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桜条の血族  作者: 高天原 綾女
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五章



     一


 多くの人に囲まれていた。大きな会場には静かな音楽が流れている。母が横に座り、正面を見つめていた。

 母の視線の先には祖母の遺影があり、祭壇が設けられていた。祖母が柔和な表情で会場全体に微笑みかけている。

 母と私は、会場の隅でじっとしていた。

 私が、母から祖母の死を聞かされたのは、祖母が半日の帰宅をし終えてから四日後のことだった。

 家に帰り、旅立つ準備を終えると思い残す事が無くなったようだ。

 一報を受け、通夜に行き、今葬儀の席に座っている。

 祖母に会いに行ってから一週間も経っていない。最後に、もう一度会いに行こうとしていた矢先の訃報だった。故に、悲しみは深く根を張った。

 祖父の時と同じくらいの豪華な葬儀。参列者も多く、祖父亡き後も祖母を悼んでくれる人がこれ程多くいる事に心が温まった。

 喪主の芳郎おじさんは沈痛な面持ちをしているが、足取りや雰囲気は軽い。絹江おばさんは式場の片隅で呆然と座っている。あの様子から病状は良くなっていないのだろう。その代わり、長女の春実さんが前面に出て対応している。

 これが新しい桜条家の形になるのだろう。

「オイ、東紀子」

 徹夫伯父さんが、母の隣にどかっと座った。

 伯父は腕を組んで、小声で呟いた。

「見ろよ。あの嬉しそうな顔………」

 椅子に座り、気の抜けている長男を見て言っていた。

「本当に………」

 母が同意した。

「それにしても、この葬儀は豪勢だけど、それだけだな。空気が軽いのは喪主の影響だろうな」

 母はそれには反応しなかったが、私もおじさんと同じ事を感じていた。自分が考えるに、家族席が一番明るく感じるのが問題なんじゃないのかという結論に至った。本家の家族席は、娘たちが固まって座り、お互いしきりに囁き合っている。デザイン性の高い喪服をまとっている所為か、見世物じみていて悲しみの欠片も無かった。

 徹夫伯父さんが真剣な目をして、さらに小さな声で囁く。

「母さんが、最後にうちらにもいい遺言を残してくれて良かった」

 祖母からざっとしか聞いていないが、あのマンションを残してくれたようだ。

「あの一等地にあるアノ不動産を?」

 伯父さんは黙って頷いた。

 私はそのマンションを知っていた。閑静な住宅街の一画に建っていて、駅や国道に近く、付近にショッピングモールや繁華街もあって三十室ある部屋は全て埋まっており、一棟一二〇万円近くの粗利が上がると聞いている。諸経費や税金を差し引いても百万円は手元に残る。不動産価値としてはかなりのモノだ。

「母さんも長男に取られるのを覚悟してたのに、いったいどうしたの?」

「どうしたも、こうしたもないさ。長男が怒らせたからに決まっとるわ」

 半日の帰宅で何があったの?と、母は視線で問いかけると伯父さんが話し始めた。

「あの日なぁ、健が休みだったから付き添うようにお願いしたんだよ。途中から智子が合流する予定でな」

 母と私は黙って聞いている。

「母さんを本家に連れて帰ったら、母さんの部屋は綺麗に片付けられてあったらしいぞ」

「それ、本当?」

 母が目を細め、顔を歪めた。

「あぁ。嘘だと良かったんだがな」

「そうね………」

 母が苦笑いしてしまった。

「母さんは、その整理されてしまった部屋を見て、声を荒げたそうだ」

「そりゃそうでしょ。まだ生きてるのに。一緒に整理するならともかく、勝手に整理されたら気分悪いわよ。で、長男に言ったの?」

「それが、家に居なかったらしいわ」

「母さんが家に帰って来るのに居なかったの?」

「本人が言うには、用事があったらしい。何の用事かは言わないがな」

「どうせロクな用じゃないわ」

「そうだろうと思って調べたわい。すると、本家の家族でシンガポールへ旅行に行ってたみたいだ」

「親が入院していて、一時帰宅をしたのに海外旅行………」

 もう馬鹿馬鹿しいと云わんばかりの顔を作った。

「まぁ、そう言うな。海外に行ってくれてたから、あのマンションの名義を母さんから健にして、公証も作り直して、今度は長男の思う通りに出来なくしたんだから」

「それはそうだけど………。ちょっと………」

「ともかく、自分の部屋に積み上げられた段ボールや衣装ケースを開け始めて、整理をし始めると顔が蒼白になってね。理由を聞いたら、父さんが長男への恨み辛みを書き込んだノートが無くなっていたそうだ」

