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桜条の血族  作者: 高天原 綾女
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三章


     一


 耳障りな声が聞こえて目が覚めた。母の声色より高く、酷くザラついた感じに聞こえる。

 私はぼさぼさの髪を手櫛で整え、洗面台に向かった。

 一通り身嗜みを整えている間も、甲高い声だけがここまで響いてくる。

 話し声のする座敷には行かず、喉を潤す為に台所に向かい冷蔵庫からお茶を取りだした。

 グラスに注いでいると、会話が聞こえてきた。

「でね、お姉ちゃん。それにしても芳郎兄さん酷過ぎない。私たちのこと、何だと思ってるのよ」

「あの長男に言っても仕方ないでしょ。昔からそうだったじゃない」

「そうだけど。あんな失礼極まりない事をしてくるとは思わないじゃない。お姉ちゃんは、そう思わないの?」

「思うけど、あの長男よ。昔っから、長男らしいことなんて一度もしたことないでしょ」

「そうだけど………。でもね、赤の他人じゃあるましい兄弟じゃない。お父さんの死を知らされて、急いで旅行を切り上げて向かったら、仏壇にお線香を上げるよりも相続放棄の紙を突き出すっておかしいじゃない」

「そうされたのは、あんただけじゃないのよ。みんなそうよ。通夜に紙切れ渡されて『これ書け』の一言だっただから」

「そうなの!通夜でしょ?お母さんも居るんでしょ?」

「居るわよ。私が席を立ったら、すぐに持って来たわよ」

「そう」

 驚きと呆れを過分に含んだ声だった。それから、小声で話しているのか、会話は聞こえない。

 この会話から察するに、智子叔母さんも芳郎伯父さんのことは嫌いだというのは判った。

 私はまた冷蔵庫を開き、プリンを手に取ると冷蔵庫に凭れたままで食べることにした。

 理由は簡単だ。智子叔母さんと顔を会わせたくないからだ。

 この叔母は、ひどく癖のある人物というか、灰汁の強い方で私の記憶では、この叔母に好感をもっている親族はいない。少なくともいとこの間では敬遠されている。

 叔母の人格はあまりに歪で、他人との接触が無難にできない。先入観が強く、自己主張も強く、言い方もキツい。人生経験が未熟な若者にありがちだが、五十代半ばでこれ程に協調性が無い人は珍しい。祖母からは好き勝手に生きてきたからだとだけ聞いた。詳しくは知らないが、人格を見ればそんな事は容易に判断できる。

 去年、実家に帰った時も話をしたくもないのに近寄って来て、したり顔で適当な事を言う。この辺りでは桜条家のお嬢さんで通っていて、末っ子の所為もあって厳しい親からも甘やかされ、結婚したのも四十を過ぎてからだ。現在も子供は無く、唯一の家族の旦那は主張も何もない柔らか過ぎる男性で、結婚後も自分の思い通りに暮らしているようだ。子供がいれば、現在より遙に忍耐力も付いただろうが、 耐える必要のない環境下では、このような人格が形成されたのだろう。

 ドアが開く音。足音がこちらへ向かってくる。

 マズイとばかりに、部屋に戻ろうと小走りに裏廊下から抜けようとした。

「あら、望ちゃん」

 横から声を掛けられ、笑顔を作って振り向いた。

「あら、智子叔母さん。いらっしゃい」

 最大限の作り笑顔による歓迎をしたが、叔母さんは眉間に皺を寄せた。

「望ちゃん。えらく遅いお目覚めじゃないの。お母さんが家の事やってるんだから、早く起きて代わりに家事をやってあげたらどうなの?」

 顔を合わせた早々、難癖に近い文句を言われ頬が引き攣る。無視に近い対応で、黙って聞いていればさらに図に乗って舌がよく回り始める。

「お母さんは良く働くのに、その子供はぐうたらだね~。実家に帰ったんなら掃除くらいやったらいいのに。最近の子は、こんな感じなのかねぇ~」

 溜め息を吐きながら、ネチネチと言うのはいつもの事だ。たとえ何度も経験していていても、この不快さに慣れることは無い。腹の底から静かな怒りが込み上げ、胸にまで達する。

