人の不幸は蜜の味―2―
図書館に行く理由といえばテスト前に勉強をするか、授業の参考文献を探すか、はたまた居場所がなくて駆け込むかくらいである。そう考えている豆男と小太郎はこの日は珍しく図書館の隅にある机に向かっているのである。しかし勉強しているわけでもなく、参考文献を発掘しに来たわけでも無い。居場所は無いことには無いがまだ図書館にお世話になるほどではない。ではなぜ来ているか、それは昨日の下校中に小太郎が話していた伊東の本性をクラス全体に暴く作戦を聞きに来たのである。
「今日の授業も疲れましたね」
「そんな前置きはいいから早く話せよ」
小太郎はこういう手の話はなかなか始めないのは分かっていたので、少し食い気味で豆男は答えた。「そんなせっかちな。まあいいですけど」
そう言うと小太郎は少しふてくされながら鞄の中からA4サイズの紙を2枚取り出し、1枚を豆男に渡した。
「なんだこれは」
「伊東の本性をみんなに知らしめるための手順です。手順通りに行動すれば、彼はみんなにその醜態を晒すことになるでしょう。そうなれば、ヌフフ…。おもしろくなりますね」
豆男は紙に書かれている驚き呆れる手順に一度はある種の尊敬の念さえ覚えたほどであったが、小太郎の顔を見てこいつは人間の皮をかぶった悪魔かなにかだと察した。豆男は絶対にこの地獄からの使者だけは敵に回さないようにしようにとその時心に固く誓った。
「まず僕たちは……」と言ってから小太郎は作戦を説明し始めた。
伊東のオタクを知らしめるにはまず証拠を用意しなければならない。そのために小太郎は、伊東の部屋を撮影すると言った。撮影方法はもちろん盗撮である。まず、小太郎は超小型のカメラを用意すると言った。そんなことできるのか? 豆男が問うと彼は自慢げに頷いたのだ。どうやらそのあたりのスジがあるらしい。空恐ろしいやつだと豆男は思った。カメラのほかにもう一つ、伊東が彼の学生カバンにぶら下げている某キャラクターのキーホルダーを用意する必要があると小太郎は言った。そのキーホルダーの目をくりぬいてそこにカメラをセットする。仕込みのキーホルダーを伊東のカバンにぶら下がっているものとすり替え、彼に持ち帰らせ部屋の中を撮るということだった。
「カメラは四十八時間連続で撮影できるものを用意します。費用は僕が持ちますから安心してください」
そんな費用が一介の男子高校生のどこから出てくるのか、豆男には検討もつかなかった。が、あえて訊きはしなかった。
「そんなにうまくいくのか?」
「大丈夫です。別に、一回ポッキリで成功しなきゃいけないわけではありません。失敗したら何度も繰り返してうまく撮影できるのを待ちましょう。どうにも無理そうだったらそのときはもう一度考えます」
淡々と話す小太郎を前に豆男は渡されたA4用紙に目を通していた。これまでの流れとこれからの流れが箇条書きで書かれている。その横には仕込みのキーホルダーの内部構造が書かれていた。小太郎は案外綺麗な字を書くのだなと豆男は思った。
「撮影に成功したらそのブツは……」と小太郎はどこかの悪代官のように続けた。
カメラは回したままにしておくので証拠は当然動画となる。それではみんなに提示しにくいので、伊東のオタクがわかりやすいシーンを写真にして貼り付けようということになった。できれば伊東本人と部屋中の玩具たちが一緒に写っているものが好ましい。コスプレしているシーンなんかあったら最高だ、とふたりでにしゃにしゃ笑いあった。
「写真を貼り付ける時と場所は随時決めましょう。ある朝教室に来たら黒板に貼り付けてある、みたいなのもいいですけどね。またいい案があったらお願いしますね」
「わかった」
「僕は明後日までには仕込みのキーホルダーを用意してきます」
「そんなに早くできるのか?」
「なんとかしますとも。それが準備できたら豆男さんお願いしますね」
「お願い? 何を?」
豆男の問いに小太郎は手をひらひらさせながら言った。「僕は参謀役が似合ってるんで」
〇
大きな欠伸をしながら豆男は高校に自転車を走らせていた。今日は小太郎がカメラを搭載したキーホルダーを持ってくる日である。正直、小太郎のことだからこの短期間でもかなりの質の物を作ってくるに違いない。それほどに彼は伊東に対する憎悪と、それに費やす時間を持っている。しかし朝から小太郎のことを考えて登校するなんて、今日は嫌な一日になりそうだ。そういえば朝の占いも最下位だったな。そう考えると自然とため息が漏れていた。
「おはようございます、朝からため息つくなんて幸が薄いのがさらに薄くなりますよ」
「お前に言われたくないよ」
相変わらず無駄にでかい図体をした小心者が声をかけてくる。
「今日は頼みますよ、でかい図体をしただけの小心者にはできないことですからね」
「あ、あぁ。頼むって何をすればいいんだ?」
豆男は、まさか小太郎が読心術を身に着けているのでは無いかと内心焦りつつも、こんな阿呆にそんな高度な術使えるはずもないと自分を納得させながら質問した。
「教室に入ったら説明しますね。それよりあれ、みてえくださいよ」
