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諦めた僕と諦めないお嬢様の話  作者:
第五章

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第五章 十二話 『傲慢お嬢様とバリアの少年』Ⅰ


「月夜さん、お好きな茶葉はある?」

美香は優雅な仕草で尋ねた。


「いえ、特にこだわりはないです」

月夜の控えめな返事に、美香は微笑んだ。


「じゃあ、私の好きなものを淹れるわね」


美香は自室にあるティーポットに水を注ぎ、棚から丁寧に茶葉を取り出す。普段は京介と同じアパートの隣部屋で過ごしているのだが、こうして草薙家の自室に戻ってくると、その使いやすさに改めて気づかされる。


それもそのはず、使用人たちが美香がいつでも帰って来られるように、細やかに手入れをしてくれているからだ。家具の一つ一つが磨き上げられ、カーテンは季節に合わせて取り替えられ、花瓶には新鮮な花が生けられている。


「どうぞ」


美香は丁寧にティーカップを差し出した。


「ありがとうございます……あら、いい香り」


月夜が湯気の立ち上るカップに顔を近づけ、芳醇な香りを楽しむ。


「ダージリンよ。王道だけど、やっぱりいいわよね」

美香は満足そうに言うと、ふかふかのソファに腰を下ろした。


「よいしょっと」


「隣ですか?!」


月夜は驚いて目を見開いた。正面にも立派なソファがあるというのに、美香はわざわざ月夜の隣に座ってきたのだ。二人の距離は驚くほど近い。


「いいじゃない、いいじゃない♪」


美香は楽しそうに笑う。その屈託のない笑顔に、月夜は思わず表情を緩めた。


「……もう」


月夜は仕方がないという顔をして、もう一口、紅茶を口に運ぶ。琥珀色の液体が喉を通り、体が温まっていく。その瞬間、月夜はハッとした。美香を苦手に思う理由が、突然明確になったのだ。


(この人、天音と考え方が似てるんだ)


妹にそっくり。だから妙に情が移りそうで怖かったのだ。現に今も、つい少し妹扱いをしてしまっている自分がいる。美香の無邪気さ、率直さ、そして時折見せる甘えた仕草が、天音と重なって見えるのだ。


「うーとね、どこから話そうかしら」


美香は少し考え込むような表情を浮かべた。ティーカップを両手で包み込み、その温もりを感じながら記憶を辿る。


「……うん、ここからにしよ。これは私が6歳か7歳くらいの時の話よ」


美香の表情が少しだけ曇る。思い出すのは、決して誇らしくはない過去。でも、今の自分を形作る大切な記憶でもある。


-----

当時の草薙美香という少女は、自信に満ち溢れていた。いや、正確に言えば、今の美香も自信がないわけではない。


しかし、幼い頃の彼女には、幼さ故の蛮勇さ、そして傲慢さがあった。


周りが見えていない、自分が世界の中心だと信じて疑わない、そんな子供特有の無邪気な傲慢さだ。大人になった今、当時の自分を振り返ると、顔から火が出るほど恥ずかしい。


でも、あの頃の自分がいたからこそ、今の自分がある。そう思うと、否定することもできない複雑な気持ちになる。


それも仕方がないことだった。


美香は国内有数の資産家、草薙カンパニーの末っ子として生まれた。上には8つ歳の離れた兄がおり、5つ歳の離れた姉がいた。世話好きな兄と姉は、小さな美香を大層可愛がった。「美香ちゃん、これ欲しい?」「美香、あそこ行こう!」と、常に気にかけてくれる優しい兄姉だった。


兄は美香が欲しがる前に欲しいものを察して買ってくれたし、姉は美香の髪を丁寧に結んでくれて、可愛い服を選んでくれた。


おまけに、「あれが欲しい」と言えば父が何でも買い与え、「これが困った」となれば母が優しく助けてくれた。


美香は大層な家族愛に包まれて育ったのだ。


誕生日には豪華なパーティーが開かれ、欲しいものは翌日には手に入り、困ったことがあれば誰かが必ず解決してくれる。庭には季節ごとに新しい遊具が設置され、部屋には最新のおもちゃが次々と運び込まれた。


