第六章 四話 『メリークリスマス…そして』
「さ!今日の締めはやっぱりここよ!」
美香が得意げに胸を張って言った。
「なんだ、いつものカフェか」
京介は見慣れた店構えに、少し拍子抜けした様子で呟いた。
最初は入るのにすら抵抗があったのに、今ではすっかり常連客だ。慣れというものは恐ろしい。あの頃の緊張感が嘘のように感じられる。
「でも、閉まってるぞ」
カフェの扉には、「CLOSED」と書かれた看板が吊るされている。この前の騒動で店内の一部が使い物にならなくなった箇所があったらしく、この機会に大規模な改装工事を行うのだとか。再開は三月頃になると聞いていた。
「大丈夫よ。開けてみて」
美香はウインクしながら、自信満々に答えた。
「怒られても知らないぞ……」
京介は半ば呆れながら、恐る恐る扉に手をかけた。
ガチャ
扉が開く。
チリンッ
ドアに取り付けられているベルが鳴り終わる前に、別の大きな音が店内に響き渡った。
パンッ!パンッ!パパパンッ!
音が鳴った瞬間、目の前にカラフルな紙テープやキラキラした紐が飛び出してきた。クラッカーが連続で何度も炸裂し、店内には少し煙が立ち込め、火薬の独特な匂いが鼻につく。
だが、京介はその匂いよりも、目の前に広がる光景に完全に呆気を取られていた。
店内の中央には、天井近くまで届く大きなクリスマスツリーが飾られている。壁や天井には、色とりどりの紙飾りや風船が吊るされ、店全体がまるで夢の世界のようにカラフルに彩られていた。照明も暖色系に変えられており、温かく優しい雰囲気を醸し出している。
「「メリークリスマス!!そして――」」
一拍置いて。
「「八田(さん、君)、誕生日おめでとう!」」
店内にいた全員が、声を揃えて叫んだ。
「……」
京介は言葉を失っていた。
「あ、あれ?八田さん、固まってますよ?」
静が少し心配そうに小声で呟いた。
「ま、まぁ確かに、ここまで盛大だと反応に困るかも……」
大和が静の隣で、同じく小声で返した。
「京ちゃ〜ん?おーい、生きてる?」
劉が手を振りながら、明るく声をかけてくる。
「……あ、そうか……誕生日、か……」
京介は、ようやく状況を理解し始めた。自分の誕生日なんて、すっかり忘れていた。というか、あまり実感がないのだ。
誕生日とは、幼い頃から習慣として行われる年中行事の一つ。
しかし、五歳以前の記憶を失っている京介にとっては、「今日はあなたの誕生日よ」と言われても、「ふーん」としか思えない。
あまり実感が湧かないのだ
それに――
(だって、僕は……)
「京介」
思考の海に流されそうになっていた京介を、ある声が引き戻した。それはとても聞き覚えのある、ここにいるとは思っていなかった、安心する声。
「ば、ばあちゃん?!それにじいちゃんまで!」
京介は驚いて、声の主を見た。
そこには、見慣れた祖父母の姿があった。
「劉くんとそこのお嬢ちゃんにお呼ばれされてね、参加させてもらったよ」
陽子が優しく微笑んだ。
「驚いたよ。わざわざ家まで来てくれてね」
浩二も嬉しそうに言った。
「せっかくなら、大勢の方が楽しいですもの。それに、私だけが祝うなんて贅沢だわ」
振り向くと、美香が優しく微笑んで言った。その表情には、京介を喜ばせたいという純粋な気持ちが溢れている。
「さ、早く中に入ってご馳走を食べましょ!そのためにいっぱい動いたんだから」
そう言って、美香は京介の背中を軽く押してきた。
「は、入るから押すな……」
京介は照れ隠しに、少し不機嫌そうな口調で言った。
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「お二人とも、お飲み物は何になさいますか?」
「緑茶に紅茶、ジュース、コーヒー、なんでもありますよ!」
店内に入ると、横から月夜と天音が声をかけてきた。
「あら、二人とも!似合ってるじゃない!可愛い!」
