六章
一
芳郎叔父さんの遺体を前に、健叔父さんも私も何も出来なかった。既に、呼吸も脈も無く、胸が潰れている様に変形していて、蘇生措置を施す余地すらなかったのだ。
担架を担いで来てくれた救急隊員も、亡くなっているので担ぎ出そうとはしなかった。首下に鎌が刺さっている為、救急隊員も動かさない方が無難だと判断したのだろう。
健叔父さんは救急隊にお礼と詫びを伝え、引き取って貰った。
それから、五分程して警笛を鳴らし警察車両が山道の手前まで入り、二名の警官が現れた。
警官は事情を聴いていたらしく、私たちを遺体から離すと違う場所で事情を聞いた。
私も健叔父さんも、ありのままに話をした。母や叔母も色々と聞かれたらしいが、墓参りをした後に私が慌てて山を下りて来たとしか答えられなかったそうだ。
警察から刺さっている鎌について聞かれたが、私には誰の物なのか、どこにあった物なのかすらわからない。そう、正直に答えると、警察も疑うような反応はしなかった。
本家に居た次女は、何が起こっているのか説明を受けても事態が把握できないらしく、他の姉妹を呼びつけたそうだ。
警察の手際は良く、捜査と家族や関係者などへ適切に対処していった。
私も母も事情を聞かれ、もっと時間がかかると思っていたが、予想よりも早く解放された。
とんでもない目にあったと母と車内で喋った。母は、不慮の事故だろうから大事にはならないだろうと言ったが、鎌が刺さっていた事を知らない。
現場は山中に加え、桜条家の敷地内で起こったことだ。通り魔の可能性はまったく考えられない。万が一、殺人であれば、鎌という物証がある以上、何らかの情報が得られるのは確実だ。
警察からは、長男からの訴えがあったこともあり、事件性の有無を慎重に調べているようだった。
二日過ぎた時、警察から呼び出しを受けた。そして、今、徹夫伯父さんの家に集まっている。現場にいた兄弟姉妹と私。それと、徹夫伯父さんの息子、弘くんが正面に立っている刑事さんを見ていた。
「本日は、御集まり頂きありがとうございます」
私たちはパラパラと頭を下げた。
「え~。本日、様々な方の希望を入れて、故桜条芳郎さんの家族を除いて集まることになりました」
理由は聞いている。本家の娘たちが、私たち分家筋に殺されていると思っているからだ。
祖母の遺産の件もまだ決着していなく、長男は弁護士を立て、自分の権利分を主張していた。当初の詐欺や強迫の訴えは退けられたが、遺産の全てが手に入らないならば、法廷相続分を奪うことにしたのだ。いくら遺言でも一円たりとも分配しないという訳にはいかず、長男の取り分は遺言でかなり減殺される為、遺留分減殺請求の内容証明が各人へ送られて来ていたのだ。
警察は教えてくれないが、本家の娘たちは私たちの事を強盗殺人者と言っているのは耳に届いている。謂われなき事であるが、娘たちからすれば、父親の発言を信じるしかないのだろう。
心の中で馬鹿にしていると、刑事さんの口から事件の説明が始まっていた。
「亡くなられたのは桜条芳郎、六十七歳。死因は、高所より落下したことによる肺座滅。その他の損傷としては、右首筋に鎌による浅い刺し傷がありました」
会場から、ざわつくような反応は無い。皆、鎌が刺さっていた事を知っていたんだと思う。私と健叔父さんは目撃していて、智子叔母さんも遠くから見えていたのかも知れない。そうなれば、親族間には知れ渡っていても不思議ではない。
「調べたところ、その鎌は約一年前に亡くなった善興氏の物であったと判明しました。その鎌から出た指紋は、故人の善興氏と約一週間前に亡くなっているその妻のタツさん。そして、芳郎氏と智子さんのモノしか発見できませんでした」
親族から安堵の溜め息が小さく漏れて広がった。祖父の鎌に亡くなった四人の指紋しか出なかったということは、殺人事件ではないことを意味している。故人以外で、智子叔母さんしか出なければ、母とずっと一緒に居たから、普通の事故ということになる。そうなれば、相続問題も比較的すんなり解決する。
「皆さんの証言から、アリバイなどは確認されています。現場に居られた方々の証言も、まったく食い違いが無く、時間もかなり正確に覚えておられたので、信憑性は高いと判断しております」
「信憑性などではなく、口にしたことが真実なんですがな………」
徹夫伯父さんがぼやく様に言うと、健叔父さんが大きく頷いた。
私も事情聴取されたが、ドアを開放され、周囲からの視線が入る様にと配慮されていた。それでも、刑事さんの口調は厳しいものだったから、おじさん達にはさらに厳しい態度だったのかも知れない。
「まだまだわかっていないことが数点ありますので捜査は継続中ですが、争った形跡も無く、死因が転落によるものである以上、見解として事故と断ぜざるをえません」
「鎌は?」
「それは、現在調べています」
刑事さんは、突き放すように言った。
「あの。今後、我々が容疑者の様な扱いを受ける事は無いと考えてよろしいんですか?」
健叔父さんが刺々しく言い放った。
「再び事情をお聞きする事があるかも知れませんので、その時は御協力をお願い致します」
「やれやれ、また同じことを何度も説明することになるのかね」
「私も暇じゃないのに。それに、何度、警察署に足を運ばせるのかしら。税金払っているのに、手間も時間も協力者が割くっておかしいでしょ?」