「叔母さん。お祖父さんが無くなって、通夜にも葬式にも来ないで、お祖母さんを支えるよりも、うちの母さんに愚痴を言ってるんですか?」

 こんな具合に強い口調で言えれば、どんなに気持ち良いかと思う。

 叔母の後ろに立つ母の表情を見れば、とてもじゃないけども言えない。

「それを知りたいなら、子供を持ってみることですよ」

 こう、さらっと、毒吐いて立ち去った。

 職場から忌引き休暇を貰って実家へ帰ったのに、起きて早々に嫌な気持ちになり、清々しさはまったく無くなってしまった。

 室内に帰り、強く溜息を吐くと布団に倒れ込んだ。

 当分、部屋から出れないなと呆けることにした。

 叔母のけたたましい声が家中に響いて、ここまで聞こえてくる。

 どれくらい時間が経ったか判らないが、叔母さんの声がしなくなって部屋を出ると母親と会った。

「叔母さん、帰ったの?」

「帰ったわよ」

 母は沈んだ口調で言った。

「叔母さんのアノ性格、何とかならないの?」

 母に言っても仕方ない事だが、言わずにはいられなかった。

「もうね。仕方ないのよ。あの子も色々あったから」

「色々って?あんなに人の気持ちを忖度できない人間なんて、今時、そうそういないわよ。こう思っているのに、それ以上に仕方ないって思える理由があるの?」

「そうね。だったら、少し話してあげるわ」

 母はそう言うと、リビングへと向かった。

 お茶とお菓子を机の上に置いて、母と向かい合って座った。

 私は、近所のケーキ屋のシフォンケーキをフォークで切って口に入れる。しっとり感は幾分失われているが、つまらない話を聞くには事足りそうだ。母も芋金鍔を楊枝で切り、口に入れた。

 しばしの沈黙の後に、私が口を開いた。

「で、智子叔母さんって、何であんななの?お祖父さんの娘にしては、教育が行き届いてないというか、躾が不十分というか………。桜条家で、よくあのままで生きてこれたわね」

「そう思うかも知れないわね」

 お茶を啜り、一呼吸置いて昔の事を喋り始めた。

「そうねぇ。智子は末っ子ってこともあって、比較的甘やかされて育ったわねぇ。親もいくらか余裕が出てきた時だから、まだ子供だった智子は可愛がられる対象ではあったわね」

「母さんは、家のことをやってたんでしょ?叔母さんは何やってたの?」

「智子も野良仕事の手伝いはしたけど、私たち上の兄弟がやってるように、仕事の一環のようにはやって無いわね」

 母の発言は、鮮明な光景を浮かばせる。片手間に手伝う智子おばさんに、長男のぶすっとした顔も浮かんだ。

「そんな感じだと、親はともかく、男兄弟たちから何か言われなかったの?」

「そりゃ、長男なんかは言うわよ。徹夫兄さんは関わらない様にしてたけどね。それでも、上の二人とは反りが合わなかったのよ。智子も細かな事を突っかかる様に言うから良くは無いんだけどね」

「徹夫おじさん、叔母さんの事嫌いだったのね。そんな素振り見た事無いから判らなかったわ」

「徹夫兄さんは、智子の事は嫌ってるわよ。智子が色々言うから嫌うのよ。それも、あれはダメだの、良くないだのって否定的な口調ばかりを使うから。それでも徹夫兄さんが避けるだけで喧嘩にはならないわね」

「その言い方だと、長男とは何かあったってこと?」

 母が、「あったわよ」と言わんばかりの顔をした。

「智子が高校を卒業する時、大学に進学するって言い出したのよ。それで、長男が怒ってね~」

 それはそうだと思う。長男自身は大学を諦めさせられた上に、高校すら妥協させられたのだ。自身の身と鑑みれば、喜べるわけもないだろう。

「それで、智子が近くの大学に合格してから、長男のいじめがすごくてね~」

 強く言う母の意味が判らず話を止めた。

「ちょっと待って。芳郎伯父さんは、不満か怒りか知らないけど、それを智子叔母さんにぶつけたの?」

「そうよ。智子が家に居る時、特に食事中とか酷いものだったわよ。グチグチ言う訳よ。女に学問なんか必要無いだとか、財産の浪費だとか言うのよ。次男が居れば良かったんだけど、もう次男は自立してたしねぇ。智子が大学に通い始めたら『儂は、お前の道楽の為に金を家に入れてるんじゃないんだぞ』って顔を合わすたびに言うもんだから、智子は鬱病のようになってね~」

「あの叔母さんが鬱ね~。他人には、あんな無神経なこと言うのに、ちょっと信じられないかな」

「それが、本当に鬱になってね~。学校にも行けなくなって………」

「部屋にでも引き籠もったの?」

「家には居れないわよ。だって、長男が居るんだもの」

「そうよね。じゃぁ、どうしたの?」

「お祖父さんとお祖母さんが、家を建ててあげて一人暮らしをさせることになったのよ」

 母の口からあまりに現実離れしたことを聞かされ、一瞬、理解が追い付かなかった。

「え!?お祖父さんは、叔母さんの引き籠もり用に一軒家建ててあげたの?」

 私の驚きの口調に、母は落ち着いて訂正した。

「引き籠もり用の家じゃなくて、治療には長男と離れて暮らさないといけないし、大学生なら一人暮らししてもいい歳じゃないかってことだと思うのよ」

 母は、かなり身贔屓した解釈をしているが、当時を知らない人間が客観的に判断すれば、常識をかなり逸脱していて、甘やかされていると断じざるを得ない。無論、長男の器の小ささにも驚かされたが、男気ある次男と比べられてくれば、心の闇も際限なく肥大するのかもしれない。

 私は記憶の引き出しを漁っていると、突然、幼少期に母に連れて行かれた叔母の家が浮かんだ。

 平屋の一軒家で、四部屋ほどあったと思う。裏には庭があり、なんてオシャレな家に住んでるんだろうと子供心に感じた家だった。あれが、親から建てて貰ったものだったら兄弟全員怒りそうなものだ。

