二部 二話 少年の探し物
「…で結局、午後の活動は『とりあえず外を歩いてみる』でいいのか?」
テーブルの端に肘をつきながら、京介はぼんやりと問いかけた。返ってきたのは、美香のいつもの前向きすぎる声だった。
「いいのよ。探偵役が来るまで何もしないわけにはいかないわ。さっきも言ったけど、ヒーローが困ってる人を“探しにいく努力”をサボっちゃダメよ! すぐ近くにいるかもしれないんだから!」
「そうかな……?」
劉が問いかける。
「そうよ! 泣いてるとか、うずくまってるとか、道に迷ってるとか。きっと、すぐ近くにいるはず!」
自信満々に言い切る美香。無根拠なその断定に、京介は(いない方が平和でいいんだけどな)と心の中でため息をついたが、劉はにこやかに見守っていた。
「うん……まあ、何事も最初は試行錯誤だよね。場所は、駅前から住宅街のあたりを回ろうか。昼下がりで人通りもあるし」
「劉、段取り上手だな」
「そう? 京ちゃんは考えるのが上手いし、草薙さんは行動力あるから。僕は、ちょっとまとめ役くらいで」
「ふふん、頼られてるじゃない、私!」
そうしてなんとなく役割が定まり、三人は部室を出発した。
住宅街の一角を歩いていたときのことだ。
「あれ……? あの子、泣いてない?」
美香が立ち止まり、指をさす。数メートル先の十字路、電柱の根元にしゃがみこんでいる男の子がいた。小さな青いリュックを背負ったまま、ぐすぐすと鼻をすすっている。
「小学生……低学年くらいかな。声、かけてみる?」
「私、行ってくる!」
「……草薙、いきなり突っ込むなって」
京介の声も聞かず、美香はすでに男の子の前にしゃがみ込んでいた。
「ねえ、どうしたの? 大丈夫?」
美香の声に、男の子はびくりとしながら顔を上げる。
「……鍵、なくしちゃったの……怒られるかも…」
ぽつりと、男の子がしゃくりあげながらつぶやいた。
小さな声で返ってきた言葉に、三人は顔を見合わせた。
「名前、教えてくれる?」
「ゆうと……です
少しずつ落ち着いてきたゆうとに、劉が優しく語りかける。
「鍵って、最後に見たの覚えてる?」
「えっと……朝、家を出るときにポケットに入れて……それで、帰ってきたら、もうなかったの」
「じゃあ、道を戻って探してみようか。俺たちと一緒に」
劉の穏やかな声に、ゆうとは小さくうなずいた。
午後の陽射しがじりじりと照りつける中、四人は歩き出した。通学路をたどりながら、アスファルトの隙間や植え込みの影、ガードレールの下など、鍵が落ちていそうな場所を一つずつ丁寧に見て回る。
「……小さい鍵だよな。落としたら気づかないかも」
京介が地面を見つめながらつぶやく。
「うん……これくらい……」
ゆうとは手で小さな四角を作って見せた。南京錠か、机の引き出し用くらいのサイズだろうか。
劉は道端で草むしりをしていた近所のおばあさんに声をかける。
「このへんで、鍵を見かけませんでしたか?」
「うーん、見なかったねぇ」
おばあさんは首をかしげながら答えた。
「ゆうと君、歩いてるときに何か音とかしなかったか? チャリンっていうとか」
「うーん……わかんない」
京介は膝を折って、ゆうとの目線に合わせてできるだけ穏やかに問いかける。
一方、美香は車道との境にある側溝の蓋の隙間を覗き込み、持っていた細い枝で中を探っていた。
「もしかしたら、ここに落ちてるかもしれないけど……暗くてよく見えないなぁ」
そのとき、ゆうとがふと立ち止まり、表情を曇らせる。
「……もし見つからなかったら、どうしよう……」
かすれた声。不安がにじんでいた。
美香が振り返り、ぱっと明るい笑みを浮かべると、ゆうとの前にしゃがみ込んだ。
「ねえ、ゆうとくん。実はね、私たち、ヒーローを目指してるの」
「ヒーロー……?」
「そう。困ってる人を見つけたら、助けに行くの。どんなに小さなことでも、『助けて』って声にちゃんと応えたいんだ」
美香は胸に手を当て、まっすぐに言った。
「だから、今日もヒーロー修行の一つ! 鍵をなくしちゃったゆうとくんを助けるのも、私たちにとってはすごく大事なことなんだよ」
ゆうとは目をぱちぱちと瞬かせ、それから小さく笑った。
「……じゃあ、お願い、ヒーローさん」
「うん! 任せて!」
美香の言葉に、京介が少しだけ目を細める。
「ヒーローって言ってもなぁ……俺、そんな柄じゃないけど」
ぼそっとつぶやいたが、誰にも聞かれていないようだった。
そのとき、京介がふと立ち止まり、首をかしげる。
「……あれ?」
「ん? どうしたの、京ちゃん」
劉が振り返る。
「いや、ちょっと……。ゆうとくん、その鍵って、どこの鍵だったの?」
「そういえば、大きさは聞いたけど、なんの鍵なのかは聞いてなかったね」
ゆうとは少し戸惑いながら、口を開く。
「……お父さんのへや」
「お父さんの部屋?」
その場の空気が、わずかに変わる。
「……ダメって言われてるの。勝手に入っちゃ」
美香の顔つきが、ほんの少しだけ引き締まった。
問い詰めることはせず、美香は自然な声で「そっか」と返し、ゆうとの目線にしゃがんで合わせた。
「じゃあ、どうしてお父さんの部屋に入ったのか、聞いてもいい?」
「……学校のしらべがくしゅうで、使えそうなもの探してて……。むずかしい本とか……。でも、怒られるかもしれないから……」
その声は、自分を責めるように小さく、けれど確かだった。
「バレたくなかったんだな。……偉いよ、よくひとりでここまで頑張ったな」
京介が、どこか遠くを見ながらつぶやく。
そんな彼を、美香がちらりと見た。ほんの少し、笑っているようにも見えた。
「じゃあ、絶対に見つけよ。ね?」
「うん」
ゆうとは力強くうなずいた。
再び歩き出し、四人で道沿いをくまなく探す。すると、劉が電柱の根元で足を止めた。
「……京ちゃん、ここ……」
そこには、落ち葉に紛れて小さな金属の輝きがあった。
京介がしゃがみ込み、そっと拾い上げる。
「……あった!」
銀色の小さな鍵――その先には、「パパの部屋」と書かれたタグがついていた。
「ゆうと、これで間違いないか?」
京介が差し出すと、ゆうとは目を見開き、そして涙ぐみながら何度も頷いた。
「ほんとだ! これ、ぼくの!」
「ありがとう……!」
三人の顔にも、自然と笑みが浮かぶ。暑さも、汗も、どこか吹き飛んだようだった。
京介がそっとゆうとに鍵を渡す。
「大丈夫。僕らは“ヒーロー”だから、秘密は守るよ」
こそっと内緒話のようにささやくと、ゆうとは小さくうなずき、涙をこらえながら「ありがとう」と言った。
「……ふぅ。地味だったけど、なんか疲れたな」
部室に戻った京介が、椅子に座り込んでつぶやいた。
「でも、よかったじゃない。最初の依頼、ちゃんと解決できたよ」
「うん。ゆうと君、笑って帰っていったし」
静かに頷く劉の横で、美香は拳をぎゅっと握る。
「私たち、ちゃんと人を助けられたんだよね」