徹夫伯父さんの嫌みに、智子叔母さんが個人的な不満をぶつけた。
刑事さんは、「何か思い出したら、必ず言って頂きたい」と釘を刺して、伯父宅を出て行った。
車が去ったのを窓から確認して、智子叔母さんが口を開いた。
「疑いが晴れたのは良かったけど、うちの近所に変な噂が広まってねぇ、殺人犯扱いよ」
「仕方ないわよ。うちも取引先にまで変な噂がいってね。火消しに大わらわだからねぇ」
徹夫伯父さんの奥さんである昭子さんが、桜餅とお茶を配りながら言った。徹夫伯父さんがお茶を受け取りながら疑問を口にした。
「健、望。刑事が言ってる、まだまだわからない事ってなんだ?首筋に鎌が刺さっていた事だけか?」
健叔父さんに視線を送ったが口が動かなかったので、代わりに私が説明した。
「それが一番だけど、他にも色々あるのよ」
私は髪を指先で耳に掛けてた。
「望。儂は途中で帰ったから状況が良く分かってないんだ。警察に言っても大まかにしか教えてくれないからな。説明してくれ」
徹夫伯父さんが真剣な眼差しで言った。そして、私が伯父さんが帰った後の説明を出来るだけ細かくした上で、様々な仮定を立てながら不思議な事柄を口にしていった。
「芳郎伯父さんの死因は高所から落ちたことによる肺挫滅よね」
昭子おばさんが難しい顔をしていたので補足した。
「肺挫滅っていうのは、胸を強く打って潰れてグチャグチャになったってことね」
昭子さんが理解した顔をした。鉄工所だけあり、事故で良く聞くのか詳しく知っているようだ。
「転落死であればなんの問題も無かったんだと思う。でも、芳郎伯父さんには、後ろから襲われたように、肩に水平に鎌が突き刺さっていた。しかも、その鎌は亡くなった祖父の物で、指紋は祖父母と芳郎伯父さんと智子叔母さんのモノしか出ていないのよ。祖父の物を管理していたのは祖母だけど、祖母も一週間以上前に亡くなっているし………。仮の話だけど、犯人がいたとして、後ろから鎌で突き刺した後にウッドデッキに突き飛ばす。その足場が崩れて転落死した、と警察では考えていたんだと思うの」
「誰がそんな事をするんだ?」
「仮定の話よ。兄さん」
母が言ってくれた。
「で、祖父の鎌が一番の問題なんだけど。それは、娘たちの証言と智子叔母さんの記憶では、納屋にあったって話よね?」
智子叔母さんが肯定する。
「なぜ、新品を使用しなかったのか?なぜ、その鎌を使ったのか?また誰が納屋から持ち出したのか?」
「誰かが墓に忘れたんじゃないか?」
「それは無いわ。母さんと掃除をしたのは入院する直前だったから、枯れ草を数度刈ってて、忘れずに持って帰ったのよ。私も使ったから確認してる。それから、入院後は真冬だから敷地に草が生える訳でもないから使わないでしょう」
智子叔母さんが強く言った。
「そうなると、誰か持ち運んだことになるな」
徹夫伯父さんが唸るように言った。
「鎌の場所を知っていたのは、智子叔母さんだけど。あの日は、叔母さんは私たちと一緒にお墓に行ってるから、鎌を持っていない事は証言できる。そうだ、伯父さん。智子叔母さんと空き地で待ってる時に何処かに姿を消したり、別行動とかしてないかな?」
「そんな事は無いな。本家に入ろうにも揉めるからな。あの時は、全員が集まるまで問題になる事は避けている。もし、長男と出くわしたら厄介になることは解かっていたからな」
当然とばかりに、智子叔母さんも頷いた。それを確認して、私は健叔父さんに目を移した。
「健叔父さん。叔父さんは、早朝とかに墓に行ってないでしょ?」
「行く訳無い。家族が全員知ってるぞ。遅れたのも仕事で、職場の皆が証言してくれる。警察も長男を俺が殺したように言われたけどな。墓に着いた時には、足場は崩れて長男はぐったりしていたんだ」
「知ってます。それは、私が警察に言っておきました。健叔父さんの二、三十歩後を歩いたから、背中は見えていたし、手には何も持ってなかった。叔父さんが墓地に着いた時、私は階段を登る所だったから、その瞬間に犯行に及べば芳郎伯父さんの叫び声とか聞こえたでしょうし、足場の崩れる音もしたと思う。周囲は静寂で、自分の息をする音が聞こえてたくらいだから間違いないわ」
健叔父さんは、私の言うことに何度も頷いていた。
「問題は………」
私が神妙な顔で言うと、叔父が「何だ?」という顔をした。
「問題は、私が母と叔母さんの所へ走って行った時なんだと思う」
「どういうことだ?」
徹夫伯父さんが聞いてきた。
「いえ、私は芳郎伯父さんが落ちた姿をその時に見ていないんです」
「それが何か問題あるの?」
智子叔母さんが言った。
「私が、誰かを呼びに行った時、十分な距離を確保できれば、伯父さんを突き飛ばして足場ごと崩れるんじゃないかと、警察は考えているのかも知れません」
「そんな馬鹿な事があるか。もし、芳郎兄さんがその時、生きていたとすれば、兄さんは救急車を呼べ、って叫んだ事を知っていて、声も上げず、なんの行動も取ってないことになる。それこそ不可解だろう」
健叔父さんが反論した。
「はい。私もそう思います。それに、鎌の事もまったく関係なくなっていますし、殺害理由も思い浮かびません」
「いったい、何が言いたいんだ?」
徹夫伯父さんが聞いた。
「犯人も、その動機すら解かりません。だから、納屋にあった鎌が、なぜ刺さっているのも分からないです」