 正直、自分だって土地付き一戸建てを建てて欲しい。

「長男の反応は推して知るべしだけど、他の兄弟から文句はなかったの?」

「そこは、みんな思ってたかもしれないけど、言えないじゃない」

 そう言ってから、当時の状況を詳しく話してくれたが、どう解釈しても寄生としか思えなかった。

 自分の感想を言えば、長男の件を差し引いても親の財産を食い潰すダメ娘だ。住宅地に土地があったからって、使った金額をざっと計算するだけでも二千万円は超えている。

 その後、治療の甲斐もあって、社会に出れたが、親から援助を受けて、桜条家の令嬢として気ままに生きてきた。

 お金の力は偉大だと思う。かなり人格が破綻しているが、お金があればわがままを通して生きていけるのだから。頻繁に我が家へ来ることから、友達は絶望的にいないのだろうが、それでも資産は一般人よりも遙に有していて、老後も安泰に暮らしていけるようだ。

 母は、お茶とお菓子を食べ終えて食器を台所へ持って言った。

 一通り聞けて、話題を過去から現在へと変えた。

「どうせ叔母さんは、相続のことで来たんでしょ?どうするの?」

「兄弟で集まって話し合うから、待ちなさいって言っておいたわ。それで帰らせたわよ」

「集まる日は決まってるの?」

「総てはこれからよ」

 そう答えた母は、通夜や葬儀で溜め込んだ仕事を片づけ始めた。私も残りのケーキを口に入れて、食器を流しへ持って行った。

 そろそろ私も、一度家に戻り、旦那の世話をしないといけない。母に帰る事を伝えて、お土産を両手に抱えて帰路についた。


     二


 葬儀から二週間が経過した。日常に戻ると、日々の暮らしに追われ、祖父の死が薄れていく。また私の家に、大量の野菜をバイクに積んで持って来るのではないかと思うくらい。

「洗い物でもしようか?」

 優しい夫は仕事で遅く帰宅して疲れているのに、私を気遣ってくれた。家事の下手な人だから、分担までいかないが、頻繁に手伝ってくれる。そして、話をいつも以上によく聞いてくれた。だからこそ、葬儀であった嫌な事や親戚関係の揉め事など聞いて貰った。

 感想や意見などは言わず、頷くだけだけど、それで十分に心を軽くしてくれた。他人に話せない分、聞き上手の夫のありがたさを実感する瞬間でもあった。

 桜条家のことを夫に喋りはしたが、然して興味を惹かなかったらしい。桜条家の人間は、祖父母くらいしか知らないから、母の兄弟の話をしても顔すら思い浮かばないだろう。

 それでも、詳しく話し、三男の健叔父さんの話も付け加えて説明した。

 健叔父さんは、桜条家で最も温厚な人物だと言うと、夫は目を細めて口を開いた。

「三男の健叔父さんって、披露宴で騒いだ人だよね?」

 言われて気が付いたが、結婚披露宴で三男健叔父さんは、マイクを奪うと頼まれてもいないスピーチをやり始めた。喋った内容は、嫌味をタラタラと垂れ流し、披露宴会場の空気を凍らせた。

 『望ちゃんに似合わない良い旦那さんに恵まれ』だの、『余程、必死に結婚まで持って行ったんでしょう』とか、『強運をよい所で使われて良かったですね』と喧嘩を売っているとしか思えない文章と口調だったのだ。

 親族、縁者が顔を歪め、披露宴会場の従業員ですら嫌悪の視線を向けたが、健叔父さん本人からすれば気にする程のことではなかったようだ。隣に座っている奥さんはというと、口に手を当てて笑っているくらいだから、夫と同じ心境だったのだろう。最後に父親が、馬鹿にした口調で礼を口にしたことで不快感を表していた。

 後日、その件について母から聞いたことだが、健叔父さんの娘の結婚が決まらず、悩んでいて、その矢先にあった私の結婚が妬ましかったらしい。

 その娘は容姿も個性的なら、性格も常軌を逸していた。

 ある日。娘が付き合っている彼を、突然、家に招き入れ自室に住まわせた。彼氏が無職で住む場所がないから、住まわせてあげて欲しいとのことだった。両親は当然反対した。しかし、頑固で強情な娘は強引に意思を押し通した。本来であれば、親が男に出ていけと言うのが筋だろう。それでも、娘が四の五の言うならば、娘共々追い出すはずだ。少なくとも、うちの両親ならそうすると思う。だけど三男夫妻は強く出るよりも物分かりの良い親を演じてしまったらしい。