「そう」

「後日、母さんが電話を掛けさせて、長男に聞いたが、知らないだの記憶違いと云うばかりだったそうだわ。絹江さんはあんなだし、娘たちは分からないの一点張り」

 祖母の心境を推し量れば、悔しさや情けなさは察するに余りある。

「おそらく、兄貴は捨ててるだろうな」

「そうねぇ。でも、本当に器が小さいわよね。母さんのことだから、帰宅した時に処分しようと思っていたんでしょう。それを先手を打つ様にして、部屋を勝手に整理して処分してしまうなんてね」

「まったくだ。それで、健が気を遣って、気分転換を兼ねて外へ食事に行ったそうだ。母さんも食欲は無かっただろうが、気分が悪かったんだろうな」

 徹夫おじさんは、正面に置かれた遺影を見て呟いた。

「それで、近所で世話になった料理屋に行った訳だが、粥だけ食べて出たそうだ。店を出て、母さんが健に銀行へ寄りたいと言ったそうだ」

「そう」

「で、お金を下ろしたらしい。それが結構な金額でな三百万だそうだ」

「確かに多いわね。病院の治療費や入院費は多いだろうけど、現状ではそこまでは高くないでしょうし………。いったい何に使ったのかしらね」

「俺は、墓地を再整備するんだとばかり思ったんだが、どこぞの会社や人に頼んだ形跡もない」

「そう」

「ま、それは母さんの金だからどう使おうと構わんが、ちょっと気になってな」

「不思議ね~。どこにも寄ってないの?」

「寄ってないんだよ。それからは、母さんは家に帰って墓に行って、帰ってきたら部屋を見て回って、近所を少しだけ歩いて、公正証書遺言を作りに役所へ行って長男を相続人から外す遺言を作成して帰ったそうだ」

「その時、役所で何か大きな支払いをしたとか?」

「それは無い。健が付き添ってて、支払いなどは無かったと聞いている。まぁ、その件はいいわい。母さんが好きなように使ったと考えれば良いだけだからな」

 母もそこには拘りを見せなかった。

「母さんは、長男に愛想を尽かして見限ったんだろう。見舞いにも来なければ、最後になるだろう帰宅も自身の家族を連れて海外旅行に行くくらいだ。その上、家探しのような事もしてな。最後のお願いの墓地整備もしない。だから、他の子供たちで父さんの財産を分けろってことだ」

「そうね。ありがたいわ」

「病院に帰ってから、母さんは急激に痴呆が進行してな。智子が言ってたがな、全てを忘れたかったのかもしれないな」

「私も電話で聞いたわ」

 母さんは残念そうに答えた。

「しかし、見ろよ。あの笑顔。自分が作った公正証書遺言を持ってるからって安心しきってるぞ」

「ほんと、財産が手に入らないと分かったら、卒倒するんじゃないかしら」

「欲深な兄貴には丁度いいだろう」

 我が世の春を迎えたような顔をしている芳郎おじさんを見て、二人は静かに笑った。

 《大僧正御入座》

 進行の役がマイクで言うと、会場のざわつきが鎮まった。

 中央通路から赤衣の僧侶が現れて、長男が頭を下げて出迎えた。

 葬儀は滞りなく終わり、祖母と顔見知りの年寄りたちも祖母との別れを終えると、次は自分の番だと認識しているみたいだった。

 こうして桜条本家、終焉の儀式が終了したように思えた。


     二


 母親が疲れた顔をして帰って来た。

 確か、今日は祖母の遺産について兄弟姉妹間で話す席を設けたと聞いていたんだけど、そんなに疲れ果てるようなことがあったのだろうか?

