序幕〜鬼神と魔王〜其ノ陸
「ええぃ、信長の死体はまだ見つからないのか」
……光秀が、本能寺を襲撃してから、一夜があけた。
歴史ある伽藍は、その全てが焼失し、未だ其処かしこにて、火が燻っている。
その中、光秀の軍勢は、信長の遺体を捜索していた。
「信長の死体を曝さねば、我等の反乱は意味をなさない。…秀満、本殿跡にも奴めの亡骸はなかったか?」
光秀は、幾人かの兵と共に、近づいてきた、甥の明智佐馬介秀満にそう、尋ねる。
「……その事なのですが、羽柴秀吉様より御報告があると」
「何…?」
光秀がそう呟いた瞬間、背後にある草蔭が、ガサッと揺れる。
「久しいなぁ、光秀ぇ。いや…禪鬼族四高天が一角、‘白明’光慧丸」
「……人の世に居る時は、その名で呼び合わない戒めの筈だが、四高天一角、にして禪鬼忍軍当主‘影猿’の豊國丸殿」
光秀の言葉に、草蔭の向こうで豊國丸は静かに笑う。
「いやいや、そういやワシはそんな名前だったっけなぁ。長ぇ事人間‘秀吉’になっていたから、自分の名前忘れかけてたわ」
「…その、軽い性格は相変わらずだな。そういえば、報告とは?」
豊國丸は光慧丸の問いに、顔に浮かべていた、軽薄な笑みを消し、転じて真剣な顔になる。
「ワシも、先程伝令を受けたのだが、ここ本能寺にて、昨晩陰陽の揺らぎが生じたらしい。……信長やその小姓達の中に、陰陽師は居たか?」
「いや……信長を含めその様な者は居なかったはずだ。……!まさか…」
「そうだ。おそらく、卑族共が動いている。それも、転身術を使える様な、そこそこ力を持つものが、な」
「奴等の行き先は、分かったのか?」
「それを、ワシが調べに来たのだが……ワシは十中八九、‘彼の島’だと思う」
その名を聞き、光慧丸の顔は、焦りと恐怖で歪む。
「な……!そ、そこまで分かっているなら、既に彼の島に軍勢を向かわせているのだろうな」
そう問われ、豊國丸が首を横に振ったのを見て、光慧丸は激昂する。
「何故だっ!!貴殿も分かっているだろう、彼の島に眠るのが、何なのかを。あれが目覚めれば、卑族は大きな力を持つ事になるのだぞ」
「まぁ、落ち着け。確かに、奴等が彼の島に行ったのなら、直ぐに追ってを差し向けるべきであろう。しかしだ、彼の島は周囲が強い気で囲まれている故、雑兵等を送った所で、禍々しき気に中てられ、死ぬだけだ。それが、我等禪鬼の兵だとしてもな。……例え信長が、卑族と共に彼の島へと行った所で、無事でいられるとは思えぬ」
「しかし…っ」
なおも、反論をしようとする光慧丸に豊國丸は溜め息をつき、云う。
「兎に角だ、まずは奴等の行き先を調べる。その後、奴等が彼の島へと行くようであれば、ワシがお前と秀満…秀玄丸を彼の島へと転身させる」
「……分かった」
渋々ながらも、光慧丸は頷き、 それと同時に草蔭が揺れ、豊國丸が姿を現す。
…約五尺(2m)の巨躯を持ち、身体中に生え盛る体毛は、まさに猿という風貌である。
「それじゃぁ、早速奴等の行き先を調べようか……と、その前に……」
豊國丸は、ゆっくりと体を忙しく動き回り未だ信長の遺体を捜す、兵士達を見て、云う。
「どうせ、『光秀は秀吉に殺されるんだ』。あいつら、邪魔になるし……消すか」
殺那、光慧丸、豊國丸、光玄丸、そしてその回りの幾人かの兵士の目が闇色に光る。
そして、変わりゆく感覚に、彼等は―――
鬼へと戻った。