終章
石板の蓋を開けると、そこには札束が確かにあった。小さな空間にギッシリと詰められ、三千万円は入っていないものの、二千六百枚もの一万円札があった。さらに、その中には紛れ込ませるように白封筒に入れられた手紙が入っていた。
自分は手紙を読んではいないが、内容は教えて貰った。
子供たちに貧しさで苦労させた幼少期を詫びていたそうだ。特に、母には自分のやるべきだった母親役をやらせてしまい申し訳ない。また、長男の教育には失敗して、弟妹に迷惑を掛けて心苦しい。そして、これからは、兄弟姉妹喧嘩などすることなく、仲良く助け合っていって欲しい。
芳郎伯父さんの親に対する酷い仕打ちと、兄弟に対しての攻撃的な言動に言い様のない不安を感じていたらしい。そのことを、何度も何度も「すまないね」「申し訳ない」と詫びていたそうだ。
これ以上、一族の害になるならば、自分が害悪を引き受けていくと書かれてあったそうだ。
その手紙には、動機こそ記されていなかったが、総てを認めたような文言が並んでいた。手紙を読み終えた義母の感想は、祖母の自責と悔悟の念であったと聞いている。
母が言うには、古風な親の責任感と他の子供らへの愛情を考慮した結果であると結論着けた。
茂樹は、祖母は母親としてよりも、妻として、支援者として、また桜条本家の功労者として、一族の災いの種である長男を放って置けなかったと考えていた。しかし、私は異を唱えた。母親としての想いが、最後に我が子を信じたいと思い。そして、墓地の足場の改築を急がせた。たとえ自分が亡くなっても、すぐに行動に移していれば、親や先祖を思っていると考えていたのだろうと推理した。結果、墓地の足場は審判の場であったと。
この手紙は我が家だけでなく、兄弟妹それぞれに想いを巡らせ、それぞれに母の気持ちを推し量っているようだ。兄弟姉妹の誰しもが行き着いた結論としては、墓の足場をさっさと作り直していれば死なずに済んだ、と云う事だ。そうしておけば、鎌の意味を知れば、現金が見つかっていただろうに。
「どうしたの?」
私が挽きたての豆でコーヒーを入れると、豊かで香ばしい匂いが部屋に立ち込めた。
夫は顔を向けて、そのコーヒーを受け取った。
「何してるの?仕事?」
「いや。日頃あった事を整理してるんだ」
「そう」
私はクッションに腰を下ろすと、コーヒーを啜った。
茂樹もブラックのままで一口啜ると、心地よい苦みと味わいに喜びの唸り声を出した。
夫は私に桜条家の後日談を聞いてきた。
「そう言えば、桜条の義祖母の百か日法要があった、と聞いていたけどどうだったの?」
私は上を見るような仕草をして、多くの話を思い出しているようだ。
「兄弟姉妹だけで集まって、御経をあげて貰っただけだと聞いたわ。でも、食事くらいはしたでしょうけどね。長男の件が話に上がったらしいけど、皆の見解はどう考えても事故と行き着くらしいわ。これは、私も同感。結局、総てを天に任せた上で、下された断だと受け入れたんだと思うの」
茂樹は、妻の言葉を遮る事無く静かに聞いている。
「未だに娘たちだけは、祖母の現金が奪われた上に事故は殺人だとまだ思っているけど。犯人は存在しないし、事故死は動かしようも無いわ」
「そうだな。警察も調べ終えた後で、相続問題も片付いていて、税務署には納税済みだ。総ての決着が付いているからな。これ以上は、騒ぎようもないだろう」
そう答えて、コーヒーを啜った。
「あっ、そうえば、桜条本家の娘たちだけど」
「なんだい?」
「後ろ盾に引き込んだ団体に首を絞められ始めているらしいわ。徹夫伯父さんの情報だけど、思った以上に金にならなくて、利点も少なかったらしいから、本家の人間から金目の物を巻き上げるように方針変更をしたらしいわ」
夫は微かに笑った。
非営利団体にありがちなことだった。宗教や政治活動など特にいい例だ。非営利を掲げる団体こそ、恐ろしく利益に貪欲だ。精神や魂、貧困の救済や平等などを謳っている輩程、理想や理念から程遠い。
営利団体は出資者に出た利益を分配して、出資者に対しては信用が無くならない程度は公正・公明であるが、非営利団体ほど不平等で不誠実で不透明なものはない。その特色をいかんなく発揮し始めたのだろう。
「それで。本家から助けてくれって言われたのかい?」
「まさか。あれだけ、犯罪者扱いしておいて、苦しい時だけ血縁だから協力しましょうって、そんな節操のない」
「それでも、そんな話はよく聞くじゃないか」
「そうだけど、うちだけでなく、分家筋としてはどこまでも他人事にならざるを得ないわよ。もっとも、資産が分家筋よりも遙に多くあるんだから。私だって助ける気にはならないわよ」
喋って思う。誰も自分の何十倍も財の有る人間を金銭的に救おうとは思わないだろう。それが人間の心理だ。
「他に聞きたい事は?」
「そうだな。石箱から出て来た現金はどうなったんだい?」
「それなら、百か日法要の席で兄弟姉妹で均等に分けたそうよ。一応、念を入れて祖母の墓とあそこの土地を購入したらいいわ。まず、バレはしないだろうけど、埋蔵物は土地所有者のものらしいから………」
「法的にはそうだな。でも、よく売ってくれたものだな」
「その点は、理由を説明したそうよ。本家は娘ばかりで他家へ嫁に行っているから、息子がいる徹夫伯父さんに売ってくれって言ったらしいわ。そうすれば、親の墓が寂れないで済むからって」
「なるほどな。親の亡き骸が眠っている墓を荒れさせたくないって言えば正論だね」
「皆、よく考えてるわよね」
感心したように何度も頷いて、私は非常に満足だと表した。
夫はコーヒーを飲み干して席を立った。
「さて。今日は、僕が夕飯を作るよ」
「あら、どうしたの?」
「たまにはね。何かリクエストあるかい?」
夫は、腕まくりをして格好をつけた。
「そうね。前回作ってくれたのは、何だったかしら?」
「豚肉と野菜の卵炒めと鮪のおろしポン酢焼きだよ」
「またそれがいいわ」
笑顔で言うと、茂樹はキッチンへ向かって行った。
熱めのコーヒーを飲んで腹部から染み出す様な痺れに似た熱さが残っていた。
私と茂樹は家族の温かさと不自由さはこんなものなのかも知れないと考えていた。