 私の想像力で思いつく事といえば、兄弟間で相続の取り分について罵り合いにでもなったのだろうかと思い、諭すような意見を口にした。

「お祖母さんが残してくれただけで十分だと思わないとね」

「いったい何のことを言ってるの?」

「え、相続で揉めたんじゃないの?」

「ちょっとやめてよ。長男じゃあるまいし………」

 母は笑った顔をした。

「だったら、どうしたの?」

「長男よ」

「え?今日は長男関係ないじゃない。相続から外すようにって、遺言にあるんだから。予定も教えてないんでしょ」

 母は肯定して頷き、出来事について話してくれた。

「徹夫兄さんの家で、さぁ、これから話そうかという時に、けたたましい叫び声がしてね。ズカズカと足音のする方を見ると長男が立ってたのよ。顔を見たら随分怒っててね~。目が尋常じゃなかったのよ。血走ってるっていうの?それこそ犯罪行為をしかねない雰囲気があったわよ」

 母の声色から場面が思い浮かぶようだった。

「で、どうなったの?芳郎おじさんが暴れたの?」

「さすがに、そんな事にはならないわよ。次男は昔から長男より強かったし、今でも鉄材担いだりしてるから歳を取っても筋肉質な体形よ。それに三男もいるから、退職して隠居生活している人間が暴力でどうこうなんてないわよ」

「そうね。そこからどんな風になったの?」

「長男が部屋に勝手に上がり込んでね。『預金を盗っただろう!』って喚くのよ」

「預金?」

「そうよ。資産とか不動産とかって言われれば分かるんだけど、預金でしょ。預金は知らないし、入院中に現金を貰った事は無いしねぇ。他の兄弟たちも知らないって言う訳よ」

 それはそうだと思う。祖父母は良くも悪くも公明正大で兄弟間で言えば、長男が優遇されるだけで、それ以外は、推して知るべしというのは孫の私でも知っていることだ。

「長男が言うにはね。預金が三千万円以上あったらしいのよ。それが、入院中に引き出されていて、消えているんだと。『そう言われてもね~。知らないものは知らないわよ』って、智子がいうと長男が声を荒げて『しらばっくれるな。入院中に三千万円が消えたんだぞ!お前ら以外に誰が盗るんだ!』って言ってね。近所にも筒抜けよ」

 母は首を回して、肩の凝りを和らげて続ける。

「あまりに訳の分からない事を言うから、智子が怒って『知らないわよ!』って答えて喧嘩になりそうな雰囲気を、徹夫兄さんが割って入ってくれたのよ。」

「それで?」

「それでね。長男と向かい合って、『皆、知らないって言ってるぞ。無論、儂も知らん。母さんの性格からして、誰か一人に金を渡すなんて考えられんだろう』って言ってくれたのよ」

 私は頷き、徹夫伯父さんの言うことに同意した。

「すると、長男が『お前ら兄弟が盗っとることは判ってんだぞ』って叫んでね~。徹夫兄さんが、いくら言っても『早く金出せ』の一点張りでね~」

「結局、どうなったの?」

「どうもこうもないわよ。あまりに訳のわからないこと言うから、次男が怒ってね~。『仮に、母さんがお金を我が子に渡して何か問題があるのか?そもそも、母さんの金をどう使おうと構わないだろう』って言ったら、『俺の金だろ!』って。すると、次男が手加減するのをやめてね『兄貴がそんなんだから、母さんも金を渡してくれなかったんだろう。農業は手伝わず、具合が悪くなっても世話どころか、食事も作らないで、一体どういう了見なんだ』って、長男が、ああだ、こうだ、とどうしようもないことを言ってたけどね。最後に次男が、『あんたの言う事が正しいか、儂の言う事が正しいか、近所の人に聞いてみればいい。親の家で暮らしたが、面倒も見ない。入院しても見舞いにすら行かず、母親の帰宅に海外へ遊びに行って、それでも財産を残さなかった親が悪いんか。分別のある者なら簡単に答えられる問題じゃて』って。あの体格で、腹から声を出した言い方されると迫力が違ったわよ」

「長男の反応は?」

「なんて事無かったわよ。顔を真っ赤にして、捨て台詞を吐いて帰って行ったくらいよ」

「何事も無くて良かったね」

 私は心底そう思った。世の中には僅かな金銭で殺人までする人間が存在する。長男がそうとは思わないが、人間的には狭量で偏狭だからこそ物の弾みで思わぬ事態になりかねない。

 母は、一息吐いてからその後の流れを教えてくれた。

「邪魔者が消えて、やっと本題に入れそうだったんだけどね。智子が長男の異様さが気になって、怖がり始めてね~。『あんな顔をしてたら、とんでもない事をしでかし兼ねないわよ』って言ってね~。私にも『姉さん。気を付けてよ。あの長男のことだから、どんな嫌がらせをしてくるかわからないわよ。犯罪だってしてくるかも………』って。流石にそこまでしてくるとは思わないけど、なにぶん変わった性格をしてるから、みんな不安になってねぇ」

