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第10話:淑女の理性はモフモフの前に跪く

なっちゃんのミルクと、ハムさんの「黄金の鱗粉」による驚異の肥料。

その二つが組み合わさった結果、我が家の庭には、一晩にして「ミニチュア・サイズの瑞々しい野菜」が実る小さな家庭菜園が誕生していた。

朝の陽光を浴びて、なっちゃんはパコと一緒に柵の中で日向ぼっこをし、ルルは高い止まり木から草原を監視している。


そんな、いつも通りの穏やかな午前中のことだった。


「…………こちらかしら。マリア様が仰っていた、『魂を浄化する白黒の至宝』がいらっしゃる場所は」


草原の向こうから、一台の馬車が近づいてくるのが見えた。

といっても、王都で見かけるような派手な装飾を凝らしたものではない。目立たないように地味な塗装が施されているが、その車輪の滑らかな動きや、引いている馬の毛並みの良さから、かなりの「上客」であることが見て取れた。


馬車から降りてきたのは、一人の女性だった。

年の頃は二十代半ば。透き通るような白い肌に、夜の帳のような深い青色のドレスを纏っている。背筋を凛と伸ばし、扇子を手に持つその姿は、周囲の野暮ったい草原から浮き上がるほどに高貴で、そして……驚くほど「目が死んで」いた。


「こんにちは。何か御用でしょうか?」


私が声をかけると、彼女は完璧な——だが、どこか義務的な——微笑みを浮かべて会釈をした。


「ごきげんよう。私は……王都で少し、職務に疲れたしがない令嬢でございます。マリア様の食堂でいただいた『例のプリン』に感銘を受け、その源泉を拝見したく参りました」


彼女の名はエルゼ。王都でも有数の公爵家の令嬢であり、宮廷での果てしない社交と政務に心を削られ、癒やしを求めて極秘でここへやってきたらしい。


「源泉……ああ、なっちゃんのことですね。あそこにいますよ」


私は指を差した。

そこには、ちょうどパコの背中の上に乗ろうとして失敗し、コロコロと転がって芝生の上でヘソ天(仰向け)になっているなっちゃんの姿があった。

なっちゃんは自分の状況に気づいていないのか、そのまま空中で短い脚をパタパタさせながら、「モニュ~」と欠伸をしている。


その光景がエルゼ様の視界に入った瞬間。

彼女の手にあった扇子が、ポトリと地面に落ちた。


「…………っ!? ……ひ……ひっ……」


「エルゼ様? 大丈夫ですか?」


「…………なんて、なんて卑怯な造形デザインなの……! あの丸みを帯びたフォルム、短い四肢、そしてあの……あの、無防備に晒された白いお腹の破壊力! ああ……王都のドロドロとした人間関係で荒みきった私の網膜が、浄化されて溶けていくようですわ……!」


先ほどまでの「完璧な淑女」の仮面が、音を立てて崩れ去った。

エルゼ様はドレスの裾が泥で汚れるのも構わず、膝をついてなっちゃんの方へと這い寄っていく。


「モニュ?」


なっちゃんが起き上がり、不思議そうにエルゼ様の指先をペロリと舐めた。

その瞬間、エルゼ様の口から「…………ふひっ」という、公爵令嬢らしからぬ奇声が漏れた。


「……決めましたわ。私、ここに住みます。いえ、住ませてください」


「ええっ!? 流石にそれは……」


「大丈夫です、働きますわ! 私、公爵家の領地経営で培った『完璧な帳簿管理』と『効率的な労働指揮』のスキルを持っておりますの。それに……そう、お掃除! お掃除なら任せてください! この聖域に、塵一つ落ちていることなど許せませんわ!」


そう言うやいなや、彼女はどこからか取り出した手ぬぐいで豪華なドレスの袖を縛り上げ、私が置いていたほうきをひったくった。


「さあ、なっちゃん様! パコ様! ルル様! そしてハム様! 皆様が不快な思いをされないよう、このエルゼがこの地を楽園へと作り変えて差し上げますわ!」


「キュ、キュイッ!?(なんだこの女!?)」

「モニュ……(びっくりした……)」


突然の「超ハイスペックな掃除婦」の乱入に、ミニ動物たちも少し引き気味である。

だが、エルゼ様の働きは凄まじかった。

彼女が通った後は、小屋の床も、柵の杭も、まるで魔法をかけたようにピカピカに磨き上げられていく。


「……なつさん。この方、本当に公爵令嬢なんですか?」


いつの間にかやってきたガルドさんが、腰を抜かしてパコを撫でている。

「……マリアさんのプリンの副作用かな」


私は、狂ったように笑顔で小屋の壁を磨くエルゼ様と、彼女に追いかけ回されて少し戸惑っているなっちゃんたちを眺めながら、私のスローライフがさらに「騒がしく、でも清潔な方向」へ向かい始めたことを確信した。

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