妄言、暴言、大逆転!
「うぐぅ……」
制服のスカートがめくれ、白パンツ丸出しで地面に転がったリズがそこで見たのは、すべての石畳が剥がれ飛んで何もなくなった舞台と、そこにひっくり返った巨大蟹バラタに立ち上がろうとするルシオ、そしてリズの元へとわさわさと這い寄るピニックの姿だった。
「ピ、ピニック、あんた……」
誰の想定にもない事態に静まり返った競技場。その中でピニックを拾い上げ、顔の前に掲げたリズは、その手の真ん中にあるつぶらな瞳をみつめながら言った。
「めちゃくちゃできる子じゃない!」
そして抱き締める。
「最高! 最高! 最初に見たときは、なにこれ? 手? バラ売りのパーツ全部買い集めて合体させる、ぼったくりおもちゃ的なアレ? とか思ったけど、こんな、こんな目から怪光線ができる子だなんて、お姉ちゃん感動よ! 獲れる、獲れるわ! 故郷に病院を建てるぐらいじゃ済まない! あなたとなら世界だってむしり獲れるわ! 富も名誉もどんなイケメンもイケる、イケるよ! うおぉぉぉぉっ、最っ高!」
テンションが上がり過ぎて心の声がだだ漏れになったリズの俗物的叫び声が、競技場に響き渡る。そんなリズのない胸に抱き締められたピニックの目が、どことなく引いているように見えるのは気のせいであろうか。
「はあ、はあ、赤毛の最強美少女召喚士リズーニア・シェルダン……。だめ、よだれが止まらない。ああ、毎日していたサインの練習の成果がついに日の目を……」
夢見る瞳でよだれとともに垂れる妄想に浸るリズ。だから彼女はその影の接近にギリギリまで気付くことができなかった。
「え?」
影が頭上をよぎる。同時に湧き上がる歓声をリズは聞いた。そこに振り上げられた巨大なハサミがあることを認識した瞬間に、胸に衝撃が走り、リズの身体は後ろに突き飛ばされていた。
「あでっ!」
頭を打って舌を噛む。痛みに悶絶する間もなく衝撃が地面を走って、リズの身体がさらに転がった。
「ごめんね、リズーニアさん。キミがこんなにすごい人だなんて知らなかったよ」
濛々と立ち上がる土煙に、地面に突き刺さった巨大蟹のハサミ。そのむこうに見える人影――ルシオ・カミランが厳しい顔つきで立っていた。
「るひぃおしぇんぱい……」
「試合前の無礼、あらためて謝罪するよ。ボクはキミを侮っていた。ごめんなさい」
噛んだ舌が痛くて呂律の回らないリズに、貴族らしい優美な所作でルシオが深々と頭を下げる。
「だからボクも全力でキミと戦うよ。これで終わりじゃないだろうから」
そして顔を上げ、引き締まった表情でそう告げる。そこでリズは気付いた。
「ひぃにっくぅ!」
土煙が晴れると、バラタのハサミを受け止めて耐えるピニックの姿があった。
「いくよ!」
ルシオが叫ぶ。白い魔力のリンクがルシオとバラタをつなぎ、ハサミがより強い力でピニックを押し潰していく。
「や、やばぁいやばぁい……」
この生まれも育ちもよい高潔紳士が本気と言えば、クソとバカを足して割らずに億倍して、さらにそこにたっぷりのクソバカをぶっかけても足りないほどの本気なのだ。内心に毒づきながら、リズは慌ててピニックとの魔力リンクをつなごうとする。
「あれ?」
しかしうまくつながらない。何度も試すがうまくいかない。その間にピニックの身体はますます地面にめり込んでいく。
「どうしれどうしれ?」
リズは泣きそうな顔で、何度も何度もリンクを繰り返す。だが何か壁があるようにそれらはすべて弾かれていた。まるで拒絶でもされるように。
「……ああ!」
魔物の魔力は召喚士との親和性が高いほどに強く引き出される。それは互いのコミュニケーションを深め、強い信頼関係を築くことによって高められる。
「こんなの、操魔術の基礎中の基礎じゃない!」
噛んだ舌から流れた血を吐き捨ててリズは叫んだ。魔力のリンクが途切れるのは信頼の途絶であるということは、召喚士であれば誰もが知っている常識である。リズは気付いた。先ほどの妄言の中にどれほどの相手を想う心があったというのか。
