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新婚時代の家とマリッジライセンス

6 新婚時代の家とマリッジライセンス


23年前の日本ではまだ私たちは奇異な目で見られることも多かったように思う。

ただ、夫は日本でそれ以上に優しく親切にしてもらっていた。


例えばお店に入り

「こんにちは」というだけで

「あら~この外人さん日本語上手だわ~」とおまけしてもらっていた。


ずるい。


 私がアメリカでハローと言ってもハローと帰ってくるだけだ。誰もおまけをくれない。

助六のシャツを着てにこにこと「こんにちは」を連発する夫は多くの日本人から愛されてた。

ただ、結婚してから外国人であるがゆえの悲しいこともあった。

それは家を借りることが難しかったことだ。


(外国人お断り)と堂々と書いてある。(ペットお断り)よりも多いくらいだ。


 それまで優しくしてもらっていた外国人さんはすっかり落ち込んでいた。

当時の日本では個人では見てもらえず、全員ひとくくりに(外国人)そしてお断りと続く。 

不動産屋さんも電話で小さな声で「でもね、良さそうな人ですよ」と言ってくれるだが、当時はかなり難しい状況だった。


 やっと見つけた家は大家さんが短期出張中の6ヶ月だけ契約の家だった。和室もある素敵な広い一軒家で私たちは手を取り合って喜んだ。

 一階はキッチンダイニング・リビング。2階は6畳2つ。真ん中に3畳の部屋があった、

夫は3畳の部屋をしげしげ眺め


「ここは?クローゼット?」

ローマの休日のお姫様か?

確かにその真中の部屋はあまり使いみちがなく、タンス置きの部屋になったので結果的には当たっていた。


 日本の家は確かに狭いし、夫は何回か頭もぶつけたりしたけれど、この家は2人暮らしに十分すぎるほど素敵な広い綺麗な家だった。

和室が特にお気に入りで何も置かずに大事に使っていた。

たたみラブ。家具を置こうとすると

「ひ~なんてことを~!!」と。畳の部屋でも家具は置くよと言っても

「痛むから、だめ~」


 そんな感じで始まった結婚生活は最初は慣れずに戸惑うことも多かった。言葉の壁も大きかったし、文化の違いもお互い「なんでよう」と思うこともとても多かったように思う。

意思の疎通が出来なかった時は喧嘩にもなった。


 国際結婚は最初は何もかも珍しく甘い日々、長く生活していくうちに日々の細かいことで意見がくいちがったり、勘違いから喧嘩になったり、慣れない土地や文化に疲れたりする。

それでもお互いが歩み寄って理解できなくても、しようとする姿勢が大事ではないかと思う。


 米軍人と外国人(日本人であるワタクシ)の結婚は山のような書類をつくらなければならずに大変だった。 性病などの血液検査をして、指紋を取られ、逮捕歴の有無から精神疾患の検査とあらゆる検査もあった。

今までの学歴職歴の履歴書を提出するのだが、一日でも隙間があってはならないと言われ困ったことも。


 アルバイトしてたり、何もしてなかった年もある。米軍側はその間テロ活動などしていなかったかなど調査しなければならないので「隙間は認めん!」と言うようなことをもう少しだけ丁寧な言葉で言われて書類を返された。仕方なく(近所の喫茶店でアルバイト)(家の仕事手伝い)なども書き込んだ。


今はどういうふうになっているかわからないけれど、私の時でもありとあらゆる質問が書いてある書類にサインして提出し、その間に面接もあった。


提出以降も受理まで6ヶ月くらい待つ。


 諸事情により早く結婚しなくちゃダメなの!ってな人はアメリカへ行っていた。ラスベガスに。そうすればあら不思議、即結婚。

軍の規定にかわりはないので、結局結婚後に山のような書類提出になるのかもしれないが。


私たちはゆっくり待てばいいよねと、のんびりしていたら


「はい、今日受理ね」とある日突然、マリッジ証明書をもらった。 


日本の婚姻届も同じ日にしたいと慌てて市役所に出かけて行った。そうしないと記念日がバラバラになってしまう。



 家を探したのはそれから。結婚式もそれから。

在日基地の教会での結婚式。チャーチで東洋の美女と西洋の美男子は結ばれた。(うははは、言いたい放題)


ウエディングドレスはアメリカのカタログでオーダーした。 サイズ6が大きすぎてお直し。サイズ6ってかなり小さめのMくらいです。 

うわ~~ん!マイボディーカムバック! アメリカンな食事ですっかりサイズアップしてしまった今日このごろ。

ブライズメイドは中学からのお友達、親友Sちゃんがつとめてくれた。


当時は英語もわからない言葉が多くて、例の(病めるときも健やかなる時も)も英語だし、その後の誓いの言葉の

ワタクシ〇〇は〇〇を夫として~というところを言わなくてはいけなくて、ド緊張だった。 ひ~~なんて声がひっくり返っていたはず。


 夕方からのパーティーは、やはり軍の中の施設で、仕事の後で軍服での出席者が多かった。しかもこの日緊急出動があって、(当時のお仕事は救命士)ビーパー(まだ携帯電話なかった、日本語でポケベル。これがビービーなってた)が鳴り、さーっと10人以上いなくなったりした。披露宴なのに!


日本のお友達には特別パスを発行してもらった。そして披露宴といってもバフェスタイルのカジュアルなもの。基地の中のレストランからのオーダーだ。ウエディングケーキもオーダーしたが、アメリカのケーキが激甘かったことはいまだに語り草だ。

そして招待した友人の、そのまた友人が来て、「おめでとう!!」と満面の笑顔でもりもり食事をしていた。

誰?

細かいことを気にしないようになったのはこの頃からかも知れない。





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