人の不幸は蜜の味―1―
ある秋の日の放課後、豆男と小太郎は平生の日課をこなすがごとく一緒に帰路についていた。しばらく無言で自転車を漕ぎ進めていると小太郎が口を開いた。
「ねえ、豆男さん」
小太郎は豆男のことをどうしてかさん付けで呼ぶ。豆男は最初それに違和感を覚えやめるように言ったのだが、これも小心者の性質なのかどうしても直らなかった。
「なに?」
「豆男さんって、今までに彼女がいたことあります?」
「ないけど」
豆男は即答した。
「ですよね」
「ですよねとは失礼だな。そういうお前はどうなんだよ」
「さあ、どうだと思います?」
小太郎はニヤリと口角を上げて首を傾げてみせた。
「いいから早く答えろ」
豆男が取り合わないとわかると、小太郎はさっさと「いませんねえ」と答えた。豆男同様乙女心は読めないが空気は読める男なのである。
「そういえばもうすぐ学園祭ですね」
小太郎は話題を変えた。
「そうだな、俺たちのクラスの出し物はたしかスタンプラリーだったな」
「まったくこの歳になってスタンプラリーというのもいかがなものかと思いますがね。高校生にもなるんだから……これじゃあ小学生と同じですよ」
豆男の通う高校では秋に学園祭が行われる。1年生から3年生までクラス単位で出し物をするのだが、1,2年は食品を扱うことができない決まりなので豆男たちのクラスはスタンプラリーをすることに決まったのである。もちろんそこに豆男と小太郎の意見は無い。
決定したのは、勉学優秀、二枚目、スポーツ万能、高校生活においてまるで手にしていないものは無いのではないかというくらい非の打ちどころのない彼らの級長、伊東涼である。彼は豆男たち落ちこぼれにも優しく接してくるので周りからの評判もいい。しかし豆男と小太郎は気づいていた。伊東が豆男たちと話しているとき、彼の眼はこれでもかというくらい生気を失っている。死んだ魚もびっくりするほどに。
「彼、張り切ってますよねえ」小太郎はまるでクラスの出し物を他人事のように言った。
「伊東か?」
「はい、どうしてあんなことに多大な時間と労力を使う気になるのでしょうねえ」
「さあな、きっと暇なんだろ」
「それは僕たちが言えたことじゃないですけどね」
それからしばらく間が空いてまた小太郎が口を開いた。
「豆男さん知ってます?」
「なに?」
「伊東涼の噂です」
伊東涼の噂。豆男はそれを聞いて思い当たる節があった。彼はそれを言ってみた。
「もしかして、中村さんと別れたっていうアレ?」
中村さんとは豆男たちと同じクラスの女子生徒の名前である。クラスの女子たちの中では頭一つ出て美人で、おまけに成績も優秀だ。
高校に入学して間もない頃から伊東と中村さんの関係は噂されており、伊藤が二人の交際を公言したのは七月のことであった。クラスきってのベストカップルということで、誰一人として二人の間を悪く言うものや、まして、割って入ろうとするものなどいなかった。それは一応、表向きには、ということではあるのだが。
そして二人の関係が最近うまくいっていないということをここ数日で豆男は耳にしていた。嘘か誠か、確証はないが、彼女のいない豆男は不謹慎な興味を抱いたのであった。
「んー、確かにそのことでもあるのですけど、そんなことはもう皆知ってることなので違いますねえ」
小太郎は手でばってんをつくってみせた。重い荷物を乗せた自転車でよくやるものだと豆男は思った。
「じゃあなんだよ?」
「豆男さんが言う、別れたことについてなんですけどね、その、別れた理由についての噂なんです」
「へえ」
「これは割と確かなスジからの情報なんですけどね」
「お前にそんなスジないだろ」
「これは僕の独自の調査によるものなんですけどね、どうやら最近、中村さんが初めて伊東くんの家に行ったそうなんです」
「なんだと、不埒な」
「僕もそう思います。高校生にあるまじき不純異性交遊ですね。で、その、中村さんが彼の家に行ったことが別れる直接の原因になったそうです」
豆男には話がまだ見えてこなかった。それは遠回りしながら勿体つけて話す小太郎の性でもあるのだが、こういうとき豆男は小太郎が簡潔に話すように要求しない。要求したらば、小太郎の言葉のキレはたちまち悪くなり、かえって時間がかかることを知っているからだ。
「伊東の家に何かあったんだな?」
「そうなんです。豆男さん知ってましたか。実は、伊東くんはものすごいオタクなんですよ」
「オタク? あいつがか?」
豆男は驚いた。豆男の伊東に対するイメージは前述の通りで、確かにその身振りに一抹の陰りはあるもののオタクなどとは考えたことがなかった。
「意外でしょう? でもこれは確かなスジ……僕の調査によるものでしてね、知ったときは僕も驚きました。」
「お前の調査だろ? 信用に欠けるな」
「信用してくださいよ。彼の部屋はそれはもう沢山のフィギュアやらアニメDVDで足の踏み場もないほどで、壁はポスターやタペストリーで埋め尽くされてるそうですよ」
「まさか。もしホントにそうだとしても彼女が来る時くらいはなんとかするだろ」
「さあ、そこまでは僕にも解りかねますけど。まあ、隠しきれなかったんじゃないですかね。それを見つけた中村さんは伊東くんに愛想を尽かしたんですよ」
「まあ、お前の妄想の範疇だな」
「釣れませんねえ豆男さん。らしくない」
小太郎のニヤニヤは止まらない。豆男は彼が何かよからぬことを考えているなと確信した。
「お前、なに考えてんだ?」
「え? なんです? わかっちゃいましたか? 流石は同士」
「だから何考えてんだ?」
「豆男さん、伊東くんのことどう思ってます?」
「鼻につく奴だと思っている」
ここは豆男は即答だった。豆男の伊東に対する感情は言葉の通りである。
豆男の反応を見て、小太郎はまるで悪魔のように囁いた。
「じゃあ、教えてあげましょうよ、クラスの皆に。彼が、本格路線のオタクくんだってことを」
「いったいどうやって教えるっていうんだ?」
「それは今夜じっくり考えてきますよ。豆男さんは気楽に構えていてくださいよ」
そう言われて豆男は少し困惑がしたが小太郎の不敵な笑みを見ると、不思議と自分が乗り気なことに気づきそれ以上は追及しなかった。