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諦めた僕と諦めないお嬢様の話  作者:
第六章

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第六章 一話 『日常』

あの騒動から1週間が経った。京介も天音も、ようやく体調が完全に回復し、それぞれの学校生活へと戻っていった。


まるであの時の出来事が遠い昔のように感じられるほど、日常が戻ってきていた。


だが今、京介には別の深刻な問題が立ちはだかっていた。


それは――


「ぜんっぜん、わからん!」


京介は頭を抱えて机に突っ伏した。目の前のノートには、まるで暗号のような数式が並んでいる。


「だからさっきから何度も言ってるじゃないですか。そこの式は、この式に代入するんです。何のためにXとYに分けてると思ってるんですか」


隣で呆れたように溜息をつくのは、クラスメイトの月夜だった。


京介は1週間ほど学校を休んだこともあり、授業に大きく遅れを取っていた。


もともと勉強熱心とは言い難い性格も災いして、なかなか追いつくことができない。


いや、それ以前の問題として、基礎の基礎すら理解できていないのが現状だった。


普段ならギリギリ赤点は回避できる程度の成績を維持していたのだが、今回ばかりは自信がない。


しかも――実は前回の中間テストで赤点を取ってしまったこともあり、状況は相当にまずかった。留年の危機すら視野に入ってくる。


そんなわけで、同じクラスの月夜にノートを写させてもらうついでに、勉強を見てもらっているのだが――これがまたスパルタなのだ。


月夜が焦るのも無理はない。


2週間後には期末テストが控えているというのに、京介は初歩の初歩すら理解できていない。このままでは本当に危ない。


しかも問題なのは数学だけではなかった。これが国語、英語、理科、社会を含めた5教科すべてとなると、教える側も教わる側も、まさに地獄である。


ちなみに、月夜自身は京介と天音が目覚めた次の日から学業に復帰したため、さほど問題はないらしい。


もともと頭の良い月夜にとっては、数日程度の遅れは大したことではないようだ。


授業の内容も、教科書を読み返せばすぐに理解できてしまう。


普段から授業を真面目に聞いていない京介とは、まさに雲泥の差だった。


「なんでコイツ、鉛筆を16ダースも買うんだよ。業者か?!」


京介は算数の文章問題を指差して叫んだ。


「そういうもんです。諦めてください」


月夜は冷静に答える。


「僕は文系なんだ。計算は苦手なんだよ」


「『僕は文系』ですって?」


月夜の眉がピクリと動いた。そして、プルプルと肩を震わせながら、手元の別のプリントを取り出す。


「じゃあ、この回答はなんですか!」


それは国語、『羅生門』の小テストだった。月夜が突きつけたのは、京介の答案用紙である。


そこには、こう書かれていた。


問6:下人はなぜ老婆の着物を剥ぎ取ったのか。文中の言葉を用いて答えなさい。


A.言い訳する老婆にむかついたから


「だってムカつくだろ」


京介は不服そうに言った。


「誰があなたの感情を答えろって言いました? 文章から抜き出すんですよ。作者の意図を読み取って、根拠を示すんです」


月夜は額に手を当てた。


「あと、『道端』くらい漢字で書けてください。小学生じゃないんですから」


「うう……やっぱりノート写させてもらうだけでいいよ」


さすがにここまで丁寧に教えてもらって理解できないのは申し訳ない。京介は小さくなって言った。


「は? 何言ってるんですか」


月夜の目が、ギラリと光った。


「ここで諦めたら、私の教え方が悪いみたいじゃないですか」


「え? そういうわけじゃ……」


「いいですか。これからテストまでの2週間、あなたのその小さい脳みそに、しっかりと叩き込みますので。覚悟なさい」


月夜は拳を握りしめ、メラメラと燃えるような闘志を見せた。


「ひぇ……」


京介は思わず後ずさる。


その後、月夜のスパルタ教室に、さらに劉講師も参戦することになるとは――京介はまだ知らない。


地獄の2週間が、今まさに幕を開けようとしていた。


ーーーー


「天音さん、授業のほうは大丈夫?」


授業が終わり、次の授業までの小休憩。教室内がざわめく中、美香は隣の席に座る天音に声をかけた。心配そうな表情を浮かべながら、天音のノートを覗き込む。


「はい! 美香さんや凛さんのお陰でノートはバッチリですし、わからないところは先生に直接聞いていたので、問題ないです!」


天音は明るく答えた。


1週間の欠席のブランクを感じさせないほど、彼女は順調に授業に追いついているようだった。ノートには丁寧な文字でびっしりと書き込みがされている。


「天音さんは本当に勤勉ね。どこかの誰かさんにも、ぜひ見習ってほしいものだわ」


美香は感心したように言いながら、少し呆れた表情を見せた。


その視線の先には、明らかに特定の誰かの顔が浮かんでいるようだ。

「いったい、誰のことなんでしょうね?」

天音はクスッと小さく笑って返す。誰のことを指しているのかは、二人とも分かっていた。


きっと今頃、その人物は勉強に四苦八苦しているに違いない。


そんな会話を交わしていると――


「ねぇ、このあと校内のカフェで勉強ついでにお茶しない?」

後ろの席から、町田凛が明るい声で話しかけてきた。教科書を片手に、期待に満ちた表情でこちらを見ている。


「いいわね。確か、新しいスイーツが入荷したのよね。前から気になっていたの」

美香は目を輝かせた。勉強も大切だが、美味しいものを食べながらのほうが、きっと捗るはずだ。


「秋の果物をふんだんに使ったパフェですよね! 私も気になってました。栗とか梨とか、季節感があって美味しそうです」

天音も嬉しそうに頷いた。学校のカフェは味にも定評があり、生徒たちの憩いの場となっている。新メニューが出るたびに、すぐに話題になるのだ。


「ふふ、じゃあ早速行きましょう。」

美香が立ち上がると、天音と凛もそれに続いた。


三人は教室を出て、廊下を歩き始める。窓の外には秋晴れの空が広がっており、爽やかな風が吹き込んでいた。こんな穏やかな日常が、今はとても尊く感じられる。


校内カフェへと向かう足取りは、自然と弾んでいた。

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