小太郎に促され視線をそちらに移すと、信号待ちをしている伊東が楽しげに女子二人と話しているではないか。
「ついこの間中村さんと別れたばかりだというのに忙しい方ですね」
呑気そうに小太郎が呟いたのとは裏腹に豆男は憎悪に満ちた顔をしていた。中村さんと別れたすぐになどという感情よりは、自分は朝からこんな宇宙人のような奴と登校しているのに、なぜ奴は乙女と優雅に話しながら登校しているのかという方にあった。自分は産まれてくる星を間違えたのか、それとも将来的にアメリカ航空宇宙局に勤めるため、この歳から宇宙人との交流を必然的に余儀なくされているのか。
「なんて顔をしてるんですか」
小太郎の言葉で果てなき憎悪の渦から帰還した豆男は、その憎悪をすべてこの作戦にぶつける決意をした。
「早く教室に行こう。失敗は許されないからな」
「お、いい感じにやる気がみなぎってきてますね。そうでなければ豆男さんじゃありませんよ」
なにか癪に障る言い方だがあえて何も突っ込まずに行くと、「提出物があるので」と言って先に自転車を走らせて行った。
〇
「あのさ伊東君、学園祭の出し物のことなんだけど」
「なにかいい案でもあるのかい?」
昼休みになり、教室の人が薄くなってきている時間帯を狙って小太郎が伊東に話しかけた。見せたいものがあるといって自分の机に誘導する小太郎。小心者がよくやるよと感心しながらも自分の仕事を全うするため、豆男は伊東の席に近づいていく。二人が話している間になにか落し物をした風に装いしゃがみこみ、伊東の鞄に付いている数個の中から小太郎の用意したものと同じものを探し出しそして取り替える、それが豆男に課せられた仕事である。何も支障はなく取り替えに成功し、案外簡単だったななどと考えながら立ち上がると伊東と小太郎がこちらを見ている。一瞬心臓が止まったのではないかと疑うほどの緊張が走る。しかし何事もなかったかのようにまた話し出す伊東と小太郎。ほっと安堵の息を吐く豆男。なんとか小太郎がごまかしたのだろうと思い、あいつもなかなかやるじゃないかと感心しながら窓際の自分の席に着いた。
放課後になり豆男は小太郎の家に来ていた。豆男が小太郎宅を訪問するの二回目である。以前訪問した時あまりに部屋が汚いので、もうここには二度とこまいと考えていたが彼の部屋で今後の作戦会議をするというのと、言わなければならないことがあるということなので仕方なく訪れたのであった。部屋に入った豆男は目を疑った。以前とはくらべものにならないほどに部屋は整理されていた。足の踏み場もないほどあった荷物はいったいどこに行ったのか。豆男にはいくら考えても分からなかった。
「言わなけらばならないこととは何だ」
腰を下ろし首の汗をタオルで拭いながら豆男は聞いた。そんな彼に麦茶を出しながら小太郎は答える。
「豆男さんには学園祭の出し物の都合でこのコスプレをしてもらうことになりました」
思わず飲みかけの麦茶を吹き出す豆男。そして暑さのせいではない汗を以上にかいていた。
「なんだそれ? いつ決まった? そんな話聞いていないぞ」
「そりゃそうでしょう。初めて言いましたもの」
「なんでそんなことになったんだよ?」
「僕が提案したんです。スタンプラリーの係りはコスプレでもして面白おかしくやったらどうかと」
「それで何で俺がコスプレすることになるんだよ?」
「豆男さん、キーホルダーすり替えるとき伊東くんにみられちゃいましたもの。だから僕が何とかしてごまかすために、豆男さんはソラマメタのコスプレをするとかなんとか言って話を逸らしたんです」
そういいながらスマホの画面を近づけてくる。そこには見たことのある枝豆に手足が生えたキャラクターが映っていた。
「これがソラマメタか」
「そうですよ。最近女子高生を中心に人気なんですよ、豆男さん知らないんですか?」
少し小ばかにした顔でこちらを見てくる小太郎。全く腹の立つ奴だ。
「何かのお菓子のキャラクターとしか知らんな」
「ビーンズというお菓子のソラマメタです。これのコスプレをすればあなたも女子の人気者になりますよ。さらに僕たちの作戦が成功すれば、伊東くんが醜態を晒したそのあとはクラスに大した敵はいません。そうしたらクラスの女子という女子が豆男さんにくぎ付けですよ」
「まさか最初からこれが狙いだったな?」
二ヒヒと笑いながらこちらを見てくる小太郎。彼ははなから豆男すらも巻き込んで少し痛い目に合わせる気だったのだ。気づけなかった自分の情けなさを嘆く豆男。だから昼休み伊東たちと目が合ったにも関わらず何も無かった訳だ。キーホルダーを握っている俺はあのコスプレをするにはもってこいの人材だったというわけだ。しかし実際のところ、当日少しばかりの恥じらいはあるがそれを我慢すれば薔薇色の学園生活が待っていると考えればそこまで悪い話でないような気がした。
「これも伊東の本性を暴くためなら仕方ない、やろうではないか」
「そうですか、そうですか。そう言ってくれると思ってましたよ」
またもや二ヒヒと笑う小太郎。豆男はそんな小太郎を横目にグラスに麦茶を注ぎ、一気にそれを喉の奥に流し込んだ。