 彼氏を娘の部屋に住まわせ、婚約も済ませていない無職の男を養うという、常識では考えられない状況を受け入れたそうだ。

 その彼氏は、日がな一日仕事を探す訳でもなく、娘の部屋で寛いでいたらしい。男の強靭ならざる精神に感心はするものの、我が身に無関係だからこその感じ方ではある。

 半年を過ぎたあたりから、健叔父さんも彼氏に苦言を呈したようだ。「職は探しているのか?」、「勤め先を紹介しようか」など、「娘と一緒になりたいなら、君の家族にも会わなきゃいけないだろう」とか、幾度となく言ったらしい。それでも、男はのらりくらりと夢などを語り、煙に巻いてきたそうだ。

 結局、一年を過ぎたあたりで、男は「職が決まった」と言うと、出て行ってしまい娘とは別れた形になった。赤の他人を一年間食わせただけという現実だけが残った。

 その話を聞いた時、私は目眩がしたことを覚えている。

 その出来事のひと月後にあった為、私の結婚式で色々と八つ当たりに近い事をされたのだろうが祝いの席でする事ではない。まして、あんな娘と一緒にされるのも、比較されること自体が不愉快だ。

 夫は式場の健叔父さんしか知らないから、とても温厚で穏やかな人間には思えないのだろう。あの時の悪態行為には驚いたが、親戚の子が自分の子よりも良い人生を歩んでいれば面白くないと思うのは仕方ないのだろうと思う。私の立場からすれば、言いたい事がたくさんあるけれども、人間性の違いは如何ともし難いのだ。とにもかくにも、嫉みによる逆恨みなどやめて、娘の教育こそに力を注ぐべきだと思うが、完全に機は逸している上に、既に手遅れだろう。

 この話を夫にして感想を求めたところ、夫は苦笑いをしただけで一言も発する事は無かった。

 夫へ、三男の健叔父さんに対して、温厚さと言った意味を説明するも、あの強烈な言動を目の当たりにすると、どんな言葉も色褪せてしまい効果は無い。

 そんな夫婦の会話をした夜、母から電話があった。祖母の体調が芳しくないから、行ってみてほしいとの連絡だった。

 翌日。午前中に家事を終わらせ、その他の雑用を終わらせた時には午後の三時前になっていた。それから、財布だけ手に取り、車に乗り込んだ。

 何か持って行こうとも考えたが、気の利いた物が全く浮かばないので、手ぶらで行くことにした。

 空いている国道を最大限に飛ばしながら、祖母の家へ向かった。

 桜条家の邸宅は、静けさの中に何も変わることなく建っている。

 扉を開け、玄関口に立つと強烈な違和感を覚えた。

 玄関を見回したが、物の配置が変わった訳ではないらしい。そして、通夜当日の感覚を思い出した。

 この感覚だ。照明が煌々と点いているのに妙に暗く感じる。まるで日が沈んだみたいだ。さらに付け加えるなら、通夜の日とは違い、言葉に出来ないスカスカ感と空気の澱みを肌で感じた。

 これらの感覚から思い浮かんだのは沈没船だ。『沈む船から逃げること鼠の如し』ということわざがあるが、その鼠はこんな感覚を察知するのだろう。

 屋敷の奥を覗き込むと屋敷内は整頓され綺麗なのだが、生命力がまったく無くなっていて、空家のような雰囲気が漂っている。

 私は、祖父の凄さを改めて感じた。祖父が無くなり、長男が当主になった瞬間から理屈ではない輝きや強さなどの熱量が、この屋敷から消え失せている。

 しかも、たった二週間である。この邸宅は、今では没落貴族の赴きを漂わせている。

 私は沈鬱になったが、祖母には元気な笑顔を見せたく気を張り声を出した。

「ごめんください。霜月です」

 大きく声を発したが、声は響くも建物へ吸収されていった。もう一度、声を発した。

「すみません。望ですけど、誰か御在宅でしょうか?」

 注意深く反応を待つが、なんの声も足音も聞こえてこない。

 また声を出し、注意力を研ぎ澄ますと微かだが反応があった。話し声が応接室からする。微かに漏れる声の種類から、伯母さんと孫娘だろうか。もしかしたら、その娘も居るのかもしれない。

 人が居るのが分かり、四度目、声を張り上げた。

 応接室は玄関から近く、これだけの声量を出せば二階奥は聞こえなくとも、確実に聞こえている筈なのに、反応は無い。

 応接室の扉から笑い声が漏れた。無視を決め込む気なのだろう。

 出ない理由は容易に推察できるが、対応すらしないのは邪推も過ぎるというものだ。

 勝手に家に上がる訳にはいかないので、玄関を出て一階奥の祖母の部屋へ庭から回ってみることにした。

 裏に回り庭に入った時、倉庫の前で祖母がポリタンクを重そうに手に下げている姿が飛び込んできた。

「お祖母さん。何やってるの?」

 言うと共に、駆け出していた。

「望ちゃん。よう来てくれたね」

 祖母は笑顔で出迎えてくれが、その肌の色は血色が悪く、体調の悪さを窺わせた。

「それで、何してるの?」

「石油ストーブの灯油切れてね。入れるところだよ」

 祖母はそう言って、給油缶を逆向きに置いた。

「お祖母さん。私がするから、部屋に入っていて。外は寒いから」

 私が言うと、祖母は『いいよ、いいよ』をやんわりと断った。それでも、気温は一℃で山風が強く吹いている。手つきも危なっかしいので、優しく灯油の入ったポリタンクを取り、こちらに向けて、作業をすることにした。

