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第16話:氷の宮殿の「お忍び」な貴賓

「天空のかき氷」と「氷の芸術庭園」の噂は、夏の熱風に乗って、ついにこの国の最奥にまで届いてしまったらしい。


その日、草原の向こうから現れたのは、これまでの成金商人や血気盛んな騎士たちとは明らかに違う、静かな威圧感を放つ一行だった。

先頭を歩くのは、地味な茶色の旅装に身を包んだ、白髪の老人。背筋は真っ直ぐに伸び、柔和な微笑みを浮かべているが、その足取りには一切の迷いがない。


「……あら?」


かき氷の注文を捌いていたエルゼ様の手が、ピタリと止まった。

彼女の顔から、営業用のスマイルが消え、見たこともないような「戦慄」が走る。


「……え、エルゼ様? どうしました?」


「……なつさん。今すぐ、なっちゃん様を一番綺麗な状態に仕上げなさい。それから、ルル様とハム様には粗相のないよう厳命を。……あの方は、あの方は……!」


エルゼ様は珍しく声を震わせ、手に持っていたシロップの瓶を落としそうになりながら、その老人の前へと膝をついた。


「……お久しゅうございます、大叔父様。いえ……先代国王陛下(エドワード様)。このような辺境に、一体どのような風が吹いたのでしょうか」


「よいよい、エルゼ。今はただの、暑さにやられた老人じゃ。……それにしても、お前が公爵家を放り出してここで『氷の番人』をしていると聞いた時は耳を疑ったが……なるほど、ここは良い。風の匂いが違うわい」


先代国王エドワード様。

数年前に息子の現国王に位を譲り、悠々自適の隠居生活を送っているはずの、この国の生ける伝説。

まさか、うちの「かき氷」目当てに、隠居先からお忍びでやってくるなんて。


「……モニュ?」


そんな重苦しい空気など、なっちゃんには関係なかった。

なっちゃんは、氷の彫刻の間を滑りながら近づいてくると、跪いているエルゼ様を不思議そうに見つめ、それからエドワード様の足元をクンクンと嗅ぎ始めた。


「なっちゃん! だめだよ、失礼だよ!」


私が慌てて止めようとしたが、なっちゃんは止まらない。

あろうことか、エドワード様の膝を「ザリッ、ザリッ」と力いっぱい舐め始めたのだ。さらには、ハムさんがエドワード様の白髪を気に入ったのか、ヒョイと肩に乗り、頭の上で黄金の鱗粉をパラパラと振りまき始めた。


「……ひ、ひいいっ! なんて不敬な! なっちゃん様、ハム様、今すぐお離れなさい!」


エルゼ様が泡を吹いて倒れそうになる中、エドワード様は——。


「……カッカッカ! これは愉快な。わしの膝をここまで美味そうに舐める奴は、この国にはおらんわい。それにこの黄金のネズミ、わしの頭をピカピカにしてくれるのか。気が利くではないか」


エドワード様はなっちゃんを抱き上げようとして、その「意外な重み」と「吸い付くようなモフモフ感」に、一瞬で目尻を下げた。


「ほう……。これが噂のポメラニアンサイズの子牛か。……暖かいな。命の鼓動がダイレクトに伝わってくる。王宮の冷たい椅子に座り続けていたわしには、この温もりが何よりの薬じゃ」


そのままエドワード様は、ピンちゃんが作った特製のアイス・ベンチに腰を下ろした。

私は震える手で、最高傑作の「スカイ・スノー・シェイブアイス」を差し出した。なっちゃんの搾りたてミルクをふんだんに使い、ガルドさんが今朝摘んだばかりのハーブを添えた逸品だ。


「……美味い。……ただ、美味いだけではないな。この氷には、一切の邪念がない。……エルゼよ、お前が家を捨ててまで守りたかったものの正体が、ようやく分かった気がするわい」


エドワード様はかき氷を完食すると、満足げになっちゃんの鼻先を指で突っついた。なっちゃんは「モニュ~ン」と喉を鳴らし、エドワード様の腕の中で完全にリラックスしている。


「なつと言ったな。……この地には、欲に目が眩んだ輩が次々と押し寄せていると聞く。バルザックのような下卑た商人もおれば、利権を欲しがる貴族もおろう」


エドワード様は立ち上がると、懐から王家の紋章が刻まれた銀のメダルを取り出した。


「今日この時をもって、この『なっちゃん牧場』周辺十ヘクタールを、『王立・特別自然保護区』に指定する。ここはわしが余生を楽しむための『指定保養地』じゃ。……これ以降、この地の草一本、石一つでも傷つける者は、このエドワードへの反逆と見なす。……これでよいな、エルゼ?」


「……陛下の慈悲、深く感謝いたしますわ」


エルゼ様が感涙に咽びながら頭を下げる。

これで、もう誰にも邪魔されない。バルザックのような悪徳商人も、無理難題を吹っかける貴族も、王家の絶対的な庇護の前には手出しができないのだ。


「さて、なつ。礼を言うのはわしのほうじゃ。……また、この白い餅のような子牛に会いに来てもよいかな?」


「もちろんです、陛下。いつでも歓迎いたします」


エドワード様は、名残惜しそうになっちゃんの耳を一度だけ撫で、ルルに見守られながら、穏やかな足取りで帰っていった。


「……なつさん、やりましたわ……! ついに、ついにここは国家公認の『聖域』になりましたのよ……!」


エルゼ様が私の肩を掴んで揺さぶる。

なっちゃんは、そんな騒ぎなどどこ吹く風で、アイス・ピンと一緒に氷の上でまた「追いかけっこ(という名の滑走)」を始めていた。


暑い夏。

けれど、私たちの心は、王室公認の安心感と、なっちゃんがもたらした不思議な縁によって、どこまでも晴れやかに、そして涼やかに満たされていた。

スローライフの終わり——ではなく、これは「究極のスローライフ」の始まりだった。

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