叔父や叔母が、落胆したように息を吐いた。
「どうであれ、警察がきちんと判断してくれるわよ。これ程、人が入り組んでいて、ちゃんと話しているんだもの」
母が皆を元気づける様に明るく言ったが、皆高齢だけに警察の愚かさも知っている。徹夫伯父さんが、顎を触りながら呟いた。
「色々と予防線や保険を掛けておかなければならぬかも知れんな………」
伯父は、祖父の様に政治面で事件の害を取り除こうとしているようだ。
親族の思惑とは別に、私は警察の考えを推察していた。現場に居た人で、単独犯ではどう考えても実行するのは不可能だ。そうなれば、複数犯の可能性を疑ってくるはずだ。二人であれば、智子叔母さんと健叔父さんが疑わしいが、叔父も叔母も鎌を運んでいないことから、この可能性はない。そうなれば、徹夫伯父さんを加えた三人になる。そうすれば、徹夫伯父さんと智子叔母さんが納屋から鎌を墓まで運んだ上で、私たちの到着を待っていたと仮定すれば、実行は可能だ。それでも、私が芳郎伯父さんの声を聞いていないことから、転落死は最低でも十分程前で無ければ耳に届くだろう。首を絞めて身体だけを突き落としたなら可能性はあるが、足場が崩れていることから、この仮定も齟齬が生じる。
齟齬を解消するならば、足場を先に崩した上で叔父が長男を落とすことだが、長男だけが墓地に残ったので、長男が足場を意図的に崩して殺されるのを待っていたことになる。
私は馬鹿馬鹿しくなり、もう考えることを辞めた。
こうなると、警察が殺人と考えるならば、分家の全員を容疑者として考えるだろう。そうなった場合は共犯の証拠を探すのだろうが、共犯の事実が無い以上出る訳が無い。
別の可能性として、娘たちの犯行を考えれば違った可能性が出てくるが、墓地までの道は一本道だ。それ以外は、冬の田畑を突っ切れば、直線的に屋敷に行ける。しかし、冬の田畑を歩けば、視界を遮るものが何もないから、姿は丸見えになる。姿を隠すなら山を大きく迂回すれば良いが、そうすれば半日仕事になるのだ。
以外に、警察の目は娘たちの方に向いているのかもしれない。
母の兄弟たちは、相続の件と事件のゴタゴタについて、今後の展開について会話をしている。
私はその話に入らず、本家のことが気になっていた。
二
警察の説明を受けた集まりから半月が経過している。
その後、徹夫伯父さんから電話で経過を教えて貰っている。私の読み通り、警察は相続問題がこじれて起きた事件だと判断しているようだ。
祖母の資産を調べ出して、金の流れを追跡しているみたいだ。特に、三千万円の預金が数度に分けて引き出された事を重要視しているようで、健叔父さんと智子叔母さんが銀行へ度々連れて行っていることから、何度も事情を聞かれたらしい。
重点的に調べた警察だったが、金銭が叔父や叔母に流れたという事実は掴めなかったようだ。それでも警察は諦める事無く、金融各社に協力を求めたが、何処かに振り込んだ形跡も、何かを購入した痕跡もなかった。まるで、現金だけが消えた様に見えるようだ。
警察は、祖母から得た現金を何処かに隠し、ほとぼりが冷めたところで、分家で分け合うとでも考えているのかも知れない。
結局、祖母が亡くなるまで親族間で会って金銭のやり取りなどした事がないので、その狙いは外れているのだけど、警察は諦めていないのだろう。
まるで、長男の被害妄想を汲んだような捜査方針に思えた。長男の娘たちは、分家の兄弟を犯罪者だと確信しているらしく、父親を殺した兄弟姉妹を全員逮捕して欲しいと、声高に訴えていると聞く。
私は実家の台所で父親と夫の食事を作っていた。母は智子叔母さんと桜条本家に出向いていて、帰りが遅くなるだろうことを考慮して、父親の食事と世話を買って出た。だからといって、夫を放って置くわけにもいかず、一緒に連れて来て話し相手になって貰っている。
父は夫と政治の話をしていて、話が盛り上がっている。父の横顔は久々に嬉々とした表情で、娘として嬉しく思った。この光景を見ると、夫と結婚した事が一番の親孝行になっていたと感じた。
夫が立ちあがってこちらに来ると、私に笑顔を向けた。
「望。悪いんだが、ビールの追加をくれないか」
夫はアルコールが好きで強い。独身時代は、毎日大瓶三本飲んでいたらしいが、結婚してから嗜む程度に減らしてくれた。健康と家計を考えてのことだろうと思うが、私からお願いする前に察してくれた。この人の優しさからくる聡明さが好きなのだと、結婚してからさらに再認識したものだった。
父親との宴席くらい自由に飲んで欲しくて、ビールの大瓶とおつまみに大根とじゃこの酢の物を小鉢に入れて差し出した。
すんなりと出て来ただけでなく、おつまみまで出されたことに夫は笑みを浮かべた。
「ありがとう」
夫はそう言って、右手におつまみの皿と左手に酒瓶を持って「お義父さん。追加を貰って来ましたよ~」っと、嬉々として席に着いた。
そうこうしていると、母が帰って来て「ただいま」ではなく別の言葉を口にした。
「あら、楽しそうね」
夫と婿の笑顔と弾む会話の感想だろう。
「お邪魔しています」
夫が母に頭を下げると、父が「邪魔じゃないぞ」と、愉快そうに付け足した。
母は、父の楽しそうな席に水を差すことをせずに、私の居る台所へと入って来た。
「お父さん、楽しそうね」
「そうなのよ。父さん、茂樹と盛り上がっちゃって、二人ともお酒の量が進んでるわ」