 祖母は「悪いねぇ~」と言うと、私の作業を見守っている。

 私は、灯油の給油をしながら、心の中でどうしようもなく苛立ちが込み上がってくる。

 祖母の室内のストーブの給油ぐらい、家族の誰かがやってあげてもいいだろうにと思う。一日に何度もする訳でもない。娘が孫を連れて来ているからって、客人の対応もしなければ、祖母を放って置く事も無い。孫娘がやってあげてもいいくらいだ。

 嫁姑の仲というよりも、世代的家族間の仲が上手くいっていない。それは、母からも聞いていた事だが、これほどとは思わなかった。

「これくらい、長男夫婦にやって貰ったら?」と言いたかったが、祖母を困らせることになるかもしれないと思い黙って給油作業を終えた。

「ありがとうね」

 祖母に笑顔で言われ、心が温かくなった。重くなった給油缶を手に中に入って行った。

 祖母の部屋に入り、給油缶をストーブに入れた。

「望。助かったわ。本当にありがとうね」

 私は、祖母の出した座布団に座り、祖母は脚が悪いのでベッドに腰掛けた。

「お祖母さん。身体の具合どう?食事は取ってる?」

「今朝はゼリーを食べたから」

「もっと、いい食事取らなきゃ」

「そう言われてもね、この歳になると、食欲は無いし、食べたいものなんてないんだよ」

 寂しそうに言う祖母に対して、これ以上食事を勧める言葉は無かった。一昨年、祖母は癌を患い胃の部分切除をした。オペ自体は成功したが、その頃からもう命に対しての執着は無くなったと聞いている。祖父が無くなり、さらにその傾向が強くなったのかもしれない。

 昨年は、口の周囲に癌の転移が判明して、切除を勧められたらしいが、「この歳になって顔の肉を削いでまで生きたくない。綺麗な顔のままで死にたい」と言って癌は放っておくことにした。癌の進行は高齢ということもあり遅く、思った以上に苦しめられていないようだ。

 そんな祖母は、今もしきりに脚を擦っている。口の癌よりも脚の方が痛いのだろう。

 この姿を毎日目にしているのに、と思わずにはいられなかった。

「飲み物でも………」

 祖母がそう言って、立とうとした瞬間、私は祖母を制して「喉は乾いてないから大丈夫」と伝えた。そして、聞きたい事があるからと伝えると、祖母は腰を下ろしてくれた。

「で、聞きたい事ってなんだい?」

 特に考えていなかった為に言葉に詰まった。全力で、記憶の棚を引き出して、話題を探していると、葬儀であった老人たちの話題がいいのではないかと思った。もしも、祖父の思い出の話になれば、それはそれで聞きたいのだ。

「あのね。斎場で、新條さんと話していた時、桜条っていうお婆さんとあったのよ。桜条って名字ってことは、親戚か何かなの?」

「桜条ってどこの?」

「え~っとね。冷泉地区に住んでるらしいって」

 祖母は分かったのか、何と称していいかわからない表情を作った。

 その表情から、聞いてはいけない事を聞いてしまったかと思ったが、前言を撤回出来る訳も無い。祖母がはぐらかす答え方をしたら、それをそのまま受け入れるようと考えた。


     三


 数分間の沈黙が生まれた。目を閉じた祖母は、記憶を振り返っているようだ。まるで、土蔵からいわく付きの品を引き出しているような、丁寧な振り返り方に見えた。

 沈黙の間に、応接室のドアが勢いよく開けられて閉じる音がする。

『ママ、おばあちゃん、私、ケーキ食べたい』

『冷蔵庫に入ってるから、取って来なさい』

『チョコレート買ってあるぅ?』

『ありますよ』

 足音と笑い声が聞こえてくる。

 挨拶をしようかとも思ったが、無視されているので、こちらに会いたくないのだろう。私としても楽しい雰囲気に水を注すのも悪いと考えて放って置くことにした。

 祖母をみると、考えがまとまったらしいが、口から言葉は出てこない。

 切っ掛けが必要なのかと思い、私が再び同じような言葉を言ってみた。

「お祖母さん。確か通夜の席にも居たわよね。親戚なの?」

 そう尋ねると、祖母は手を顔の前で振り、過剰なまでに否定する。

「とんでもない。あんなのと血縁にして貰ったら困るわ」

 温厚な祖母の強い口調に驚いた。

「望。あの家は、元は貧乏な小作人の家でね~。そのお婆さんの義父が、とんでもない酒飲みで、博打が好きでね~。子供が四人も居るのに、働かない亭主だったのよ。それで、長男とその嫁が早々に家を継いだのよ」