「そう。何をしてくるのかしら?母さんは想像つくの?」

「さっぱり、見当すらつかないわよ。まかりなりにも兄弟だから、それほど酷い事はしないだろうと思うけどね。それで一段落して、今後の話になったのよ」

「どうするの?」

「そうね。母さんが、御墓の事をずっと気にしていたから、兄弟でお金を出し合って改修することになったわ」

 笑顔で言った母に、気になる問題点を聞いてみた。

「でも、母さん。あのお墓は本家の名義でしょ?兄弟がお金払うからって、許可とかしてくれるかしら?もしかすると、嫌がらせの為だけに断るかも知れないわよ」

「そうね。でも、お金を使わせた方が長男からすると嬉しいんじゃないかしら。しかも、自分の敷地の整備にお金をかけてくれるんだから………。ま、セコイから大丈夫よ」

 そう云うものかもしれないと、なんとなく納得してしまった。

「そう言えば、遺言のことはバレたの?あのマンションまで手に入らないってなったら、大変なことになりそうじゃないかしら?」

「そう言われればそうね。金に意地汚い長男のことだから、とっくに知っていると思ってて伝えなかったけど。あの様子だと、まだバレてなかったみたいね」

「バレたら、また一悶着じゃない」

 先が思いやられ、顔をしかめた。

 出来事を話し終えた母は、疲労感を口にして寝室へ入って行った。

 祖母の見舞いに葬儀とゴタゴタが続き、緊張の糸が切れ、心労が一気に身体に出て来たのかもしれない。

 もう今日は、ゆっくりと休んで貰おうと思って父親に事情説明の電話を掛けて、食事の準備に取りかかった。

 

 いよいよ明日、桜条本家へ向かうこととなり、ささやかな事件が起きた。事件と言うには語弊があるが、警察から電話が掛って来た。近所の警察署からということもあり、知り合いの警官たちが教えてくれたらしい。

 内容はというと、桜条さんという方が霜月さんを詐欺、強迫、窃盗で捜査して欲しいって言っている。長男の言い分によれば、分家筋の人間が結託して母親から金を騙し取った、という事らしい。警察としても、地域の勢力家の言う事は形だけでも聞く姿勢は見せておこうと判断したのか、あからさまに困惑の声で『どうしたものですかな~』と言われたそうだ。

 警察も金の出し入れをしたのが祖母本人で、本人からの訴えならともかく、相続者が預金額が少ないから、疑わしい兄弟を調べてくれって言われても困るだけだろう。

 そこまで考えると、ひょっとすると遺言の件がとうとうばれたんじゃないかと思考が行き着く。もっとも確証がある訳ではなく、勝手な推察に過ぎないが、すぐに当たっていた事を二時間後、智子叔母さんからの電話で判明する。

 叔母さんも知人の警察関係者から長男の愚行を知らされていたらしく、急いで徹夫伯父さんと話をしていたらしい。すると、徹夫伯父さんの所には長男からの電話があったらしい。電話口から聞こえる長男の声が、怒りを堪えた声で、感情を抑えるあまり、僅かに声が震えていたそうだ。

 不快さで震える声で、「ようもやってくれたなぁ。誰が母親をそそのかしたのかは知らんが、あんたらの思うようにはいかんからな」と言って電話を切ったそうだ。

 私は明日の本家での墓地の視察を兼ねた墓参りが波瀾になると覚悟した。


     三


 桜条本家横にある空き地に到着すると、徹夫伯父さんと智子叔母さんが立ち話をしていた。

 車を脇に止めて合流すると、智子叔母さんが駆け寄って来た。

「姉さん、遅いじゃない」

 私は時計を見たが、二時二分だった。待ち合わせ時間は、二時ごろという曖昧なモノだったから、遅れたような言われ方は心外だ。

「悪かったわね。道が混んでたのよ」

 母は気にする事なくさらっと話を流した。こういうところは、我が親といえども羨ましいところだ。

 智子叔母さんは母と話を始めた。徹夫伯父さんを見ると、やっと来たかという顔をしている。伯父さんも苦手な智子叔母さんと二人では、とても間が持たなかったみたいで、ホッとした表情をしている。

