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第五章 九話 助けて 下

山を下りた委員会の一行は、黒塗りの車に乗り込んでいた。


強面の男が運転席に座り、助手席には狐面の男が座っている。後部座席には、三人の部下が窮屈そうに詰め込まれていた。


「ケガレの反応は?」


強面の男が、運転しながら低い声で尋ねる。その声には、焦りと緊張が滲んでいた。


「山の麓の商業地区に、強い反応があります。おそらくそこに『宿り主』がいると思われます」


狐面の男が、手元の端末を見ながら答える。


「電話の反応的に、天音でほぼ間違いないね」


狐面が報告する。


「あの子か……」


強面の男が、低く呟いた。その声には、珍しく感情が混じっていた。後悔だろうか。

それとも――


「……まさか、彼女がターゲットになるとは」


「感傷は後です。今は、被害を最小限に抑えることだけを考えてください」


狐面の男が冷たく言い放った。


「わかっている」


強面の男は、アクセルを踏み込んだ。車は、商業地区へと向かって走り続けた。


-----


月夜は電話を終え、スマホを握りしめていた。その手は、わずかに震えている。


京介たちは、すぐに来ると言ってくれた。


(ありがとう……本当にありがとう……)


しかし同時に、月夜の胸には罪悪感が渦巻いていた。


彼らを危険に巻き込んでしまう。

組織が来れば、京介たちも――そう思うと、胸が締め付けられる。


ソファで横たわる天音の顔を見る。


妹は、まだ苦しげに呼吸している。

額の汗が、タオルに滲んでいた。その顔色は青白く、まるで生気が失われているかのようだった。


「天音……ごめんね……お姉ちゃん、どうすればいいか分からなくて……」


月夜は、妹の手をそっと握った。その手は、冷たかった。


その時、天音の瞼が微かに動いた。


「……お姉……ちゃん……」


「天音!」


月夜が、はっとして妹の顔を覗き込む。


「……逃げて……私から……離れて……」


天音の声は、かすれていた。まるで喉が枯れているかのように、か細い。


「何言ってるの! 離れるわけないでしょ!」


月夜が強く言い返す。


「……中に……何かいる……怖い…の…お姉ちゃんを……傷つけちゃう……」


天音の瞳が、また一瞬、黒く染まった。まるで別の何かが、内側から覗いているかのように。


「っ!」


月夜は、思わず息を呑む。しかし、妹の手を強く握り返した。


「大丈夫。私がついてる。絶対に、あなたを一人にしないから」


月夜の声は、震えていた。しかし、その決意は揺るがなかった。


天音の目から、一筋の涙が流れた。


「……ごめんなさい……」


そして、天音は再び意識を失った。


月夜は、妹をそっと抱きしめた。その体は、驚くほど軽く感じられた。


(どうか……どうか無事でいて……)


窓の外では、夕日が沈み始めていた。オレンジ色の光が、次第に暗い紫色へと変わっていく。



ドン!!


突然、天音の体が大きく跳ね上がった。まるで目に見えない巨大な手に掴まれ、宙へ放り出されたかのように。


「天音!」


月夜の叫び声が部屋に響く。その声には、恐怖と焦燥が入り混じっていた。


天音の体は、まるで糸で操られる人形のように、不自然な動きでゆっくりと起き上がった。関節の曲がり方が、人間のそれとは明らかに異なっている。その動きには、生気が感じられない。人の温もりを失った、ただの器のような――


「……あ……あ……」


天音の口から、かすれた声が漏れる。それは喉の奥底から絞り出されるような、痛々しい響きを伴っていた。


そして――彼女の瞳が、完全に黒く染まった。


まるで深淵を覗き込むような、底知れぬ闇の色。かつてそこにあった、優しい光は微塵も残っていない。瞳孔も、虹彩も、白目さえも、すべてが漆黒に呑み込まれている。


「天音……?」


月夜が恐る恐る呼びかける。声が震えていた。妹の名を呼ぶのが、こんなにも怖いことだなんて。


天音――いや、天音の体を借りた”何か”は、ゆっくりと月夜の方を向いた。その首の動きは、まるでぎこちない機械仕掛けのよう。骨が軋むような音さえ聞こえてきそうだった。


その表情は、無表情。感情の欠片も感じられない。喜びも、悲しみも、怒りも、何もない。ただの虚無だけがそこにあった。


「……ニゲテ……」


天音の口が動く。しかし、それは天音の声ではなかった。複数の声が重なり合ったような、不気味な声。男の声、女の声、子供の声、老人の声――それらが渾然一体となり、おぞましい不協和音を奏でている。


「……ワタシカラ……ニゲテ……」


その声の奥底に、かすかに天音の意識が残っているのを、月夜は感じ取った。妹は必死に抵抗している。姉である自分を守ろうと、最後の力を振り絞って。


「天音、しっかりして!」


月夜が妹の肩を掴む。その肩は、氷のように冷たかった。


しかし――


「あぁぁー!」


「きゃっ!」


天音が叫ぶ。すると、その『声』の衝撃波により月夜の軽い身体は数メートル吹っ飛んだ。背中を壁に強く打ち付け、視界が一瞬白く染まる。


周りの机やソファ、棚、窓――部屋にあるあらゆる物にヒビが入る。ガラス製品は粉々に砕け散り、木製の家具は悲鳴を上げるように軋んだ。まるで爆弾でも爆発したかのような惨状。


