Chapter 2: 神薙創という人間、その非日常に至るまでの日常
神薙創の平日というのは、家に自分以外の家族がいないだけで、他の家庭と大して変わらない、と創自身はそう考えている。
朝の五時頃に起床し、身支度をし、弁当を作り、朝ごはんを食べ、学校に向かう。
そして学校で授業を受け、昼休みになると図書室に向かい、一人、あるいは二人以上でコミックを読み、午後の授業も終わって終業の時間になればそそくさと学校を出ていき、月曜日と金曜日なら病院に向かう。そうでない日ならそのまままっすぐ家に帰る。
帰った後は家事をさっさと済ませ、すべき課題等の一切を済ませた後、残りの暇な時間を唯一の趣味である海外漫画の読書タイムにつぎ込む。
神薙家の家族構成はいたってシンプルで、出版関係の仕事をしている父と主婦の母、そして創自身の三人家族である。祖父母夫婦は少し離れた地域に住んでおり、叔父や叔母や従兄弟もまた然りだ。
本来は三人で一つ屋根の下で暮らしていたのだが、創がまだ中学二年の頃、母親が突然の病に倒れ入院。父親も本来なら妻の看病などをしなければならないのだろうが、唐突にアメリカへの単身赴任を言い渡され、創一人に家を任せ、渋々アメリカへと飛び、そして今に至る。
あの時の事を、創はよく覚えている。海外への単身赴任を申し訳なさそうに告げた時の、あの悔しそうな顔を。普通なら「なんて薄情なんだ」等と思ってしまうのかもしれないが、創の場合その表情を見ただけで、彼を軽蔑する気は起きなかった。
創にとっての読書というのは、単なる暇つぶしの娯楽ではない。特に彼が読む海外漫画だと日本語が殆ど出てこない分、一生懸命その言語を勉強し、その内容を理解しなくては面白くならない。その作品に登場する人物がどのような感情をもって行動を起こすのか。それを理解して初めて「読めた」と思える、というのが彼の持論だ。
そんな事もあってか、創は現実であっても他人を外面だけでなく、内面をも理解しようとするようになったのだ。
人というのは誰だって心を持っている。故に、聞こえてくる言葉だけが真実なのではないのだ、と。
閑話休題。
その日は金曜日で、いつもの習慣である母のお見舞いを済ませ、家に帰り着くと、家事を済ませるだけ済ませ、夕食を作る事も何か食事をとる事もなく、ただひたすら読書にふけっていた。
というのも、この日はどうも食欲が湧かず、いつも持ってきている弁当の三分の一も食べる事もなく昼食を終えてしまったのだ。
胸騒ぎ、というのだろうか。この日は何かが起きそうな、そんな予感がしてならなかった。だがそれはネガティブな意味合いではなく、むしろ彼をワクワクさせるものであったが。
現実的に考えてあり得るのは何かしら不幸や事故に見舞われたりといった事だが、そんな事は起きなかった。…後日起こりうるであろう出来事を考えれば、ある意味不幸に見舞われたのかもしれないが。
漫画の中の出来事を現実と混同してはならない。そうは分かってはいても、その胸騒ぎが何か自分の人生を変える出来事が起きる前触れであると、そんな風にポジティブに捉えてしまう自分がいた。
どうしようもない高揚感が、下校時の彼の心を満たした。そうして何か起きないかと、読み古したものながら彼にとって一番思い入れのあるコミック―『ネヴァーワールド』を創刊号から読み直し始めた。
何をすればいいのか彼には分からなかったが、とにかく何かをしていなければ気が済まなかったのだ。
予感。胸騒ぎ。
現実的に考えてあまりにも不確定要素が多すぎて、まさに「あり得ない」としか言いようのない直感だが。
少なくとも、彼のそれは、現実のものとなり、彼や他人の知る現実は脆くも崩れ去った。他ならぬ、クローゼットから現れた『彼』によって。