美香が興奮気味に声を上げた。その理由は、二人の服装にあった。
スカートの長い黒と白のクラシカルなメイド服に身を包んでいる。まるで十九世紀のヨーロッパから抜け出してきたかのような、上品で可愛らしい衣装だ。
「あ、ありがとうございます……」
天音は照れながら答えた。
「どうも」
月夜は視線を遠くに向けながら、素っ気なく返した。
「ねぇ、八田君もいいと思うわよね!」
美香が期待を込めた目で京介を見る。
「ああ、可愛らしい格好だな」
京介は素直に感想を述べた。
「……私の時はポンコツ感想だったのに……八田君、こういうのが好きなのね」
美香は少し寂しそうに呟いた。
「これは、誘導尋問だろ!」
京介は慌てて否定した。
「それで?飲み物は何にするんですか、朴念仁」
月夜が少し呆れた様子で尋ねた。
「このメイド、接客態度がなってねぇな……。オレンジジュースで」
「私はホットコーヒーで!」
「かしこまりました、お嬢様、ガキンチョ様」
「すぐお持ちいたしますので、少々お待ちください!」
そう言って、月夜と天音はバックヤードへと消えていった。
「月夜は接客させない方がいいだろ……」
京介は指を指して言った。
美香に「指を刺すんじゃありせん」と手を下げさせられる。
「大丈夫だよ。京ちゃん、月夜さんのアレは、俺と京ちゃんに対してのみだから」
劉が笑いながらフォローした。
「杉原君は一体何をしたのよ……」
美香が苦笑いする。
「はい!これ、二人の料理取り分けておいたよ!」
劉が誤魔化すように、皿をグイッと差し出してきた。
「ありがとう」
京介と美香は受け取った。皿には、チキンやポテト、サラダなどが彩りよく盛り付けられている。どれも美味しそうだ。
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パーティーは立食形式らしく、店内の椅子はすべて取り払われていた。複数の机をくっつけて作られた一つの大きなテーブルの上には、ローストビーフやシチュー、シーフードサラダ、コーンスープなど、さまざまな料理が所狭しと並べられている。湯気が立ち上り、食欲をそそる香りが店内を満たしていた。
美香は、天音や月夜のところへちょっかいをかけに行き、劉は「おかわり取ってくる!」と軽い足取りでキッチンの方へと消えていった。
陽子と浩二は、千代とワイン片手に楽しそうに談笑している。
テーブルには、美味しそうな料理がずらりと並んでいる。どれも食欲をそそるし、さっきまで空腹でたまらなかったはずなのに――
なぜだろう。
手に持ったフォークも、グラスも、まるで別の誰かの物みたいに重くて、どうしても口に運ぶ気になれない。
妙な”満腹感”がある。胸のあたりが、何かで満たされているような感覚だ。
「どうかしましたか、京介くん。料理がまったく進んでいませんね」
低く落ち着いた声が隣からした。
透が心配そうにこちらをのぞき込んでくる。
できるだけ平然を装っていたつもりだったが……やはり探偵の目は誤魔化せないらしい。
「あ、えっと……お腹は空いてるんですけど、なんか、食べる気が起きなくて……」
京介は正直に答えた。
「ふむ」
透は指を顎に添え、少しだけ目を細めた。何かに気づいたように、口元だけが穏やかに緩む。
「なるほど。そういうことですか」
「え?原因がわかるんですか?」
「ええ、もちろん」
くすり、と大人びた笑みを浮かべる。どこかからかうようで、けれど嫌味のない優しい声音。
「それはですね――“胸がいっぱいで食べられない”、というやつですよ」
「胸がいっぱいで……?」
言葉として聞いたことはあった。でも、こんなふうに身体に出るものなのか。京介は自分の胸に手を当てた。
透は肩をすくめ、柔らかく微笑む。
「緊張でも、安心でも、嬉しさでも、人は意外とすぐに満たされてしまうものです。少し場に慣れれば、ちゃんと食べられます。焦らなくて大丈夫ですよ」