「望が、普段、お父さんと話してあげないからでしょ」
「私に、政治や金融の話を詳しくしてくれても興味なんて無いわよ。そんなことより、思っていたよりも早い帰宅だけど、叔母さんと食事しなかったの?」
「それどころじゃなかったわ。話を終えたらぐったりしてね。娘たちと話をする事になってたんだけどね。居たのは春実だけで、弁護士を同席させててね~」
どういう事か想像はつくが、一から聞くべきだと判断した。母に説明を求めると、水を二口飲んで喋り始めた。
「智子と本家に行くとね。春実ちゃんが無表情で出迎えてくれてね。仏間に通してくれたわよ。室内に入ると、スーツを着た中年男性が居たのよ。春実が弁護士に同席して貰うことになったと言ってね。それから春実はほとんど喋らなかったのよ」
「遺産相続の話をしたんでしょ?」
「そうよ。長男の相続分の話をしに行っただけだから」
「話し合いは荒れなかった?」
「弁護士が同席していたから荒れなかったけど、ところどころで春実の嫌みが凄くてねぇ。どうせ弁護士に吹き込まれたことでしょうけどね。『あなた方は、本来は相続欠格者で一円も貰えないのに、警察の無能さのお陰で掠め取れて良かったですね』って言うのよ。智子が、『どういう意味かハッキリ言ったらどう?』って突っ掛かったけど、お抱えの弁護士が私と話す様にって態度で表していたから、無視することにしたのよ。これ以上、ゴタゴタしたくないしねぇ~」
「そうね。桜条本家との繋がりは、祖母が亡くなって完全に切れたから、もう関わりたくないわよね」
「今回の祖母の相続問題が最後よ。長男が亡くなったのは、不慮の事故だろうし、この件に関しては関係ないわ。もっとも春実は、祖母の預金三千万円を補填する様に主張したけどね。警察が調べて何も出ないのに、弁護士も困惑してたわよ」
「言う事が酷いわね」
「途中で、トイレに行きたくなってね。トイレから戻って来る時に、美穂が来てね。その後をゾロゾロと淡い青色のカクカクした変な服を着た人たちが入って来たのよ。その格好の異様さといい、着てる人の雰囲気も独特で、言葉では上手く表せないわね」
「青色のカクカクした服。それって、腕と膝の所に白いラインが入って無かった?」
「膝は見てないけど、腕の部分に入ってたわ」
「それ宗教団体だと思う。最近、話題になってるじゃない。あの教団は、役所や官庁の人間を狙って信者にしてるって。資金が足りなくなったら、合法すれすれで集めているらしいわよ。美穂さんの旦那って県庁の役人だから、色々と持ちつ持たれつの関係なのかも知れないわね」
「一時的に良くなっても、そんな団体と仲良くしてたら、最後まで良かった事は無いのに………」
母は溜め息を吐いた。
「仏間に戻ると、美穂が春実の隣に座っていて、智子を睨んでいた視線を私に向けるのよ。ヘンな格好をした人たちは別室で待ってるみたいだったけど、なんだか怖くてね~。それから十分程度話をしたけど、結局は遺言の意を汲んで、頭数で割った額のさらに半分に落ち着きそうよ。こっちも弁護士を立ててから正式な話し合いを持つことにしたわ」
「相続額を削れたのも、お祖母さんの遺言のお陰ね」
「そうね。大まかな話がついたから、すぐ帰ろうとしたんだけどね。智子もトイレに行きたいっていうから、玄関で待っていたら、理枝ちゃんも来ていたみたいで、理枝ちゃんの靴と男物の革靴数足があったわよ。台所に見知らぬスーツ姿の男の人が入って行くのを見たから、まだ別の団体の人なんだろね。それから数十秒すると罵り合う声が聞こえて来てからね………」
「どういう事?母さんたちの悪口言ってるの?」
「違うのよ。姉妹で、私の取り分はいくらだの、姉さんは母さんから多く援助して貰ってる、だの言ってるのよ。姉妹で揉め返しているんでしょうよ」
「そんなことより、実の母親があんなになっているんだから、どうするか考えているのかしら?」
「さぁ。漏れ聞こえる声を聴いているとね、なんか、誰が引き取るかで揉めてるみたいよ。娘たちは、皆引き取りたいみたいよ」
「そりゃそうでしょうよ。母親名義の財産と父親の相続分が、かなりの額あるもの………。あの娘たちの考えてることなんて、完全に見え透いてるよ」
「どうするのよ?」
「そんなの、娘は財産だけ取って、伯母さんは何処かの豪華な施設に入れるんでしょ。自分で世話をする娘たちじゃないわよ」
「豪華な施設だとまだ良いんだろうけどね~」
母親が溜め息まじりに言った。
確かに、母親が呆けている以上、豪華な施設で無くてもよく、最低限の有料老人ホームでも構わないのかも知れない。
一瞬、母は私に釘を刺しているのだろうかと思ったが、今はそんな考えもないので気にしないことにした。
そんな事よりも、今は娘たちの背後が気になった。理枝ちゃんの背後へ気を回すと、宗教団体よりは政治団体の色が濃いと思われる。旦那が、そんな団体と懇意にしている事を聞いた事を思い出した。
「宗教団体や政治団体が御布施や寄付を狙って介入しているんでしょうね。桜条本家もタカられて潰れそうね………」
祖父母の想いを考えれば、さぞかし無念だろう。
「もう、うちは関係ないから、どうなろうと知ったこっちゃないんだけどねぇ。でも、あんまり馬鹿なことはして欲しくないわ」
「確かに」
私も強く同意した。