「それなのにあんたはあたしをかばって……!」
妄想に浸っていたリズを、バラタのハサミの一撃から救ったのは、彼女の胸を突き押したピニックだった。そこに思考が至った瞬間に、リズの身体は走り出していた。
「ピニック!」
リズがピニックを押し潰すハサミに体当たりする。しかし当然のようにハサミはびくともしない。
「クソったれがぁぁぁっ!」
「リズーニアさん!?」
女性の言葉とはとても思えない罵声とともにハサミを押し上げようとするリズ。それに驚くルシオ。
「ごめんね、ごめんね、ピニック! あたしが自分のことしか考えていなかったばかりにこんな、こんな……ええい、クソったれ! カニの分際で何様だぁぁぁっ! 頭かち割ってミソ喰っちまうぞぉぉぉっ!」
赤毛を振り乱し、鬼の形相でハサミを動かそうと奮戦するリズ。だがハサミは地面に深く根を張った大木の如くに微塵も動かない。
「ふぎふぎふぎぃぃぃっ!」
「あの、リズーニアさん? 女性なのだからもう少し言葉を選んだ方が……」
「うるせぇぇぇっ! 見てわかんないの? 取り込み中なんだよ! あんたは家柄だけじゃなくて頭までボンボンなのかぁっ!? てめぇのチ○ポは何色だぁぁぁっ!」
試合相手の女性としての尊厳を心配したルシオに罵声で返すリズ。一瞬、何を言われたか理解できず唖然とするルシオ。そしてその聞くに堪えない暴言の数々に観客席からブーイングの嵐が降り注ぐ。
そのときだった。リズの罵詈雑言に一時的に頭が真っ白になったルシオの魔力リンクに綻びが起きたのか、バラタの力が緩み、ほんの少しだけ動いたハサミの隙間からピニックの姿が見えたのは。
「ピニック!」
ピニックとリズの目が合う。驚くように見開かれたピニックの瞳。そこにリズの涙が映る。
「ごめん、ごめんよぉぉぉっ!」
ぼろぼろとこぼれる涙が、ピニックの上へと落ちる。
「あたしが、あたしがバカじゃなかったら、こんな――」
そしてその滴がピニックの瞳に落ちたとき、リズとの間に白い光が走った。
「――ピニック?」
魔力のリンクが通る感覚。それを感じた瞬間に、リズは自分の触れているハサミが動いていることに気付いた。それは次第に持ち上がり、穿たれた地面の穴から白く輝くその手が現れる。
「ピニック!」
ハサミを持ち上げながら地面の上へと浮上したピニックは、リズの喜びの声に応えるようにその手を一層に輝かせ、バラタの巨体を投げ飛ばした。
「よかった、よかったよ、ピニックぅぅぅっ!」
地面に叩きつけられて土煙を上げるバラタ。それを横目にリズがピニックに抱きつく。
「ごめんね、ごめんね、あたしが最強美少女召喚士だなんてささやかな願望を持ったから――ピニック?」
しかしピニックはリズの薄い胸からするりと抜け出す。また拒絶されたのか、最強美少女召喚士というささやかな夢は欠片ほども抱いてはいけないのか、そんな思考にリズの表情が蒼くなる。だがピニックはそれを否定するように、強い視線を前へとむけた。その視線をリズも追う。
「すごいね……リズーニアさん。バラタが投げられるなんて初めてだ」
そこに立つルシオは心の底から驚嘆したような顔で、リズとピニックを見ていた。
「しかし、その魔物は……ピニック君は何者なんだ? こんな強力で目立つ異形の魔物なのに、今までまったく知られていないなんて……、いや」
ピニックの力を目の当たりにしたルシオの頭に浮かんだ疑問。そこに考えを巡らす中で、彼はひとつの可能性に思い当たる。手に目を持つ強力な魔物。その可能性を探るように、ルシオはじっとピニックを見つめる。
「その目はもしかして――いや、まさかな」
しかし、あまりにも突拍子もないその想像を払うように首を振り、キッと顔を引き締めた。
「その魔物がなんであれ、ボクとバラタはキミに勝つ。カミランの名にかけて!」