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諦めた僕と諦めないお嬢様の話  作者:
第五章

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第五章 十二話 『傲慢お嬢様とバリアの少年』 Ⅲ

「これで……足りるかな……」


京介は財布を開き、中身を確認した。薄暗い店内の蛍光灯の光が、小銭に反射してちらちらと輝く。


手が震えている。500円玉が一つ、100円玉が三つ、10円玉が五つ。硬貨が掌の上で小さく音を立てた。京介は唇を噛みしめながら、もう一度数え直す。一枚、また一枚と、丁寧に指で確かめていく。


合計850円。


「う!た、足りない……」


京介の顔が曇った。985円の商品を買うには、135円足りない。たった135円。大人にとっては些細な金額かもしれないが、子供の京介にとっては、大きな、とても大きな壁だった。


その事実が、重く心にのしかかる。


「あー、もう!」


美香は悔しそうに叫んだ。


拳を握りしめ、唇を噛む。


ピンク色のパジャマの裾を強く握りしめている。涙がこぼれそうになるのを、必死にこらえていた。


早朝に屋敷を抜け出して、初めて普通のコンビニで買い物をしようとしたのに。


執事や使用人の目を盗んで、こんなにドキドキする冒険をしたのに。たった135円で、すべてが台無しになるなんて。


美香は横目で京介を見た。

彼は財布を握りしめたまま、うつむいている。その小さな背中が、とても悲しそうに見えた。

(あ…)


その時——


「きゃああああ!」


外から女性の甲高い悲鳴が聞こえた。


その声は夜の静寂を切り裂くように響き、コンビニの窓ガラスを震わせた。


店内の空気が一変する。さっきまでの和やかな雰囲気が消え、緊張が走った。三人が同時に入口の方を振り返る。


ガシャン!


コンビニの自動ドアが勢いよく開き、三人の男が乱入してきた。全員が黒いストッキングを頭からかぶり、目と口だけが歪んだ穴から覗いている。顔の輪郭が不気味に歪んで、人間というより化け物のようだった。覆面強盗だ。


一人目の男はバットを持ち、それを肩に担いでいた。筋肉質な腕、その腕は太く、バットを振り下ろせば、簡単に人間の骨を折れそうだった。


二人目の男はナイフを握りしめていた。刃渡り20センチはありそうな、果物ナイフではない本物の刃物。刃が蛍光灯の光を反射して、鈍く、嫌な光り方をしている。


三人目の男は何も持っていないが、体格が大きい。2メートル近くあるその巨体は、それだけで十分な凶器だった。肩幅も広く、まるでプロレスラーのようだ。その影が、店内の床に長く、濃く伸びている。


「動くな!動いた奴から殺すぞ!」


バットを持った男が叫んだ。その声は低く、荒々しく、暴力の匂いがした。



店員の顔が一瞬で青ざめる。

さっきまでの余裕のある表情は完全に消え去り、恐怖に歪んだ顔になった。


両手を震わせながら、ゆっくりと上げる。

「ど、どうぞ、落ち着いて……」と、かすれた声で言った。


「レジの金を全部出せ!早くしろ!時間をかけるな!」


ナイフを持った男が、カウンターに近づきながら店員を脅す。ナイフの先端を店員の顔に向け、舌なめずりをした。


「もたもたするんじゃねえぞ。このナイフは、よく切れるんだからな」


美香と京介は固まった。


強盗——テレビでしか見たことがない、ニュースの中だけの、遠い世界の出来事だと思っていた本物の犯罪。それが今、目の前で起きている。空気が重い。


息をするのも苦しい。心臓が激しく打っている。ドクン、ドクンと、耳の奥で自分の鼓動が響く。


「てめえら、大人しくしてろ!動くんじゃねえぞ!」


体格の大きい男が、美香と京介の方を向いた。


その巨大な影が、二人を覆う。小さな子供にとって、その姿は怪物のようだった。暗闇から現れた、絵本に出てくる悪い魔物のような。


美香は一瞬、純粋な恐怖を感じた。


屋敷で守られていた絵本のようなお姫様の世界とは違う、


本物の悪意。


本物の暴力。


本物の危険。


体が震え始める。足が竦む。

呼吸が浅くなり、手先が冷たくなっていく。


でも——


次の瞬間、美香の中で何かが燃え上がった。


恐怖が、怒りに変わる。


「……負けないんだから」


美香は小さく、しかし力強く呟いた。

拳を握りしめ、歯を食いしばる。怖い。


でも、ここで逃げたら、京介を守れない。

店員さんも助けられない。お嬢様だからって、いつも守られてばかりじゃ、ダメなんだ。


そして——能力を発動させた。


周囲の感情が、美香に流れ込んでくる。


店員の極度の恐怖——鋭い、針のような感覚が、胸に突き刺さる。


京介の不安と混乱——もやもやとした重さが、心を圧迫する。


強盗たちの興奮と焦りと快楽——ドロドロとした、不快な熱が、体を這い回る。


それらすべてが、美香の中でエネルギーに変換される。


美香の体が淡く輝き始めた。


ピンク色の光が、パジャマの上から溢れ出す。最初は小さな光の粒だったものが、どんどん大きく、明るくなっていく。髪が風もないのに揺れ、よく手入れされた黒髪が光を帯びて、まるで後光が差しているようだ。