「望。帰りに徹夫伯父さんと報告を兼ねて話したんだけどね。相続の手続きは母さんがする事になったから、ちょくちょく家開けるかも知れないけど協力お願いね」
また、面倒くさい事を押しつけられたなと思っていると、お父さんの大声が耳に飛び込んだ。
「お~い!そろそろ食い物くれないか~」
「はいはい」
母が答えると、フライパンを取り出して強火で温め、卵をボウルに割り、一品作り始めた。
三
物騒で険悪な騒ぎに巻き込まれながらも、穏やかな生活は変わらず、一家団欒で温かみも感じていた。
前回の団欒から半月程経過していたが、霜月家は平常の生活に戻りつつあった。
母親は相続問題と事件で余計な心労が加わっているが、家事や雑務なども普段通りにこなしているので体を壊さないか心配だった。母が相続の手続きを一任されて、最近は裁判所にも幾度となく通っている。その疲れ果てている姿を頻繁に見ていた。
今日は徹夫伯父さんの家に行き、話をしてくると聞かされていた。父も帰宅する時間になり、夫の残業の電話が入ったので、母の疲労を少しでも軽減させたくて実家へ向かった。
玄関から廊下に入った時、甲高い声が聞こえた。
「姉さん。徹夫兄さんも、結局、お金欲しかったのね」
「そりゃそうよ。あって困るもんじゃないからね」
「父さんの時だけでなく、母さんが亡くなる前も、自分は成功しているから遺産には拘らないって言っていたのにねぇ」
「私はね。母さんが入院して見舞いに一緒に行った時に車内で言ったのよ。『兄さん。母さんが長男に愛想を尽かして、財産を私たちにくれようとしてるんだから、いらないとか言って気を削がないよ。結局、父さんの財産は長男が全部持って行って、一円も寄こさなかったんだから。智子も健も怒ってたわよ。兄さんは、財産いらないって言ったんだから放棄する?』って」
「そうよ。何もしなかった長男が全部持って行って。で、兄さんはどう答えたの?」
「『財産はいらんって言ったのは、土地や建物の事を言ったんだ。現金なら小遣いがてらに欲しい』って言ったのよ。まぁ、兄さんにも権利があるからいいんだけど、揉め返さないからよしとするしかないわよ」
「そうね」
話が切れた所で、私は部屋に入って行った。
「いらっしゃい」
挨拶して頭を下げた。
「望ちゃん、また実家で楽しようと思ってるんでしょう。ダメよ。忙しいのに手間ばかりかけさせたら」
会って五秒も経ってないのに、伯母は私を苛立たせた。疲れている母を気遣い来たのだが、手間ばかりと言うなら、伯母さんの方こそ家に来るべきではないし、さっさと帰ってもらって、ゆっくりさせてあげたいのだ。叔母さんにも旦那がいる訳だし、うちに寄れば間違いなく夕食には間に合わないだろう。優しいと云うよりも、芯が無い旦那だから、こんな風に振舞えるのだろうとは思うけど、旦那さんが不憫でならない。
私は、ごく自然に呼吸のような溜め息をしてから、不快な相手を気にしない様に努め、飲み物を取りに行くふりをして、一旦、この場を離れた。
「望は色々と手伝ってくれてるのよ」
背後で母の声が聞こえたが、子供を産んでいない叔母さんは、若い頃の自身の経験を元にしているようで、四十過ぎまで祖母に我がままを言っていたことから、他の人もそうだと考えているのだろう。
「長男も財産が入って安気こいてたけど、あんな死に方はあまりに可哀想ね」
「仕方ないわよ。自業自得でしょ。何で落下したかは分からないけど、どうせ碌でもない事を考えて、それを行動に移したんでしょ。墓地を整備したいと思っている兄弟たちに対して、嫌がらせをしようとして一緒に来たんだから。で、姉さん。向こうとの話し合いはどうなったの?」
冷蔵庫からお茶を汲み、座敷に持って行った。
「結局、長男の相続額は千百万円ほど支払うことになったのよ」
「千百万。それは現金で?土地であげればいいじゃない。相続したのは不動産なんだから」
「そうなのよ。土地で分ければ、約二百坪だから、二十坪くらいあげればいいんでしょ。どこの土地でもいいんだから、金にならない使い勝手の悪い場所をあげれば済む話なんだけどね」
「娘たちも弁護士に言われて分かっているから、現金で寄こせって言うのよ。お金や手間をかけないで、さっさと終わらせた方がいいからお金で支払うことになったのよ」
「まぁ、仕方ないね」
会話を聞いていた私は、疑問が浮かんだので口にした。
「ちょっと気になったこと聞いていいかしら?」
「なに?」
「相続の決着がつくってことは、事件は結論が出たの?」
「警察は不慮の事故と判断したそうよ」
叔母が言って、母が頷いた。
「事故なら、数点の疑問は解決したの?」
「私たちもその点は聞いたんだけどね。説明は無かったのよ」
母が眉をしかめて言った。
「三千万円の行方は?」
「それも解からず仕舞いなのよ。いったいどこで使ったのかしらね」
母も叔母も不思議がってはいるものの、私たちは関与していない以上、警察の結論を受け入れざるを得ない。私としては納得出来なくても、不利益にならないから、敢えて異は唱えないけれども、どこからか批難は出てきそうだ。
「そうそう。娘たちは、再捜査を強く要求しているそうよ。分家の私たちが絶対に犯人だって、まだ言ってるくらいから」
まぁ、あの姉妹ならそうだろう。一億円以上の不動産で、利回りが十パーセント以上の優良物件なのだ。相続出来れば、毎月太いお小遣いが入ると考えれば、長男の顔の骨が歪む程に悔しくなるだろう。