その声音は、妙に落ち着いていて――大人の余裕に触れたような気がして、京介は思わず胸の奥がさらに温かくなるのを感じた。
「……はい」
(お父さんって、こんな感じなのかな……)
京介は、記憶にない存在に心をざわつかせた。父親というものを知らない自分にとって、透のような存在は、どこか憧れのような感情を抱かせる。
「おや、余興が始まるみたいですよ」
透が視線を向けた先を見ると、いつの間にか店内の一角に簡易的なステージが設置されていた。
「みんなー、集まって〜!ビンゴ大会するよー!」
ステージの上には、赤や黄色のモールを身体中に巻きつけ、頭にはパーティー用の三角帽子を被った美香が、マイクを握って立っていた。
「なんだ、あの浮かれポンチな格好……」
京介は呆れたように呟いた。
「せっかくのおしゃれな服装が台無しですね」
透も苦笑しながら言った。
「そこー!大方言いたいこと、わかるんだからねー!さっさとこっち来なさい!」
こちらの複雑な感情を読み取った美香が、プンスコと怒りながら二人を呼んだ。
「ふふ、お嬢様がお呼びですね。行きますか」
透が穏やかに促した。
「はあ……本当、底なしの元気だな」
京介は口では悪態をついたが、透が声をかける前にはもうステージの方へと歩き出していた。楽しんでいることが、隠しきれていない。
「きっと、ビンゴが終わる頃には、お腹いっぱい食事が楽しめますよ」
透は京介の背中を見ながら、そっと呟いた。
ーーー
ビンゴ大会は大いに盛り上がった。
美香が司会進行を務め、劉が抽選機のハンドルを回す役割を担当している。透明なドーム型の抽選機の中で、色とりどりのボールがカラカラと音を立てて回転していた。
「それでは、最初の番号を引きますよー!」
美香の声に、全員が手元のビンゴカードを握りしめる。
「最初の番号は……B-7!」
劉が取り出したボールを高く掲げた。あちこちから「あった!」「まだまだ」といった声が上がる。
全員分の景品が用意されており、公平になるようビンゴになった人から順番にくじを引き、書かれた番号の景品を受け取るシステムだ。
景品が並べられたテーブルには、大小さまざまな包みが整然と並んでいる。
【ビンゴ結果】
一番目:月夜
「ビンゴです」
月夜が静かに手を挙げた。くじを引いて包みを開けると、中から最新型のゲーム機が現れた。
「ゲーム……初めてやりますね。……少し楽しみです」
月夜は普段の無表情を保ちながらも、どこか嬉しそうにゲーム機の箱を眺めていた。その様子を見て、天音がくすくすと笑う。
二番目:透
「おや、私ですね」
透は落ち着いた動作でくじを引き、包装紙を丁寧に開いた。中身は高級ワイヤレスイヤホンだった。
「おや、これ最新のやつじゃないですか。気になっていたんですよ」
透は満足そうに微笑み、イヤホンのケースを手のひらで確かめるように触った。
三番目:陽子
「あら、次は私みたいね」
陽子が上品にくじを引くと、細長い箱が当たった。開けてみると、それは高級万年筆だった。深い青色の軸に金色の装飾が施された、美しい一品だ。
「あら!お高そうな万年筆。久しぶりにお手紙でも書こうかしら?誰に書こうかしらね」
陽子は嬉しそうに万年筆を手に取り、光にかざして眺めた。
四番目:美香
「やった!ビンゴ!」
美香が元気よく手を挙げた。くじを引いて開けると、ヘアアイロンが入っていた。
「わぁ、ヘアアイロン!いつもはお手伝いさんにヘアセットしてもらってるのだけど、自分でもやってみようかな」
美香は目を輝かせながら、箱の説明書きを読み始めた。
五番目:天音
「あっ、ビンゴです!」
天音が嬉しそうに声を上げた。くじを引いて受け取った景品は、色とりどりのお菓子がぎっしり詰まった大きな詰め合わせだった。
「わぁ、すごいいっぱい!お姉ちゃん!後で一緒に食べようね」