「うぅぅー」


天音――いや、ケガレは再び周囲を破壊しようと、『音』を行使しようとする。黒く染まった瞳が、ギラリと光る。次の一撃で、この部屋のすべてを消し去るつもりなのだろう。


「ダメ!天音!」


月夜は立ち上がり、天音を止めようと駆け寄る。何の力も武道の心得もない少女にできることは、今も昔もその身体で妹を抱きしめるだけだ。それでも、姉として――家族として、妹を見捨てることなどできない。


「こんな痛みなんて、天音の苦しみに比べたら!」


少女は床に打ちつけられ痛む身体を叱咤し、震える足で立ち上がった。全身が悲鳴を上げている。骨が軋み、筋肉が引きつり、あちこちから血が滲んでいる。駆け寄ったってケガレを払うことなどできない。そんなことは分かっている。


それでも――


「私は天音のお姉ちゃんなのよ」


少女の強い意志がその目に宿る。痛みも恐怖も、すべてを乗り越えて。たとえこの身が砕け散ろうとも、妹を救い出す。その決意だけが、月夜を突き動かしていた。


「ううー」


天音の身体が震える。内側で、本来の天音とケガレが激しく争っているのだ。


「あああー!」


先程より遥かに強い衝撃波が月夜を襲う。空気が歪み、周囲の残骸がさらに粉砕される。


その破壊の波が、防御の術を持たないただの少女へと迫る。


「っ!」


月夜は身構える。両腕で顔を庇い、歯を食いしばる。


これを食らえば月夜はタダで済まない。下手をすれば命さえ危ない。だが避けるすべを少女は持たない。ここで逃げれば、天音は完全にケガレに呑み込まれてしまう。



――しかし、いつまでたっても衝撃は月夜に届かない。



(?)



月夜は怪訝に思った。

なぜ?自分はまだ無事なのだろうか。


恐る恐る目を開けると、目の前にはボロボロになったガラスのようなものがあった。

透明な壁が、蜘蛛の巣状にヒビ割れながらも、辛うじて月夜を守っている。


「え?」


一体誰が――


「はぁっ、はぁっ、間に合っ、オエ」


扉の方から情けない声が聞こえた。息も絶え絶えな、それでいてどこか安堵に満ちた声。


振り向くとそこには、ボロボロになっている扉に体重を乗せ、肩で息をする京介の姿があった。


「八田、君……」


月夜の声に、安堵と驚きが混じる。


「月夜さん!」


京介の後ろから美香がすごい勢いで飛び出して来た。


「月夜さん大丈夫……じゃないわね。身体中、傷だらけじゃない」


美香が月夜に駆け寄り、ボロボロになっている月夜の身体を支える。その手つきは優しく、しかし的確だった。


「わ、私はいいから天音を…」


月夜の声は震えていた。自分の怪我のことなど、どうでもいい。ただ、妹を救いたい。その一心だった。


「えぇ、そうよね。とりあえず、八田君!お願い!」


美香の声が、部屋に響く。その声には、信頼と焦燥が入り混じっていた。


「とっに!人使いが荒い!」


京介が文句を言いながらも、すぐさま動き出す。


天音の周りを丸く囲むように『結界』が張られる。それは咄嗟に月夜に張られた防御の物とは異なり、対象を封じ込めるための、より強固な結界だった。淡い光が、天音の周囲を球状に包み込む。


「よし、できた。さっきのより頑丈に作ったから、簡単には壊されることは……」


京介が確かな手ごたえを実感していると、天音が大きく口を開ける。


その喉の奥には、まるで奈落の底のような闇が広がっていた。


「あああー!」


天音の悲痛な叫びが結界内で響く。それは単なる音ではない。怨念と絶望が凝縮された、破壊の波動だった。


パリン


結界はものの数秒で砕かれた。まるで薄いガラスを叩き割るように、あっけなく。


「うっそ……」


京介は驚愕した。嫌な予感はしていたが、結界が破壊されるなんて。今までこんなことはなかったのだ。ケガレの力が、予想を遥かに超えている。


「八田君⁈」


美香の声に、切迫した響きがあった。


「っ!」


京介は歯を食いしばる。もう一度、結界を張り直さなければ。


「天音さん、ちょっと乱暴に行くわよ」


美香はソファの上に落ちていたであろうハンドタオルを素早く拾うと、ボールのように固く丸めた。その手つきには、迷いがない。


「はぁ!」


美香は相手に動きを予想されないよう、フェイントを交えたステップを踏み、一瞬で足を床から離した。そして天音の間合いに入る。その動きは、まるで舞うように優雅だ。


次の攻撃を仕掛けようと口を開く天音。


「えい!」


その口に無理矢理タオルを押し込む。美香の動きは素早く、容赦がなかった。


「!」


天音――いや、ケガレが驚いたように身をよじる。


美香はその隙を逃さず、もがく天音の背後に回り込み、手足を抑える。


「八田君!今よ!」


美香の叫びに、緊迫感が滲む。この体勢を長くは保てない。


「あ、ああ!」


京介が再び両手を組む。

今度こそ、簡単に壊れないように――


「はあ!」


再び天音は結界に閉じ込められる。

今度は美香と共に。


月夜は祈るような思いで、結界の中の妹を見つめていた。


「ごめんなさいね、天音さん。真上さんが来るまでこの状態で……っ!」


結界の淡い光が、妖しく明滅する。


「!」

「二人とも逃げて!」


「ど、どうしたの?!」

「月夜!一旦部屋の外へ……」

二人の能力者の判断は正しく、正確であった、

だが遅かったーー


美香と天音を包む結界は美しい光から妖しい紫の光へ変色し、先程より広がり。


ーーー三人を飲み込んだ



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