「あと、健叔父さんだけね」

 私が言うと、伯父さんが口を開いた。

「健は、仕事で遅れるとさ。遅れても必ず来ると言ってるから、一時間も遅れる事は無いってことだろう」

「そう。健は勤め人だから、時間はそうそう自由にならないから仕方ないわよ」

「それでも、親族が揉めてるんだから、少しはなんとか出来たでしょうよ。会社から軽んじられてる証拠よ」

 母が言うと、叔母が感じ悪く言った。

「何事も、思うようにはいかないさ。責任ある立場にあれば尚のことだ」

 伯父が重苦しく言うと、母が話を無理やり変えた。

「兄さん。警察とはどうなったの?」

「おうおう、その事なんだがな。警察からは内輪のことで、事件性も無いから被害届や訴えを受け付けないことにしたそうだ」

 当然の帰結だと思った。全ては長男の自業自得なのだから、逆恨みも甚だしい。

「しかし、あの長男だけは、いつも馬鹿げた事しかしないのよね。粘質的な性格してるから、もうダメなのよ」

 智子叔母さんが切り捨てた。

「声が大きい。本家の庭先だぞ、長男に聞こえたらまた余計な問題を抱えるぞ」

「構わないよ。グチグチ言うしか出来ないんだから」

 伯父と叔母のそんな様子を見て、母が叔母を止めた。

 三人は本家の玄関へ向かい、ドアを開けて入っていった。

 私は玄関先で待つ事にした。

 屋敷内に響き渡る叔母の声、背後に居る私のところまで漏れ聞こえる。

 誰か出て来たようで、会話をしているようだ。その内容までは聞き取れないが、何か言い合いをしているようだ。状況が状況だけに喧嘩になるのは仕方ない。門に凭れかった私は、長期戦の構えを取ったが、その予想は裏切られた。

 門に凭れかかって一分足らずで、三人が出て来たのだ。

「望。お墓に行くわよ」

 母親が言った。

「どうしたの?」

 私が聞くと、智子叔母さんが答えた。

「金輪際、家の敷地を跨いでくれるな!って、言われたのよ」

 それだけ言われても、と母親の顔を見て訴えた。

「玄関で、墓に入る意図を説明しようとしたら、長男が出て来たのよ。顔を見て驚いたわよ」

 一呼吸置いて続けた。

「顔が変形していたのよ」

 耳元で囁くように言った。

「どうして?」

 最初の疑問は解決されたが、新たな疑問が湧き出して、さらに説明を求める。

 今度は、徹夫伯父さんが答えた。

「おそらくあれだな。余程、財産を取られたのが悔しかったんだろうな。悔しさを堪えるのに歯を食い縛っていると、あんな風に歯がボロボロになって、顔が歪むんだろう」

 その説明で、大方のことを把握できた。

 三人の足は墓へと向かい、後を付いて行こうとした時、本家の玄関が開く音がして振り向くと、芳郎おじさんが出て来て、その顔を見て驚いた。想像していたよりも顔の歪みが凄く、左顎の辺りから大きく歪んでいるように思えた。その容姿の異様さは、これまでに出会った人の誰よりも突出していた。