「長男の嫁が、あのお婆さん?」

「えぇ、そうだよ。それで、長男夫婦が親の借金を肩代わりしたらしいんだよ。そこであの家族は、うちに小作人として雇って欲しいって頭を下げに来たんだよ」

「それで、雇ってあげたの?」

「そりゃねぇ、雇ってあげたわよ。安くてもいいからと言うし、うちも遊んでいた土地があったけんな。何より、あの人は、子供を八人も生んでてね、全員小作に出してたのよ。子沢山だから貧しんだと不憫に思ってねぇ、隠し田の収穫分とかは見逃してあげたりして、かなり良くしてあげたのよ」

 祖父母も苦労してここまで生きてきた。だからこそ、真面目に働いてくれていれば、多少のことは大目に見たのだろう。確かに、土地を遊ばせておくよりは遙にマシではある。

「それで、借金は返済できたの?」

「できる訳ないわ。肝心の旦那が親の血を濃く引いていて、働かなかったからねぇ」

「博打は?」

「博打はしなかったらしいけどね。真面目に働かないから、とても借金なんて思うようには減らないわよ」

 私は頷くと素朴な疑問が浮かんだ。

「だったら、どうやって借金を返した上に、あんなお金持ちになったの?」

 順序があるとばかりに、祖母は話を続けた。

「戦時中は、皆、必死に働いても生きるだけで精一杯。うちは小作人の面倒まで見てたのよ。そうしていると、戦争が終わってね~」

 遠い目をした祖母は、口を閉じた。

 数秒の余韻に付き合い、私は話を先に進める。

「それからどうなったの?」

「日本が戦争に負けてから、進駐軍が日本を無茶苦茶にしてね~。農地改革で地主は土地を奪われて、小作が耕していた土地をタダ同然の安価な金額で貰うことになったんよ」

 その話は、学校の教科書で知っている。

 日本が第二次世界大戦に敗れた後、GHQの占領下によって進められた民主・自由化の戦後改革である。主に、秘密警察の廃止。労働組合の結成奨励。婦人の解放。教育の自由化。経済の民主化などである。また、改革の大きな柱としては、戦争協力者の公職追放、財閥解体、農地改革などが含まれている。

 特に、農地改革では、多くの小作人は地主に苦しめられていたが、自作農になることで裕福になり、富んだ人が飛躍的に増えたことによって、農村部の保守化につながったといわれ、教科書などでは、画期的かつ素晴らしい改革であるかのように記されている。

「それで、あの家は子供八人を小作に出してるでしょ。その子供たちが耕している他人の土地がタダ同然で与えられたのよ。それで、子供の土地を親が取り上げて、あの家が大地主になったのよ」

 祖母は悔しさを顔に表し、一呼吸置いて続きを話し始める。

「当然、桜条家から小作人たちに耕作をお願いした土地は、全部進駐軍が言う平等の名の下に取り上げられてね~」

「どう対処したの?」

「どうもこうも、お上に不服を言えないから、個別に土地を還して貰うしかないわ」

「還してくれるのものなの?」

「一人は、頭を下げてお願いしたら還してくれて、もう一人は有力者にお願いして、謝礼金を払って返してもろうたんよ。でもね、あの家だけはどんなに頼んでも、誰にお願いしても『うちの土地になったもんを、なぜ返さんにゃならんのんな!』って取られたままよ」

「でも、それっておかしいじゃない。お祖父さんとお祖母さんは、遊ぶ事無く、苦労しながらも節約して土地を買ったんでしょ?それなのに、向こうの家は小作人だからってだけで、他人の財産を奪っていくの?」

「戦争に負けて、小作人の力が強くなったから仕方ないのよ。地主というだけで、目の敵にされてねぇ、酷いモノだったわよ。うちの家は自作してたりしたからね、かなりの土地が残ったけども、江戸時代から続く学者さんの家は、全田畑を小作人を使ってやっていたら、全部取られて身ぐるみ剥がされたんだよ。その息子さんは、今は大学教授をしているけど、さぞかし苦労しただろうねぇ。ともかくあの時は、不平等な政策ばかりだったよ」

「その後、冷泉地区の桜条さんはどうしたの?」

「子供たちの貰った農地を集めて、本家の土地にして、貧乏一家が、一瞬でこの地区で一番の大地主になったのよ」

 馬鹿馬鹿しく祖母が言った。

「ちなみに、うちはどこの土地を取られたの?」

「港の近くに、菱井の工場があるでしょ。そこの脇に田んぼがあったのよ。今は、二十階建ての豪華なマンションが出来てるわ」

 そのマンションは知っている。富裕層に向けた高級マンションで、菱井の社員の家族向けに使用されているらしい。交通の便も良く、今ではかなりの地価になっている。

「酷い話ね。間違った考え方で貧富の差を無くそうとして、地主を目の敵にしたけど、今度は何もしてない小作人が大地主になるなんて。しかも、農村の都市化によって、自作農になると思って土地を与えたのに、マンション経営などの商売に使われるんだから。たまたま、その時に子供が沢山いて、土地を貰ったってだけで現在も影響力を持ち続けているんだから………」