天音は箱を抱えて、月夜のもとへと駆け寄った。月夜は「ええ」と短く答え、妹の頭を優しく撫でた。
六番目:劉
「お、きたきた!ビンゴ!」
劉が元気よく手を挙げた。くじを引いて受け取ったのは、アロマディフューザーとエッセンシャルオイルのセットだった。
「ア、アロマ……。全部知らない花の香りだ……」
劉は箱を開けて、恐る恐る小瓶の蓋を開けて匂いを嗅いだ。「うわ、いい匂い!」と驚いたように声を上げる。
七番目:京介
「……ビンゴ」
京介が小さく呟いた。くじを引いて受け取った景品を開けると、そこには巨大なクマのぬいぐるみが入っていた。高さは優に一メートルを超えている。
「でっか……。どうやって持って帰ろう……」
京介は困惑した表情で、巨大なクマを抱えた。周囲から笑い声が上がる。
「あら、可愛いじゃない!」
美香が楽しそうに言った。
「京ちゃん、それ部屋に置いたら場所取りそうだね」
劉もニヤニヤしながらからかった。
八番目:浩二
「おお、やっとビンゴだ」
浩二が安堵したように手を挙げた。くじを引いて受け取ったのは、入浴剤のセットだった。
「おや、これはありがたいねぇ。最近疲れが溜まってたんだ」
浩二は嬉しそうに箱を眺めた。
九番目:千代
「あら、私が最後ね」
千代が穏やかに微笑みながら、最後の景品を受け取った。それは美しいスノードームだった。ガラスの中には、小さな雪景色と教会が閉じ込められている。
「まぁ、素敵。店に飾りたいわぁ」
千代はスノードームを優しく揺らし、中の雪が舞う様子をうっとりと眺めた。
ビンゴ大会が終わると、次はお待ちかねのケーキタイムだ。
天音と月夜が、バックヤードから巨大なクリスマスケーキを運んできた。
三段重ねになった豪華なケーキで、表面には真っ白な生クリームがたっぷりと塗られ、イチゴやブルーベリー、食用の金箔が美しく飾られている。てっぺんには、チョコレートで作られたサンタクロースとトナカイの砂糖菓子が載っていた。
「わぁ、すごい……!」
美香が目を輝かせた。
「これ、どこで注文したんですか?」
静が感心したように尋ねた。
「僭越ながら私が作らせていただきました。」
千代が誇らしげに答えた。
「す、すごい」
「さぁ、八田君。ろうそくを吹き消して」
美香が京介を促した。
ケーキの中央には、「Happy Birthday Kyosuke」と書かれたプレートが飾られ、その周りに16本のろうそくが立てられていた。
火が灯され、揺らめく炎が京介の顔を照らす。
「じゃあ、みんなで歌いましょう!」
美香の合図で、全員が「ハッピーバースデー」を歌い始めた。
京介は少し照れくさそうに、顔を赤らめる。
それでもどこか嬉しそうに、ろうそくの炎を見つめていた。
歌が終わると、京介は深く息を吸い込み、一気にろうそくを吹き消した。
煙が立ち上り、拍手と歓声が店内に響く。
「おめでと、京ちゃん!」
「おめでとうございます、八田さん」
静と大和も笑顔で祝福する。
ケーキは丁寧に切り分けられ、全員に配られた。生クリームはふわふわで、スポンジは柔らかく、口の中でとろけるような美味しさだった。
「美味しい……!」
美香が幸せそうに頬を緩めた。
「本当に美味しいですね」
天音も嬉しそうに笑った。
京介も黙々とケーキを食べていたが、その表情には確かな満足感が浮かんでいた。さっきまでの「胸がいっぱい」な感覚は、いつの間にか消えていた。透の言った通りだ。
午後八時頃
ケーキを食べ終わり、店内は穏やかな余韻に包まれていた。
京介は、美香から「誕生日だから特別ね」と言って貰った、サンタクロースの形をした砂糖菓子をガジガジと齧っている。甘くて、少し硬い。
でも、不思議と心が温まる味だった。
「美味しい?」
美香が隣で尋ねた。
「……かふぁい」
京介は素っ気なく答えたが、その表情は柔らかかった。