 あまりの変容に、私は声を掛けられず三人の近くに走って行った。

「伯父さんが、付いて来てるよ」

 三人が振り返り、徹夫伯父さんが目を細めて言った。

「兄貴、どうした?墓への道なら判るぞ」

「あんたら、何するか分からんからな。見張っておかないと心配でいかんわ」

 長男が吐き捨てるように言うと、智子叔母さんが黙って無かった。

「親の墓に参って何するって言うのよ。親に対して非常識なことしかしなかった人と一緒にして欲しくないわ」

「盗人がよう言うな。うちのカネを一番喰ったのに、一番モノにならんかったのがよう言う。親も最後のを産まなんだら、もっと家が栄えて財産が倍は残っとったわ」

「智子、もう口利かないでいいから、今日は墓地の状態を見に来たんだから」

 母が言うと、それ以上の会話は無くなり、山道を上がる息遣いだけが聞こえるようになった。

 十分程山道を歩くと、祖父母の墓が見えて来た。親たちは、年齢からか激しい呼吸音が四方から聞こえる。

 敷地に入り、私が意地の悪い台詞が思い浮かんで口にした。

「みんな運動不足ね」

 私が言うと、徹夫伯父さんが「歳も歳だし仕方ないだろ。でもな、仕事ならまだまだバリバリ働けるぞ」と悪びれずに言った。

 皆、墓石を見てから、ウッドデッキに視線を向ける。デッキの上に、野良犬が寝そべっていて、こちらをチラッと見た。

 智子叔母さんが、優しく犬を追い払う。犬が去ったデッキには、犬や猫の足跡が付いていて、他の動物の足跡も見れた。

 山の中は、予想外に動物が多いのかも知れない。

「こりゃ、酷く傷んでるな」

 デッキを見た徹夫おじさんが感想を口にした。

「そうよ。一年くらい前から、お父さんもお母さんも気に掛けてたのよ。父さんが作り直そうとした矢先に体調が悪くなったから………」

「それから、今まで放っとかなきゃいかなかったから、母さんも気にしてたのね。私たちで、早く対処してあげれば良かったわね」

 智子叔母さんに母が同意した。

「仕方ないわよ。金は欲しい。でも、自分の思い通りに使いたい。それでもすったもんだで、思惑通りに親の財産が懐に入ったけど、常識的な使い方はわからないんだからねぇ~」

 叔母は、後ろに立って睨んでいる長男へ聞こえるように言った。

「それにしても綺麗にしてるわね………」

 母が敷地を見回して言った。

 時期が冬というのもあり、枯葉や落ち葉などの散らかるモノが無く、祖母が亡くなって半月も経ってない。体調がどんなに悪くても、祖父の眠る墓は綺麗にしていたのだから、祖母の想いを亡くなって尚、強く認識させられた。

「これは、全てやりかえよう。それくらいの金額は貰っているからな。ここは、損得感情無しでいこうや。頭四つで割るがいいよな」

 徹夫伯父さんが言うと、母も叔母も同意した。

 芳郎おじさんが、痛いほどに睨みつけているが、ここまでくれば三人共どうでもいいようだ。

 徹夫伯父さんが腕時計を見た。

「二人ともすまんが、これから客が来るんだ。もう少しだけ時間があるが、早めに向かいたいがいいか?」

「兄さん、今日は………」

「智子、よしたら?都合は色々とあるから」

 母が言うと智子叔母さんは黙った。

「悪いな。でも、用件は終わったからな」

 そう言って肩をすくめた。伯父さんは墓に正対するように腰を屈めてしゃがむと手を合わせた。数秒の沈黙が流れ、風の音が耳に触れた。

「それじゃ、悪いが先に帰らせて貰うな。また連絡するから」

 そう言うと、伯父さんは長男の前をすり抜けて、足早に山を下りて行った。

 私は、伯父さんを見送る時に、長男の顔を見ると、笑っている様に見えた。気の所為かと思い、じっくり観察しようとしたが、こちらの視線に気づいたのか無表情の顔に戻っていた。

 大きな変化ではなかったけど、確かに含み笑いの様な顔をしていた。

 多少の不気味さを覚えつつ、母と叔母を見るが二人ともそのことには気付いていないようだ。

 二人は線香を供えて手を合わせる。私も続いて、祖父と祖母の記憶を思い出しながら、お礼と冥福を祈った。

 長い静寂に包まれ、叔母さんが口を開いた。

「お参りも済んだし、もう帰ろうか。先祖のお墓はまた来ればいいわ」

「そうね。これから、さらに上に登るのは疲れるから、またにしましょう」

 母が同意すると、私に目配せをした。私も異存は無く、付き添いに徹するまでである。

 私たちは、祖父母の墓を後にする。すると、奇妙な事が起こった。監視するように後ろに付いて来た長男が、墓地の敷地内から動かないのだ。

 このことは、私だけでなく母や叔母も疑問に感じたらしい。

「長男、どうしたのかしら?」

「本当に。帰るまで付け回すだろうと思ってたのにね」

「まぁ、鬱陶しいのが居なくなってくれて良かったわよ」

「そうよね。ゆっくりと帰ればいいだけだから」

「姉さん。帰りに食事していきましょうよ。望ちゃんは何食べたい?」

 私は、叔母の問い掛けよりも、芳郎伯父さんの事が気になって仕方なかった。食べたいものは色々と浮かんだが、結局、後ろを振り返りながら「何でも」と答えてしまっていた。

「結局、健兄さんは来なかったわね………」

 叔母が溜息を吐くようにいうと、会話は健叔父さんの話へと流れていった。


     四


 墓参りを終えた私たち三人は、桜条家の敷地内にある水道で手を洗っていた。

 屋敷に入れない為に手を洗う事も出来ないと思っていた。しかし、母と叔母が本家と貸家の中間に井戸があり、そこに併設された水道を使うことになったのだ。はじめは、本家庭の水道を使おうかと思ったが、本家の敷地内に入れば何を言われるかわかったものじゃないと思い、念には念を入れて住居外の水道を使った。ここは本家の所有地には変わりないが、さすがに他人のモノを使う訳にはいかず、妥協点としてこうなってしまった。