 祖母は、小さく頷いている。

「近所の人間から、嫌味や陰口とか言わてれるでしょうね?よくそんな図太い神経してるわよね。でも、そんなだから通夜や葬式に来れたのよね~。付き合いはあったの?」

「無いわよ。でもね、あの家の悪口は思ってても言えないもんよ。大地主を怒らせると怖いでから、表立っては皆言わんよ。それに国がやった事でもあるし。私らもな、会う度に怒りが込み上げてくるけど、喧嘩したらお互いに損じゃけんな」

 苦労の多かった祖母は、そう割り切っていた。喧嘩はしないと割り切れても、仲良く出来ないのはどうしても許せない想いがあるのだと思う。

 祖母はトイレに立つと、私は今の話を振り返っていた。

 振り返って考えるほど、腹立たしい話だ。血の滲むような苦労をして、食事を切り詰めて土地を買っていって、小さいながらも地主にまでなったのに、国から安く土地を買い叩かれる。その上、突然に小作人が大地主になるなんて、どう考えても不条理極まりなかった。しかも、奪われた土地は、今では大きなマンションが建ち、莫大な財を生み出している。要は、土地を貰った小作人は、いち早く農業に見切りをつけ、不動産を生かした商売をしているのだ。それとは対照的に、祖父母は未だに、所有地の一部ででも農業をしているのだ。

 この帰結を見ても、皮肉なものだと感じる。

 祖母が棚から柏餅のパックを取り出した。

「望。これ持って帰りんさい。あと漬物を用意してあげるから、それも持って帰り」

「お祖母さん。体調が悪いんだから、今度でいいわ。だから寝てて」

「心配いりゃーせん。漬物を袋に入れるだけだから」

 そう言う祖母から、柏餅のパックを受け取り、帰る前にすることを口にした。

「お祖母さん、仏壇に挨拶して良いかしら?」

「お祖父さんも喜ぶじゃろ。納屋で準備してるから、参ったらおいで」

 そう言って、祖母と別れて仏間に向かった。

 豪華な仏壇の前に座し、線香をあげ、お輪を鳴らして心の中で祖父と会話する。

 祖父は次から次へと苦労や不幸が襲い掛ってきても、忍耐と勤勉さで乗り越えた。こうして、死ぬ時には勢力家として亡くなったのだ。

 遺影で微笑んでいる祖父が亡くなってから偉大に思えた。

「勝手に上がって、お義母さんに何をお願いしたの?」

 声の方を振り返ってみると、仏間の入口に絹江さんが立っていて、鋭い眼光で睨んでいた。

 私は、小さく溜息を吐き、背筋を伸ばして向かい合った。

「どういう意味でしょうか?」

「素直に言ったら?ここの家の者は、あなたが思うほど馬鹿じゃないんよ」

「はぁ…………」

 なんだかよく分からないが、被害妄想の誇大妄想なのか、話がまったく見えない。

「そう、いつまでもそんな風にとぼけてればいいわ」

「何をおっしゃっているかは良く分かりませんが、挨拶が遅れたことはすみませんでした。仏壇にもお参りしましたし、お祖母さんのところへ行くので失礼します」

「体調の悪いお義母さんに何かさせてるの?ちょっとは、考えてくれないかしら………」

 自分はストーブの灯油を入れる事すらしないのに、他者を批難することは自らを顧みなくても出来るらしい。

 足早に勝手口から出ると、祖母の待つ納屋へと回った。納屋の入り口には、直径三十センチくらいの葱の束と大根八本が置かれている。

 木造の納屋に入ると、十畳ほどの大きさがあり、沢山の農具や石臼、樽が二、三、置かれていた。

 祖母はビニール袋に漬物を入れ終わっていて、漬物石を置くところだった。祖母にさせる訳にはいかず、私が率先して抱える。なかなかの重さに驚いた。

 祖母にお礼を言われたが、お礼を言われるようなことは何もしていない。祖母を部屋まで送ろうとしたが、結局、車を見送られる形になってしまった。

 祖母の具合は、思った以上に良さそうに見えたが、古い人間は我慢ばかりするから気は抜けない。

 差し当たっては、祖母が灯油を入れるのに外に出ないで済む方法を私は考えていた。


     四


 祖母から貰った物を届けるために実家へ向かった。漬物だけくれるのかと思ったけど、結局、軽乗用車に葱の匂いが充満するほどに積み込むことになった。

 食べるのも大変だが、下処理するのも一苦労なので、実家で母と協力してやることにしたのだ。

 実家に入ると、母は拭き掃除をしているところだった。

「母さん。これ、お祖母さんから」

 土の付いた葱を床に置いた。再び車から大根を持って来る。

「沢山貰ってきたのね~」

「あれも、これも持って帰れって………。ありがたいけどね」

 苦笑いで答えた。

「さっさと、葱の掃除しましょうか」

 こうして向かい合って、葱の掃除をやることになった。

 二人で葱を剥きながら、話題は必然的に祖母家のことになる。

「あのね、母さん。あの家………もう駄目かも知れないよ」

「どうして?」

「今日行ったら、人が住んでるのに空家のようになっていたの。活気というか、人の熱というか、そういうのが全く無くなってて、沈没する船の雰囲気だったの。まるで、没落貴族の邸みたいに」

