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第11話:完璧すぎる帳簿と、草原の迎撃作戦

エルゼ様が我が家に居着いてから、一週間が経過した。

彼女の宣言通り、小屋の中はチリ一つ落ちていないどころか、床板が鏡のように光り輝き、なっちゃんが歩くたびに「キュッ、キュッ」と小気味よい音が鳴るほどだ。


さらに恐ろしいのは、彼女が手隙の時間に作り上げた「牧場運営帳簿」だった。


「なつさん、こちらの中期収支報告書をご覧になって」


エルゼ様は、どこから取り出したのかも分からない特級の羽根ペンを鮮やかに操り、羊皮紙を私の前に広げた。そこには、なっちゃんの搾乳量、ハムさんの鱗粉による野菜の成長率、さらにはマリアさんの食堂への卸価格と市場のインフレ率の相関グラフまでが、恐ろしいほどの精密さで記されていた。


「現状、なっちゃん様のミルクの希少価値に対して、マリア様への卸価格は安すぎますわ。再交渉により銀貨三枚の上乗せ、および食堂の看板への『なっちゃん牧場公認』の刻印を義務付けるべきです。それからルル様の警備範囲を北西に十・五メートル広げることで、野兎による食害を零パーセントに抑え込み、同時に近隣の薬草の自生率を向上させることが可能ですの」


「……エルゼ様、あなた王都でどんな教育を受けてきたんですか」


「ただの、モフモフを愛するしがない労働者ですわ。さあ、なっちゃん様。本日の収支は極めて良好です。ご褒美に特製のブラッシングをお見舞いいたしますわよ!」


彼女は真顔でそう言い切ると、なっちゃんを抱き上げて「ああ、このミルクの香りと干し草の混ざった至高のフレグランス……吸い込まずにはいられませんわ……!」と、深く深呼吸スーハーを始めた。なっちゃんは「モニュ……」と困惑しながらも、エルゼ様の完璧な指さばきに、トロトロに溶けて白い餅のようになっている。


そんな平和(?)な光景を破ったのは、止まり木にいたルルの鋭い警告音だった。


「キュイッ! キュイイイッ!」


ルルが羽を逆立て、南の街道を指差している。そこには、王都の紋章が刻まれた三台の重厚な馬車と、武装した騎士たちが砂埃を上げてこちらに向かってくる姿があった。


「……追手、ですね。エルゼ様、どうします?」


私が呟くと、エルゼ様の動きがピタリと止まった。なっちゃんをそっと芝生の上に下ろすと、彼女の瞳に、国一つを滅ぼしかねない冷徹な「公爵令嬢」の光が宿る。


「……兄様ですわ。私をまた、あの書類の山と、中身のない夜会へと連れ戻しに来たのです。……許せませんわ。私のこの、清らかなモフモフ生活を邪魔する者は、例え血を分けた身内であっても、この地の『害獣』として排除対象ですわ」


エルゼ様は静かに立ち上がり、掃除用の箒を槍のように構えた。


「なつさんはなっちゃん様たちを連れて小屋の中へ。ここからは、公爵家の『防衛指揮』スキルをご覧に入れますわ」


馬車が柵の前に止まり、中から見るからに高慢そうで、だが妹にそっくりな整った顔立ちの青年貴族が降りてきた。エルゼ様の兄、公爵家の嫡男カイルである。


「エルゼ! こんな薄汚い草原で何をしている! 早く戻って滞っている領地予算案を片付け……ひっ!?」


カイル兄様の言葉は、エルゼ様の放つ冷気によって凍りついた。


「お黙りなさい、兄様! ここは聖域、私がようやく見つけた安息の地ですわ。鉄の臭いをさせた騎士たちを近づけるなど、万死に値します! ルル様、ハム様、パコ様! 侵入者の迎撃を開始なさい!」


その号令と共に、前代未聞の連携プレイが始まった。

まず、ルルが上空から羽ばたき、局地的な旋風を巻き起こして騎士たちの視界を奪う。

次に、ハムさんが黄金の光を放ちながら騎士たちの足元を縫うように駆け抜け、「黄金の鱗粉」を爆発させた。


「な、なんだこの光は!? 視界が、視界が黄金色に染まる……! 眩しいっ!」


「よし、今ですわ、パコ様!」


待機していたミニ・ロバのパコが、カゴの中から「ガルドさん特製の激辛唐辛子粉」を尻尾で巧みに叩き、ルルの風に乗せて散布した。

「……ブフッ!」というパコの鼻息と共に、草原は阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わる。


「ぎゃあああ! 鼻が、鼻がもげるぅ!」

「目が、目が灼けるようです!」


混乱の極みに達した騎士団の中を、エルゼ様は優雅なステップで進み、震えるカイル兄様の鼻先に箒の先端を突きつけた。


「兄様。これ以上一歩でも敷地に踏み込むなら、王都の全社交界に対して『公爵家嫡男カイル様は、実はフリル付きの猫耳寝巻きを愛用し、枕に名前をつけて話しかけている』という情報を、証拠写真(魔道具による記録)と共に流布いたしますわ。よろしいですわね?」


「……っ!? な、なぜそれを……! それは屋敷の隠し金庫に……! くっ、引け! 全員撤退だ! この妹は、以前よりずっと恐ろしくなっている!」


カイル兄様は顔を真っ赤にして馬車に飛び乗り、砂埃を上げて逃げ去っていった。


「……お見事でした、エルゼ様。でも、最後のは少しやりすぎでは?」


私が呆然と声をかけると、彼女は憑き物が落ちたような聖母のような笑顔で箒を置き、再びなっちゃんを抱きしめた。


「ふふ、これで向こう一ヶ月は静かになりますわ。さあ、なっちゃん様! 勝利を祝して、本日の特選青草サラダをご用意いたしますわよ!」


「モニュ!」


こうして、王都の精鋭騎士団は、一頭の子牛と数匹のミニ動物、そして一人の暴走令嬢によって、文字通り「鼻を明かされて」撃退されたのである。

私のスローライフは、もはや「スロー」とは呼べないほどの熱量と、少しの狂気を帯び始めていた。

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