警察のお陰で、欠格者になることなく、祖母の意向を汲み相続できた、兄弟姉妹は全員ありがたがっている。
「警察は?」
「警察はその訴えを退けているそうよ。調べても、何も出てこなかったんじゃないかしら」
「心配いらないわ。私らは正直に話してるんだから。そんなことより、姉さん、あの子たちおかしな団体を使って、いちゃもんつけて来るのよ。桜条本家からの依頼で、個別に交渉したいとかなんとか言ってたわ。気を付けた方がいいわよ」
「怖いわね。それで、智子はどうしたの?」
「相手にしなかったわ。あと、一応、警察に話しておくからと警告しておいたけど。そんなもんじゃ、懲りないでしょうけど」
「その件を徹夫兄さんに伝えて、なにか対策を考えないと………。事が起こってからだと遅いからね~」
母は困った顔を浮かべ、新たな問題にうんざりした表情に変化した。
二人はまだ話しているが、そろそろ食事やお風呂の支度をしようと思い、私は席を立ちあがった。
「あら、望ちゃんトイレ?」
「あなたじゃないんだから」と心で毒吐いてから、これ見よがしに若々しく立ち上がった。叔母を見下ろした時、感じが悪かったなと思ってフォローを入れた。
「私、夕食の用意やお風呂の掃除とかしないといけないから………」
柔らかに言って、この部屋を離れた。
浴室に入っても智子叔母さんの甲高い声だけが聞こえる。
叔母さんは、小一時間ほど愚痴、世間話、思い出など、同じ話を繰り返しながら耳障りな雑音が精神に負荷をかけた。
後日、母は徹夫伯父さんと対応策について話をした結果、兄弟間に留まらず、全分家で一丸となって対処することになった。相手の情報を集め、詳細に調べると、どのような団体か判明した。カルト教団と偏った思想の政治団体が、本家の娘達を後押ししていた。
カルト教団については、詐欺や恐喝の犯罪に手を染めているという噂に事欠かない。それに、最近ではかなり手荒なこともしていて、拉致監禁事件など起こしていて、警察からも目をつけられているそうだ。
政治団体については、関係各所に圧力を掛けて資金援助を引き出したり、市民だけでなく行政まで恫喝している。
情報を得れば得るほど、本家が引き入れた用心棒の悪辣さに頭痛がするようだった。
徹夫伯父さんの言う事には、こういう事態は早期に決着させるべきだと主張した。両団体が、面子だの対立意識に固執する前に、煩雑な手間の割に益が少ないと思わせれば良く、もしくは損が多いと思わせることが出来れば大成功だ。その為には、各分家が有している人脈や力を合わせ、社会的な圧力の盾を構築して、隙あらば逆撃を加えられる恐怖もあれば尚良いと云うことだ。
そして、衆・県・各市議会議員から県警に釘を刺し、所轄には各分家の顔で事情説明をした。さらに用心には用心を施して弁護士や有力者達にも手を廻して置いた。
あまりに強力な関係と結束。露骨に力を見せつけると、両団体もあからさまには手が出せなくなったらしく、嫌がらせもその他の圧力も止んだ。
桜条分家で結束すると、さすがに少々の団体では手が出せないようだ。
四分割した遺産のマンションだが、話し合いの結果、徹夫伯父さんが兄弟姉妹の分まで購入することになった。
借り手側からしても、このままでは契約などが複雑になり、家賃収入も分割しなければならず、手間ばかりなのだ。その上、管理の点から言っても責任の所在がはっきりしないので、現金のある徹夫伯父さんが買い取ることになったらしい。母もそれで納得したのだが、智子叔母さんは母の遺産ということで、「当分の間は持っていることにする」と言ったそうだ。
伯父も強引に事は運ぼうとしなかったが、「半年くらい経過したらすっきりした形に決着させないといけないぞ」、と釘は刺して置いたそうだ。
四
私は経緯説明を終えた。ぬるくなったコーヒーを飲み干して深呼吸をする。
長く話したから、口の筋肉の感覚が鈍く感じていた。聞いていた夫も疲れたのだろう目を瞬かせていた。
「もう寝るわね。何か気になったら、明日聴いて」
そう言って、茂樹のカップを手にして台所へ持って行った。
茂樹が、なぜ今になって桜条家の事を知りたかったのだろう。
カップを濯ぎ洗い水切りトレイに伏せて置いた。台所の照明を消して自室へ戻る。
茂樹と桜条家の関わりを思い出していた。
夫は、桜条家には結婚が決まった時に、祖父母への挨拶で行ったのが初めてだ。
それ以降は年に一度だけ、盆と正月のどちらかに一度だけ行っただけだ。夫の感想は、いつも同じで、大きく威厳のある屋敷で圧倒されると言うばかりだ。
夫からすれば、あまり良い思い出も無いだろうが、祖父母は優しく、金銭面では特に気遣ってくれた。
茂樹も桜条の祖父母の事を思い出してくれたのかも知れない。それとも、何か気付いた事でもあり、確認したかったのだろうか。
ドアの閉じる音が聞こえる。夫も寝室に入った様だ。
私は目を閉じて、まどろみに身を委ねた。
闇から引き上げられるような意識がした。その直後、体が揺れる感覚を認識した。
「なぁに?」
喋ったつもりだったが、声が出てなかった。
「望。起きてくれないか」
夫が優しく、私の肩を揺らしていた。
「どうしたの?」
「すまないが、お義母さんを呼んでくれないか。少し聞きたい事があるんだ」
「いいけど、どうしたの?唐突に………」
時計を見ると、まだ午前七時を数分過ぎた時刻だった。