「そう………」

「当主が亡くなると一気に傾く家があるじゃない。家ってのは、当主の気が満ちているものなんだなって………。だから、お祖父さんが亡くなって、何事も無いのに既に傾いている気がする。正確には、傾くよりもスカスカになっていってる感じだけど」

 私の感想を母は無表情で聞いている。それから、玄関でいくら大声を出しても誰も出てこず、応接室で笑い声が聞こえているのに不在を決め込んでいたこと。祖母が居るかどうかだけでも確認しようと、裏に回るとこの寒さの中、ストーブの灯油を入れていたこと。

 末期癌の祖母、しかも体調が優れないのに、給油くらいやってあげればいいのに、と口にした。

「お祖母さんも、絹江さんに気兼ねするんだと思うよ」

 母はそう答え、食べられない所を剥きとって綺麗になった葱をザルの上に置いた。そして、また土塗れの葱を取る。

「母さん。私、明日も桜条に行くね。石油ストーブよりも、もっと楽な暖房器具にしないと………」

「そう」

 母は微笑むように答えた。葱の掃除を終えて、母から報告を受けた。

「お祖父さんの遺産相続だけど。今日、兄弟たちで話した結果、みんなで放棄するから」

 私は、さして驚かなかった。強欲な人間が兄弟には、長男以外いないのだ。その長男が総取りするなら丸く収まるだろう。三男はいち会社員だから欲しいだろうけど、皆が放棄するなら輪を乱す事は絶対にしない。

 それなのに、絹江おばさんのあの物言いはあまりに不快だった。本気ではないが、少しゴネて嫌がらせでもしてやればいいと感じ、けしかけてみたくなった。

「母さん。あの長男とおばさんに、全部取られるのも悔しくないの?」

「そう言っても仕方ないわよ。兄弟で、色々話したけど、まだお祖母さんが生きてるからね。兄弟が争ったら悲しむじゃない。それに………」

「それに?」

「それに、お祖母さんが苛められるかも知れないでしょ。残り僅かな時間を平和に過ごして欲しいじゃない」

 母の気遣いに心洗われるようだったが、だからこそ金銭的な苦労は無くなりそうもない。そう考えて、その考えを否定した。金銭的苦労は無くなるかもしれないが、そういう家は家庭内がギスギスするかもしれない。何かしら不幸の種は育つのかもしれない。

 自分の家庭を顧みて思う。裕福でないことは、不便ではあるが不幸ではない。

 母は、野菜を台所に持って行き、調理を始めた。後ろから調味料を見ると、ぬた和えを作るようだ。

 私も手伝おうと思ったが、茹でている時間は何もすることが無い。

 そうこうしていると、父親が帰宅した。

「どうした?桜条には行ったのか?」

 ぶっきら棒に聞かれた。

「言ったよ。葱と大根と漬物がお土産かな」

 お父さんに、お茶を入れてあげた。

「葬儀でお婆さんたちから、戦中・戦後は大変だったって聞いたんだけど。農家でもかなり大変だったの?お父さん知ってる?」

「ん~。まぁ、当事者じゃないから、大したことは言えないが、農家が一番損をしたんじゃないかな~」

「でも、食べ物が高額な品と交換できたんじゃないの?」

「確かに、米や大根、味噌や酒などが札束や着物などに替えられたそうだがな。でもな、その着物や衣類が戦後は全部ゴミだ。戦後の貧しい時があっても、結果、経済は回復したんだ。戦中戦後の襤褸(ぼろ)切れの服なんか着てたら笑われるぞ」

 言われれば確かに言う通りだと思う。戦後に戦前の物が使える訳が無い。只でさえ、その後、戦争特需で息を吹き返し、高度経済成長へと進んでいく。戦中の物には、金銭的価値だけでなく、歴史的価値もない。

「農地改革もあったし、桜条のような家にも苦難の時代だっただろうがなぁ。もっとも、戦争中は皆苦労したわい」

 父も、父親を戦争に取られ、苦労している。祖母は再婚をしなかった為、子供たちを食わせる為に父が一日でも早く稼がざるを得なかった。

 今の安定した暮らしも、父が頑張ってくれたからこそでもある。

 私はお茶を飲んで、話題を変えた。

「父さん。お祖母さんの部屋に暖房器具を置きたいんだけど、埃が舞いにくく、乾燥しない物って何?」

 父が、見上げるように目線を向けて一考した。

「そうだ。オイルヒーターが倉庫にあるから、それを持って行ったらどうだ?」

「それって乾燥しないかしら?」

「ストーブのようには乾燥しないな。燃焼しないから、火事や火傷の心配はないし、音も静かだ。一日中動かしていればいいから年寄りでも楽だろう。うちの物置にあるから持って行ってあげればいい」

「そうね。加湿は加湿器ですればいいんだし」

 私は、父の案を採用することにした。父に礼を口にして、物置へと急いだ。


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