第五章 十話 三場一幕 Ⅳ
冷気の漂う屋敷の内部。
京介、美香、月夜の三人が足を踏み入れた瞬間から、空気は重く沈み、暗く淀み、まるで粘ついた膜に包まれるようになっていく。廊下の奥へ進むにつれ、その感覚は増していった。
「……この感じ、ここは”結界”が特に歪んでいる」
京介が眉をひそめ、低い声で呟いた。
京介自身が張った結界を媒介としているためか、歪みの気配を感じ取ることができる。
三人はその異様な感触を頼りに、慎重に足を進めた。
「天音が……ここにいる」
月夜の声には震えが混じっていたが、その奥には確かな決意が宿っている。唇を噛み締め、彼女は前を見据えた。
美香は不安げに京介の袖を掴んだ。その指先には力がこもっている。
「八田君、気を張って。ここ、私たちには相性が最悪よ。ケガレが濃すぎる……」
「わかってる……けど、進むしかない」
京介は短く答えた。彼の表情には迷いがない。
屋敷の奥へと進むと、長い廊下の突き当たりに開いた扉が見えた。その向こうの部屋に、ぼんやりとした青白い光が揺れている。それは蛍光ではなく、まるで意思を持つかのように不規則に明滅していた。
「……あれ、何?」
美香が小さく呟く。
その光は、誰かの泣き声のように震えながら脈動していた。まるで呼吸しているかのように、明るくなったり、暗くなったりを繰り返している。
「天音……?」
月夜の口から、かすれた声が漏れた。彼女の目には涙が滲んでいる。
京介が一歩前に出ようとした、その瞬間——
“ドンッ!!”
廊下の左右の壁が、まるで巨大な手に押されたように、内側へと迫り始めた。床が軋み、天井から埃が降ってくる。
「屋敷が……動いてる!?」
美香が叫んだ。
「月夜! 下がって!」
京介は咄嗟に二人をかばい、迫りくる壁の気配を睨みつけた。
“ここから先は、通さない”
何かの意志が、空間を押している。
それは明確な拒絶の意思だった。そして、その押している”何か”の中心に——天音がいる。
京介は息を呑んだ。
「……天音を止めないと、結界ごと潰される……!」
「突っ切るわよ!」
美香が叫び、三人は走った。
壁は容赦なく近づいてくる。
左右から圧迫される感覚に、息が詰まりそうになる。
「こういうのは! どうだ!」
京介は長細い長方形の結界を数個瞬時に生成し、左右から迫り来る壁に挟み込むように設置した。
結界が壁の侵入を押し止める。
「あら、器用ね!」
美香が走りながら驚きの声を上げた。
「長くはもたないからな!」
京介は走りながら絶えず結界を作り続ける。
結界は軋み、ヒビが入り、すぐに砕けていく。その度に新しい結界を補充し、なんとか壁の圧迫を凌いでいた。
「もう少し……!」
月夜が前を見据えて叫ぶ。
三人は部屋に飛び込んだ。
直後、背後で壁が轟音を立てて激突した。
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【カフェ周辺】
「ひ、ひひぃ……来るなって言ってるでしょおおお!!」
木箱を抱えたまま、大和が叫びながら角を曲がって走り込んでくる。
その後ろで黒服二人が無言で追尾しており、静は必死に大和の腕を引っ張られながら逃げていた。
「ちょ……なんで追われて!?」
劉が悲鳴に近い声を上げる。目の前で繰り広げられる状況に、完全に困惑していた。
「し、知らないっ!! 木箱盗むなって言われたから逃げてます!!」
「それを!盗んでるって言うんですよ!!」
透が本気で頭を抱えた。
こめかみを押さえながら、目を見開いている。
大和は必死に走っているが、重い木箱を持ったままでは思うように走れない。足がもつれ、呼吸も荒くなっている。
黒服の一人が大和の肩を掴もうと腕を伸ばした、その瞬間——
パァン!!
乾いた音と共に、その腕が弾かれた。
「触らないで」
静が吐き捨てるように呟いた。
彼女の指先には、どこかで拾った木の棒が握られている。表情には普段の柔らかさはなく、鋭い光が宿っていた。
「し、静さん?」
大和が呆気に取られている。
黒服が顔を歪めた。
「……小娘が」
「これは……マズいことになりましたね……」
透は本気で青ざめている。
額に冷や汗が浮かび、喉が渇いた。
「本当にうちの女性陣はみなお強い……」
透は軽口を叩かないとやってられなかった。現実逃避気味に呟く。
劉と傷男の戦闘は、まだ続いている。
千代もフライパンを構えて臨戦態勢。
そこに黒服が二人増えた。
完全にキャパオーバーだ。人数差が圧倒的すぎる。
「透さん! そこ二人頼みます!!」
劉が必死に叫ぶ。
「無茶言わないでください!! 戦闘向きじゃないんですけど!?」
透が絶望的な声で返す。
「こっちはこっちで限界なんです!!」
傷男の拳が唸りを上げ、劉はギリギリで避けた。
頬を掠めた風圧に、背筋が凍る。
千代が口を挟んだ。
「そこの黒服! 営業妨害はアンタらもよ!!」
黒服が千代に向き直った瞬間——
フライパンが再び唸った。
ゴンッ!!
「がっ!?」
千代は強い。
本当に強い。見た目からは想像もできない腕力だ。
「あんた……武器商人とかやってました……?」
透が引き攣った声で呟く。
「カフェのオーナーよ!!」
千代は即答で怒鳴った。フライパンを振り回しながら、表情は真剣そのものだ。
黒服は片方が千代に足止めされ、もう片方が静に牽制されている。
大和は木箱を抱え、壁際に追いやられて静に庇われていた。
傷男は劉と激突中。
透は深呼吸した。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
透は近くの地面に落ちていた小石を拾った。黒服の一人が走ってきた拍子に蹴り飛ばされたものだ。
それに指先で触れる。
——“記憶”が流れ込む。
黒服がどの方向から来たか、どう動いていたか。石が転がった軌跡から、その足取りが読み取れる。
そして目視で観察する。靴のすり減り方から癖、重心の偏りまで。
探偵として培った技術を駆使する。
透は石を構えた。
「……そこ!!」
黒服の死角から、石を正確無比に投げつける。
「ッ……!?」
眉間に当たり、黒服が一瞬怯んだ。
その隙に大和が静の手を掴み、離脱する。
「す、すごい……!」
静が呟いた。
「この方は僕が抑えます。二人は店に!」
透が叫んだ。
劉はまだ傷男と対峙している。
「……しぶとい坊主だな」
傷男が低く呟いた。
「言われ慣れてます!」
劉は息を切らしながらも、不敵に笑った。