茂樹は神妙な顔をして、独り言のように呟く。
「今回の事件の不可解な点が見えた様な気がするんだ」
夫は、頭を掻きながら小声で言った。
その発言に、私は眠気が消えていくとぼやけた視界が鮮明になった。ゆっくりと起き上がり、早朝だが母親に電話を掛けた。コール音が何度か繰り返される。
母親が電話に出た。
「あ、母さん。ちょっと、午前中に時間があれば家に来て欲しいんだけど………」
母親は、神妙な口調と早朝の時間帯に掛って来る電話で、「出来るだけ早く行くから」と答えてくれた。
それから一時間後、母が現れた。茂樹が脚を運ばせたお詫びとお礼を口にして、桜条家の敷地と墓地を見せて欲しいと申し出る。
母から理由を聞かれた時に、「事件の疑問や金銭が、どこに消えたか判るかもしれません」と曖昧な事しか茂樹は口にしなかった。
それ以上、母は何も聞くことなく、こう言った。
「本家との関係が拗れているから、行ける場所と行けない場所があるからけど、それでも良いのかしら………」
茂樹は頷き、改めて礼を言った。
本家に向かうに際して、母は念の為に徹夫伯父さんにことの次第を伝えた。すると、「すぐに合流する」と言われたそうだ。
母も徹夫伯父さんが来てくれれば、身内だけよりもありがたいだろう。
車で本家の空き地に到着すると、徹夫伯父さんが待っていた。
伯父さんは、夫の方へ歩いて来ると、小声で話し掛けた。
「何かわかったんだってな。教えてくれ」
「いえ、まだ軽率な事は言えないので、少し観て確認してからでよろしいですか?」
徹夫伯父さんの言葉に、茂樹が慎重に答える。伯父は頷いただけで、それ以上は何も言わなかった。
私と徹夫伯父さんで、本家の敷地を案内する。本家の屋敷には入れないが、納屋近くの所有地などを見る。それに。田んぼや畑、貸しているアパートや一軒家も観て、井戸の傍にある水道も案内した。
夫は一時間以上歩いて案内され、桜条本家の凄さを再認識していた。
「どう?」
私がこっそりと夫へ感想を聞いてみた。
「ん~。お墓に行ってみないと何ともいえないな」
夫が言うと、皆の足は墓地へと向かう。
墓地へ向かう山道で、徹夫伯父さんが痺れを切らしたように聞いてきた。
「茂樹くん。どうだね。そろそろ話しても良いんじゃないか?これから墓に行けば、もう行くところは無いからな」
「そうですね。では、墓地で話をしましょう」
こう言うと、皆、無言で歩き始めた。階段を上がると、墓地の足場は崩れたままで、まだ危ない状態だった。
その光景を見た義母が、溜め息を吐いて悲しみの表情を浮かべた。
夫は、崩れたウッドデッキから下を眺めたり、残った木材の状態など見たりしている。その光景は、まるでどこかの学者の様だ。
確かに、木の痛み具合は酷く、白蟻が食い散らかした形跡も確認できた。
木片を手に取った茂樹は、まじまじと眺めている。
山中に甲高い声が響いてきた。
《姉さん。徹夫兄さんいる?》
「智子が来たらしいわね」
母が呟いた。
「東紀子、呼んだのか?」
「呼んだ訳じゃないけど、一応、伝えておいたのよ。来なくてもいいとは言ったんだけどね」
この声が近づいてくると、徹夫伯父さんは酷く苦い顔をした。
階段を上がって来た智子叔母さんは、私や母が喋る隙もなく茂樹へ話し掛けた。
「何が分かったの?私にも言ってくれないと困るわ」
「智子、これからその話だ。話を引掻き回さずに黙って聞け。わからなければ教えるから」
徹夫伯父さんは、智子叔母さんを抑えた後に、茂樹に向かって丁寧な口調で言う。
「では、茂樹君。話してくれ」
徹夫さんが腕を汲んで聞く姿勢を作ると、皆の視線が茂樹に集まった。
「わかりました。では、お話します」
「何について?」
智子さんが無神経に言うと、徹夫伯父さんが睨んで黙らせた。
茂樹は気にすることなく。先を続ける。
「桜条芳郎さんの不幸な事故ですが、不可解だった点を明かしたいと思います」
「そう言うってことは、事故じゃなくて殺人だったってことなの?」
「お前は黙って聞いてろ」
智子さんが急かす様に訊くと、徹夫さんが強い口調で黙らせた。
「茂樹君。先に進めてくれ」
夫は頷き、再び喋り始めた。
「芳郎さんは、望やお義母さん、そして、おじさんたちが墓参りを終えた後、ここに残り、転落して亡くなりました。その体には、亡き祖父の鎌が刺さっていたそうですね」
皆が肯定する返事をした。
「最初。なぜ芳郎さんが墓に残ったのか、私は解りませんでした。嫌がらせとして、墓まで監視に付き添ったのに、どうして途中で止めたのか。そして、望から話を聞いて、やっと全体を知れて解かった様な気がしました」
「で、残った理由は?」
「芳郎さんは、ここで皆さんと別れる直前に笑っていたそうです」
「笑っていた?儂はその場に居たが、不愉快そうな顔しかしてなかったように思えるが………」
「伯父さん。私は見たのよ。一瞬だけだけど、笑いを押し殺しているように、微笑んでいたのよ」
私は強調した。
「気付かなかったな………」
「そうね」
「気の所為じゃないの?」
伯父さん言葉に母が同意したが、智子叔母さんは訝しそうな意見を言った。
「気の所為ではないと思いますよ。その情報のお陰で、今回の不可解な点が解消されたんです」
「微笑んでいたからって何だっていうの?あの長男の考えはオカシイから、嫌がらせをしてれば嬉しいんじゃないの?」