そんな環境で育った少女が、どんな性格になるかは想像に難くない。


そうやって蝶よ花よと育てられた少女は、とんでもないわがまま娘に成り果てた。

習い事が嫌だと思えば、ソファに座ったまま頑なに動こうとしない。

「美香お嬢様、お時間ですよ」と声をかけられても、「いや」と一言。それ以上何を言われても、美香はふんぞり返ったまま動かない。


使用人たちが困り果てた表情で顔を見合わせるのを、美香は涼しい顔で眺めていた。教育係に会いたくなければ、執事の如月に頼んでこっそり抜け出し、広大な中庭で花を摘んだり、蝶を追いかけたりして遊んでいた。


「美香お嬢様、どちらにいらっしゃいますか!」という使用人たちの声を、木陰に隠れてクスクスと笑いながら聞いていた。まるで隠れんぼでもしているかのように、美香は屋敷のあちこちに隠れ場所を作っていた。


そして、強引に連れて行こうとすると、手足をバタバタさせて暴れるのだ。「いや! いやー!」という金切り声が屋敷中に響き渡る。


使用人たちは困り果てた顔で顔を見合わせるばかりだった。若い使用人は「どうしましょう」と先輩に助けを求め、ベテランの使用人は深いため息をついた。


誰もが、この小さな暴君をどう扱えばいいのか分からなかった。

それだけならまだ、可愛らしい駄々っ子で済んだかもしれない。

しかし、そんな少女をさらに手に負えない存在にした要因があった。


それは『他者の感情を読み取り、それをエネルギーにする能力』だった。美香がこの能力に気づいたのは、6歳の頃だった。ある日、母が悲しんでいるのを感じ取った。言葉にしなくても、母の心が手に取るように分かった。そして、その感情が美香の中に流れ込んできて、不思議な力になった。最初は怖かった。でも、すぐに美香はこの力を使いこなすようになった。


美香の父は、娘のこの特殊な力を発見するとすぐに、使用人全員に厳重な緘口令を敷いた。

「決して外部に漏らしてはならない。これは命令だ」

父の声は普段の優しい声とは違い、冷たく厳しかった。使用人たちは緊張した面持ちで頷いた。美香の能力が外部に知られれば、様々な危険が降りかかる可能性がある。


研究対象として狙われるかもしれない。

悪用しようとする者が現れるかもしれない。

父は娘を守るために、あらゆる可能性を考えていた。

そして、父は使用人たちに命じた。


「無闇に美香の能力を使わせないようにしろ」

使用人たちは困惑した。

なぜなら、少女は駄々をこねる際に能力を使用して、巧みに逃げ回るからだ。


周囲の感情を読み取り、誰がどこにいるか、誰がどう動くかを予測してしまう。

まるで透視能力でも持っているかのように、美香は使用人たちの裏をかいた。

廊下の角で待ち伏せている使用人を事前に察知し、別の道を選ぶ。

追いかけてくる使用人の疲労を感じ取り、あと少しで諦めるタイミングを見計らう。美香にとって、屋敷中が自分のテリトリーだった。


そして誰も彼女を捕まえられず、少女の自尊心は風船のように膨れ上がっていった。「私は特別なんだ」「私には皆にはない力があるんだ」という思いが、日に日に強くなっていく。


