっと一緒に居たかった。
雨希ちゃんが死んだ時、私は十四歳だった。親と離れたくても、まだ一人では生きていけなかった。
雨希ちゃんに愛されていながら、雨希ちゃんを死に追い詰めた交際相手が許せなかった。
彼とは何度が、会った事がある。
雨希ちゃんは親が居ない時によく、同い年の恋人を家に連れてきていた。
バイトをしながら高校に通い、幼い私を気にかけてくれた雨希ちゃん。
私を支えてくれたのが雨希ちゃんなら、雨希ちゃんを支えていたのは、彼なのだろう。
妬ましいけれど、あの男が雨希ちゃんの心の支えになると思っていたから、それなら別に、良かったのに。