 私が手を洗っていると、白い乗用車が空いている場所に止まった。

「健だわ」

 母が言った。

「健兄さん。遅いじゃない」

 智子叔母さんが抗議する様に言った。

 健叔父さんは、軽く詫びる顔を作って車を降りてきた。

「わるかった。意外と時間がかかってね。で、どうなったの?」

 明るい口調で聞いてきた。

「どうもこうも無いわよ」

 智子叔母さんがこう前置きすると、あった事を声にした。叔父は、怒り、戸惑い、苦笑しながら聞いていた。顔が歪んでいた事を教えると、呆れたような声を出して感想を口にした。

「そこまで、顔が歪むって事は、相当歯を食い縛っていたんだろうな。悔しさだけはよく伝わるな」

「自業自得だわ」

 叔母さんが言った。その発言に、頷きこそしなかったが、皆同意している。

「ところで、木の足場はどうだった?すぐにでもやり換えた方が良いらしいけど」

「自分の目で見たら。ここまで来たんだから。ついでに、お墓に手を合わせたら父さんも母さんも喜ぶわよ」

 そう母が言うと、智子叔母さんは「そうよ」と付け加えた。

 健叔父さんは頭を掻きながら、「じゃ、ちょっと行って見てくるか」と言い、歩き出そうとした時、本家の玄関の開く音が聞こえた。

 この場に居る四人が一斉に音に反応して、玄関の方向を向いた。向いたからといって、誰が出て来たかと見える訳ではないのだけど、山裾の長閑な田舎だから重厚な金属音は良く響いて聞こえた。

 その姿は数秒して確認できた。

「あら。叔父さんに叔母さんたち、それに望ちゃんも。葬儀では、大変、御世話になりました」

 長男の次女、美穂さんが引っかかる物言いをした。

「父と話していた様ですが、父が帰って来ないんですが、御存じですか?」

 母は顔色を変えること無く、聞かれたことに答えた。

「お墓に居ると思うわよ。私たちが帰っても、残ってたから………」

「まだいると思うから行ってみたらどう?」

 叔母さんがきつい口調で言った。

「いいよ、いいよ。俺が墓を見に行くところだから、会ったら伝えておくよ」

 叔父さんが柔和な笑顔で言うと、美穂さんは当然のように頷いて、礼すら言うことなく、この厚意に乗っかった。そして、屋敷に戻って行った。

 健叔父さんは、そのことを気にするでもなく、墓地へ向かって歩き出した。

 玄関扉が完全に閉まるのを確認して、叔母が低い声で呟いた。

「親が親なら、子も子だね~。三十代半ばであの態度が失礼だって分からないのかしらね」

「親は関係ないわね。親が死んでも立派に財を蓄える人もいれば、その父親に育てられても狭量で金にセコイ人もいるからね~」

 母が言うと、叔母はクスッと笑って「その通りね」と同意した。

 健叔父さんが山道へと向かい、背が小指ほど小さくなった時、私も歩き出していた。

「望ちゃん。どうしたの?」

「叔母さん。私、叔父さんと一緒に行ってみるから」

 そう言って、母の顔も見て視線で気になる事があると伝えた。母は、特に何も言わなかった。

 少しだけ速足で歩き始める。

 今、墓へ行ってみれば、芳郎伯父さんの笑みの理由がわかるような気がした。長男は何か思い付いたのか、はたまた何かに気付いたかの様な笑みだった。

 さっき歩いて来た道を再び戻って行く。走ってないから、叔父の姿はかろうじて捉えられる距離のままだ。

 山道を登りながら、叔父の登る姿を見ていた。若いだけ、母たちよりも体力があり、歩みが遅くなる事は無い。

 叔父が階段を登り切り墓場に到着した。私は山道が終わり、階段に足を掛けたところだ。

 墓に着いた伯父の行動が、私の予想と大きく外れる。いや、私たちの動きと全く違ったのだ。

 叔父は入り口付近で、墓石の方向よりもウッドデッキの方を凝視しているように見えた。健叔父さんは墓石を見る事無く、ウッドデッキの方向に行くと姿が見えなくなった。

 健叔父さんは、信心深い方では無いが、墓石に目もくれず最低限の義務だけを果たす様な人間性ではない。その時、結婚式での嫌がらせを思い出したが、親の墓石に目もくれないような人間ではないと思っている。

 そんな事を考えていると、敷地の入口に叔父が現れた。

(どうしたのだろう?)