瞳が神秘的に光る。

青い瞳が、蛍光灯よりも明るく輝いている。


「な、なんだ、こいつ!」


体格の大きい男が驚いて、一歩後ずさった。

目を見開き、口をぽかんと開けている。


美香が近くにあった商品棚から、手当たり次第に商品を掴んで投げつけた。缶ジュース、お菓子の箱、雑誌、ペットボトル。


一つ一つが、能力で加速されて、弾丸のように飛んでいく。


「っ!クソガキ!」


男たちは腕で顔を庇いながら、商品の雨を避ける。缶ジュースが男の額に当たり、鈍い音を立てた。


しかし、美香が投げたものの中に、良くないものが混じっていた。


モバイルバッテリーだ。


それが放物線を描いて飛んでいき——ホットスナックを揚げる用の、熱々の油に落ちた。


一瞬の静寂。


そして——


ボンッ!


派手な音を立てて、油が大爆発した。


熱した油が四方八方に飛び散り、火柱が上がる。コンロの火に引火して、炎が一気に広がった。天井まで届きそうな炎が、オレンジ色に揺らめいている。


ついでに、近くにいた別の強盗——ナイフを持った男にも被害が出ていた。


「あっつ!あっつあつあつ!」


「消火しろ消火!早く消せ!」


二人の男が慌てて、消火器を探し始める。

しかし慌てているせいで、どこにあるかわからない。店員は恐怖で固まったままで、助けてくれない。


「はぁーっ!」


美香は隙を見つけた。


足を曲げ、弾みをつけて、眼前の巨大な男に向かって飛び出す。小さな体が、一瞬宙に浮く。能力で加速し、ピンク色の光の軌跡を残しながら、突進した。


しかし——


「遅えんだよ!」


男は予想以上に素早かった。


体格の割に身軽で、光球を軽々と避ける。体を横に倒し、光球は男の脇をすり抜けていく。


そして、着地した美香に、容赦なく蹴りを入れる。


「危ない!」


京介が叫ぶ。声が裏返っていた。


男の足が、美香に向かって伸びてくる。大きな、太い足。その靴底が、美香の小さな体に迫る。


美香は必死に両手でガードしようとした。腕をクロスさせ、体を丸める。でも——


間に合わない。


ドスッ!


重い音が響いた。


男の足が、美香の肩に当たる。


「ぐっ!」


美香は床に倒された。


背中から落ちた衝撃で、息が詰まる。肺から空気が押し出され、一瞬、呼吸ができなくなった。視界が白く霞む。床の冷たさが、背中に伝わってくる。


次の瞬間、男の巨体が覆いかぶさってきた。


男の重い体重が上から圧し掛かり、動けない。能力は確かに強力だ。大人を吹き飛ばすこともできる。でも、この物理的な体格差は、どうしようもなかった。男は優に80キロはありそうだ。美香の体重の3倍以上。子供の力では、どうやっても動かせない。


「離して!離しなさい!」


美香は必死にもがいた。


能力を使おうとするが、手足を拘束されては効果的な攻撃にならない。


光が手から漏れ出すが、あちこちに散っていくだけだ。


「おとなしくしやがれ!このクソガキが!」


男が美香の両手首を掴んで、床に押さえつける。


その力は圧倒的だった。骨が軋むような痛み。手首に、男の指の跡がくっきりと残る。


「っ!」


美香は、自身の小ささを、力のなさを、初めて心の底から実感した。


能力があっても、体が小さければ、こんなにも簡単に押さえつけられてしまう。悔しい。情けない。涙が滲んできた。


その時——


京介が動いた。


「バリア!」


京介は本能的に叫び、能力を発動させた。


青白い光の膜が彼の手から放たれ、男と美香の間に展開された。光の壁が、二人を隔てる。次の瞬間、男の体が後ろに弾き飛ばされた。


ドンッ!


男は背中から商品棚に激突し、缶詰が雨のように降ってきた。


まだ不安定なバリアだった。形も歪で、すぐに消えてしまった。でも、今まで出した中で最も強力なものだった。京介自身も驚いている。こんなに強いバリアは、初めてだった。


「っ!な、なんだぁ?!」


仲間の男が驚いて、後ろに飛び退く。


「今のうちに!」


京介が手を差し伸べた。小さな手が、美香の前に伸びている。


呆けていた美香は咄嗟にその手を掴んだ。京介の手は、温かかった。震えていたけれど、力強かった。


京介が全力で引っ張り上げる。美香の体が、床から浮き上がった。


「大丈夫?!早く逃げよう!」


京介は美香の手を強く握り、店の奥へと走り出した。


「待ちやがれ!逃がすか!」


強盗たちが追いかけてくる。重い足音が、後ろから迫ってくる。


二人は商品棚の間を駆け抜けた。お菓子のコーナー、飲み物のコーナー、雑誌のコーナー。美香は裸足で床を蹴り、京介に引っ張られながら必死に走る。足の裏が冷たい床に触れるたびに、パタパタと音がした。


「こっちだ!」


京介が、バックヤードへの扉を見つけて、勢いよく開けた。


二人は中に飛び込む。狭い通路に、段ボール箱が積まれている。奥には、従業員用の休憩室らしき部屋が見える。


京介が扉を閉める。そして——


「えい!」


ーーガチャ


京介が扉をロックした。

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