「そうも考えられますが、それ以上に納得する理由があります」
「何?」
「顔が歪むほど悔しい思いをした芳郎さんが、突然、笑い出した。人格を考慮すれば、その理由は容易に察せますよ」
私が視線を向けると、それで合っていると茂樹は視線で応えてくれた。
「分かったわ」
母が言うと、伯父さんが先に声にした。
「そうか。三千万円だ。その在り処が分かったんだ」
「そうです。もっとも、芳郎さんには明確な場所はわからなかったと思います。しかし、手掛かりを手に入れたんです。だから、笑みを浮かべ、この場に残った。ここからは想像ですが、おそらく鎌はウッドデッキの外側に刺さっていたんだと思います。そして、その鎌を取ろうとして………」
「足場が崩れて落ちた、か………」
伯父さんが納得したように呟いた。
「だからこそ争った跡も無かったんです」
「ちょっと待って。父さんの鎌がここに意図的に置かれたものなら、殺人なんじゃないの?私たちの目に付いていれば、私たちが死んでいたかも知れないじゃない」
叔母さんがヒステリックに言った。
「その点よりも気になるのは、鎌は祖父が亡くなってからは納屋にあったんだぞ。智子が母さんと墓掃除をした時に使って片付けている。誰がここに持って来たんだ?あれ以来、誰も使っていないんだがな。あと、傷んで腐ったウッドデッキに、どうやって鎌を突き刺したんだ?外側に刺すなら、クレーン車でも持って来ないといけないぞ」
徹夫伯父さんが鋭い口調で聞いてきた。
「持ち出した人間は容易に判明しますよ。鎌が目撃されてから、ここへ来た人間です」
そう言うと、皆が考え始めた。
「まさか………」
私の思考は結論に行き着いた。
「誰なのよ」
智子叔母さんが、苛立つように聞いてきた。
「お祖母さんよ。鎌を動かしたのは………」
私が言うと、徹夫伯父さんが異を唱えた。
「ちょっと待ってくれ。母さんが最後に墓参りをしたのは、死ぬ四日前だぞ。体重は三十キロを切っていた。それに、ここまで健が付き添って連れて来たくらいだぞ。そんな母さんが鎌を持って作業なんてできないだろう」
「そうですね。でも、鎌を木に刺すだけですから問題ないと思います。それに、おばあさんでなければ鎌はさせないと思います」
「どうしてだ?」
「体重です。ウッドデッキは崩れてしまったので証明は出来ませんが、猫や犬の歩く姿や、他の動物の足跡があった事から、一定の重さを支える事は出来たと判断できます。祖母の葬儀でお会いした芳郎さんは、細身ですが身長は高いので体重は六十前後あるでしょう。それに比べ、義祖母は三十キロもありません。四つん這いで這って行けば崩れなかったのかも知れません」
夫の言うことに、徹夫伯父さんは納得出来ないらしい。
「だがな。仮にそうだとして、新しい疑問が出てくるぞ。母さんは、長男を殺す気だったのか?」
「正直なところ、わかりません。個人的な意見を言わせて貰えば、明確な殺意は無かったと判断できます。殺す気があるならば、もっと確実な方法を採るでしょうから」
「だったら、なにかね。母さんは、父さんの鎌を使って意味深なことをした。それを見つけた長男が、意味深な鎌を取りに行った。そして、足場が崩れて転落死したってことか」
「はい」
「何故そんなことを………」
「今となっては、何とも………。私の見解は予防的措置だと考えます。金銭に執着しすぎる芳郎さんが、分家に害を及ぼさぬようにしたのではないでしょうか?」
茂樹が目を伏して言うと、智子叔母さんが口を開いた。
「イマイチ説得力に欠けるわね。それじゃ、問題点は解決してないも同じじゃないの」
「お義祖母さんの心の機微までは解かりませんが、一連の説明が幾分の正しさを持っていることを証明しようと思います」
「どうやって?」
「消えた現金のある場所へ案内します」
言い終わると同時に、一同の表情が変わった。
「知っているのか?」
「知ってはいませんが、見当はついていますよ。そこで、協力を得たいのですが。お義母さん、お祖父さんが異父兄弟の売りに出した土地を買い取ったと聞きましたが、それは何処ですか?」
「確か、本家屋敷の隣の一軒家と先祖代々の墓地を含むこの山だったと言ってたかしら………」
「姉さん。私もそう記憶しているわよ」
「では、先祖の墓に行くまでの間に、現金を置く場所があると思います。何処か思い浮かびませんか?」
「あそこしかないな」
「あそこかしら?」
徹夫さんと智子さんが同時に言った。
「どこですか?」
夫が聞くと、母が答えてくれた。
「此処から、七、八メートルの場所かな。この墓を作る前の候補地になった所で、少し整地した場所があるのよ。智子は相談に乗ったんだったわよね」
「そう。それで大きな岩があってやめたのよ。でも、整地もしたし、少し穴も掘ったから………」
その言葉を口にした時、皆の一斉に足が山に向かって歩き始めた。場所に行くのに一分もかからなかった。獣道に生える植物を分けて入れば、木々が切られ、整地された空間があったのだ。
墓石こそ置かれていないが玉石などが綺麗に敷かれている。山側から地中から突き出した大きな岩が圧迫感を与えていた。
「ここよ」
智子叔母さんと徹夫伯父さんが玉石を掻き分けると、小さな石の蓋が現れた。
「開けるぞ」
徹夫伯父さんが、二十センチ四方の石蓋に手を掛けて、ゆっくりと引き開けた。