 まだまだ距離があり、顔の表情は分からない。それでも、雰囲気が違っていて酷く慌てているように思えた。

 墓地を飛び出そうとした健叔父さんと目が合った。私を認識した叔父は、有無を言わさぬ雰囲気で叫んだ。

「望ちゃん。救急車呼んでくれ。兄さんが、崖から落ちてる。急げ!」

「はい」

 あまりの迫力に、瞬時に返事をした。

 正直、事態はまったく飲み込めていない。言葉の正確な意味を考えるよりも先に、私は走っていた。階段を駆け下り、山道を下る。長男が、墓の敷地から落ちたのだろうが、なぜそうなったのか判らなかった。

 息が切れて咽喉が痛い。この辺りまでくれば、携帯電話も使えるのだろうが、バックに入れたまま車に置いて来ていることが悔やまれる。

 母親たちの姿が見えた。車の近くに移動し、立ち話をしていた。私が、荒く息を切らし走っている姿が目に入ったらしく、叔母が笑顔で声を掛けてくれた。

「望ちゃん、元気ね。どうしたの?そんなに走って」

 私は、投げかけられた言葉には反応せず、自分の車のドアを開き、バックを取り出した。

「どうしたの?そんなに慌てて」

 母が異変に気付いたのか、説明を求めた。

 私は携帯を引っ張り出して、一一九番を押した。

「救急車を至急お願いします。え~っと、母さん。ここの住所は?」

 私の発する言葉を聞いてた二人は、真剣な顔になって住所を口にした。

 母親が言うままを繰り返した後に、「崖から落ちたらしいです。急いでください」そう言って電話を切った。

「何があったの?」

「健が崖から落ちたの?」

 叔母と母が同時に聞いてきた。

「わからないんだけど、健叔父さんがお墓に着いて、私に向かって救急車を呼べって叫ばれただけだから」

 私が言うと、母も叔母も行動が早かった。

「人手が要るかも知れないから、望と智子は健の所へすぐ行ってあげて。私は、手当に必要なモノを持って急いで行くから………」

 確かに、怪我人を動かすべきではないが、動かさなければいけない事態になっているかもしれない。そうなれば、健叔父さんだけでは手に余るのは確かだ。

 私たちは、また走って現場へと向かった。叔母は、直ぐに息が上がってしまい歩き始めた。

 手を動かし、先に行けと言っているので、とにかく先を急いだ。

 三往復目になれば、さすがに足が重く、肩を上下させて息をしている。こんなことになるなら、革靴ではなく運動靴で来るんだったと考えていた。

 階段になると脚が思うように上がらず、足を引きずる様に上がった。墓地を見ると、敷地に設置されていたウッドデッキが崩れ落ちていた。

 視線を左右に動かすも、墓地に健叔父さんの姿は無かった。

 ゆっくり崩れた縁まで近寄りって下を覗き込む。すると、芳郎伯父さんがうつ伏せに倒れていた。高低差は二十メートルまでは無いだろうが、かなりの高さから落ちていた。その芳郎伯父さんの近くに、健叔父さんが片膝を着いて様子を窺っていた。

「叔父さん。何かありますか?」

 聞こえる様に大声で言った。すると、健叔父さんは上を向いて、両腕でバツを作った。

 私は駆け足で階段を下り、迂回する様に獣道から崖下へ向かった。

 今が夏でなくて本当に良かったと思いながら、草木を掻き分けて進むと、長男が倒れている場所へ出られた。

「叔父さん」

 叔父へ呼び掛け、横たわっている芳郎伯父さんを見ると、既に亡くなっているのが判った。芳郎伯父さんの遺体を見て、私は悪寒が走った。

 死んだ原因は転落によるものだろう。だが、転落死した遺体に不自然な物が付いていたのだ。それは、鎌が伯父の首下辺りに突き刺さっていた。

「望ちゃん。走って貰って助かったが、もう亡くなってたよ。手の施しようがなかった」

 健叔父さんが努めて冷静に言ってくれたが、私はこの事態に様々な事を考えてしまった。

「望ちゃん」

 上方から叔母の声が聞こえた。

 上を見ると、叔母は四つん這いになって見下ろしていた。

「智子。警察を呼んでくれるか」

 健叔父さんが空に向かって言ったように見えた。

 強く山風が吹いた後、母の声が聞こえて来た。



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