鏡の前で、美香は自分に微笑みかけた。「私は選ばれた人間なんだ」と、本気で信じていた。

そして、ついに事件が起きた。

少女が小学校で能力を使用し、大きな問題を起こしたのだ。


それは、小学校一年生の夏休み前のことだった。

あるAという男の子が、Bという男の子の筆箱を隠したのである。Bは泣きながら探していたが、Aは「知らない」としらを切っていた。


しかし、他者の悪意を見抜ける美香には、その嘘が通用しなかった。美香はAの表情、感情の波を読み取り、隠し場所を正確に特定した。


Aの心からは、いたずらの成功に対する満足感と、バレるかもしれないという不安が入り混じって漏れ出ていた。

「Aくんの机の中でしょう」


美香がそう告げると、案の定、そこから筆箱が出てきた。Bは安堵の表情を浮かべ、クラスメイトたちは驚きの声を上げた。


「すごい!」「どうして分かったの?」という声が飛び交う中、Aだけが真っ青な顔をしていた。

するとAは顔を真っ赤にして叫んだ。

「なんで分かったんだよ! この魔女!」


その言葉が引き金だった。

魔女——その言葉が、美香の何かを刺激した。


美香は魔女なんかじゃない。


ただ、特別な力を持っているだけだ。


それを魔女と呼ばれることが、たまらなく腹立たしかった。

次の瞬間、少女の小さな拳がAの鼻を強く打ち抜いた。



ゴキッという嫌な音がして、Aの鼻から鮮血が噴き出す。赤い血が白いシャツに飛び散った。


教室は一瞬静まり返り、その後、大騒動となった。女子が悲鳴を上げ、男子が先生を呼びに走り、Aは泣きわめき、Bは呆然と立ち尽くしていた。美香は自分の拳を見つめた。

少し痛かった。でも、それよりも、自分が何をしてしまったのかという実感が湧かなかった。


もちろん、その騒動は大問題に発展した。

Aの家もそこそこの家柄だったこともあって、両家の間で色々と揉めたらしい。


謝罪、示談、賠償……大人たちの間で様々な話し合いが行われた。美香は何度も謝罪の場に連れて行かれた。でも、美香には実感がなかった。自分が悪いことをしたという自覚が、どこか薄かった。「魔女って言われたから」という理由が、美香の中では正当化されていた。


美香の父は、ついに心を鬼にした。

「夏休みの期間中、何が悪かったか分かるまで部屋から出してはならない」

厳格な命令が下された。

父の声には、怒りと失望が混ざっていた。


美香はその声を聞いて、初めて少しだけ怖くなった。でも、素直に謝る気にはなれなかった。


もちろん少女は抵抗した——拳で。


ドン! ドン! と、ドアを何度も叩き、蹴りつけ、壁を殴った。「出して! 出しなさいよ!」と叫び続けた。


しかし、部屋は特注で作られており、かなり頑丈だった。どんなに頑張っても、壁を少し凹ませるのが限界だ。


美香の小さな拳では、分厚い扉を壊すことはできなかった。拳が赤く腫れ、痛みが走る。でも、美香は叫び続けた。


せっかくの夏休みなのに、こんなつまらないことになってしまった。美香はソファにぶすっとした顔で座り込み、ぶー垂れた。窓の外では、蝉が賑やかに鳴いている。


他の子供たちは今頃、プールで泳いだり、友達と遊んだり、楽しい夏休みを過ごしているのだろう。でも、じっとしているのは性に合わない。少女は作戦を立て始めた。


この部屋には、扉が開くタイミングが一日に四回ある。朝食、昼食、夕食、そして3時のおやつの時間だ。そのタイミングで使用人を押しのけて脱走すればいい。


もちろん、大勢の使用人が確保しに来るだろう。しかし、それは好都合だった。人が集まれば集まるほど、感情のエネルギーが集まる。美香の能力にとって、それは願ってもない状況だった。驚き、焦り、困惑——そういった感情が渦巻く中で、美香の力は最も強く発揮される。美香は自分の能力に、絶対的な自信を持っていた。


ちなみに、お風呂とトイレは部屋に備え付けられていた。父も、最低限の人間らしい生活はさせるつもりだったのだろう。

大きな窓もあり、日光も入る。本棚には本が並び、勉強机もある。反省部屋というより、快適な個室といった感じだった。


美香は窓の外を眺めた。

青い空が広がり、セミの声が聞こえてくる。庭では、庭師が花の手入れをしている。いつもと変わらない、平和な光景。でも、美香はその中にいない。


「……私だって、本当は外で遊びたいのに」

小さく呟いて、美香は次の食事の時間を待ち始めた。


脱走計画を練りながら。


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