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乳がんになりハワイへ


 夫不在が多かった在日基地生活、ある日突然終わりが来た。


 私の乳がんが発覚した。


 この基地では詳しい検査と治療ができないために、ハワイの病院へ移ることになった。

マンモグラフィーを受けたのが金曜日。土曜日に飛行機に乗れと言われて、なんとか月曜日にしてもらった。

子供は小学校2年生で、すっかり学校にも慣れていたが、ある日突然ハワイに連れて行かれて、そのまま引っ越すことになった。


 乳がんはステージ3Cの進行がんだった。10年生存率は20%だと言われた。 


ハワイのオアフ島で治療がはじまった。 繰り返される手術。抗がん剤、放射線治療。辛い治療は数年続いた。この時の家族のサポートは私の生きる力になった。 心から感謝している。


 夫は常に励ましてくれて、なんとか私を笑わせてくれようとしてくれた。

左胸切除手術をしたのだが、


「胸が1つだなんて、こんな体になるなんて」と自信をなくす私に、笑いながら

「1つで十分だよ!2つもあったらセクシーすぎるよ!」とか

「3個よりいいじゃない」とか。

 その内に心がほぐれてきて少しづつ笑えるようになっていた。 息子もこの時期私のことが心配で精神的に安定していない時期もあった。夫が根気よく話をして、一緒に遊び、本を読み、出かけたりしてくれた。


 ある日、息子が「今日の絵を描くよ~」と画用紙を広げて書いた絵は夫と息子が満面の笑顔で凧揚げをしている絵だった。

その絵の笑顔を見て、息子はもう大丈夫だと思ったのを思い出す。


 通常オーバーシーズと呼ばれる他国への勤務期間は3年か4年で他の場所に移動するかどうかを決めるのだが、ハワイには6年間住んだ。ハワイはアメリカですがアラスカとハワイはオーバーシーズ扱いになるようだ。

3年経った時に沖縄勤務などの話もあったのだが、医者は私のカルテを見ると

「なにかあったら、すぐに対処できないわ、また戻ってくることにならからもう3年伸ばしたほうが良い」と良い、留まることに決まった。


 ハワイと言ってもワイキキから遠く離れたところだった、ここでもとてもカルチャーショックを受けた。本当にアメリカっていろいろ違うんだなあと思う。州の1つ1つが違う国のようだ。 


 アイダホ国とハワイ国はとても違う場所だった。


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