第12話:空飛ぶイチゴと、マッド・ハーブ・ガルド
カイル兄様率いる王都騎士団を、唐辛子粉とスキャンダルの暴露で撃退してから数日。
我が「なっちゃん牧場(仮)」には、嵐のあとの静け……くはない、なんとも形容しがたい熱気が漂っていた。
原因は、我が家の柵の隅っこで、地面に這いつくばって虫眼鏡を覗き込んでいる一人の老人にある。
「ほう……。ほうほう! こいつは驚いた。ただの雑草が、一晩で薬草の原料になる『銀月草』に先祖返りしておる。なつよ、この『黄金の毛玉』……ハムだったか? こいつの尻から出る粉は、神の指先か何かなのかい?」
ガルドさんが、ハムさんを摘み上げようとして、ルルに威嚇(キュイッ!)され、慌てて手を引っ込める。
ハムさんはなっちゃんの背中の上で、どこ吹く風とばかりに自分の毛繕いをしていた。時折、その黄金の毛が震えるたびに、キラキラと輝く鱗粉がパラパラと地面に落ちる。
「ガルドさん、あんまりハムさんを驚かせないでくださいよ。それにしても、その粉、そんなに凄いんですか?」
私が尋ねると、ガルドさんはガバッと立ち上がり、鼻息荒く私に詰め寄ってきた。
「凄いどころじゃないわい! 普通、植物が進化したり変異したりするには、数十年単位の魔力の蓄積が必要なんだ。それをこいつは、ほんの一振りでやってのける。……なつ。頼む、この粉をわしの実験に使わせてくれ! もちろん、なっちゃんには最高級の乾燥アルファルファを、ルルには極上の木の実を、ハムには……ええい、わしの魂でも何でも差し出そう!」
「魂はいりませんけど……まあ、ハムさんが嫌がらない程度なら」
私が許可を出すと、ガルドさんは「よしきた!」と叫び、背中のパコのカゴから、何やら怪しげな苗を取り出した。
「こいつは、わしが長年研究していた『スカイ・ベリー』のプロトタイプだ。味は絶品だが、魔力が足りなくて実を結ばなかった。だが、この鱗粉があれば……!」
ガルドさんは、なっちゃんの足元に落ちていた鱗粉を丁寧に集め、その苗の根元に振りかけた。
すると、どうだろう。
苗は一瞬でツルを伸ばし、瑞々しい緑の葉を広げたかと思うと、そこから真っ赤に熟したイチゴの実が次々と膨らみ始めたのだ。
「おお……! 成功だ! 見てみろ、この輝きを!」
だが、驚くのはまだ早かった。
熟しきったイチゴたちは、茎からポロリと離れると、そのまま空中に「ぷかぷか」と浮かび始めたのだ。まさに『空飛ぶイチゴ』である。
「モニュ!?」
なっちゃんが、目の前をゆっくりと漂う赤い実に驚き、短い脚で立ち上がって追いかけ始めた。
ルルは止まり木から飛び立ち、空中を浮遊するイチゴを嘴でキャッチしようと旋回する。
「な、なんですかこれ! イチゴが飛んでますよ!」
「ガッハハハ! これこそがスカイ・ベリーの真の姿よ! 軽い魔力を帯びることで、重力を無視して浮遊する。これを食べれば、人間だって少しの間、体が軽くなるはずだ!」
エルゼ様が、その光景を完璧な無表情(だが目は爛々と輝いている)で見つめていた。
「……素晴らしいですわ。これは『ダイエットに悩む王都の貴族女性』に、一粒金貨五枚で売れますわね。……なつさん、すぐに専用の『捕獲用網』と、浮遊を抑える『重力石の化粧箱』を発注しますわ。それからガルド様、特許料の配分についての契約書を作成いたしますので、こちらへ」
「お、おう……。相変わらず仕事が早いお嬢ちゃんだな……」
ガルドさんはエルゼ様の気迫に押されつつも、嬉々としてイチゴの収穫(という名の空中捕獲作業)を開始した。
「モニュゥ~……」
なっちゃんは、自分の鼻先を掠めて飛んでいくイチゴを捕まえられず、少し不貞腐れて地面に座り込んでしまった。
それを見たハムさんが、ひょいとなっちゃんの頭から飛び降り、見事な跳躍でイチゴを一粒キャッチ。そのままなっちゃんの口元まで運んであげた。
「モニュ!」
なっちゃんは嬉しそうにイチゴを咀嚼した。
すると、次の瞬間。
なっちゃんの体が、ふわふわと地面から数センチ浮き上がったではないか。
「なっちゃんが浮いた!?」
「モニュ~? モニュ~ン!」
当の本人は、宙に浮く不思議な感覚が気に入ったのか、空中で泳ぐように脚をパタパタさせている。
まるで、部屋の中を漂う白い風船のようだ。
「……可愛い。……卑怯なほどに、可愛いですわ……! 記録魔石を! 早く記録魔石を持ってきてちょうだい!」
エルゼ様が理性を失って叫び、ルルがイチゴを追いかけて乱舞し、ハムさんが得意げに胸を張り、宙に浮いたなっちゃんが私の周りをゆっくりと回っている。
「……スローライフ、だったはずなんだけどなぁ」
私は、銀色の鱗粉が舞い、赤いイチゴが空を飛ぶ賑やかな庭を眺めながら、思わず空を仰いだ。
ガルドさんのマッドな実験は、どうやら始まったばかりのようだった。
そして、この「空飛ぶイチゴ」が、後に王都を揺るがす大ブームを巻き起こすことなど、この時の私たちはまだ知る由もなかった。




